比較的多くの量の硫酸を手に入れる手筈が整ったので、着々と作業を進めていく。といってもまだ注文の品が届かないので基礎実験だ。まだ海を超えてネット注文が届いていた世界の記憶が残っているので結構辛い。早く無線通信が欲しい。海底ケーブルでもいいが。どっちにしろ電気は必要なので作業を進めよう。
「で、今度は何を?電気分解にも似ていますが」
新しく作った単語をケトは口にする。そうそう、彼の頑張りによって暫定的ではあるが学術用語ができつつあるのだ。電気、磁界、電界、導体、コイル、電気分解、電流、その他諸々。かつての世界の知識をベースに混乱しそうなものを気がつく限りで調整し、他の分野と意味が被りそうなものはできるだけ電磁気学の用語であるとわかるようにし、そして可能な範囲で単語同士に共通性を持たせるなど私も色々とやった。それでもどう考えてもケトの功績が一番大きい。報酬を出そうとしたら断られたけど。
「鍍金術はわかる?」
「金属細工の四術ですよね。確か鋳金、鍛金、鍍金、彫金でしたっけ」
「よく覚えてるね……」
前に読んだ「雑物総記」に載っていた内容だ。確かにケトと一緒に読んだが、こんなところまで覚えているものだろうか。
「それをやってみようかと」
「へえ」
そういう話をしながら毒々しい青色をした飽和硫酸銅水溶液中に鉄の板を入れる。やるのは鉄に対する銅
「漬けるだけでいいんですか?」
「まずは、ね」
そういうわけでしばらく待機。暇なので勉強するケトを見る。
「今は何をしているの?」
「詩術の練習です」
「詩学ではなく?*1」
「これは学にはならないでしょう」
「おおっと」
これでも一応博士(文学)なのだ。ここらへんを否定されると反論したくなってしまう。定量的に扱うことが難しくとも反証可能性のある論理構築はできるし、統計的な分析を使えば色々と見えてくるものもあるのだ。
「例えば、詩においてどういう並びの韻がいいかって議論はされない?」
「されますが、学としての修辞学よりも広い範囲を詩術は扱うので」
「うーん、では学と術の違いはどうなってる?」
「十三学が学問で、それ以外が術」
「なるほど完璧な定義だ」
こういう既存のものを持ち出されると弱い。
この図書庫の城邦では、基本的に十三学が教えられている。ただそれとは独立して「術」を教える講師もいる。また、講官の一部も「術」を身に着けている。例えば天文学でも観測分野は天文術として扱われ、測量術などの形で他分野ともつながりがある。他に算学も商業的な算術と違って抽象的な学問として頑張ろうとしているが色々と限界がある。
ここらへんはかなり歴史と結びついているようで、結構固定化している。これは仕方のないところで、例えば歴史上ヨーロッパにおける
日本ではここらへんの学問の認識が曖昧だが、それは明治維新以降あまりそういうものに頓着せず富国強兵のためならかなり見境なく取り入れ、背景に注意されていなかったからというのがある。こういうところから日本の学術体制は純粋科学をやるには向いていないだの言う人もいたが逆に理論的分野のほうが設備不要でハードル低かったからその分野のほうが早いうちから専門家が出ている気がする。ヘンリー・ダイアーの影響もあるだろうし、まあここらへんはちゃんと資料を持ってこないと話したくないな。
「とはいえ十三学でも術としての側面が強いものはあるよね」
「算学はそうですね」
「商業のための、という側面があるから?」
「ええ。なのでもし改めて学問とは何かを問い直すとしたら、難しいことになると思いますよ」
「そうか……」
ここらへんは私の知っている大学制度とこの図書庫の城邦という学問都市では多くのことが違うのであまり安易に何かを言うことはできそうにない。中世の大学都市とかの方が近いのかもしれないが、残念ながら専門外!
「そういえば、キイさんは元いた場所で学問をやっていたんですか?術をやっていたんですか?両方?」
「まあ、その分類なら両方かな。昔のこと、歴史……だっけ、についてやるのは地理学?」
「そうです」
「これも私にとっては結構奇妙なんだよね……。かつていた場所では文法学とか修辞学に分類としては近かった」
「どうして?」
「うーん……」
一応博士(文学)のくせにここらへんの知識はいい加減だ。学び直したいが、帰れる予定は今のところない。
「よくわからないや」
「……少し、意外です」
「どうして?」
「キイさんは、いろいろなことを知っていたので……、いえ、これは良くない言い方でしたね」
「そう?知らないことだってあるよ」
「ええ、だからです。別にキイさんが全てを知っているわけでは、ないんですよね」
「ま、そうだね」
私は呟きながら鉄の板を引き上げる。表面には赤色の銅が析出していた。