図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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手紙

「そういえばハルツさん、元気にしているかな」

 

暇なのでここに来てからのことを頭の中で整理していて私は呟く。

 

「たぶん大丈夫だとは思いますが」

 

そう言うのはケト。最終課題である詩を仕上げているらしい。

 

「連絡でもしたほうがいいかな」

 

「それはいい考えだと思います」

 

ケトの言葉に私は寝台から立ち上がり、ケトの向かい側に座る。

 

「手紙の書き方、どうすればいいの?」

 

「……そういえば、キイさんはそういう知識はないんですよね」

 

「まあね、規則はある?」

 

ケトは少し考え込む。

 

「衙堂が他の衙堂に送るようなものであれば、大まかな流れはあります。ただ、あくまで個人と個人のやり取りであれば細かいことは気にしない方がいいかと」

 

「なるほど」

 

公と私の区別、みたいな概念だろうか。私の中の歴史知識が妙な違和感を見つける。個人の尊重とかはかなり後の世に生まれた概念ではなかったっけ?いやいや、そういう雑なものを一概に括るのは良くない、具体例を挙げろと脳の別の部分が言う。

 

例えば近代における条約は個人の名のもとで行われた。法人格の形成の起源は確か古代ローマ。教会はその構成員とは別の一種の存在として契約を行うことができた。絶対主義時代の王は、あらゆる時において王であった。

 

ではこの図書庫の城邦においてはどうだろう。衙堂が行う契約をいくつか見たが、全て人の名前があった。ただ、そこには衙堂の誰々というふうに書かれていたことを考えるとどう解釈すべきかは微妙なところだ。法人の代表者としての人名なのか、あるいは契約を行うことができる存在である自然人なのか。ここらへんは統治学の分野だが、その入門を読んでもよくわからなかった。語義もわからず専門書を頭から読むものじゃないな。

 

ただ、いくつかの契約には面白い条項がある。引き継ぎの義務だ。工房の大工師が長期間の契約を行う時は、次の大工師にその契約を引き継がせる義務がある。活版印刷の研究に行われた私への融資は個人から個人であったが、「この責務は後継者に引き継がれる」という聖典語の一文があった。これは商慣習でもしばしば用いられるらしい。ここらへんはもし法制史とか商業史をやっている人がいたら興味をもつだろうがあいにく私はそっちの方面は素人だ。学会で質問ぐらいはできるが。

 

「まあ、つまり大衙堂のキイの名前ではなくて図書庫の城邦に住む一人の女性キイって形で出せばいい、と」

 

「ええ。まあもちろんそういうやり取りでも守った方がいい作法はありますから、一緒に書きますか」

 

「……それ、終わらせなくていいの?」

 

私はケトの手元の蝋板を見る。

 

「いい言葉がやってくるまでは何をしていても変わりません」

 

「なるほど」

 

レポートを書いていた時の私みたいだな。おかげでギリギリの提出だったのもしばしばあったが。

 


 

書きたいことは色々とあるが、まあまずは季節の挨拶から。私が書きたい内容を言っていくと、ケトは適宜東方通商語の適切な表現を出してくれる。中には私がまだ聞き慣れないものもあった。本当にこういう引き出しはどこから来るんだ。インプット量か?まあ実際私もケトぐらいの年齢の頃には日本語で似たようなことはやれなくはなかったか。

 

「……ハルツさんのこと、どう呼べばいいかな」

 

「ハルツ嬢……ということではないですよね」

 

「うん。借りを感じるべき人……?」

 

あまりいい語彙がない。

 

「恩人とか?」

 

「たぶんそういうの。あってる?」

 

「あまり使わない表現だと思います。親愛なる友とか、助けとなってくれた人とかいう表現のほうがいいと思います」

 

「友、って使っていいの?」

 

「いいと思いますよ」

 

私が紐づけているイメージと東方通商語における「友」に相当するであろう単語のニュアンスの違いだろうか。

 

「春が来て、暖かくなってきました、とか?」

 

「雪の痺れが溶けて、という表現があります」

 

「綺麗だね」

 

軽く韻を踏んでいる。ケトの脳の中には相当こういう組み合わせのストックがあるのだろう。かつての私が何も考えずとも指を動かせば学術っぽい文章をでっちあげられたように。

 


 

煩務官のこと、印刷機のこと、図書庫の城邦で出会った様々な人のこと。どこまで詳しく書くかも難しいので、そこらへんはケトに聞きながら。

 

「……ところで、これは誰の名前で出すんですか?」

 

「私……かな?でも半分ぐらいは君に書いてもらっているし……」

 

実際に紙に書くならケトの方が慣れているが、そのケトからは私が書くように言われた。そういうものか。

 

「なら、最後に僕の名前も書きましょう。それならいいですか?」

 

「そうだね」

 

「で、これはあの衙堂に寄るような人に渡せばいいんだよね」

 

「はい。商者でもいいですし、第四区の担当者は誰だったかな……」

 

私は少ない記憶から通信に関するものを洗い出す。そうか、電気ができているから電信も不可能ではないのか。実験室レベルで必要なものは大体揃っているが、実用化にはまだ遠そうだ。確かここらへんの歴史は権利関係がややこしくて大体の年数と最低限の人名しか覚えていないんだよな。ただまあモールス信号もといトン・ツー式は人材の育成が面倒そうだな、と私は唸る。周波数分割多重化でバイナリ化した文字を並列送信してもいいがこれには規格化とそこそこの精度での測定が必要だ。できたら増幅用の真空管なんかも欲しいがそこまで行ければもう無線通信をやりたい。あーもうやりたい事が多いが、今は休息時期だ。

 

「……文面はこんなものでいいですか?」

 

蝋板をきっちりと埋める文字をざっくり読んで私は頷く。

 

「では、書くか」

 

紙を一枚取って、丁寧に字を書く。改めて自分の手を見ると、かつてはなかったペンだこができていた。

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