図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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剥離

見慣れてしまった天井に痛む頭。腕にかかる重さ。顔を横に倒すと私の手首を枕にしているケトの寝顔。警戒心というものがないのだろうか。まあこれは私にブーメランとして返ってくるので黙っておこう。

 

差してくる日の場所から考えて南中過ぎ。精密な時計がないので厳密な時間はわからない。ああどうにかしてそういうものも作らないとな、と頭の中で雁木(ガンギ)車の構造を思い浮かべて首を振る。……もう限界だ。活字中毒の禁断症状が起きている。聖典語を読めるようになってインプット手段が増えてしまったのが原因だ。まだ書くのは難しいが、文法的には問題ないレベルで理解できる。単語はよくわからないものも多いのでケトに手伝ってもらうことも多いが。いやなんで万神学から医学までの用語をちゃんと知っているんだよ。字引を見ればわかると言っても普通の人間はそんな事はできない。

 

最近はずっと頭の中で何かを考えているかケトに話しているかだ。使いたい語彙がケトによって少しずつできてきたので科学的思考であったり仮説と実験の概念であったりを説明しつつあるが、まだ彼には飲み込めていないようだ。

 

ともかく酒に溺れている気がしなくもないので、ひとまずは断酒だ。きっとまだ中毒にはなっていないはず。

 

「……ん、愛おしい人……*1

 

「寝言?」

 

「……昼ですね」

 

ケトが目を覚まし、意識レベルを下げていく。

 

「……キイさんが悪いんですよ?」

 

「えっ?」

 

起きてそうそう何か怒られている。まあ十中八九私が悪いのでなにか聞こう。

 

「僕を抱きしめたまま寝てしまって、抜け出せなかったんですよ」

 

「ああ、だから同じ寝台に」

 

「そういうことです」

 

ふむ。これは私に責任があるな。

 

「嫌だった?」

 

「本当に嫌ならキイさんを起こしてますよ。まあそこまで気にしなくていいです」

 

「ごめんね……」

 

最近ケトに借りが多い気がする。返済できる見通しはない。

 


 

「それで、休みに飽きたから私のところに来たと」

 

「はい……」

 

水車小屋で薬学師のトゥー嬢にも詰められている。

 

「君とケト君であれば、別に一日中でも寝台の上にいればいいじゃないか」

 

「そういう関係ではないと何回か言いませんでしたっけ?」

 

「私の方は別に隠さなくとも気にしないが」

 

「本当に、なにもしていないんですよ」

 

なんというか、司士と司女はそういう関係というのはかなり一般常識らしい。

 

「……そうか。ところで、その彼は?」

 

「真面目に読書ですよ」

 

私も本を読みたいがそろそろいい時期なので作っている銅型の状況を確認しに来たのだ。

 

「それを剥がすのか?」

 

「ええ。手で触れると脂がつくので注意しないと」

 

界面活性剤、もとい石鹸で手を洗いながら言う。水酸化ナトリウムと動物脂を反応させて作っているものだ。なおまだ実用には微妙。結構中和のバランスが難しいので手が荒れることも珍しくない。早く公衆衛生に使えるレベルで生産したい。

 

「そうやって積もっていくのか」

 

トゥー嬢の言うように、青い液体から引き出した蝋の表面には光る銅が析出していた。ここから蝋を剥がせば銅凸型ができる。これに改めて銅を析出させれば銅凹型ができるわけだ。で、私はこの説明を自慢気にしたときには根本的な問題に気がついていなかった。

 

「……これから、もう一度銅を積もらせるのだろ?」

 

「ええ」

 

「もとの型と、新しく積もった銅が外れなくならないか?」

 

思考を止めて、まずは丁寧に蝋を剥がし終える。その後改めて、私はなんともいえない狼狽混じりの表情をした。

 


 

当然のことながら、鍍金(メッキ)では形成された表面層と母材、つまりはもとの素材の結合が強いことが望ましい。さもなくば鍍金(メッキ)の目的である表面保護であるとか防食性付与であるとかキラキラにするといったことが達成できなくなるからだ。ただ相性というものがあり、特定の条件では形成されたものが剥離しやすくなる。電胎法自体はダニエル電池で析出した銅が相対的に剥がれやすかったことを利用した方法だが、さすがに銅電極に銅が析出した場合は取れにくいはずだ。それは困る。

 

で、私はこの解決策を知らない。いやだって過去に読んだ文献になかったもの。ただまあ、何かを使ったのだとしたら候補は限られる。つまりは表面を銅と「相性の悪い」ものにすればいいのだ。かつ、それは電気を通す必要がある。一般的な剥離膜形成では黒鉛粉末だろうか。トタンを作るように低融点金属を表面に流すこともできるか。あるいは追加で別金属を表面につけるか?その場合、銅よりもイオン化傾向の低い金属が必要なので水銀、銀、金あたりか。銀アマルガムを使うと銅がどれだけ削れるかがわからないし、アンモニアはまだぱっとは作れそうにない。あとは青酸を使う方法もあったか?これはちょっと今の状態の実験環境ではやりたくない。言われているほど毒性は強くないが、それでも危ないものは危ないのだ。

 

というわけで実験。黒鉛粉末をつけたもの、融けた鉛に浸けて引き上げたものを用意し、これを元に再度銅の析出を試みる。

 

「……それにしても、答えを知っているのに途中がわからないような作業をしているな」

 

「目標があって、それに対して可能性のある方法を試しているだけですよ」

 

「わかっている。そういうことにしたいのだろう?」

 

「わかっているなら、その通りです」

 

私とトゥー嬢は目を合わせて、互いに悪い笑みを浮かべる。

 

「それにしても何で君は名誉を求めないんだ?」

 

「面倒だからです。できるだけ多くの人がこういったものを生み出したことにしたほうが、私ではなくて専門家に尊敬が集まるではないですか」

 

「なら強くは言わないが。今書いている本については話したか?」

 

「聞いていませんね」

 

「まだ表題は正式には決めていないが、『基質の分離と分析』あたりにしようと思っている」

 

「もし出すなら、もう少し後の方がいいですよ」

 

「なぜだ?」

 

「衙堂を中心に特別な本の作成方法が研究されています。あと半年もすれば実用に持っていけるでしょう」

 

「ああ、今作っているのはそのための版だったか」

 

私は頷く。トゥー嬢にはあまり活版印刷の話をしていないが、なんとなく原理は理解しているようだ。まあアイデアはそこまで難しくないからな。

 

「それができてからのほうが、色々と便利かと」

 

「なら、それまでは丁寧に間違いを探していくか」

 

「手伝いますよ」

 

私にはちょっとした野望がある。トゥー嬢の書く本を化学史の序章に出すというちょっとした計画だ。まあ私がそこまで手を貸さなくとも彼女なら普通にできた気もするが。

*1
東方通商語における言い回しで、子供から恋人まで幅広い範囲の親密な相手に対しての丁寧な呼びかけとして用いられる

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