図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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法典

聖典語を文字通り訳せば法務審議会とでもなるだろうか。そこからの結構しっかりした招待状が届いた。日付は五日後。

 

「いい紙ですね」

 

「確かに」

 

手触りが違う。印刷用には相対的に安い紙を使うことを前提としていたが、その過程で色々触ったので紙質については何となくだが理解がある。まあケトの方が文書を書いているから慣れているのだが。

 

「で、一人で行くんですか?」

 

「まさか」

 

煩務官からこの事実上の召喚状を手渡された時に同伴者を連れて行っていいことは確認済みだ。というかまだ聖典語を話すことは難しい。読むならかなり慣れてきたんだがな。

 

「……事前に法は読んでおきましょうね」

 

「どこで読める?」

 

「統治学を学ぶ学徒が多い区域の図書庫で見ました」

 

「なるほど。で、明日暇?」

 

「ええ」

 

「それじゃあ、明日から目を通すか」

 

私はそう言って、背筋を伸ばした。

 


 

私が印刷機と格闘していた間に、ケトはかなりの量の授業を受けていた。そのうちの一つが統治学と修辞学にまたがった法規術である。やはり学と術の分け方が難しいな。

 

「まず基本になるのは古帝国法です。これは古帝国時代に統一されたもので、基本的にこの法と照らし合わせて判決は行われます」

 

私は頷く。とはいえこの古帝国法の内容は比較的単純だ。十戒よりは複雑ではあるが、日本の六法を合わせたものよりはシンプルなもの。ただ、かなり裁量が働くようになっている気がする。刑罰の上限と下限は統一されていたが、実際の裁判は地方ごとで行われたのでその地域の慣習法と整合性を取るためにその言葉の定義自体が曖昧となるようにしたという背景があるらしい。それと古帝国法には商取引の活性化のために明文化が必要となったので各地の法を集め、纏めたという側面もある。ここの歴史で衙堂の母体が出てくるのだが、本題ではない。

 

「それで、実際に図書庫の城邦では犯罪法と契約法と衙堂法と、その他多数の法が決められています。ただ、法に書かれていないことは最終的には頭領の名において裁かれます」

 

「実際のところ、判決に頭領の個人的判断はどこまで入り込める?」

 

「まず余地はないですね。そういう案件であると判会が認めれば法務審議会の意見が聞かれ、場合によっては図書庫の講官が呼ばれるなどして新しい法が作られ、頭領がそれを認めるという形なので」

 

「かなりよくできてるな……」

 

基本的な内容を定めた法をベースに判例を参照し、必要に応じて事後立法を行って法文を改良していくというわけだ。日本生まれの私にはこの法の不遡及に反するようなシステムに引っかかりがあるが、英米法の考え方だと結構軽率に事後立法ができるんじゃなかったかな。法制史は面白いテーマなのだがラテン語も漢文もできないので私には手も足も出なかった。

 

「問題になるのは所有に関するこの部分ですかね」

 

ケトが巻物を開き、条文を出す。

 

「ええと、東方通商語で読みます?」

 

「その必要はないけど、この単語は?」

 

「法特有の言い回しで、ええと……」

 

ケトの説明を聞きながら文を目で追う。他人の所有物の窃盗に関する部分だ。基本的には弁償と賠償、取り返しがつかないものの場合はいくつかに場合分けして対応する、という感じ。

 

「これは?」

 

「働く人のことですね」

 

「……私の読みが誤っていなければ、所有されている労働者って書いてあるよね?」

 

「ええ」

 

つまりは奴隷だ。とはいえここで奴隷制らしいものは見えていないのだが。いや奴隷という言葉は曖昧すぎるのでやめたほうがいいかもしれないな。

 

「古帝国時代の名残ですね。実際は雇用者に対する賠償として解釈されるので、これとは別に例えば人を傷つけたことに対する罰があります」

 

「なるほど」

 

犯罪ごとに罰が加算されていくシステムか。こういう事をやると数百年の労働刑となることもありそうだが、ケトが言うにはなんかいい感じのシステムで回避されるらしい。実際のところはかなり複雑なので説明はされなかった。

 

「それで問題はこの所有についてですが、例えばある朗読詩人が喧嘩によって声が奪われた時、声を所有物として扱った例があったと聞きました」

 

「単純に暴行に対する罰だけでは駄目だったのかな」

 

「それだけでは足りない、と判断されたのでしょう。仕事に不可欠なものでしたから」

 

「ここらへんはやはり専門家に聞くのが良さそうだな……」

 

私は曲がっていた背中を伸ばして言う。

 

「参考になりそうなものを少し探すので、キイさんはこれを戻してもらえます?」

 

「わかった」

 

巻物は表紙の色で大まかに内容が分類され、さらに詳しい内容がここでは軸に結わえられた紐についた木の板に刻まれている。内容ごとに棚に入れ、必要に応じて取り出すという形らしい。ただこれは今後冊子状の本が出てくると色々変わりそうだ。図書館情報学は中学校時代に読んだきりで特に触っていないので、参考になる話ができるかは怪しい。とはいえ情報整理ができないと処理能力に限界があるからな、と私はあまり触ったことのないカード目録がどういうシステムだったかを思い出そうとした。

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