出版を差し止める法的命令によって、衙堂の一区画の入り口には頭領府から来た衛兵が立つことになった。もちろんある意味でこれは茶番である。なぜならまだ製本には時間がかかるので、差し止められたところで全く問題がないからだ。最初に一冊だけ出版しようと手続きを進めたところ取引法においてまだ定義が曖昧な分野、具体的には法解釈が成立するまで「文字版で印刷された本」と「木版で印刷された本」は別物として扱われることに引っかかった、という建前だ。実際のところは我らが上司である煩務官が裏で色々と話を通していたものである。
そういうわけでここは頭領府、すなわち図書庫の城邦における政策決定機関および立法機関および司法機関の詰まった建物の一室である。三権分立などというものはないが、それでも互いの独立性をある程度担保するシステムは成立しているらしい。古帝国時代からの知恵だそうだ。ただこの分野の知識は私が学ぶには分量が多すぎるので誰か新書で出してほしい。そうそう、新書というのは良いシステムだった。専門家が一般の人向けに書いた本がちょっと奮発した昼食程度のお値段で読めるのだ。もしこの世界でレーベルを管理できるとしたら新書枠に相当するものを立ち上げたいな。
「それではキイ嬢、言葉に詰まったら言ってください。休憩を取る時間はあります」
まあそういうわけで私とケトの誰何が終わった。一種の証人尋問であるが、まあそこまで堅苦しくはない。相手は皆プロで、互いに尊敬を払うということを理解している。ああまったく、本当に素晴らしい。これだけの丁寧さを持っている人間がかつての世界にどれだけいたか。実際のところ、出世システムにおいて過度に相手を批判するとよろしくないようになっているらしい。素晴らしい。この点においてはあの世界は駄目だった。
「ええ」
丁寧な対応に私は微笑む。
「では改めてではありますが、論述趣旨をお願いします」
「何を話したいか纏めてください、ということです」
何人かの法規官に挟まれた、一番偉いらしい女性の法規官の言葉をケトが補足してくれる。まあこのくらいなら聞き取れるが、バックアップはありがたい。そういえば女性を見るのは珍しいな。胡座を組み直す。*1
「書物を容易に作ることができる場合、他者の書いたものを盗むことができるようになります。これはいくつかの問題を生みます」
ここらへんは手紙を書く時に色々と練った部分なので比較的簡単に話すことができる。
「一つ、それは本当の作者が受けるべき称賛と報酬を奪うものです。二つ、それは本当の作者が背負うべき責任を曖昧にさせるものです。三つ、それは書の網羅的保存を妨げます」
「一番目と二番目は後で聞こう。まずは三番目について詳しく」
「この城邦の図書庫は、決して少なくない資金を投じて書を集めています。これは多くの知識を集めることが重要だとみなしているからですね。文字版で本を作るためにかかる時間は、製本の手間を省略すれば本当に短いものとなります。刷られた紙を糸でまとまるだけであれば、半月もあれば積み上がった冊子が作られるでしょう」
ここらへんのデータは実測値だ。
「これは例えば金のために本を作ろうとする人にとって有利に働きます。粗雑な本が乱造されれば、図書庫がそれを収集する手間が大きく増加するでしょう」
「……あまり本質的なことのようにこちら側は考えていないが、貴方の発言は記録しよう」
「ありがとうございます」
うん。こういうレスポンスがあるのも実にいい。
「それで、次は責任についてだ。どのような責任が考えられる?」
「学者や術者として、誤りを述べてしまうのは避けがたいものです。しかしその誤りがなぜ起こったのか、どのようにすればその誤りを正せるのかを知るためには誰がその言葉を作ったのかを正確に知る必要があります。作りやすい本において、その作者について触れられず飛語的な内容だけが広まることは学や術の発展や学習において大きな悪影響を与えるでしょう」
「では最後に、最初のものを。本の著者が得るべき利益とは何か?」
「例えば本の売上の一部があるでしょう。あるいは書いた内容の発案者、少なくとも執筆者であるという市井からの評価についても考えられます」
「よろしい。今の時点で質問があるものは?」
法規官たちが手を挙げる。さて、ここからは完全にアドリブだ。頼んだよケト。
「書物統制が重要になるのではないでしょうか?あるいは印刷機を全て管理するほうが適切かと」
「最初の単語がわからない」
私はケトにだけ聞こえるぐらいの大きさの声でつぶやくように言う。
「本を作ることを例えば頭領府が仕切るべきだと言う話です」
「なるほど」
息を吸って、頭の中で浮かんできた単語を知っている文章と繋げていく。
「印刷機と我々が呼んでいるあの機構の複製は大変ですが、不可能ではありません。その有用性を考えると安易な規制は混乱を招くでしょうし、隠れて刷られる本を探すには巡警がいくらいても足りることはないでしょう」
大切なのは法のプロたちがいいアイデアを出すために必要な情報を提供することだ。まあ、異世界からの来訪者がいなくても私の知っている歴史上では数百年かけていろいろと制度が整えられたのだ。ここの人たちがそれに劣るとは思わない。きっといい方法が出てくるだろう。