図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

73 / 365
人選

衙堂で人口統計のグラフを描いていると、煩務官が私の正面に座っていた。

 

「……どうも」

 

頭を下げると、彼は折りたたまれた一枚の紙をこちらに渡した。

 

「キイ嬢、よろしく頼んだよ。詳しい話はまた後日」

 

そして足早に去っていった。なるほど、私にこれを渡すためだけにわざわざ顔を出してくれたのか。そして私は上等な紙を開いて、少し目を通して、閉じた。

 


 

何が起こったのかを私が受け入れるまでにそれなりの時間がかかった。私の手にあるのは一種の出向命令書。聖典語で書かれた正式なものだ。改めて単語を追っていく。大衙堂長の名において以下の人物を次の機関の代表者とするよう推挙する。またそれと同時に彼女を衙堂の司女として認める。ああ、印刷物管理局とはまたまたど直球なネーミングだ。嫌いじゃない。横文字を使って下手に長ったらしいカタカナ部局を作るよりとてもいい。

 

さてと、一体誰が印刷物管理局の代表者になるのかな。ふむ、キイ。いい名前だ。奇異とかkeyとかと通じるところがある。新しい奇異の詰まった箱の(key)としての役割が期待できそうだ。

 

「ケトくん、少しこちらへ」

 

作業中だったケトを敬称も気にせず廊下へと連れ出す。

 

「なんですか……その、そういう呼び方はここでは*1

 

「読んで」

 

「……わかりましたよ」

 

私の狼狽ぶりを見て逆に冷静になったのか、ケトは落ち着いた手付きで紙を開いて、そして落とした。

 

「……おめでとうございます」

 

拾いながらケトは言う。

 

「今すぐ城邦の支配圏を脱出するかハルツさんのところに帰る準備を」

 

非常用に考えていたプランが頭の中で形になっていく。必要であれば日中は隠れて夜のうちに城壁を超えるべきだが警備状態もよくわかっていない。ともかくケトは連れて行かないと。それにいつ警備が厳重になるかわかったものじゃない、急いで動く必要もある。そうやって暴走している私の両肩にケトの両手が乗った。しっかりとした視線が私の目を見る。

 

「……落ち着きました?」

 

「はい」

 

結論。どれも無謀だ。一応はこの世界をぐちゃぐちゃにできるプランがなくはないが別に実行する必要もない。

 

「逆に考えましょう。あなたは局長としての仕事ができますか?」

 

「怪しいところ」

 

印刷に詳しくてしっかりと判断ができ豊富な知識を持った人物としてであればこの世界では指折りだと自負はする。ただそれは大人が赤子の手をひねることができる程度の意味だし、子供の成長は速い。

 

「問題になりそうなのは?」

 

「事務手続きとか上との折衝とか?」

 

「部下を持つこと自体には問題はないんですね」

 

「まあ、誰でも初心者の時期はあるし最低限はなんとかなると思う」

 

マネジメント論は工場の分野を触った際におまけで何冊か読んだ。自己啓発的なものはほとんど参考にならなかったので腹立たしさが残っている。統計情報を示せ。せめて参考文献を書け。そして私でもわかるレベルの誤った企業観をやめろ。おっと、話を戻そう。

 

「それで事務の話ですが、適任者がいますよ。知っていますか?」

 

「……印刷物管理局に来てくれるような人?」

 

「たぶん、問題なく。煩務官もキイさんがその分野に疎いことはよくわかっているはずです」

 

「直接は言ってこないけど、まああれで私がそっちに適正があると考えるならあの立場にはいられないだろうね」

 

となるとまあ、メンバーは向こうが選んでくれるのだろう。その中にケトが知っている人がいるのかな。

 

「僕です」

 

「そうだった。本当に申し訳ない」

 

ああ、完全に忘れていた。なんというか常にそこにいたので考える必要がなかったというか。確かにケトの事務処理能力は高い。事実、私が印刷機の作成を行っていた頃は予定管理とかを全部投げていた。かつての世界ではスマートフォンが似たようなことをやってくれていたが。

 

「……キイさんの役に立てるよう、頑張ってきたんですよ?」

 

「信じるよ。……いや待て?つまり、私がこの城邦における印刷の全てに関われると?」

 

「そういうことですよね?」

 

それはつまり、情報の大半を支配するということだ。今後しばらく出版されるだろう情報の波に一番間近で触れられるということだ。考えてみれば、この世界を変えようとするのであればかなり便利な地位かもしれない。

 

「何でそんな重要な地位に、私を?」

 

司女として認められるには本来であればもっと長い期間が必要だ。図書庫で働きたいなら最低限全ての学問領域に対しての知識を持っていることを証明する必要がある。だが私はそうではない、素性も怪しい人間にここまでの地位と権利を与えるのは正直言っておかしい。

 

「能力が認められたのでは?」

 

「いやそれは……待て。私の能力が不十分だと判断されているとしたら?」

 

「どういうことです?」

 

「自分で言うのもあれだが、印刷機を作り上げた人間が他のものを作らないはずがない。それなら管理できるよう適当な職を与えて行動を封じるのは適切で……」

 

「キイさん」

 

「はい」

 

ケトの真面目な声。

 

「僕が尊敬している人を、そういうふうに悪く言わないでください」

 

「……君が私に向けている想い、ちゃんと適切な強さ?」

 

「よくわからないですが、それで破滅するなら悪くありません」

 

この少年は馬鹿だ。だから私よりもきっと、私を信じてくれている。なら私だって彼と、彼が信じてくれる私を信じてあげなくてはいけない。

 

「……わかった」

 

思考を切り替える。暫定目標は、安定した情報基盤をこの世界に作り上げること。

*1
「くん」と「君」は異なる敬称であることに注意。「くん」は比較的親しく身近な間柄で使われ、あまり公的な場で用いられる表現ではない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。