図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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謄写版

自己紹介が終わると、待ちきれないように印刷された紙に人が群がった。

 

「文字の形が同じだな、木版ではない?」

 

「粘土に木版を押し付け、そこに金属を流し込んだのではないか?」

 

「それにしては文字の並びが几帳面では」

 

「専用の道具を使うのだろう、だから今まで使われなかったんだ」

 

紙を手に議論する10人ほどを、印刷機を知っている同じぐらいの人数が囲み、そのさらに外側に私とケトがいる。なかなかいい人選をしてくれたようだ。取り囲んでいる人も興味深そうに聞いているのはいい。ここで答えを言い出そうものならケトと一緒に部屋の外に引きずり出して協調性というものを丁寧に教え込む必要があったが、その必要はなさそうだ。なに別に暴力は振るいませんよ。私の育った日本では教育令のころからずっと、現代まで口うるさく体罰の禁止を訴えてきたのですから。そこまで続けて言わなくてはならない理由についてはまあ言わずもがな。

 

「話がいい段階のようなので、手がかりをあげよう」

 

私は活字を一つ、紙のそばに置く。

 

「あー……」

 

一人が悔しそうに声を上げた。

 

「こうやって鋳るのか、ならどんな本でもとはいかないな」

 

「ある程度文字の並びは限られるだろう。好き勝手に文字を大きくしたり小さくしたりは難しい、か」

 

「いやそもそも実際に本に必要なだけの量を鋳るのも決して楽ではないはずだ」

 

なんというか、もうこれ私の説明いらなかったのでは?という気がしてくる。実際に印刷機を見せればすぐにでも理解しそうだ。これだから天才ってやつは。

 


 

窓枠備え付けの日時計が南中を示す。天球の北極点あるいは南極点を指すグノーモンの角度は水平面から55度といったところ。ここから北緯あるいは南緯は35度ぐらいと出る。明石市ぐらいか。私の読み取りの誤差を考えれば北は八郎潟、南は鹿児島と沖縄の境目あたりか。ヨーロッパだと南の方。アフリカが入ったかもしれない。まあ温暖なことに矛盾はないな。

 

山ほど頼んでおいた蝋板には様々なメモ。活版印刷の問題点と改良案。なるほど、多色刷りか。聞けばその発案者は染料系の商会にいた事があるらしい。そして今は活版印刷のデメリット、具体的にはそれなりに大掛かりな設備が必要なのを解決できないかという議論をしている。

 

「ただまあ、こういう考えもある」

 

私は図を軽く描く。紙を蝋でコーティングして、孔を開け、隙間からインクを流し込んで下の紙に移す。

 

「ふーむ、ただ孔の大きさと間隔が問題か」

 

「蝋は強度の問題から使うのか?」

 

「実際にやってみるか」

 

軽く昼食にしようと思ったのだが、たぶんこの人たち止まりそうにないな。

 


 

夕方には試作品が完成していた。何だこの行動力。一応印刷に関する業務なので問題はない。それに購入したものは基本経費だ。

 

「ところで……キイ嬢、でしたか」

 

「そう」

 

「この先にあるものを、知っているのですか?」

 

「さあね」

 

私の言葉に質問者は挑戦的な視線を返した。

 

「よし、やってみるぞ」

 

局員の一人が声を上げる。ちなみに蝋については私の前買った分のあまりを渡してある。安くはなかったがこれが実用化できるならコストはすぐ回収できる。

 

「……うまくいかない。(インク)の粘りが強すぎる」

 

「油で薄めるか?」

 

「普段使いの紙に書く用のものでもいいと思う」

 

「なら他の紙で試そう、こっちは油がついているから」

 

議論が活発になっているのを見ながら、私は小さく口を開く。

 

「……ケト君」

 

「なんでしょうか」

 

ずっと隣にいたケトがすっと寄ってきてくれる。

 

「これ、私いなくてもいいんじゃないかな」

 

「駄目だと思います。少なくとも、正解を知っている人がいるのは大きいかと」

 

「とはいえ私もこれについてはそこまで詳しくないんだよな……」

 

謄写版、あるいはガリ版。昭和時代に用いられた印刷手法だ。タイプライターとの組み合わせもできる、なかなか便利なやつ。比較的簡単に版を作ることができ、単純な印刷機で刷れるのでいろいろな場所で使われた。まあ当時の紙は酸性で劣化しやすかったので後々大変なことになったのだが。具体的には後世の研究者が一個一個保護紙で帙を手作りすることになる。バイト代も出なかったが、まああの時に必要な資料を探せたのでよしとするか。

 

「……これ、前に言っていた危ないやつでは?」

 

「たぶんそう」

 

「……責任は全部キイさんに行きませんか?」

 

「それまでにここを潰すと酷いことになるようにしておく」

 

いろいろとやりたい事はある。まず紙の規格化。そして厚紙の生産と手整鑽孔紙(ハンドソート・パンチカード)。これがあれば情報整理と分類においてかなりの飛躍が見込める。あとは学術用語の統一、低コスト小型文庫本の作成などなど。基盤としてこういうものがあれば、別に私がやらなくとも数百年で私の知る水準の科学まで追いつけるはずだ。

 

「知識だけ盗まれて捨てられません?」

 

「まあその時は君と世界を旅行でもしようかな」

 

「……そのお誘いは魅力的ですが、路銀ぐらいは残しておいてくださいね?」

 

「……貯金、しなくちゃ」

 

「キイさんにさせるのは無理だと思うので僕がしましょうか?」

 

「お願いしていい?」

 

「わかりました」

 

それにしても恐ろしいものを手に入れてしまった。本職の印刷物管理は私が片手間にでもやっておこう。それよりもこの局員を自由にさせるべきだろうな。

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