図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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比率

「読むのに適切な比率にするべきだ」

 

印刷物管理局の部屋に響く局員の声。

 

「いいや2の平方根を使うべきだ。全体に数学的な設計をする必要がある」

 

そう返すのは私。

 

「はいそこまで」

 

二人の間の緊張がケトが叩く手の音で切れた。確かにちょっと熱くなりすぎたな。私は席を立つ。

 

「……すまない、強く言い過ぎた」

 

「こちらもだ。言い分はわかる。ただ、そこまでする意味があるのか?」

 

「うーん、そう言われると弱いんだよな。ただ大きさの間隔が大きくなりすぎないか?」

 

議論しているのは紙の規格だ。幸いにもある程度統一されていた標準的な巻物の幅から逆算された標準文字版の縦方向の長さを基準に紙の大きさを決めるのはいいが、その縦横比をどうするかという問題が起こっている。本当に驚いたことだが、相手が提示してきたのは黄金比であった。実際には前二項和(フィボナッチ)数列の隣り合う二数の比の極限として得られる数として認識されているが。ただまあこういうことを考えるとレオナルド・ダ・ピサだろ、とか欧州中心主義を捨てて正しい発見者の名前で呼ぼうという野暮なツッコミがどこからか聞こえる。人口に膾炙してしまったのは仕方がないだろと思ったが電子の向きにイライラしている私が言えた義理ではなかったな。

 

「複数の大きさの紙の比を一定にしたいのだろう?」

 

また別の局員が計算を持って話に入ってきた。

 

「ならこういうのはどうだ。局長は合理性を求めている。君はバランスだ。なら、2の三乗根の二乗を使えばいい」

 

「というと?」

 

その局員は計算結果を広げた。

 


 

私の主張する白銀比はおよそ $1:1.414$。一方で相手が主張してきた黄金比はおよそ $1:1.618$。ちゃんと計算すればもう何桁か詳しく出せるが、加工精度を考えれば有効数字4桁もあれば十分だろう。白銀比はかつての世界で広く使われていた紙の規格、具体的にはA版、B版、C版に使われていた。これには面白い特徴がある。ここで横長の紙を用意し、縦の長さを $1$、横の長さを $a$ とおく。

 

この紙の右端と左端を重ねて折って、縦長の長方形を作る。ああ、縦長になるためには $1<a<2$ の条件が必要か。まあともかくそうやってできた長方形がもとの紙の長方形と相似であるようにしたい。つまり、90度回せば縦と横の比率が同じになるように、という制約をかける。比の式に起こすとこうだ。

 

$$a:1 = 1:\frac{a}{2}$$

 

さて、ではこれを満たすような$a$はあるだろうか?まあこれは単純な二次方程式に置き換えることができる。

 

$$a^2 = 2$$

 

さて、先程 $a$ は $1<a<2$ という条件の中にあるとした。まあそもそも長さを考えているので負の数字はないが、条件に一致する $a$ は $\sqrt{2}$ しかない。

 

これの何がいいかを簡単に説明するのは難しいが、例えばこういうのはどうだろう。A3の紙を半分に切ればA4になり、A3からA4に縮小コピーしてもはみ出したり余りが出たりしない。まあ逆に言えば私の主張はこの程度のものだ。確かアメリカ合衆国という非常に文化が遅れた国家があって、そこではインチという蒙昧な単位を基準とした悍ましき紙の規格が使われていたはず。なお私がSI(国際単位系)至上主義とまでは言わなくともメートル法が好きな理由としては古いイギリスやアメリカの機械を修理する部品がなくて面倒な換算の後に旋盤で手作りすることになったという苦い経験があるからだ。単位は統一しよう。規格化万歳。

 

っと、では相手の主張していた黄金比とはどのようなものか?定義はいくつかある。例えば正五角形を描いた時の一辺と対角線の比であるとか、あるいは正十二面体や正二十面体の中に描ける長方形の辺の比とか。ただ、ここはこの世界で導出されている方法を使おう。

 

フィボナッチ数列と呼ばれるものの定義はそう難しくない。数学語ではこう。$n$ は自然数、もとい正の整数とする。

 

$$F_n = \begin{cases}1 & (n=1,2) \\ F_{n-2} + F_{n-1} & (n \geq 3) \end{cases}$$

 

確かこの漸化式を閉じた式にするのは一応高校数学の範囲でできるはずだが、難易度としては最難関の大問一つぐらいには相当するし答えを知っていればすぐ書けてしまうので問題としては面白くない。あれ、閉じた式はどんなのだっけ。昔導出したが忘れている。まあ本題ではない。

 

最初の方を頭の中で唱える。いち、いち、に、さん、ご、はち、じゅうさん、にじゅういち、さんじゅうよん、ごじゅうご、はちじゅうく、ええと三桁になると暗算では脳の計算がオーバーフローするな。144。よし。まだ計算能力は大丈夫そうだ。二つ前と一つ前を足したら今の数になる。あるいは今の数と次の数を足したら更にその次の数になる。で、この隣り合う数の比がある一定の値に収束するのだ。証明は省略。

 

ではこの時の比について考えよう。今の数を $x$ とおいて、隣り合う数の比を $\phi$ とおく。これは黄金比の利用例の一つとされるパルテノン神殿を作り上げたとされるペイディアス(Φειδίας)の名から取ったものだったはず。ふわふわだな。まあ特に意味はない。つまり式にするとこう。

 

$$x + \phi x = \phi^2 x$$

 

あとは $x$ が$0$でないことを確認して割って、二次方程式の形に持っていく。

 

$$\phi^2 - \phi - 1 = 0$$

 

これを二次方程式の解の公式に突っ込むのは中学生でもできる。なんやかんやは省略して、解はこうだ。

 

$$\phi = \frac{1 + \sqrt{5}}{2}$$

 

はい、これでおしまい。この値は比の計算をしているとたまに出てくるし、幾何学でもお世話になる時がある。

 

それで最後の話に移ろう。$2^{2/3}$という値はおよそ $1.587$。さっきの $\phi$ との誤差は2%程度。だいたい黄金比だ。そしてうまい具合にやれば辺の長さが等比数列となって、かつ二つ飛ばしの紙のサイズがいい具合になるような系列を作れる。具体的には公比を$2^{1/3}$にすれば、大きい方のサイズの紙を四分割すれば小さい方のサイズになるような規格にできるのだ。さらにあるサイズの紙の縦の高さと二回りサイズが小さい紙の横の幅が一致する。これはまあ、なかなかに綺麗で悪くない。

 


 

「なるほど、確かに君の言うことは正しい」

 

私は検算を終える。三乗根を求めるのは少し厄介だったが、適当なカンがうまく働いてくれた。目を上げると多くの人の視線が私の蝋板に向いていた。

 

「……それにしても局長は変な計算をしていますね」

 

「これかい?」

 

私はそう聞いてきた局員に蝋板を渡す。先程いい代替案を出してくれた人物だ。

 

「少しこれを確認してもいいですか?」

 

「一応ここの備品だから、部屋からは出すなよ?」

 

「わかりました」

 

そう言って彼は自分の席に戻っていった。確かに変な表記で変な計算をしていたが、解読できるだろうか。

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