図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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硝子

「注文の品です」

 

商会から来ている局員が布に包まれた品物を私の机の上に置く。

 

「お代は?」

 

「商会からここへの出資分から引くそうで」

 

「……まあいいか。一応後で契約書を確認させて」

 

「もちろんです、局長」

 

会計制度とかがいい加減なので、こういう事がよく起こる。一応印刷物管理局では私が全員分の給与を直接手渡しという形にしてあるが、他の場所では班長に配って班長がさらに班員ごとに、なんてことも一般的らしい。もちろん適切なマージンが抜かれることがよくあるのも当然だ。抜きすぎると問題なので定期的に還元する必要があり、例えば食事を奢るなどの形で実質赤字ということも珍しくないらしい。うーん、どっちもどっちの問題を抱えているな。

 

布自体も決して安くないものではあるな、と思いながら中身を確認する。

 

透き通った塊。屈折率や比重をきちんと測定しているわけではないからはっきりとは言えないが、たぶん鉛硝子(ガラス)だなこれ。いいものを手に入れた。

 

「これ、普通に購入できたの?」

 

局員は微笑むだけだ。

 

「……法に触れることは、した?」

 

「輸出元およびこの城邦における基本的な商法には接触していないはずですし、少なくともこちらの知る限りでは巡警が来るようなことはないかと」

 

「暗殺者は来ない?」

 

「ここまで手が届くことはないでしょうね」

 

ナイスジョーク。私が小さく吹き出すと彼も表情を緩めた。

 

「……ありがとう。これだけあれば少し面白いおもちゃが作れる」

 

「袋いっぱいの銀貨で作るのがおもちゃですか」

 

「あそこで遊ばれているのと同じぐらいには使えると思うよ」

 

私は謄写版の方を見る。なんというか、既にあれは製品として完成しつつあるのではないだろうか。

 


 

「トゥー嬢?」

 

私は久しぶりの扉を開ける。

 

「入るな。勧誘は断っているはずだが……と思えばキイ嬢とケト君じゃないか」

 

「お久しぶりです」

 

ケトがちょこんと頭を下げて挨拶をする。

 

「それで、何の用だ?」

 

「炉を貸してもらおうかと思って」

 

そう言いながら私は荷物を下ろす。

 

「構わないが、図書庫にも作業用の炉の一つや二つはあるだろう?」

 

「信頼できない相手に使わせられない、とのことで」

 

これについて、私はむしろ感心したぐらいだ。高温というのは素人が触っていいものじゃない。まあ私の能力を知っている人があちらにいない以上コネを使うしか無いのだ。

 

「……いい硝子(ガラス)だな」

 

「別に薬学道具を作るわけではないですが」

 

「では何を?」

 

「顕微鏡です」

 

ケトが言う。まあ頼んで作ってもらった造語なのだが、トゥー嬢はすぐに意味合いを掴んだようだ。

 

「見てもいいか?」

 

「構いませんよ。それと道具も借りていいですか?」

 

「好きに使っていい。完成品を見せてくれるならな」

 

「もちろん」

 

私は炉に燃料を入れて、ふいごを踏む。火がゆっくりと燃え始めた。

 


 

この世界には良質なガラスがあるのにレンズがない。ケトが知らないということは一般的には知られていないとしていいだろう。拡大鏡があれば細かな作業が楽になるし、小さな文字も読みやすくなる。かつての世界では光学は比較的昔からある分野だったが、この世界にはない。奇妙なことがあるものだ、と私はゆっくりと型にガラスを流し込む。

 

ガラスは奇妙な性質を持つ。一定の温度で固体から液体に変化するのではなく、ゆっくりと柔らかくなっていくのだ。なので温度を調整すれば不思議な方法で細工もできる。例えば空気を吹き込んで容器を作るとか。この手法自体はこの世界にもある。そうでなければあの種の薬学容器は作れないだろう。ここらへんは高校時代に理科の先生から学んだ。その先生は大学生時代に技術支援員として勤めていたとある老人から技を盗んだそうだ。その老人は私が先生から学んだ時には既に亡くなっていたそうだが、そのテクニックはどうやら変なところで生かされようとしている。いや腹が立ってきたな。試験勉強で忙しい生徒にカリ球を作らせるなよ。その隣で先生がリービッヒ冷却器を作っているのを見るとその時は文句を言うことも忘れていたが。

 

とはいえやることは簡単だ。凸レンズ、つまりは両面が膨らんだ板状のガラスの塊を作ればいい。表面の形状は適切な光学的条件を満たすように研磨される必要があるが、まあこれについても知識がある。江戸時代における眼鏡用レンズ製造技術の伝播過程だとか世界で有名な光学機器メーカーの倉庫に眠っていたレンズ製造装置の修復記録だとかを読んでおいてよかった。本当に私は乱読しているな。

 

さて。いい感じに固まったレンズはあとは磨けばいい。本当は凹凸が逆だが同じ形のガラスで作った台に乗せて干渉の縞ができるかどうかで確認なんかをしたいのだが、これからそのための曲率ゲージをつくっては時間がかかりすぎる。というわけで使う検査道具は比較的簡単なものだ。具体的には孔の空いた紙。パンチカードの時に作った道具がこういうところで役に立つ。光を通して、焦点にうまく集まるように研磨角度を調整する。だいたいでいい。精密にやりすぎるとザイデル収差やら色収差について扱わねばならない。まあそういうわけで製品はレンズに合わせるとしよう。研磨剤については硫酸鉄の熱分解で得られる粉末状の酸化鉄(III)を使う。硫酸をある程度の量生産できる技術を作っておいてよかった。

 

あとは磨いて、磨いて、磨くだけだ。それに比べれば顕微鏡の鏡筒を作るのは簡単である。一つ作ってしまえばコピーができるまではそう時間はかからないだろう。先に完成品を見て、実用性を飲み込んでから作るという方法は技術を加速させるのには便利だ。基礎研究が無視されがちというデメリットはあるが、まあそれについても後でフォローすればいい。

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