蒸風呂
「調子は良いようだね」
来客だとケトに言われて誰かと思えば煩務官である。長く顔を合わせていなかった気がするが、私が衙堂で彼の部下として働いていた時からまだ半年程度しか経っていないはずだ。やることはいくらでもあるので時間の進みが遅い気がするのはいいことかもしれない。気がつくと終わっていた学生生活とかは嫌だ。いややることが多すぎて授業がなくなる夏休みを待ち望んでいた時代を思い出したわけではないが。
「お久しぶりです」
「変わりないようだな、キイ嬢」
「そちらこそ。どうです、衙堂は」
「優秀な司女がいなくなって仕事が大変らしい」
「それはそれは」
まあ最初は世間話。ケトがお茶を持ってきてくれたので飲もう。これは炒った麦とある種の木の皮の抽出物だ。かなりシナモンの香りがするが、本当に私が知っていたシナモンかは知らない。ここらへんはもう少し博物学の知識があってもよかったな、と思うところだ。
「まあ、それだけの働きをしているようだが」
「知っているのですか?」
「色々と噂は聴こえてくるものだよ」
まあある程度意図して情報を流しているのはあるからな。なによりここに来ているのは全員スパイみたいなものである。
「……それで、君に特別な伝言がある」
「ほう」
私が隣で座っていたケトを見ると、彼は立ち上がろうとした。
「いや、君も聞いて構わない」
私がケトを手で制すと、素直に座った。ありがたいな。機密保持というか知るべきでないことを聞いていなかったということにしておくのは大切だ。後々の責任問題とかもある。
「わざわざあなたが顔を出して言わねばならないという時点で、嫌な予感がするのですけれどね」
私は苦笑いを浮かべ、茶をすする。
「そう言うな。これでも城邦のために働く身だ、労を惜しみはしないよ」
衙堂ではなく城邦だって?聞きたくないなぁ。とはいえ図書庫の城邦、というよりそこの政府機関である頭領府には印刷物管理局の後ろ盾になってもらっているし何人か人も派遣してもらっているのだから聞くしかないが。
「どういう話です?」
「█████、という言葉に心当たりは?」
「いいえ」
「……字引に書かれているような意味であれば、注意して何かをよく見るもののことです」
ケトが耳打ちしてサポートをくれる。ありがたい。監視者とか刮目とかそんな感じのニュアンスだろうか。
「そうか。なら覚えておくといい」
「となると、
「……どうしてそう考える?」
煩務官の目がギロリとこちらを向く。
「見たものを整理し、覚えておくのは簡単ではないからですよ」
「……それがわかっているなら、話は早そうだ」
煩務官はそう言って、私にある住所を教えてくれた。
異文化に触れる中で、なかなか慣れないものはある。それが特に生理的な色々に関わっていればなおさらだ。
「……どうしたんですか?」
悩んでいると上裸のケトが私に声をかけてくる。
「……私のいたところでは、何も着ていない異性の身体を見ることも、異性に裸を見られることも、あまりなかったんだよ」
いや確かに古代ローマや江戸時代において混浴は一般的なものだったし、私がいた時代でも公衆浴場が性別分離されていない地域がヨーロッパにあったはず。どこまでの露出が性的、あるいは不道徳的とみなされるかは時代によって違いがある。いやこういうのはどうでもいいんだ。
「……確かに本でそういう地域があるとは聞いていましたが、キイさんがそういう場所の人とは」
「だからちょっと、気が重くてね」
「別に僕は気にしませんよ」
「その発言は私にとってよろしくないので今後注意して?」
いやもちろんケトがそこまで悪い訳ではないし、ここでは私がこっちの文化に馴染むべきなのだが、それはそれとしてこういう言い方はよくない。
「……はい」
ケトはわかってくれたようだ。まあ会話場所として蒸し風呂が合理的なことには間違いないな。ある程度閉鎖された空間で、物の持ち込みが限られる。つまりは話した証拠が何も残らないということだし、武器の持ち込みもできない。ある種の会談にはもってこいの場所、ということになる。
「まあ、いいか」
私は帯を解き、服を脱いで扉を開けた。
この世界の蒸し風呂に入るのは初めてだった。基本的にこの城邦では水資源が潤沢というわけではないし、文化的にも湯船は存在しない。かわりに一部の人は蒸し風呂に入る。私は昔からあまりサウナが好きではなかったので行かなかったが。
「ああ、新しい人が来た」
中にいた二人の女性のうち、年上の方の一人が言う。っと、発言していない方の顔は見たことがある。というか印刷物管理局の局員だ。確か元頭領府の蔵計員。
「あ、こんにちは」
私は局員に挨拶をする。別にここでは上下関係はない。というか肺に入る空気が独特だ。木と、なにか薬草っぽい匂い。蒸し風呂ってこんなもんだったか。
「……どうも」
彼女は少し硬く、緊張しているように挨拶を返した。
「ところで、彼から何か聞いていない?」
年上の女性が、いつもこのくらいの年齢の人が話すように、軽く世間話でもするかのように言う。私が少し首をひねると、ケトがかわりに答えてくれた。
「刮目、ですよね」
「そうね」
こういう話に慣れているのだろう。ますます嫌な予感がしてきた。
「さあさあ座って。立ったままでは話はできないわ」
私とケトは椅子に座る。ここでは床に座らないんだな。スツールのような小さい三本脚の腰掛け。決して広くないこの熱い空間は、4人もいれば結構圧迫感が生まれる。
「念のために確認するわよ。あなたは?」
「私はキイ。印刷物管理局局長。こちらはケト。私の部下です」
「なるほどね。それで、キイ嬢。城邦について、少し話がしたいの」
彼女は微笑んだ。頭領府から出向した局員が緊張しているということを加味すると、この人は頭領府の中でもそれなりの地位を持っているのだろう。そういう人があくまで秘密裏に顔を合わせ、記録も残さないとなるとまあそりゃあどんな仕事をしているかは限られる。
この女性は図書庫の城邦における諜報機関、そのある程度上の方の人間ではないのだろうか?