図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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国家

冷えていた身体が暖まってきたのもあって、思考はきちんと回る。

 

「城邦、ですか」

 

この語が表す範囲はかなり曖昧だ。もちろん城壁内の領土と住民、その中で権力を握るある程度複雑な政治的システムと、城邦の外側と取引を行うような外交システムは存在する。とはいえ私が知っているような近現代的国家とは異なる。かつての世界にあったそれは民族主義や、ウェストファリア体制と呼ばれる主権国家という概念や、二十年の停戦を挟んだ世界大戦によって生まれた国際機関なんかに強く依存した概念だ。ここにはそういったものはない。似たようなものはあるが、同一ではない。正直ここらへんは専門外だ。中学校時代にちらっと読んで、大学時代に教養として触ったぐらい。それも大学時代の先生が結構思想が強めだったせいであまり真剣には聞いていなかった。今更後悔しても遅いが。

 

「そう。私はこの城邦を守らなくてはいけない立場なのよ」

 

聞き取るだけであれば、このレベルのニュアンスは理解できる。

 

「しかし剣を振るうのみが守る手段ではない、と」

 

「その通り。それがわかっていてくれて嬉しいわ」

 

安全保障は私もいくらか触ったテーマだ。例えば技術や資源の国産化。あるいは技術的相互依存。それは別に軍事力によるものだけではないし、軍事力だけでどうにかなるものではない。もちろん軍事なしに安全保障はまず成り立たないが。

 

「あなた達は知ることを大切にしている、と考えていいでしょうか」

 

「ええ。そしてあなたについても知りたいの」

 

その微笑みに、私の背筋が少し冷える。何かヤバい違和感がある。不気味の谷のような、少し古いコンピュータ・グラフィックスを見るような、そういったもの。たぶん普通は動かさない方法で表情筋を使っていることに由来しているのだろう。一種の作り笑いだ。

 

「……調べて、いないのですか?」

 

「調べさせてもらいました」

 

今まで黙っていた局員の女性が口を開く。

 

「ハルツ嬢にも話を伺った上で、私の出した結論は……わからない、ということです」

 

優秀なエージェントだ、と私は恐ろしさを感じる。わからないことをわからないと報告できる人がいて、それを許容する組織がある。

 

「待って下さい。どうしてハルツさんにまで」

 

ケトが言う。

 

「ああ、それは簡単よ。あなたたちが衙堂に来た時の紹介状を知っているから」

 

はいはい。わかってはいましたが煩務官もそちら側か。

 

「……わかりました」

 

ケトが少し感情を込めた声で言う。まだ自分を抑えるのが難しいのだろう。私は先を読んで予測しているから落ち着いていられるだけでたぶんケトよりも心理的には不安定な気がするが。

 

「あなたについて教えてもらっても?せめて、なんと呼べばいいか」

 

私は女性の目を真っ直ぐ見据える。

 

「そうね、ツィラとでもしましょうか」

 

発音が少し難しい。

 

「ケトくん、どういう意味?」

 

「……秘密、です」

 

私が声をかけると、不信感を隠せない声でケトは言う。

 

「それは私に意味を隠したいって意味ではなく、意味そのもの?」

 

「はい。古帝国語ですが」

 

「よく知ってるわね」

 

ツィラさんが微笑みを変えずに言う。

 

「……これでも、色々学んでいるので」

 

そう返すケト。いや、そこは問題ではない。この会話で相手は私がある種の教養が欠けている人物であるということを認識した。これは局員経由で得られていたものだとは思うが。

 

「まあ、こういうふうに私は東方通商語には不慣れなんですよ。なので彼がいないと、特に特別な単語の出てくる会話は難しいですね」

 

「なら、簡単に行きましょうか。あなたの知識が欲しい」

 

「かなり色々出しているとは思いますが」

 

「ええ。わかっている。けれども、もう少し危ないもの」

 

「そういうものがあるなら作っていますよ」

 

「これは一種の取引よ。私たちは理由を説明する過程を省略して、ある程度の予算を使って、あなたの計画を実行させることができるの」

 

「……一応の確認ですが、あなたは刮目する人達の中でどれくらいの立ち位置にいます?」

 

「一番上。頭領と直接話せるぐらいの立場、と言えばいい?」

 

ああ、そりゃ強い。諜報機関のトップがきちんと上と繋がっている。私の知るスパイマスターはまず男性だったので少し意外だが、この世界の女性の立ち位置は私の知る歴史とは異なるものだ、と頭を切り替える。

 

「十分です。それで、どこまで話せばいいですか?」

 

「例えば、どんなものがある?」

 

「……この会話を聞いている人は?」

 

「四人だけ。それは保証する」

 

ツィラさんの言葉に私は息を吐く。

 

「そうですね。一つ挙げるとすれば数百万歩離れた場所であっても、そこからの知らせを」

 

指を鳴らす。

 

「この音と同じぐらい速く伝える方法とか」

 

「面白そうね。どうするの?」

 

「電気についてはご存知ですか?」

 

「ええ。最近薬学師の気に入っている、あれでしょう?あなたと仲の良いトゥーヴェ嬢が広めているようで」

 

私は苦笑いが浮かびそうなのをなんとか抑えた。一体どこまでの情報を握っているんだ?私に関連しているから調べたのもあるだろうが。それに発音も綺麗だ。

 

「あれを使います。電気の伝わる速度はかなりのものなので、銅の線を遠くまで伸ばせばいいわけです」

 

「それは、あなたの知識がないと作れない?」

 

「おそらく十年は無理でしょう」

 

「……費用はどれくらいかかる?」

 

「不明です。準備にも時間はかかるでしょう。最初は城邦の中でやり取りをするのが精一杯だと思います」

 

「十分よ。伝令を走らせるよりも確実なのよね」

 

「銅の線が切られれば終わりですが」

 

「定期的に連絡を送って、途切れたら行動すればいいのよね」

 

「……はい」

 

基本的な通信プロトコル確立まで話してもいいんじゃないだろうか。

 

「こういう話、もっと聞かせてもらえる?」

 

ツィラさんの言葉が恐ろしい。なんで私は初対面の人に、ここまで何もかもを話したくなってしまうのだろう。

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