この世界の、というよりもこの城邦の外交というものは、私の知る歴史とは少し異なる経緯を持って発展した。やはり大きな転換点はこの地域一帯が古帝国の支配下に置かれたことだろう。これによって外交は横の問題ではなく上下の問題となった。例えば隣の地域となにか問題を起こした際に古帝国の代表が仲裁に入る、という形が取られた。その意味で、古帝国という形態自体が国際機関的な側面を持っていたと言えるだろう。
しかしその後の古帝国とその整備したインフラの崩壊によって外交の必要性が出てきた。この世界にも当然戦争はあるが、古帝国時代に行われた武装解除政策の名残として今日でも図書庫の城邦では一定以上の刃渡りがある刃物の所持が業務・祭事に関する例外を除いて禁じられていることなどの影響もあってか、私の知る中世から近世にかけてのヨーロッパに比べれば血生臭さは少ない。まあだからこそ社会の混乱が少なく、不均衡な富の蓄積が起きているという側面はあるが。
とはいえ平和の裏には不幸な事故や局所的な小競り合いがしばしば起こっている。それは歴史書には直接書かれていないが、私の異世界由来の知識ベースの分析にケトのサポートを合わせればこのくらいは読みとれる。図書庫の城邦はしばしば戦争に兵を送っているが、支配地域が戦場になったことはほとんどない。城壁も基本的に古帝国時代のものを修理し、時々改築して使っている程度。軍事力も警察組織としての巡警が有事に再編されて徴募兵と組み合わされた軍として編制されるが、逆に言えば軍閥や傭兵というものはあまりない。調べた範囲では他の地域に類似の組織はあるが、土木工事の専門家みたいな側面が強くて笑ってしまった。ローマの
本題に戻ろう。この図書庫の城邦における外交政策はかなり一定の方向が見られる。善隣友好、商業重視、仲介者としての側面。ただもちろん裏の顔が何となくだが読み取れる。永遠の国益に叶う行動、とでも言えばいいだろうか。
「確認しておきたいことがありますが、いいですか?」
「構わないわ」
この城邦には表立った外交組織がない。おそらく表も裏もごちゃまぜなのだろう。そして目の前のツィラと名乗る女性がその元締めと考えて良さそうだ。
「あなた達は何のために動いているのですか?」
「平和と発展、というのではダメ?」
「誰の、あるいはどこの、という意味です」
「……別に頭領に忠誠を誓っているわけではないわ。私たち全員にそれぞれの思惑があって、相手にもそれがある。ただ、城邦の利益と自分の利益が一致している人たちであれば協力するべきだし、同じ方向を見て行動するべきよね」
ああ、なるほど。国家という概念ではなく、利害関係の調整者としての情報収集と分析か。私の知識の中にある外交やら諜報と異なるものだが、そういうものだと割り切ろう。私が知っていて、かつて服していた価値観はあらゆる文化圏で普遍とされるものではないのは大前提だろう?
「もし図書庫の城邦における利益よりも、他の国家の利益や民の幸福を私は優先するべきだと主張したらどうなります?」
「それはあなたの利益、ということになるわね。けれどもそれが私たちの目的と相反するとは限らない」
「……話し合いを通して、互いに利益を得ようとする、と」
「私たちは本質的に商者と似ているのよ。銀片以外にも価値を見出しているだけで」
羨ましいな。外交のための基礎的プロトコルが確立されているのだろう。つまりは相手に話が通じると既にわかっているのだ。互いに価値観の差異があり、場合によっては譲ることの必要性を理解しており、それでもなお互いの利を求めて議論を交わせるのだ。ここらへんには一度古帝国によって統一されたことの影響もあるのかもしれないな。
「わかりました。私から外交方面に期待したいことはいくつかあります」
「どういうもの?」
「まずは商品と知識のやりとりをできる限り円滑にすること。そのために信頼できる関係と、法的な保護を受けられるようにすること。あとは、人間ですね」
「人間?」
「この図書庫の城邦の人だけでは、私がやろうとしていることにはとても足りないんですよ」
数万の学徒という環境は素晴らしいが、私がかつていた世界とは桁が3つほど異なる。大規模な頭脳集団による広範囲にわたる試行錯誤によって科学と技術と産業というものは発展してきた。
「……そうすると、この城邦だけで色々なものを独占することはできなくなるわね」
「それ以上にやり取りが多くなれば最終的に益は生まれるでしょうが、まだそれに気がついている人はあまりいません」
いや、今の時点でその可能性に賭けているやつがいたらそいつは狂人だ。それが何人かいるらしいのでこの世界は恐ろしいが。
「そうすると、かなり大きな動きになるわね。人数も今では足りない」
「だから、
「もちろんそれはあくまで補助にすぎないわ。キイさん。そういう組織を作るための、いい方法を知らない?」
ああ、つまりこの言い方だとはっきりとまだ組織になっていないのか。それゆえの「刮目者」という名前。諜報ではなく、もっと広範囲の外務全般のネットワーク。
「まずは城邦の名、あるいは頭領の名によって身分を保証された常駐の人員を置き、そこから事情を収集させる形にしてはどうでしょう」
確かこういう外交方法はルネサンス以降にできたはずだが、別にこの世界でできない理由はない。