図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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同衾

「……大丈夫?」

 

明かりの少ない夜道を進みながら私は言う。真っ暗とまでは言わないが、後ろから誰かが来てもわからないだろう。

 

「ええ、もち……ろん」

 

ケトはそう言いながらも足取りが少し危なかった。

 

「まっすぐ帰ろうか」

 

頷くケト。ちょっと危ないな。手を繋いでおこう。

 

夜風は少し暖かかった。まだ春はもう少し先だろうが、どうしてだろう。暖気が来ているのだろうか。天気予報について少し記憶を漁る。天気予報の基礎を作ったロバート・フィッツロイはHMS(国王陛下の艦船)ビーグル号の艦長だったから、チャールズ・ロバート・ダーウィンと同時代人。つまりは19世紀か。機械計算でカオスに立ち向かえるようになったのは20世紀後半、21世紀の初頭にはかなりの精度で天候の予測ができるようになっていた。その水準に達するまでは時間がかなりかかるだろう。スーパーコンピュータも気象観測衛星もこの世界では夢物語だ。

 

もちろん航海がある以上、何らかの気象予測は行われているだろうが正確性には欠けるだろうからここらへんに需要はあるはず。温度計にも気圧計にも必要なガラスがあまり市場にないのだから、たぶん私が先駆者になれるな。湿度計は人の髪を利用するか、あるいは乾湿計で求めればいい。あとは雨量と風速か。ここらへんもきちんと単位系を作る中で固めていかないといけない。できるだけ規則正しい体系があるといい。Pa(パスカル)atm(気圧)Torr(トル)psi(重量ポンド毎平方インチ)が混在してはいけない。印刷物管理局規格を速く事実上の標準(デ・ファクト・スタンダード)にしなければ。

 

「疲れてる?」

 

私が考え込んでいる間ケトは静かだった。いつもはもう少し口数が多いのに。

 

「……はい」

 

「それじゃあ、今日はもう寝てしまおうか」

 

「……ですね」

 

反応がワンテンポ遅い。まあ、のぼせても仕方がないか。

 


 

「……今日は火を入れなくていいか」

 

暖房代わりにもなる台所の小さな(かまど)を背に私は寝室へと戻る。ケトはもう寝台に乗って寝息を立てていた。子供を夜遅くまで歩かせるものではないと思って私は彼を子供扱いしている自分に気がつく。よくないな。この世界には子供を決定する法律がない。年齢という概念が薄いのだから当然だが。それは例えば腕を認められるであるとか、ある一定の職につくであるとか、そういった形で現れるのだ。自己決定権がどこまで与えられるかはわからないが、少なくとも私は彼に対してなにか縛りを課すべきではない。むしろ私がケトに縛られておかないと何かをやらかしそうだ。

 

「……寒いですし、一緒に寝ませんか?」

 

目を薄く開けたケトが言う。

 

「……そうだね、今日は冷える」

 

求められたらそばにいるべきだろう。これには年齢はあまり関係ない。人間というものは弱い生き物なので、個体によってはこういう欲求を持つのだ。私もあるからわかる。

 

「それじゃ、少し奥の方に」

 

「はい」

 

「よっ、と」

 

ケトと一緒の防寒具にくるまる。今日ぐらいの温度なら別に分かれてもいいのだが、雪が降るレベルだとさすがに辛い。

 

「……キイさんが、僕の前から消えてしまうことって、ありえますか?」

 

「それは可能性として?それとも、私が意図的にそういうことをするかってこと?」

 

「キイさんが、それを選ぶかどうか、です」

 

「今のところ予定はないよ」

 

「……そう、ですよね」

 

少し嬉しそうなケトの声。わかりやすいな。まあこういうところが愛おしい。

 

「ツィラさんと私の話を聞いて、怖くなった?」

 

「そう、ですよ」

 

ケトが私の服を軽く握る。布にかかる応力。

 

「キイさんが、邪魔だって思う人がいるかもしれません。排除のために、剣が持ち出されるかもしれないと考えると……」

 

思春期にありがちの悩みだ、と一笑に付すことができるほど私は大人ではない。

 

「そう。……私も、君がいなくなったらと考えると怖いよ」

 

純粋な損得勘定以上のものがある。もちろん私の思考をかなりしっかりと追える相方がいなくなれば私ができることはかなり限られるが、そういうことだけではなく。

 

「それでも、いつかそういう時は来るかもしれない。そうなったら、別に私に縛られなくてもいいからね」

 

「……はい」

 

私?まあ、ケトが殺されたりなんかしたら復讐に走るだろうね。それがはっきりとわかる個人であれば今日作った繋がりを活用するし、もっと大きな相手ならこの世界を戦乱に巻き込むことに走るかもしれない。それができるようになるためにも通信網やら印刷機やらは欲しいのだ。なんか変な矛盾があるな。もし私の影響が恐ろしいのであれば、常に今が一番いいチャンスだ。時間が経てば経つほど、私の撒いた色々なものが芽吹いてくる。私がいれば差別主義や過激思想といった危ない方向に進むことを多少は止められるが、それができなくなったらどうなるかは私の知っている歴史をたどればよくわかる。

 

力を手に入れて、それが絶対的な優越だと勘違いして、あたかも全ての支配者のように振る舞うのは人間の本性とまでは言わないがかなりよく見られるパターンだ。そして人間の柔軟性はそのような社会環境に耐えることができてしまう。支配側としても、被支配側としても。そしてそれが崩れる時にはしばしば流血が伴うのだ。下手すれば数千万の。もし私が混乱を止められなければ、その数千万の一人になる可能性は十分にある。

 

「何かあったら、一緒に逃げようか」

 

ケトから返事はなかった。寝てしまったのだろう。私だってそれなりに恐怖はある。一人ならともかく、ケトが隣にいるのに破滅的選択は取れない。

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