「うーん」
私は一種の彫刻刀を持って唸る。
「何をしているんだ?」
そう聞いてくるのはトゥー嬢。このまま行けば印刷物管理局登録番号10ぐらいになりそうな本の作者になる。
「
基本的な構造は溝を軸方向に刻んだ
「……その穴の空いた木の板は?」
「ここに
「柔らかくなったところで、何かを押し付けて形を変えてはいけないのか?」
「……やってみます」
なんというか、私はどうしても知識に依存しすぎなきらいがある。まあ仕方がないところはあるな。むしろこの世界の人々が私の知識を一瞬で理解して改良の対象として扱うのが異常なのかもしれない。技術水準の異なる文化の接触は世界史で何回か見られたが、対応は様々だった。日本とかいう銃を大量生産した上でほとんど捨て去った後世の研究者が頭を悩ませるようなものもあるが、少なくない例では与えられた技術に依存したり、あるいは極端な排斥が起こった。大抵技術水準は軍事力に直結するのでどの選択を取ろうが支配されることになることが少なくなかったが。そう考えると日本はかなり珍しい事例を提供してくれている。その言語の孤立性も考えると、日本人として産業技術史を触れたのはかなり助かっている。
トゥー嬢の言う通りにやったら、私の一日ちょっとの試行錯誤が無駄だったことが判明した。悔しい。
「綺麗ですね……」
私が作ったペン先を見てケトは言う。
「そうかな」
灰や気泡が入っているので少しくすんでいる。ただの炉ではうまく加熱できなかったので仕上げには酸水素炎バーナーを使った。これは単純に電気分解でできた水素をふいごに詰めて吹き出させながら火をつけるものである。一度ちょっと爆発を起こして鼓膜がイカれてしまったが。なおこういう事故は薬学師にとっては日常茶飯事とまでは言わなくとも珍しくはないらしい。ここらへんはマニュアルを書いたほうがいいかもしれない。少なくとも化学物質の一覧に味の欄を設けるべきではない。
「これで、書けるんですか?」
「うん」
まだ雑に切込みを入れた棒に挟んで持つ部分に革を巻いたものだが、見様見真似で作ったにしては悪くない。今まで使われていた茎のペンより小さな文字が書けるのは便利だ。
「使っていいですか?」
「どうぞ。先端が尖っているから、ぶつけないようにしてね」
ケトがペンをインク壺にひたす。加工時に捻られることで十分狭くなった溝に毛細管現象でインクが吸い上げられる。
「で、これで書く……」
「ある程度寝かせたほうがやりやすいと思うよ」
おそるおそるケトは
「紙も筆も、何もかもが変わりそうだ」
後ろからトゥー嬢の声が聞こえる。
「どうせ変わるんですよ。ならできるだけ一度にまとめて変えてしまえばいい」
私は言う。
「変化に対応できない人だっているのはわかっているよな?」
「ええ。ただ、それは新しいものを世に出してはならない理由にはなりません」
この世界にも当然保守勢力はいる。今の頭領とその取り巻きは、かなり思想的には急進的な一派であるらしいが、折衝などで速度が抑えられているようだ。だから既存のものとあまり被らない印刷物管理局の設置があれだけスムーズだったのか、とここらへんの裏事情を知ったあとではわかる。
「……私の父があの水車を作った時、反対者は多かったようだ」
「でしょうね」
「私はあなたに、そうなってほしくはない」
「……気遣いはありがたく思います。ただ、私はやはりもっといい暮らしがしたい」
「出世すればいい。そうすれば」
「限界があるんですよ。私が手に入れたい水準のものは、土台が大切なんです」
安全な飲み水を用意するには、自分だけの浄化装置を作るよりも治水工事を含めたインフラ設備を整えてしまったほうが楽かもしれない。それだけ多くの予算が動かせるし、問題解決も簡単になる。全てを一人で行うのは無理だ。できるだけ多くの人を巻き込む必要があって、そのために政治は避けられない。まあ上の方でかなり色々動いてくれているという話は聞こえてくる。それがたとえ私の知識から得られる金銭や名誉や地位を当てにしたものであるとしても、そういう取引なのだから問題はない。
「……そういうものなら、仕方がないな」
「ええ」
「ところで、どうしてその……
「忙しかったので」
できるだけ仕事の内容を整理して、部下の自主性を尊重し、自分の仕事を減らして自由行動ができるようにしたのだ。マニュアルの作成とかでそれなりの仕事はしたぞ。
「……そうか。今度私の分も作ってもらえないか?」
「いいですよ」
ああ、なるほど。こんな便利なものを隠していたなんて、ということか。まあそう思われてしまうよな。これは私が受け止めるべき言葉ではある。