現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢が牧場を救うのはちょっと大変 作:れべっか
「今すぐ敷香家と岩崎家に頭を下げて、樺太に馬産牧場の用地を確保しろって言われたんだけど。岩崎って関係あったっけ?」
桂華競走馬の担当者から頼まれたことのうち、ちょっと引っかかることがあったので、一条絵梨花に雑談レベルで聞いてみた。
敷香侯爵家は樺太貴族の大物だし、リディア先輩の引きで樺太競馬に関わることになったので、こっちに話を通すことは分かる。
岩崎財閥は樺太に強い影響力があるが重工業や石油・ガス関係が中心で、あまり役立たないように思える。いや、清麻呂お兄様の嫁の実家だし、帝都岩崎銀行の岩崎弥四郎頭取にはリコール絡み*1で恩を売ったから、話を持ち掛けること自体は可能だけど。
「んー…… 小岩井農場って岩崎系列ですから、そこら辺ですかねぇ」
「あ、そうだった。小岩井の岩は岩崎の岩か*2。教えてくれてありがとう」
「ということは、岩崎と樺太の畜産業の資料を纏める必要がありますか?」
「お願いするわ」
戦後は馬産から手を引いたものの、小岩井農場は三冠馬セントライトなどを輩出した名門牧場だ。
確かに、先に話を通しておいて損はない。
「樺太競馬って世界中から注目されているようですし、牧場用地の確保って、先んずれば人を制すと言ますね」
一条絵梨花がのほほんと言うが、あれ、世界中から注目?
敷香リディア先輩が欧州・アラブ*3とは言ってたが、アメリカやロシアとは言ってなかったはずだ。
「樺太は10年ほど前まで共産圏でしたから、そっちのコネでロシア血統の馬が入ってくるけど、西欧の国際血統書委員会に未登録の血筋なのが問題なんですって。新聞から仕入れた情報ですけど」
おっと、これは初耳。
確か、純粋なサラブレッドというのは18世紀の英国で刊行されたジェネラルスタッドブックを礎として、血統が証明できることが条件のはず。
血統証明書を紛失したりそもそも登録しなかった場合などは、純サラブレッドではないという意味でサラブレッド系や略してサラ系と呼ばれ、血統を重視する競馬界では忌避される傾向にある。
第二次世界大戦後、共産圏は西欧資本主義に対して”鉄のカーテン”と呼ばれるほどに門戸を閉ざした。共産圏では競馬は独自に発展したが、それらの馬は西欧から見て血統不明となる*4。
しかし、レースに勝てる馬というのは世界中から需要があるのも事実。
「ってことは、血統偽装や血統詐欺とかも考えられるのね……」
「かつての東欧諸国のスポーツ選手を見るに、ドーピングや精子の冷凍保存、クローン馬といった西欧では禁じ手となったものが当たり前のように通用していると。これはゴシップ誌の受け売りですけど」
「おぉ、怖い怖い。そういうのはJRAのお偉いさんに任せて、桂華としては君子危うきに近寄らずの方針が賢いかな」
競馬界の闇に自ら手を突っ込みに行くのは勘弁してほしい。
「血統不明とはいえ馬に罪はないので、うまいこと救済されれば良いのですけどね」
「樺太にどの程度馬が集まるかによるけど、サラ系やアラブ種などの制限なしでレースを組むことはできると思うわ」
「無制限なら、ばんえい馬のような大型種や、木曽馬などの日本在来小型種、ポニーなんかも一緒に走れそうですね!」
「絵面は面白いけどまともな勝負にならないでしょ。相撲の初っ切りみたいなエキシビションレース扱いならともかく」
そういえば前世知識だけど、そんな絵面のレースをどこかで見たような気がする。
「初っ切りみたいに振り切るなら、獅子舞のように馬の被り物した人間も一緒に走らせたら面白そう!」
能天気に思い付きを力説する絵梨花。そして突如脳内に溢れだす存在しない記憶──
東京競馬場1600m、ジャパンワールドカップ*5。ハリボテエレジー、ダンボールを叩く音がする──
「うっ、頭が!」
「大丈夫ですか、お嬢様?!」
「……大丈夫よ、ちょっと脳内に存在しない記憶が湧いただけだから」
「お嬢様、私に分からないネタを振るの止めてもらえます?」
ふくれっ面する絵梨花に何でもないとアピールしながら謝罪。
ふとしたことで前世知識の断片を思い出すのは良いけど、まったく役に立たない知識というのは── いや、これが役立つというなら逆に怖いか。
修正履歴:小岩井農場の命名ルールを注釈に追加。
修正履歴:ロシアの血統書は国際血統書委員会認証済みであることを注釈に追記。
参考資料:国際血統書委員会が承認する血統書一覧
https://www.studbook.jp/ja/isbc_studbook.php