現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢が牧場を救うのはちょっと大変 作:れべっか
ある日、デスクワークの合間にほんのちょっとだけ暇になった。そのため本来なら私が関わる必要のない『優先度の低い書類』を1枚、一条絵梨花にランダムで選んでもらい目を通すことにした。
「桂華院コレクション展示企画、ねぇ……」
酒田の『桂華御殿』イベントホールで三か月ほど美術品展示する企画があり、桂華院家が保有する美術品をそこで公開するのだそうだ。
「
桂華院家は元はやんごとなきお方が臣籍降下してできた公家系華族で、大戦期に血筋が途絶えたが桂華院彦麻呂が養子となって家を継いだ。*1
桂華院という名跡・爵位だが、成り上がり者へ口止め報酬として与えられたものだけあって、名ばかりで実がなかったはずだ。彦麻呂と清麻呂の代になって、華族のメンツの範囲で桂華院家ゆかりの品をいくつか買い戻したとは聞いたことがあるが、美術品を派手に買い集めたという話は聞いたことがない。
私がお小遣いの範囲でこつこつ買い集めている『桂華院コレクション』*2は、購入時の単価が安いので美術品として展示できるほどの価値を持つには50年ほどの時間が必要になるはずだ。
後は、私の体に流れる血を保証すると称してロマノフ王朝由来の女性装身具なんかが突如として桂華院家に湧いて出る可能性が無きにしも非ずではあるが、少なくともこんな美術品展示企画には出てこないだろう。
「桂華グループの再編時に、各社に散らばったメセナ事業を財団法人鳥風会に統括する*3ことにしたじゃないですか。今回の『桂華院コレクション』展示は旧・赤丸商事*4の『赤丸コレクション』と旧・鐘ヶ鳴紡績*5の『鐘ヶ鳴美術館』の染織品が主体ですよ」
「あ、そうなんだ」
総合商社になる前の赤丸商事は繊維を中心に商っており、明治になってから新しい染織品を生み出すためのアプローチとして、染織図案研究会を主催して幅広く日本の芸術家に声をかけた。それら芸術家との付き合いから美術展を主催するに至り、近代日本絵画が自然に蒐集されていった。また戦中戦後の混迷期に染織品の価値が下がることを憂えた関係者が積極的に古染織品を蒐集し、『赤丸コレクション』は成立した。また赤丸商事は戦後に総合商社として西洋美術の輸入も手がけていたが、現在はその方面のビジネスを大幅縮小しており、営業在庫として抱えていたものは赤丸コレクションに移管された。
鐘ヶ鳴紡績も、事業に関する染織のコレクションを『鐘ヶ鳴美術館』として公開するだけでなく、昭和戦前期は宣伝や社会貢献を目的にギャラリーを持ち、若手芸術家の貴重な発表場所になっていたという。もっとも鐘ヶ鳴の業績が悪化するに従い美術館は閉鎖*6され、ギャラリーについては社史でも触れられておらず無かったこと扱いされているのだとか。
「桂華グループが急成長したことで、各社に散らばる美術品・文化財の目録を作るだけで鳥風会も手一杯だそうです。現在休止中の鐘ヶ鳴美術館はいずれリニューアルして桂華院美術館になるのでしょうが、いつになることやら」
なお明治から戦後にかけて成功した日本の経営者は、美術品を蒐集して私設美術館を建てるケースが多い。二木・淀屋橋・岩崎の三大財閥を始めとして、ざっと上げただけで以下がある。
二木美術館(二木財閥)*7
和泉屋美術館(淀屋橋財閥)*8
静吉茄堂美術館(岩崎財閥)*9
西郷赤児美術館(田安財閥)*10
小倉集古館(小倉財閥)*11
藤原美術館(藤原財閥)*12
野町美術館(野町財閥)*13
滴緑美術館(山鼻財閥)*14
六島美術館(東横電鉄)*15
祢津美術館(帝東鉄道)*16
逸媼美術館(有馬電鉄)*17
石橋美術館(石橋タイヤ)*18
入光美術館(入光興産)*19
畑山記念館(芦原製作所)*20
小田記念美術館(東方生命保険)*21
竹岡美術館(竹岡地所)*22
平樹浮世絵美術館(理化学工業ミシン)*23
川種美術館(川種証券)*24
山村記念美術館(大帝国インキ)*25
小原美術館(岡山紡績)*26
香雹美術館(夕日新聞)*27
小山美術館(夕日ビール)*28
鳥居美術館(鳥居ウイスキー)*29
白鳥美術館(白鳥酒造)*30
四渓園(原製糸)*31
etc
ざっと上げたという割に2ダース以上も出てくるあたり、アレである。
ちなみに、自前で美術館を建てずに既存の美術館にコレクションを寄付した神崎川戸造船*32や九州電灯電力*33などの例も含めれば、経営者の美術品蒐集はもはや常識の範疇ではなかろうか。桂華製薬を筆頭とした桂華グループを持ちながら、蒐集に積極的ではなかった彦麻呂お爺様はむしろ経営者として異端児だったのかもしれない。
そういう意味では、澪ちゃんのパパからアンティークを十億円買い取った*34私は、まっとうな経営者ということになる? いや、この理屈はおかしいか……
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