仮面ライダービャクア外伝~仮面ライダーソウテン~ 作:黒井福
怨面を取り上げられた健の修行は、数日に渡って続いていた。修行のタイミングは主に朝と夜の2回。早朝の日が昇る前と夜の営業が終わった後に、健は修二から怨面を取り戻すべく何度も挑みかかっては何度もあしらわれるを繰り返していた。
「このっ!」
「よっと」
「くっ!」
「ほいっと」
生身の身体能力で、健は何度も老体である修二に挑みかかる。若々しく体力的には圧倒的に有利な筈の健であったが、修二は最低限の動きであしらい結果何度もひっくり返された彼は修行の時間を終える頃には毎回泥だらけになるのが常となっていた。
朝は手早くシャワーを浴びて汗と汚れを落として朝食を済ませて学校に向かい、夜はやはり汗と汚れを落としたら疲労で食欲が減衰した体に無理矢理夕食を詰め込み部屋に戻ると泥の様に眠る。その繰り返しで彼の疲労は着実に積み重なって行き、抜けきらない疲労から授業中などに居眠りをする事が増えてしまった。事情を知らない教師は当然そんな彼を叱りつけ、居眠りをしてしまった事は事実なので健は平謝りするしか出来ない。
流石にそれを不憫に思った黄泉は、最近店の手伝いが忙しい事等それっぽい理由でフォローするのだが、それが逆に健の心に惨めさとなって圧し掛かっていた。
もしこれが普通の少年であれば、黄泉のフォローも煩わしく思い修行の成果も出ない事に苛立ち彼女に当たってしまっていたかもしれない。だが健はそんな愚かなことはせず、彼女の思い遣りもしっかりと理解しつつ己の不甲斐無さに気を落としていた。
進展のない日々に健がプレッシャーを感じている事は黄泉も感じ取っており、自分に何かできる事は無いかと考えた結果彼女は彼の鍛錬を毎回見守り、終われば少しでも彼を労うべくタオルとドリンクを用意するという運動部のマネージャーの様な行動に徹した。
黄泉に支えられながら修二から怨面を取り返そうとする健であったが、当然ながらその間にも化神は出現し討伐要請が入って来る。そんな時健は出動できないので当然黄泉が1人で赴く事となる。そんな時には黄泉からの労いなども無く、健は寂しさと不安を感じながらも必死になり怨面を取り返そうとする気持ちが強くなる。
だがそう思えば思う程健の動きは精細さを欠き、黄泉が化神討伐に向かっている時は健がひっくり返される頻度も多くなっていた。
「う、ぐぅ……!?」
「動きが雑になっとるぞ。もっと集中せんか」
「く、はい……!」
焦りが動きから精細さを欠かせている事は健も頭の何処かでは理解していた為、修二からの指摘に頷きはした。しかし頭では理解しつつも、心は焦りを抑えきれず彼の動きを乱す。結果として彼は修二に何度もあしらわれ、ひっくり返されては懲りずに挑みかかるを繰り返す事となる。
そうして汚れと傷に塗れた状態で怨面を取り返せず、夜空を見上げるだけの一日が終わった。あまりの悔しさに健は視界が滲むのを感じ、それを修二に見られないようにと咄嗟に腕で自身の両目を覆った。
「う、ぐ……ぐぅ……!?」
必死に声を押し殺して涙を流す健に、修二も気付いてはいたがそれを態々指摘するような無粋な真似はしなかった。彼は健が泣いている事に気付いていない振りをしつつ、何時も通りに店へと戻っていった。
「今日はここまで、儂は先に戻ってるでな。お主は動けるようになったら自力で戻って来い」
修二が杖を突く音が遠くなっていく。その場に残されたのが自分1人だと分かった状態でも、健は声を上げて泣く事はしなかった。それをしてしまったら何だか自分が負けたような気分になってしまうからだ。例え怨面を取り返す事が出来なくても、せめて負ける事はしたくない。
そのまま暫く地面に横になり、夜空を見上げたまま声を押し殺して泣き続けた健。涙も引っ込み、心も落ち着いたのはそれから数分後の事であり、動けるようになった彼は立ち上がると近くの水道で汗と涙、泥で汚れた顔を洗い見た目だけでも整えると店へと戻っていった。こんな情けない顔を黄泉に見せたくはない。そう思うと今日彼女が化神討伐に向かったのはある意味で運が良かった。
そんな事を思いながら彼が店に戻ると、丁度化神の討伐を終え帰って来た黄泉とばったり出くわした。帰って来た黄泉は同じタイミングで帰って来た健に安心したような笑みを浮かべる。
「あ、健君ッ!」
「黄泉さん、そっちも……!?」
何時も通りの黄泉の笑みに束の間安心する健であったが、次の瞬間顔に浮かびそうになった笑みが凍り付いた。見ると黄泉の頬に傷がついているのだ。それを見た瞬間健の心臓がキュッと縮み、気付けば彼女の肩を掴んでしまっていた。
「黄泉さんッ!?」
「あ、え? た、健君?」
「それ、どうしたの? 大丈夫!?」
「それ……? あっ! あぁ、これか。大丈夫、大した事は無いから」
頬の傷に心当たりがあるのか、黄泉は何てことは無い様子で自身の頬の傷に触れる。既に傷口は血が固まっているのか触れた彼女の指先が血で汚れる事も無く、触れても痛みに顔を顰める様子も無い。彼女自身が言う様に、本当に大した事のない傷なのだろう。だが傷の大小は健にとって問題ではない。彼にとって、自分が手助け出来ずにいた間に彼女が怪我をしてしまったという事実が大問題なのだ。
これで健も怨面を所持した状態で、何らかの理由で一緒に行動できなかった結果別行動した黄泉が怪我をしたというのならまだ納得できる。彼女を守れなかったという不甲斐無さは感じたし心配もしただろうが、感じる悔しさはそこまででも無かっただろう。
だが今は違う。今健が戦えないのは、彼自身の弱さが原因だ。怨面を取り上げられ、それを取り返す事が出来なかったから結果として黄泉1人が苦労を背負う事となり彼女に怪我までさせてしまった。それが彼は何よりも悔しかったのだ。
悔しさと申し訳なさで居た堪れなくなり、健はこれ以上彼女に顔を合わせる事が出来なくなり逃げるようにその場を後にした。
「…………ゴメン」
「ぁ……」
そそくさとその場を離れようとする健を黄泉は思わず引き留めようとするが、先日も修二によりそれを止めさせられた事もあって思い留まる。そうしている間に健は店へと入って行ってしまい、黄泉がその場に残された。冷たい夜風に吹かれながら、黄泉は改めて頬の傷に触れた。今度は少し痛みが走ったのか、頬を押す様に触れると思わず顔を顰める。
「ッ、つつぅ……心配掛けちゃった。まだまだだなぁ、私も……」
やはり師匠の様に上手くやるのは難しい。そう改めて実感し、自らの頭を小突いて自分を戒めると気を取り直して店へと入って行く。
その様子を修二がジッと見つめていた。
***
翌日の修行でも健は怨面を取り返す事が出来ず、悔しさを噛みしめながら朝食を突く。心なしかどころか明らかに気落ちした様子の健を見ながら、黄泉も朝食を共にする。健の事が気になってか、普段に比べて食欲が落ちて食べる量が減っていた。
そして朝食が終われば学校へ行くのだが、その際に黄泉はここ数日感じる奇妙な感覚をまたも味わっていた。
「ッ! また……」
制服姿の黄泉は、不意に髪の毛先が何かに弾かれたような感覚に咄嗟に首筋に手を当てた。まるで夏場に外で姿を捉えられない虫がすぐ傍を飛び去った時の様な感覚だ。正直気持ちが悪い。
「何なの……?」
「黄泉さん?」
「ん……ううん、大丈夫。多分、気の所為だから……」
そうは言いながらも、黄泉の視線は修二へと向いていた。この異変が起こり始めたのは、彼が来てからなのである。故に彼を疑うのは当然なのだが、当の本人は何の事だか分らないと言いたげにのほほんとしており、黄泉からの疑いの視線など気付いていない様子であった。
そんな感じで不甲斐無さと情けなさ、不信感に心配が飛び交う健の修行の日々。こんな時間を繰り返していれば流石の健も精神的に参ってしまうのは当然であり、あくる日遂に夜の修行の最中感情が爆発したように涙を流しながら修二が持つソウテンの怨面に手を伸ばしていた。
「この、くそおぉぉぉぉっ!」
「返せッ! ソウテンの怨面を返せぇぇぇッ!」
「それが、それが無いと、黄泉さんに全部押し付けちゃうッ! また黄泉さんが1人で辛い思いをする事になるッ!」
「そんなの嫌なんだッ! 僕が、僕が黄泉さんの事を支えるんだッ!」
「その為にはそれが絶対に必要なんだッ!」
「だから、返せぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
血を吐く様に感情を吐き出しながら怨面に伸ばされた健の手。だが直線的なその動きは修二には丸見えどころか止まって見え、子供の様に駄々をこねる様子に呆れたように溜め息を吐きながら健の手を躱す。
「ふぅ、やれやれ。泣いて喚いて全て解決するのは子供の間だけじゃと言うのに。……期待外れだったかの」
ちょっぴり健に対し、期待の目を向けていただけに今の無様な姿には失望すら感じていた。このまま彼を御伽装士として活動させ続けて大丈夫かと不安を感じ、場合によっては除名も考慮すべきかと考えた。
その矢先、健の伸ばされた手から逃れた怨面の先に待ち受けるように次の手が伸ばされ怨面を取り返そうとしているもう片方の手がある事に気付いた。それに気付いた修二はハッと息を飲みながらもギリギリのところでそれを回避。だが健の動きはそれだけで止まることはなく、目からは涙を流しながらも視線は怨面を捉えて放さず僅かな動きも見逃さないようにと見続けていた。
否、健の目が見ているのは怨面だけではない。彼は怨面を視界の中に捉えながら、同時にそれを持つ修二の目もジッと見つめていたのだ。恐らくは修二の目の僅かな動きで次に彼が回避する動きを読み取ろうとしているのだろう。
健がそれを何処まで理解してやっているのかは分からない。だが一つ言える事は、健は決してただの子供ではないという事であった。
(……こいつは前言撤回じゃな。この子には確かに、光るものがある)
自らの下した評価が時期尚早であった事を認め、勝手に失望した事を心の中で謝罪した修二は一旦仕切り直すべく健から距離を取った。修二が離れたのを見て、健はそれを追撃しようとするがここまでの扱きで足に疲労がきているのか一歩前に踏み出す事も出来なかった。
「う、く……」
距離が離れてしまった事で、健も否応なしに落ち着かざるを得なくなった。先程激情に駆られて修二に飛び掛かってきていたのが嘘のようだ。
彼が落ち着いたのを見て、修二は改めて諭す為真面目な口調で話し掛ける。
「さて、少しは落ち着いたようだの。どうじゃ? 気分は……」
「気分? はぁ、はぁ……そんなの……」
「今、お主の目には何が見えておった?」
「え……?」
いきなり訳の分からない事を言われ困惑する健。何が見えていたと言われても、自分が見ていたのは修二が持っている怨面だけであり他の物など見てはいなかった筈なのだ。
(いや……あれ? 今、僕は…………)
そこで彼は自分の記憶に違和感を感じた。何というか、記憶がぼんやりしている。見ている筈なのに見た記憶が曖昧と言う、言葉で言い表すのが難しい状態となっている。
「え……と、えと……あれ?」
自分の記憶と対面し、言葉を探る健の姿に修二は確かな手応えを感じた。今、健は間違いなく自身の中の壁を一つ越えようとしている。長年に渡って数多くの戦いを経験し、老いてからは若い御伽装士に鍛錬を付ける事も多かった彼は、鍛えた若者が成長する瞬間に立ち会った事が何度もある。今の健が正にその状態だ。
ここまで来たらあと一息。もう一押しで、健は一皮剝ける事が出来る。
その為に、修二は彼への修行を再開しようと試みた。構えを取った修二に、それを見た健も疲労で悲鳴を上げる体に鞭打って気合を入れ直そうとする。
瞬間、2人の間に割って入る様に黄泉の式神の狐が姿を現した。彼女がこれを寄こすという事は、即ち彼女1人では持て余す状況に陥っているという事。複数の化神が出たのか、それとも単純に力の強い化神が出たのかは分からないが、兎に角今彼女が窮地に陥っているという事は察する事が出来た。
それを理解した瞬間、健は息を飲み目を見開く。
「黄泉さん……!?」
「ふぅむ、どうやら今宵はちとマズイみたいじゃの。どれ、儂が力を貸しに――」
健はここまでの修行で疲労が溜まっているので、戦力として数えることはできない。ここで中断してしまう事は惜しいが、黄泉の身の安全には代えられないと修二は修行を中断して彼女の救援に向かおうとした。
刹那、修二は背筋がゾワリと震えるのを感じた。久しく感じていなかった、命の危機を感じた時に匹敵する本能的な警戒心。
それを刺激したのは、つい先程まで疲れ切って動く事も億劫にしていた健であった。彼は修二が咄嗟に構えを取るほどの威圧感を放ったかと思うと、彼が持つ怨面に向け手を伸ばした。
「ぬっ!」
思わず回避した修二であったが、健は目にも留まらぬ素早い動きで次の一手を放つ。伸ばされた手を修二は咄嗟に手で払い距離を取ろうとするが、健はその動きを読んでいたかのように先回りすると修二が反応するよりも早くに彼の手から怨面を掠め取った。
やっと怨面を奪い返す事が出来た。その事に喜ぶ間も無く彼は踵を返すと、式神の狐の誘導に従って黄泉を助けるべく疲労で重くなった体に鞭打って駆けていく。
「黄泉さんッ!!」
遮二無二走り去っていく健の後ろ姿を眺めながら、修二は先程まで怨面を持っていた手を見ながら何度か拳を開いては握るを繰り返した。
正直に言うと、驚いていた。彼は決して油断したつもりはなかった。黄泉が窮地に陥るというのはハプニングではあるが、予想していなかった訳ではない。こういう展開もあり得るとは思っていた。だからこんな事が起こっても、彼は健に手心を加えるつもりは微塵も無かった筈なのだ。
だが現実に怨面は健に奪い返された。それはあの一瞬で、健は老いたとはいえ熟練の御伽装士であり戦士である修二を僅かながら上回ったという事を意味していた。
そこには当然だが、ここまでの修行の成果もあったのだろう。先程健は壁を乗り越える一歩手前まで来れていた。何か一押しがあれば、その壁を乗り越え成長できるだろうと思わせるほどには感覚を彼自身掴めていた。今のはその成果が一気に噴き出し、秘められていた能力の片鱗が垣間見えた状態なのだろうと思えた。
しかし何よりも健の成長を手助けしたのは、誰かを助けなければという強い想いだった。あの瞬間健は黄泉を助けるという強い想いを抱き、それ以外の全ての意思を無意識の内に排除していた。混じりけの無い強い意志が、彼の能力を縛り付けていた鎖を解き放ち成長の壁を乗り越えたのである。
それを理解して、修二の顔に思わず笑みが浮かぶ。
「フフフッ……儂も老いたもんじゃ。これだから面白い」
一頻り静かに笑った修二は、気を取り直す様に杖で地面を突くとゆったりした足取りで健が向かっていった方へと歩みを進めるのだった。
***
その頃、式神で救援を求めた黄泉はゲツエイに変身した状態で化神と相対していた。
「はぁ……はぁ……くっ」
『くっくっくっ……!』
ゲツエイの前に立ちはだかった化神・バケウマは手に持った棍棒を肩に担ぎ、余裕を感じさせる様子でゆっくりと近付いていく。先日ゲンキにより倒されたバケウシ同様、バケウマは筋骨隆々であり膂力がかなりの脅威であった。最初振るわれた棍棒をゲツエイは結界を張って防ごうとしたが、素早く展開できるタイプの結界では一瞬攻撃を受け止めるので精一杯であった。
とは言え、相手は1体。膂力は脅威だし、単独で相手をしなければならないが、術に対して高い耐性を持っている訳ではない。であるならば、じわじわと体力を削って行き動きを封じた上で仕留めるという方法で何とかなると思っていた。
…………つい先程までは。
『ひっひっひっ……!』
「ちぃ……!」
ゲツエイを挟んでバケウマの反対側には、もう1体の別の化神が佇んでいた。こちらは見るからに豚か猪の鼻をしており、手には
バケウマが出現した当初、その膂力に一時的に圧倒されかけたゲツエイであったが、呪術による幻影で難を逃れた彼女はそのまま術を用いてバケウマを追い詰めようとした。だがそこで背後から奇襲をかけてきたのがこの化神・バケブタである。バケウマの動きを術で封じる為意識を集中させていたところに奇襲を受けた為、回避が間に合わず片腕を攻撃されてしまった。しかもよりにもよって草薙の大太刀を持っていた利き腕である。
幸いにして骨が折れたりはしていないが、片腕を強かに打ち付けられた際の衝撃で太刀は落としてしまい、しかも2体の化神に挟み撃ちにされるという窮地に立たされてしまった。このままではマズイと、ゲツエイは式神を使って救援を呼んだ。健の修行の邪魔をしてしまう事にはなるが、ここで無理をしても片方を道連れにするのが精々と言ったところ。残った方が被害を広げる可能性を考えると、恥を投げ捨て助けを求める方が賢明であった。
問題なのは、この化神達が援軍が来てくれるまで様子見で済ませてはくれないだろうという事。バケウマ達はゲツエイが負傷して積極的に攻撃してこないのを見ると、2体で一気に袋叩きにせんと同時に彼女に飛び掛かった。
『死ねぇぇぇぇぇっ!』
『ひゃはぁぁぁぁっ!』
「くっ! オン・アリキャ・コン・ソワカ……はぁっ!」
前後から飛び掛かって来る2体の化神に対し、ゲツエイは御札に神通力を流しそれぞれの化神に向け投擲した。仕込んだ術式は簡単な攻撃術式だったが、直撃すれば対物ライフルの徹甲弾が直撃した程の威力を発揮する筈であった。
だがバケウマもバケブタも、その御札を手にした武器の一振りで容易く消し飛ばしてしまう。即席で咄嗟に組んだ術式ではこれが限界かとゲツエイが悔しがる間も無く、彼女は化神達の追撃から逃れる為回避を余儀なくされた。迎撃用の術式とは別に用意していた幻影術式を用いて身代わりを用意し、それに化神達の意識が向いている隙に回避を試みる。
バケブタはこの幻影に騙されてゲツエイから攻撃を外してくれたが、バケウマはそう上手くはいかなかった。こちらは既に一度ゲツエイの幻影を見て学習しているからか、彼女が術を使おうとしたのを見て回避する先を予想しそちらに向け棍棒を振るった。
『そこだぁぁぁっ!』
「しまっ!? あああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
先読みされた事に危険を察するも回避は間に合わず、振るわれた棍棒に殴り飛ばされ壁に叩き付けられる。肺から強制的に空気を吐き出させられ、一時的に呼吸困難に陥りその場に蹲る。
「かはっ!? あ、ぐ、が……!?」
『へへへっ、他愛もないぜ。さて……』
ゲツエイが呼吸も出来ず身動きも取れないのを見て、バケウマは勝ち誇ったように嗤いながら棍棒を引き摺って近付いていく。棍棒がアスファルトを擦る音が今のゲツエイには死神の足音のように聞こえる中、バケウマは蹲った彼女を蹴り飛ばしひっくり返すと腹を足で踏み付け押さえつけた。やっと少し呼吸が出来るようになってきたゲツエイだったが、蹴り飛ばされ腹を踏みつけられてまた空気を吐き出させられ苦しそうに喘いだ。
「うぐぁっ!? う、ぐぅ……くっ!?」
腹を踏み付け押さえつけてくるバケウマに、せめてもの抵抗で攻撃術式を仕込んだ御札を投げつけた。至近距離からの攻撃だからか今度は弾かれる事なく直撃したが、仰け反らせて足を腹から退かすのが精一杯で傷付けるまでには至らない。それでも僅かにでも距離を取るだけの余裕は確保できた彼女は、転がってその場を離れ起き上がるとまだ痛む片手をだらりと下げながらもう片方の手に持てるだけの御札を持ち身構えた。
「はぁ……はぁ……」
『フン、粘るじゃないか。だがそれもこれまでだ』
『グヒヒ……俺にも愉しませてくれよ?』
『チッ、仕方ねえな』
ゲツエイを甚振ろうと近付いて来る2体の化神。対するゲツエイは片腕がまだ満足に動かす事が出来ず、手にした攻撃術式の刻まれた札は何処まで効果があるか分からない。絶体絶命の窮地に、彼女は心の中で最も信頼する少年の姿を縋る様に思い浮かべる。
(健君……!)
ゲツエイ……黄泉が健の名を心の中で呼んだその時、彼女の声が届いたかのように健がソウテンに変身しながら白虎の具足を身に着け、ゲツエイを挟む2体の化神を目にも留まらぬ速度で蹴り飛ばした。
「オン・マイタラ・ラン・ソウハ、変身ッ! タァッ!!」
『ぐぉっ!?』
『どわぁっ!?』
「健君ッ!」
ゲツエイの窮地に颯爽と姿を現したソウテン。彼はゲツエイを追い詰めていた化神2体を蹴り飛ばし、彼女を守る様に立ち塞がると構えを取りながらステップを踏む様に地面を蹴り体を揺らす。具足が地面を蹴る度に、トンットンッと軽い音が周囲に響き渡る。
音は軽いが、ソウテンから放たれる威圧感は重い。化神達は今正に、本来は優しい少年の虎の尾であり逆鱗を踏み、触れてしまったのだ。
だがその威圧感を感じているのは化神達のみであり、彼に守られているゲツエイはそよ風ほどの圧迫感も感じていなかった。彼女が今感じているのは、無償で自分を包み守ってくれる存在への安心感である。
「健君……」
「黄泉さん、遅れてゴメン。後は僕に任せて、黄泉さんはここで休んでて」
まるでコイツ等程度なら自分1人で十分と言いたげなソウテンの物言いに、流石に黙っていられないのかバケウマが棍棒を振り回しながら突撃してくる。
『舐めるな、小僧ッ!』
「ッ! 健君、気を付けてッ!」
バケウマの膂力は先日のバケウシに匹敵する。速度と技巧が武器であるソウテンとは相性が悪いと言わざるを得ない。迂闊に攻撃を防いだり紙一重でやり過ごそうとすれば、逆に追い詰められてしまうのは目に見えている。しかも今この場には、そのバケウマに並ぶパワーファイターのバケブタまでもが居るのだ。現にバケブタもバケウマに続く様にソウテンに攻撃を仕掛けてきている。これを下手に受け止めようとすれば、ソウテンの方が一方的に打ちのめされてしまう。
ここは回避を狙うのが正しい戦法なのだろう。だが次の瞬間、ソウテンの行動はゲツエイだけでなくバケウマ達の予想とも異なるものであった。
何と彼は回避するのではなく、敢えてバケウマに接近したのである。そして至近距離に近付くと、具足を履いた足を振り回してまだ力が乗り切っていない棍棒を逆に蹴り飛ばしてしまった。
「ハッ!」
『何ッ!?』
『小癪なッ!』
バケウマはこんな細身の御伽装士に自分の棍棒が容易く弾かれてしまった事に困惑するが、バケブタがその隙を突く様に釘鈀を振るう。膂力のあるバケウマの一撃を容易く往なしてみせた事は称賛に値するが、それだけの事をすれば当然隙が出来る。バケブタはその隙を突いてソウテンを薙ぎ払うべく手にした武器を横薙ぎに振るって見せるが、何と彼はそれを背中に目でもあるかのように軽く跳んで回避してしまった。それだけでなく、彼は回避した事で隙が出来たバケブタを逆に蹴り飛ばしてみせる始末。
「フッ!」
『ぐぉぅっ!?』
『チッ、何だこのガキッ!』
今の短い手合わせだけで、バケウマはソウテンが只者ではない事を悟り警戒を強くした。だが驚いているのはソウテン自身も同様であった。
(何だろう、今の……まるでこうするのが正しいって分かってたみたいに自然に動けた……)
先程の攻防で、ソウテンは己の行動の全てを考えて実行した訳ではなかった。バケウマに対して接近を選んだのは、そこが安全だと自然と理解できたから。バケブタの不意打ちに対処できたのは、その攻撃が来ると頭の中で理解できたから。まるで誰かに教えられたかのように、彼は最適な行動を自然と選び取る事が出来たのだ。
何故こんな事が出来るのかと疑問を抱きながらも、彼はその疑問に今はそっと蓋をする事にした。今この時この瞬間、重要なのは何故敵の動きが分かったかではなく、敵を倒してゲツエイの安全を確保する事なのだから。
「タァァァァァッ!」
『くっ!』
『おぉぉっ!』
そこからはソウテンの激しい攻撃がバケウマとバケブタに襲い掛かった。白虎の具足で脚力が向上したソウテンは、右へ左へと素早く動き回り、2体の化神をその場に釘付けにした。どちらか片方がゲツエイの方へ向かおうとすれば、片方への攻撃を中断し素早くもう片方に接近して蹴り飛ばす。
「させるかッ!」
『ぐほぉっ!?』
『貰ったぁッ!』
ゲツエイの方に向かおうとしたバケブタがソウテンに蹴り飛ばされると、それを隙と見たバケウマが棍棒を振り下ろしてくる。だが振り下ろされた棍棒はソウテンが少し身を捩っただけで回避され、地面を抉るだけに留まりソウテンには傷一つ付かない。それどころか振り下ろした直後の隙を突く様に放たれた回し蹴りに、バケウマの方が逆に蹴り飛ばされ地面にひっくり返されてしまった。
『ごはぁぁっ!?』
「ぜあぁぁぁぁぁっ!!」
『あがっ!? ぐふっ!? どあぁぁぁっ!?』
ソウテンは蹴り飛ばしたバケウマを許さないという様に蹴り上げると空中に釘付けにするように何度も蹴り上げる。膂力に優れたゲツエイをも追い詰めたバケウマが一方的に何度もサッカーボールの様に蹴り上げられる姿に、バケブタは自分が攻撃の対象になる前にこの場から逃げてしまおうと、仲間の化神を見捨てて1人その場を離れようとした。
だがそれを許さない存在が居た。遅れてやって来た修二の変身したゲンキである。
「何処へ行く気じゃ?」
『うぉぉっ!?』
ゲンキはバケブタの足を如意棍で引っ掻け転ばせつつ、バケウマを圧倒するソウテンの姿に感心の溜め息を吐いた。
「ほっほっ、一方的じゃのう。あれがあの子の本気か」
とは言えあれが黄泉を守る為に発揮した本気であると考えると、決して使いやすい本気であるとは言い難いだろう。だが同時にそれは彼の本質を突いたものであるとも言えた。
それはつまり、彼の……健の本質は守る事に特化しているという事。彼は誰かを強く守りたいと思う瞬間にこそ力を発揮できるのだ。
『くそ、このっ!』
「フッ! ハァッ!」
バケウマがソウテンに必死になって反撃するが、彼は相手の攻撃の全てをまるで予知しているかのように先読みして潰し、或いは回避して逆に反撃は確実に叩き込む。自分の攻撃が意味をなさず、相手の攻撃ばかりが一方的に決まるのは肉体的には勿論精神的にもかなりの負担となり、気付けばバケウマは完全に逃げ腰になりつつあった。
『はぁ、はぁ……何なんだ、テメェは……!? 一体何なんだよぉッ!!』
肉体と精神を同時に追い詰められ、半ば自棄になり殴り掛かる。武器である棍棒はとっくの昔に蹴り飛ばされて何処かへと行ってしまい、回収する事も出来ずその身一つで抗うしか出来ない。だがそんな破れかぶれな攻撃が今更ソウテンに通用する筈もなく、彼はカウンターで回し蹴りを放ち拳が直撃する前にバケウマの顔面を蹴り飛ばして空中高くに蹴り上げてしまった。
『がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
「ふぅぅ…………はぁぁぁぁっ!!」
蹴り上げられたバケウマの下で、ソウテンが腰を僅かに落とし深く息を吐いて構えを取る。心を落ち着け、自身の技が決まるイメージを固めると、彼は顔を上げ自分に向けて落下してくるバケウマに跳んで近付くと空中で必殺技である猛虎百裂客を叩き込んだ。
「退魔覆滅技法ッ! 猛虎百裂脚ッ! タァァァァァァァァァッ!!」
放たれる連続蹴りは、分厚い筋肉で覆われたバケウマの体をマシンガンの様に穿ち削っていく。一発一発は見た目ほどの威力は無いのかもしれない。ソウテンは元々膂力に優れた御伽装士ではないからだ。だが目にも留まらぬ連打はその威力の低さを補うには十分すぎた。小さな水滴が同じ場所を何度も打つ事で穴が穿たれるように、ソウテンの蹴りの連打もバケウマの体を穿ち打ち砕いていく。
逃げ場のない空中で、回避も防御も出来ずされるがままに蹴られ続けたバケウマの体は遂に限界を迎え砕け散った。
『ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?』
断末魔の悲鳴を上げながら空中でバケウマが爆散する。綿花が開く様に炎と煙が広がり、ソウテンがその中に包まれる。ゲツエイが心配そうに見上げる中、炎と煙が風に流されていく。
その中から、炎を突き破る様にしてソウテンが出てきた。炎に巻き込まれたからか体は少し煤けているが、微塵もダメージを感じさせない様子で彼はゲツエイの傍に降り立った。
「健君ッ!」
傍に降りてきたソウテンにゲツエイが片腕を押さえながら近付いていく。ソウテンがそれを抱き寄せるように迎えると同時に、バケブタが2人の傍を通り抜けて吹き飛ばされていった。
『ぎゃぁぁぁぁっ!?』
「「あっ!?」」
「ほっほっほっ」
突然真横を吹き飛んでいくバケブタに2人が唖然としていると、その後を追う様にゲンキが悠々と如意棍を杖の様に使って歩いて通り抜けていく。余裕を感じさせるゲンキの姿に、バケブタは侮辱されているような気になり激昂して殴り掛かる。
『この、クソじじぃがぁぁぁっ!』
横薙ぎに放たれる一撃を、しかしゲンキは如意棍で防ぎ受け流すとその勢いを利用して棍による殴打を叩き込んだ。それだけでは止まらず、ゲンキは上下の石突で殴り釘鈀を絡め取った。如意棍で空気をかき混ぜるように大きく円を描くと、それに引っ張られて釘鈀が振り回されバケブタの手から取り上げられる。そしてバケブタの手から離れた釘鈀はそのまま明後日の方へと飛ばされ、無防備になったバケブタを守る物は何もなくなった。
こうなってはもうバケブタに出来る事は無い。ゲンキは肉叩きで肉を柔らかくするかのようにバケブタの体を如意棍で何度も殴りつけ、最後に大きく振り回すと殴り飛ばされたバケブタは街灯に激突した。
『がはぁっ!? く、くそ……』
「ふぅ……本当に老いたもんじゃ。昔だったらもうとっくに倒せてた筈なんじゃがの」
『舐めるな……じじぃッ!!』
ゲンキの言葉は、言外に衰えた自分に圧倒されるバケブタが如何に弱いかという事をまざまざと突き付けているも同然であった。それを言われて冷静を保てるほど、バケブタは精神的に強くない。激昂し殴り掛かるバケブタの姿に、ゲンキは怨面の下で目線を鋭くすると荒々しく拳を握るバケブタに対して静かに拳を握り締める。
そして…………
『死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
当たれば全身の骨が砕けるのではと思ってしまう程の強烈な一撃。だがゲンキはそれを僅かに体をズラして紙一重で回避すると、片足を引き体を支えると握った拳に神通力を集束させ突き出す。狙うはバケブタの鳩尾辺り。急所を突き破る勢いで拳が突き刺さり、バケブタは自らの攻撃の勢いをそのまま自分に喰らう事となった。
『がぼぁっ!?!?』
「退魔覆滅技法……
『ぐぼあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
鳩尾にゲンキの拳が突き刺さった状態でバケブタが爆発四散する。膨れ上がる炎に包まれたゲンキであったが、ソウテンとゲツエイが見守る前で彼は体に付いた煤を手で軽く払いながら出てきた。一切の無駄のない一撃で化神を倒してみせたその姿に、改めて2人は彼の凄まじさを目の当たりにし乾いた笑いを浮かべるのであった。
***
その後健と黄泉、修二の3人は店へと帰ってきていた。健は傷付いた黄泉を気遣い彼女をお姫様抱っこで抱えて帰宅し、その様に運ばれた黄泉は気恥ずかしさに顔を真っ赤にして顔を彼の胸元に埋めていた。幸いと言うべきか時間が時間だった為、2人の様子を見ていたのは修二だけであったがその修二は時折2人を茶化すような事を口にして反応を楽しんでいた。
「ほほっ! 見せつけてくれるのう?」
「いいじゃないですか」
「どうじゃ? ぴちぴちの女子高生の抱き心地は?」
「嘉島さん、セクハラは止めてください」
ちょっかいを駆ける様な修二の言葉を健は軽く受け流しながら帰宅すると、閉店した店で待ってくれていた裕子が健に抱きかかえられた黄泉を手頃な椅子に座らせるのを手伝ってくれた。一方修二はのんびりと別の椅子に腰掛け、晃が用意してくれた温かい茶を啜り始める。
「黄泉ちゃん、大丈夫?」
「いつつ……はい。健君が助けてくれましたから」
「健が……って事は?」
「ズズッ……ま、及第点ってところじゃな」
修二からの評価は辛めであったが、健はその事に不満を抱く事はしなかった。実際、黄泉に危機が迫っていると知ることが無ければもっと時間が掛かっていたかもしれないのだ。それを考えればまだまだ未熟であると言わざるを得ない。寧ろ及第点を勝ち取れたことを素直に喜ぶべきと自分自身を納得させた。
「嘉島さん……ありがとうございます!」
「ん……精々精進せいよ」
「はいっ!」
最初は半信半疑であったが、晃の言う通り修二に鍛えてもらった事は確かに価値があった。今回の事で健は確実に自身がレベルを上げられた事を実感し、勧めてくれた父と鍛えてくれた修二に感謝した。
健が感謝したのであれば、黄泉もぞんざいな態度は取れない。先程は健と共に助けに来てくれたわけだし、最低限の感謝はすべきと立ち上がると健の隣に立ち修二に頭を下げた。
「私からも、ありがとうございます。さっきは正直、危ない所でした」
「ほっほっ」
黄泉からも感謝されるとは思っていなかったのか、修二は最初少し目を丸くしていた。だがすぐに気を取り直して笑みを浮かべると、徐に手を少し上げ――――
「ッ!!」
次の瞬間、黄泉の臀部に迫っていた修二の手を健の手が掴んでいた。あまりに一瞬の出来事だったので、黄泉はもちろん傍から見ていた晃と裕子も何が起こったのか理解できない。健自身もまた、半ば反射的に動いたのか驚いた様子で修二の手を掴んだまま動きを止めていた。
「えっ? えっ!?」
困惑する黄泉を他所に、健はここ数日の間2人の間に付きまとっていた違和感の正体に今漸く気付き唖然としながら口を開いた。
「……嘉島さん、もしかしてここ数日ずっと黄泉さんの髪や服の端擦ってました?」
健の指摘に修二は今度は満足そうに笑みを浮かべた。
「これに気付けるようになったか。本当に、成長したのう」
そう、黄泉が時折感じていた違和感の正体は修二だったのだ。彼は2人と出会ってからというもの、ちょっかいを出す様に目にも留まらぬ速さで黄泉に近付いては髪や服の端を擦り元の位置に戻るという事を繰り返していたのである。老人と侮るなかれ、老いても尚技術は衰えていない彼の手に掛かれば、近場に居る相手であればこの程度の事造作も無かった。
無駄に凄い事をしている修二に黄泉は一瞬呆れたが、次の瞬間ある事に気付いて怒りに顔を赤くした。
「あっ! って事は、初めて会った時にお尻触られたような感触したのってやっぱり……!」
「ほっほっほっ! ピチピチの良い尻じゃったぞい」
「こ……こ、この、このエロジジィ……!」
何気に健と恋人らしい触れ合いは、バケヨロイとの戦いの最中にやったキス位でそれ以外はちょっとしたボディータッチ程度なのだ。なのにこの老人ときたら、健にすら触らせたことの無い尻を無遠慮に撫でると言う暴挙に出た。怒り心頭になりこのまま殴り掛かってやろうかと思ったが、生憎と今の彼女は片腕を痛めておりそもそも武術の達人である修二相手に対抗できるとは思えない。迂闊に殴り掛かったりしようものなら、返り討ちに遭ってまた尻を撫でられかねなかった。
悔しさに黄泉が修二の事を睨みつけていると、彼は徐に痛みに顔を顰めた。健が彼の腕を掴む手に力を込めたのである。
「あ痛っ!?」
「嘉島さん……そう言う御ふざけは、もう許しませんよ?」
笑顔でそう告げる健であったが、目は全く笑っていない。流石の彼も、黄泉を辱める様な真似は許さないのだ。彼女の為に己の限界の壁を乗り越えてみせた男は違う。
正直な話、修二は本気になれば健を出し抜く事も余裕ではあった。とは言え、彼にはこれ以上ちょっかいを駆けるつもりはない。黄泉にちょっかいを掛けていた理由の半分は、健の成長を見ることが目的であったからだ。
無論、純粋に黄泉の反応を楽しんでいたと言うのもあったりするのだが。
「あい分った……分かった分った、儂の負けじゃ。もう黄泉ちゃんにちょっかい出したりするような事はせんよ」
「絶対ですよ?」
「分かっとる。それに、何かしようとしてもお主が守るじゃろ」
「勿論。黄泉さんは、僕が絶対に守ります」
成長をした事もあり、健は改めて黄泉を守る事を誓った。それを間近で聞かされて、黄泉は嬉しさと恥ずかしさに先程とは別の意味で顔を赤くして俯いた。そんな彼女の様子を、健を始め他の者達は微笑ましく見つめていた。
一頻り恥ずかしがる黄泉の姿を眺めた健は、改めてここまで鍛えてくれた修二に感謝した。
「嘉島さん……今回は、本当にありがとうございました」
「気にするでない。儂みたいな老人に出来る事なんて、未来ある若者を鍛える事くらいじゃからな」
ほっほっほっ、と笑って告げる修二に笑って答えた健。一方晃は、彼の言葉にふとそう言えばそもそも修二がここに来た理由を思い出していた。
「あれ? そう言えば嘉島さん、確かお弟子さんとここで待ち合わせしてるって話でしたが……そのお弟子さんは今どちらに?」
修二がここに来てから数日経っているが、肝心の彼の弟子という者は全く姿を見せない。一体何処で何をしているのかと晃が声を上げれば、そう言えばと健達も首を傾げる。それに対し、修二本人は呆れた様子で溜め息を吐き首を振った。
「あ~、アイツな。全く、何処で油売ってるのやら……」
修二がやれやれと肩を竦めると、同時に店の扉が勢い良く開かれる。とっくに閉店の札を扉に下げていると言うのに入って来た者に全員の視線が向けられた。新たな乱入者は、向けられる視線に構わず一直線に修二へと向かうと憤怒の表情を浮かべながら怒鳴りつけた。
「クソジジィッ! テメェ、よくも俺を置いて行きやがったなッ!」
突然入って来たと思ったら乱暴な言葉で修二を責め立てる男の姿に誰もが目を点にしている中、当の修二本人は溜め息と共に応対した。
「や~っと来よったか。随分と遅かったじゃないか。何しとったんじゃ?」
「ふざけんじゃねえっ! 名古屋に俺を置いて1人で仙台まで行きやがってッ! しかも行き先の伝え方が雑なんだよッ! 店の名前だけ教えられたって分かる訳ねえだろッ! ここまで来るのにどんだけ…………!!」
どうやらこの修二の弟子は相当雑に置いてきぼりにされたらしい。それだけでなく普段から無茶や無理難題を吹っ掛けられているのだろう。それらの不満もあって、曲がりなりにも師匠が相手であるにもかかわらず乱暴に捲し立てている。
が、不意に視線が黄泉の方へ向くと表情が一変した。一瞬で怒りが吹き飛んだように目を見開くと、憑りつかれた様に黄泉の事をずっと見つめる。妙に熱い視線を向けられている事に黄泉が首を傾げていると、男は徐に彼女に近付き手を取るとその場に膝をつき見上げた。
「え? あ、あの……何か?」
「……か、可愛い……」
「へっ?」
「なっ!?」
修二の弟子と言う男は、完全に黄泉に対して惚れた目を向け、それを向けられた黄泉は呆け健は驚愕に言葉を失う。
2人の様子に気付いているのかいないのか、男はそのまま言葉を続ける。
「どうか結婚を前提にお付き合いをしてください」
「はいぃぃぃぃぃっ!?」
「なぁぁぁっ!?」
「や~れやれ……」
男の衝撃発言に黄泉と健は度肝を抜かれ、修二は呆れた様子を隠しもしない。
どうやらまだ騒動は終わりそうも無かった。
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