仮面ライダービャクア外伝~仮面ライダーソウテン~ 作:黒井福
サンズ編第2話の更新となります。サンズの話はコンパクトにまとめるつもりですので、第2話で物語における重要な情報もバンバン出していきます。
明菜は学校でもかなり人気がある方だ。誰に対しても基本物怖じせず話し掛け誰とでも分け隔てなく接する上に、面倒見がよく友達が多い。その上スタイルも良く、母性をも感じさせる性格と女を意識させる見た目も相まって、自然と彼女の周りには人が集まった。
尤もそんな彼女が最も近くに居るのは、他者を遠ざける剣呑な雰囲気を纏う英樹だったので、彼女の魅力が相殺されて近付いてくる者は彼女を慕う者の一部に限られていたが。
それでも明菜に対し何らかのアプローチをする男子は幾らか存在する。基本そう言った者達は明菜の感情が英樹に向かっている事を突き付けられ玉砕し膝を折る者が大半なのだが、中には往生際が悪いというか露骨に明菜の体を目当てにしたような輩も存在しており…………
「よぉ、楠」
「ん?」
明菜が1人学校の廊下を歩いていると、不意に男子生徒から声を掛けられる。振り返った彼女が見たのは、英樹の様に制服を着崩し晴司の様に髪を金髪に染めた男子生徒だった。その生徒は明らかに獲物を見るような威圧的な目を明菜に向けており、明菜はその視線に警戒心を抱きつつ怯んでいるなどと思われることが無いよう毅然とした態度を貫いた。この手の輩は相手に弱みを見つけるとそこを徹底的に突いてくる。
「なーに? あーしに何か用? てかあんた誰?」
基本誰に対してもフレンドリーな明菜は、この様に相手を遠回しに拒絶するような物言いはしない。今回は相手から明確な害意に近い物を感じている為、牽制の意味を込めて棘のある返答をしているに過ぎなかった。同時にさりげなくスマホに手を伸ばし、音声の録画を始める事も怠らない。
明菜が備えている事に気付いているのかいないのか、男子生徒は更に明菜に距離を詰めてくると彼女を壁際に追い詰めつつ自身のスマホを取り出してディスプレイにカメラで撮影した画像を見せつけた。
それは彼女が山田家へと入っていく瞬間を撮影したものである。
「これ、お前だよな? 同クラの山田ん家に入り浸ってるの、俺知ってんだわ。これ、普通に不純異性交遊って奴だよなぁ? これ学校に知られたらマズいよなぁ、え?」
どうやらこの男子生徒……否不良は、明菜が山田家へと入っていく様子から彼女を不純異性交遊と言う校則違反で脅すつもりらしい。確かに基本学校では過度な異性との交遊は禁止されている。無論男女が一つ屋根の下で学び触れ合う環境なので、恋人同士となる事までは禁止されていない。だがそれは節度を持った上での付き合いに限られた。事が過剰な触れ合い、特に男女の一線を越えた爛れた関係である事が発覚した場合、それはその後の学校生活での死活問題にも直結する問題として扱われてしまう。
これが普通の女子生徒であれば、不良の放つ威圧感と他人に知られてはいけない事実を知られた衝撃で軽いパニックを起こし、相手の言う事に逆らう事など出来なくなってしまっていただろう。
だが、明菜の場合は話が違った。彼女は自分を脅してくる不良に対し、怪訝な顔をしつつ言葉を返した。
「は? 何言ってんの? あーし自分の家に帰ってるだけだし。英樹ん家はこの隣だよ?」
「お前こそ何言ってんだ? ここよく見ろよ。どう見ても山田って書いて――」
「てかこれ、脅迫だよね? 録音させてもらってるけど、これ提出されたらそっちもマズいんじゃないの? 脅しにもなってないけど」
「だからお前が入ってる子の家は山田の――」
微妙に会話が成り立っていない事に不良が次第に苛立ちを見せ始める中、明菜は変わらず意味が分からないと言いたげに首を傾げる。その様子に不良は彼女が自分を舐めていると判断し、周囲に他の生徒の姿も無いという事でこの際強硬手段に出ようと手を上げかけた。
その時、その腕を横から英樹が掴んで捻り上げた。
「何してんだお前」
「あいてててっ!?」
「英樹ッ!」
「あっ! 山田、お前……!?」
何時の間に近くに来ていたのか、英樹の登場に明菜はそれまでの険しい表情から一転させて明るい笑みを浮かべ、対する不良は驚愕と忌々しさに表情を歪める。咄嗟に英樹を振り払おうと無事な方の手で彼に殴りかかろうとする不良であったが、そちらの腕はやはり何時の間にか回り込んでいた晴司により掴まれ2人で明菜から引き離された。
「はいは~い、ちょ~っと向こうでお話しようね~」
「な、何だお前らッ!? お、おいっ!」
「いいからこっち来い。明菜、直ぐナシつけてくっから」
「うん!」
明菜に見送られながら英樹と晴司は不良を彼女から離れた曲がり角の向こうに引き摺り込む。当然不良は邪魔をされた事に怒り感情に任せて怒鳴り散らそうと口を開く。だが彼が口から何か言葉を吐き出すよりも先に、英樹が彼の顎を押さえ付けて口を強制的に閉ざし更に壁に押し付けて身動きを封じてしまった。
「テメ、もがっ!?」
「ちょっと黙ってろテメェ」
「ッ!?!?」
次の瞬間不良は全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。至近距離から刃を突き付けられているような感覚。視線だけで相手を射殺す事が出来そうな英樹の視線を前に、不良は完全に勢いを削がれ直前まで感じていた怒りが蠟燭の炎の様に容易く消し飛ばされてしまった。
だが不良に襲い掛かる威圧感はそれだけではなかった。押さえ付けられ身動きが取れない不良を、晴司が横から覗き込むのだが普段は細められている目が僅かに開かれていた。その目が恐ろしい程冷たい物で、今にもこちらを食い殺そうとする肉食獣の様な英樹とは違うベクトルの恐ろしい視線に不良は呼吸も忘れてしまう程であった。
完全に委縮した不良に対し、晴司は英樹や明菜には向ける事のない冷たい笑みを浮かべながら口を開いた。
「困るんだよねぇ、明菜ちゃんが
「そうでなくても明菜に手を出したテメェはタマ磨り潰してやりたいところだが、そいつは武士の情けで勘弁してやる」
「ま、その代わり君にはこれ以上余計な事をされない様、強制的に真人間になってもらうよ。まぁちょっと頭の中がパァになっちゃうかもしれないけど、少しの間だけの辛抱だから」
何が何だか分からないが、2人が何やら恐ろしい事を話している事だけは何となく分かった。これ以上は本当にヤバいと不良の生徒は2人から逃げ出そうとしたが、何時の間にか不良の手足には金縛りの効果を持つ御札が張り付けられており身動きが完全に封じられていた。
動きを完全に封じられた不良に出来ることは、押さえ付けられた口からくぐもった声を上げる事だけであった。
「んんっ!? んぐううううっ!?」
「はいはい、騒がない騒がない。大丈夫、痛くも何ともないから」
「テメェがこれまで好き放題してきたツケだ。黙って受けな」
まるで死刑宣告でもする様な英樹の声を他所に、晴司は何処からか取り出した筆で不良の額に何やら文字を書き込んでいく。書かれた文字は一瞬光ったかと思うと沁み込む様に消えていった。そして文字が完全に消えると不良は白目をむき静かになる。英樹が手を離すと頭がガクンと項垂れ、晴司が御札を剥がすと支えを失いその場に崩れ落ちそうになった。ギリギリのところで英樹が支え、そのまま壁に寄りかからせると気絶した不良を見下ろしながら腹の底から溜め息を吐いた。
「ったく、またこんな輩だ。何なんだ一体?」
実はここ最近になって、この様に強引に明菜に言い寄ろうとする男子が頻繁に出現していたのである。以前から明菜に色目を使ったりする者は幾分か存在した。だが以前はそこまで強引ではなく、明菜一人でも簡単にあしらえる程度の相手ばかりであった。何しろ彼女の傍には英樹が居るし、彼女の感情も大部分が英樹に向かっている。割り込む余地も感じられない程英樹の事を想っている明菜に強引に言い寄る者はこれまで居なかったのだ。
それが急に状況が変化した。ただ明菜に対して強引になるだけならまだいい。だがそう言った者達は大抵何らかの形で明菜が山田家に当たり前に出入りする事を異常だと指摘するのである。この事実に英樹は表情を険しくし、晴司も顎に手を当て唸り声を上げた。
「これは幾ら何でも偶然とかじゃないよね?」
「あぁ。誰かが明菜の秘密を知ってて、
明菜には本人も気付かず強大な霊力を備えている。が、その霊力は今封印されている状態であった。彼女自身が自分の記憶と共に封印しているのである。
明菜の実家である楠家は、代々強力な霊力を持つ女性を輩出する家系であった。それもあり御守衆では名家として扱われ、彼女も本来であれば楠家の力で守られ深窓の令嬢となる筈であったのだ。
だが今から5年前にその状況は大きく変わってしまった。悪意を持つ人間と手を組んだ化神により、楠家は彼女1人を残して全滅してしまったのだ。その時に彼女は家族や親しかった世話役など親しい者を一度に失ってしまったショックで、自身の記憶を自分で書き換えてしまった。
今、彼女は親しかった者の中で唯一残っている山田家を自分の家族として認識している。と言うより、御守衆の事等を抜きにして英樹と自分の境遇をそっくりそのまま入れ替えて認識していた。今の明菜の中では、英樹は不慮の事故により両親を失い天涯孤独となっており、明菜を避難させる予定で用意した楠家を山田家と認識し英樹はそこで1人暮らしていると思っているのである。
彼女が記憶を自ら改竄している事にも驚いたが、それと同時に彼女の秘めていた霊力も封じられている事に御守衆はこれ幸いとそのまま彼女を匿う事に決め、英樹を含む山田家にはその状態を継続するよう命じたのであった。
これが明菜と英樹の関係が何処か歪である事の理由である。
しかし今、その関係を何者かが崩そうとしている。そしてその下手人が何者であるか、2人は何となくであるが見当がついていた。
「これ、お前がこの間言ってた物部党とか言う連中の仕業か?」
「確証は出来ないけど、可能性は高いかもね」
「チッ……連中の居場所は分からねえのか?」
「難しいね。下手人が個人で動いてるのか組織立って動いてるのかも分からないし」
「クソ……」
堪らず悪態をつく英樹に対し、晴司は彼の緊張を解す様にその肩をポンと叩いた。
「ま、そこら辺は俺も網張っておくから。君は明菜ちゃんの傍にいてあげなよ。その方が彼女も喜ぶし、悪い虫に対する牽制にもなるだろうしね」
「……そうだな、悪い。助かる」
「なんのなんの」
幾分か気分を解した英樹が、不良をその場に残して晴司と共に明菜の元へと戻っていく。彼女は依然変わらずその場に佇んでおり、英樹が戻ってくるのを待っていた。彼が曲がり角から顔を覗かせると、彼女は安心したように笑みを浮かべて小走りに近付いていく。
「英樹ッ!」
「明菜、アイツに変な事されてねえか?」
「うん、大丈夫。何か訳分かんない事言われて脅されただけだから」
「そうか……」
それが訳の分からない事でも何でもなく真実である事を理解している英樹は、一瞬明菜から目を逸らしつつも出来る限り平静を装い答えを返す。対する彼女は、2人が出てきた曲がり角の方を見ながら少し不安そうに訊ねた。
「ねぇ、アイツは?」
「お前は気にしなくていい」
「ちゃ~んと俺らで話は付けといたから。もう付きまとったりはしないだろうから安心して」
「ホントに? ありがとう、2人共」
あの不良は殊更に粘着質な何かを感じていたので、明菜としてはこれからもアイツに事ある毎に付きまとわれたりすると面倒だと待ってる間辟易していたのである。その不安が解消された事に安堵する明菜に、英樹は彼女の手を掴みながらぶっきらぼうに言った。
「またアイツみたいなのが来ないとも限らないから、暫くは俺の傍にいろ。明菜も、ああ言う奴に付きまとわられたくはねえだろ」
「英樹……うん! でも、あーしはそう言うの関係なく、英樹の傍に居たいけどね♪」
「お熱いねぇ?」
「うっせ。いいから行くぞ」
自分の手を掴んでくる英樹の腕を引き寄せて抱き着く明菜の姿に、晴司が指笛を吹く勢いで冷やかし始める。英樹はそんな2人の行動に喉の奥から呻き声を上げつつ、彼女の腕を振り払う事無くその場を離れようとした。
その様子を、1羽のカラスがジッと見つめている。まるで何らかの意志を持っているかのようなその視線は、野生の動物のそれとは明らかに雰囲気が違った。
その異様な雰囲気にいち早く反応したのは、絶えず周囲に気を配っている英樹であった。明菜を守る為、無意識の内に神経を研ぎ澄ませて周囲を警戒している彼のセンサーが、明らかに異様な気配のカラスの存在を感じ取ったのである。
「ッ!?」
「わっ!? ど、どうしたの英樹?」
突然弾かれたように窓の外を見る英樹。その勢いに明菜も驚き腕に抱き着く力を緩めてしまった。一方半歩後ろからその様子を見ていた晴司は、先程とはまた違う意味で目を少し開きながら彼が向けている視線の先を追った。
その視線の先に居るカラスを視界に捉えた晴司は、すぐさま英樹に視線で合図を送る。その意図に気付いた英樹は、小さく頷き返すと明菜の視線を誘導すべく足早に歩みを進めて彼女を引っ張った。
「何でもねえ、気のせいだ。行くぞ」
「あぁ、ちょ、待ってよ!」
唐突に歩き始めた英樹に引っ張られ、明菜の視線が廊下の先の方へと向く。その瞬間を見逃す事無く、晴司はポケットから呪術の籠った針を取り出すとそれをカラスに向けて投擲した。鋭く飛んでいった針は狙い違わずカラスに命中し、針が刺さったカラスは悲鳴を上げる事も無く燃え尽きるように姿を消した。それはそのカラスがただの生き物ではないという事の何よりの証拠である。
(式神の類……相手にも呪術使いが居る。当然か)
これで確定した。明菜は物部党ないし、それに連なる呪術を扱える者に狙われている。恐らくあのカラスはその何者かが動向を探る為に送ってきた監視用の式神だ。先程投げた針には相手の術を無力化すると同時に術者にダメージをフィードバックさせる効果が付与されていた。が、効果のほどは望めないだろう。こちらに対する攻撃力を持った術であればまだしも、ただの監視用の式神では送り返せる反動も大した事にならない。精々静電気が走った位の衝撃を受ける程度だ。
晴司は先程まで式神のカラスが居た所を睨みつつ、面倒な事になったと溜め息をつきながら後頭部を掻くのであった。
***
英樹が明菜を連れて廊下を歩き去り、晴司が明菜の様子を伺っていた式神を呪術の針で消し飛ばしたのと同時刻。
先日英樹と晴司がバケトカゲを討伐したのとは別の打ち棄てられた神社の朽ちた社殿の中で、いかにも古めかしい着物姿の男性が全身に走る衝撃に小さくその場で跳ねた。
「ぐっ!?」
「どうした?」
呪術師と思しき着物を着た男性が小さく悲鳴を上げると、その傍に居た別の呪術師が怪訝そうに声をかける。その呪術師は悲鳴を上げた者に比べて身分が上なのか、少し上等な袈裟を身に着けていた。最初に悲鳴を上げた呪術師は、袈裟を身に着けた呪術師からの問い掛けに申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。対象を監視していた式神が消されました。どうやら護衛の平装士に呪術に達者な者がいるようです。呪い返しに近い反撃を受けました」
「そうか……御守衆も一筋縄ではいかんな」
報告を受けて袈裟を身に着けた呪術師は険しい表情になる。
この者達の名は物部党。嘗て御伽装士ビャクアに討伐された物部 天厳に感化されるように化神を信奉し、今の人間の社会を覆すべく暗躍している者達である。尤も、彼らの様に化神を信奉する者自体は天厳が動くよりも前から出現していた。袈裟を身に着けた呪術師もその類であり、志を同じくする者として物部党に参加した経緯を持つ。
式神を差し向けていた呪術師は、自分達の指揮を執る袈裟を身に着けた呪術師にこれからの行動について訊ねた。
「
袈裟を身に着けた呪術師……盃
彼らの目的は言わずもがな明菜の身柄である。彼らは明菜がその身に膨大な霊力を備えている情報を掴んでおり、それを我が物として手に入れ自分達が信奉する化神への生贄とするつもりなのだ。だが肝心の彼女の霊力は現在記憶と共に封印されている。これでは生贄としてそこらの小娘程度の価値しかない。
より効果的に生贄として機能させる為には、明菜に記憶と共に本来の霊力を取り戻してもらわなければならない。その為に彼らは彼女が通う学校の男子生徒に仕掛けを施し、彼女の眠っている記憶を呼び起こそうとしていたのである。だがそれらは明菜の傍に居る護衛の御伽装士と平装士のコンビにより悉くが妨害されていた。
最初の内は件の護衛……英樹と晴司も明菜にちょっかいをかける輩が増えた程度にしか思っていなかったのだが、頻度が増えれば流石の彼らも違和感を持つ。そして今回、式神の存在が気取られた事もあり、彼らの警戒心は最高潮に引き上げられてしまった。今後は今まで以上に慎重に行動しなければ、今回は軽い反撃を受ける程度で済んだが次は逆探知されて襲撃を受ける可能性もある。
一成がどうするべきかと頭を抱えそうになっていると、朽ち果てた社殿の奥から耳障りな声が響いて来た。
『ぐぶぶぶぶ……随分と苦労しているようだな?』
「あっ!? こ、これは申し訳ありません。お見苦しい所をお見せしてしまいまして……」
普通の人間にとっては不快を通り越して悍ましさすら感じさせるその声に対し、しかし一成は不愉快さを見せるどころか心の底からへりくだってその場に膝をつき頭を下げる。それは部下の方も同様だった。この場に居る誰もが、奥に控えている異形を敬い敬愛している。それが彼らにとって当たり前であったからだ。
そしてそんな彼らが首を垂れる様な存在は1つしかない。
『ぐぶぶぶぶ……感じる、感じるぞ! 全身に感じる甘く芳醇な霊力の気配! だが今のままでは満足に味わえんな』
「はい。ですので今、件の小娘に本来の霊力を取り戻させるべく策を練っております故、今しばらくお待ちいただければと……バケナマズ様」
焚かれた炎の光がユラリと照らすその姿は、ナマズ顔のカエルとでも言うべきかとにかく腹がデカく広い口に長い髭を生やした異形であった。全身が粘液でヌメヌメとテカっており、口から伸びた長い舌が左右に広く伸びた口元をべろりと舐め上げる。
『ぐぶぶ、構わん。空腹は最高のスパイスとも言う。極上の霊力を取り込む為には致し方あるまい。その小娘とやら、期待してもいいのだろう?』
「はい。そちらは嘘偽りなく。あの楠家の生き残りの令嬢です。まず間違いなく、バケナマズ様を満たしてくれましょう」
『ぐぶぶぶ、それは楽しみだ…………が』
最初大人しく待つ姿勢を見せていたバケナマズの物言いに、何処か安堵の様子を見せる一成達であったが、バケナマズはそんな彼らの安堵を嘲笑う様に急に方針転換し始めた。待つ事に飽きたのだ。
『何もせずジッと待っているだけなのも退屈だ。それにその小娘には御伽装士が付いているのであろう?』
「そ、れは…………」
化神の為なら命を削り、贄が欲しいというのであれば芳醇な霊力を備えた生娘を何処からか連れ去り差し出すくらいは平気で行う。しかしそんな彼らも、御伽装士が相手となれば話は別だった。呪術で対抗する事は出来なくも無いが、それでも生身の人間では御伽装士相手に時間稼ぎも出来るかどうかと言ったところである。
このままではバケナマズに霊力の高い少女……明菜を献上する事ができない。一成の額にまたしても嫌な汗が流れ落ちるが、バケナマズは結果を出せない者を安易に処罰したりする事はしなかった。
『落ち着け。ワシは別にお前達を責めている訳ではない。だが結果が出せていないのは事実。故に、ここから先は儂も少しばかり手を出そうと思う』
「ば、バケナマズ様が自ら……!」
君主と定めている化神が重い腰を上げる様に一成が感激していると、バケナマズは全身から粘液を滴らせながら立ち上がった。
『どれ……件の御伽装士とやらを見定めるとするか』
***
夕方、英樹は明菜と共に夕日に照らされた通学路を歩いていた。英樹の腕に抱き着く様に腕を絡めて歩く明菜の表情は上機嫌な笑みを浮かべており、そんな彼女を英樹は振り払う事無く彼女に歩幅を合わせて歩いている。その数歩後ろには晴司が同じようにゆっくり歩いており、目の前を歩く2人に温かな目を向けつつ周囲を警戒していた。
帰りの道中、英樹は何とはなしに明菜に話し掛けた。
「そういや、明菜。お前家族とはまだ仲良いのか?」
「ん? うん、パパもママも仲良しだよ。ただね~、小町ちゃんがさぁ……」
「仲悪いのか?」
「いや~、仲悪いって訳じゃないんだけど、お年頃なのかなぁ? あーしに対する態度がギクシャクしちゃってて……」
言うまでも無いが、英樹と立場の認識を入れ替えている明菜にとっての妹とは、本来英樹の妹である。英樹の家族は明菜の事情を知っているので、家族総出で彼女の認識に付き合い記憶と霊力が戻らないようにしているのだ。両親は元々御守衆の御伽装士であった事もありそこら辺をしっかり割り切って行動しているようだが、まだ中学二年生の英樹の妹の小町はどこか納得できていないというか、釈然としないものを抑えきれていないようだ。
これは後でタイミングを見計らい小町に接触すべきかと英樹が考え出したその時、突然周囲の雰囲気がガラリと変わった。
「えっ?」
「あっ!?」
「英樹ッ!」
雰囲気が突如として重苦しくなり、同時に空の色が赤黒く染まっていく。先程までは確かに夕焼けに照らされて赤く染まっていた空だが、黄昏の赤とは明らかに違うどす黒い血の様な不吉さを感じさせる赤色である。明菜もその異変に気付いたのか、英樹の腕に抱き着きながら不安そうに周囲を見渡していた。
「え、えっ? なになに? 何が起きてるの?」
「チッ、マズいな……おい晴司!」
「合点」
このままだと明菜が危険だと、英樹は晴司に声を掛けた。意図を察した晴司はポケットから清潔なハンカチと香水の小瓶の様なものを取り出し、中の液体をハンカチに沁み込ませると素早く明菜の鼻と口を塞いだ。
「むぐっ!? む、ん……んぅ…………」
突然背後から口を塞がれパニックを起こしそうになる明菜であったが、それよりも先に強烈な睡魔が襲い掛かり抵抗する間もなく意識を手放した。脱力し崩れ落ちる明菜を、英樹は優しく抱きかかえ近くの電柱の影に隠す様に寄りかからせた。
「悪い、明菜。すぐ終わらせる」
「仕方がない事とは言え、明菜ちゃんにこんな事するのは気が引けるよ」
「そっちも悪い。毎度面倒を掛ける」
「気にしなくていいよ。仕事だし、明菜ちゃん相手にはこうするしかないからね」
本来、無関係な者を化神に関わらせないようにする為にはそれ用の術を用いる。意識と共に化神に関わる記憶を消去する、御守衆に所属する者であれば御伽装士も平装士も関係なく習得する術だ。だが明菜に対してはそれも迂闊に使う事ができなかった。下手に呪術の類を彼女に向けて使えば、それが呼び水となって明菜の封じられていた霊力が復活しかねない。かと言ってここで彼女の意識を断たなければ、化神を見て記憶を呼び戻されるかもしれない。それではダメなので、苦肉の策として明菜が化神に関わりそうになった場合は薬品を用いて眠らせる事にしているのだ。
術を使うよりも遥かに乱暴なやり方で意識を奪う事に晴司も気が進まないものを感じ、それをやらせてしまった事に英樹も申し訳なさを感じる。だが今はその事に何時までも頓着している場合ではなかった。
今、彼らの周囲で起こっている事象は暗天と呼ばれる、化神が自らにとって非常に都合のいいフィールドを作り出す現象である。これが起こったという事はつまり、彼らのすぐ傍に大本となる化神が出現したという事。
英樹は怨面を取り出すと、明菜を背にしながら最大限の警戒を周囲に向けた、
「どうやら今回はこの間の雑魚とは一味も二味も違うらしい」
「みたいだね。ただの人間と思ってる相手に暗天使う化神もそうはいないから、俺達が相手だってことを理解した上での行動かも」
「明菜狙いか?」
「分からない。明菜ちゃんの事が化神のネットワークに知れ渡ってるとは思わないけど」
だがある意味で状況は明白だった。今この瞬間、彼らを狙っている敵が存在している。英樹はそれさえ分かっていれば十分だった。
「まぁいいさ。何時も通りに行こう」
「了解。明菜ちゃんの守りは任せて、そっちは攻撃に専念しなよ」
「あぁ、頼りにしてる」
「んじゃ、よろしく」
「はい、よろしく~」
軽い口調の挨拶は、彼らの間でスイッチを入れ替える一種のプリショットルーティーンだ。次の瞬間英樹の集中力は最高潮に達し、その状態を維持しながら彼は呪文を唱えサンズへと変身する。
「オン・ベルダ・ヤム・カルマ……変身ッ!」
怨面を顔に装着し、英樹の姿が御伽装士サンズのそれへと変化する。英樹がサンズに変身すると、それを待っていたように暗天により濃くなった暗がりの奥からバケナマズがゆっくりと姿を現した。
『ぐぶぶぶぶ……お前がこの街に居る御伽装士とか言う奴か』
「お前の目当ては俺か?」
『いいや……儂の狙いは、お前の後ろに居る小娘だ』
そう言ってバケナマズはべロリと口周りを舐め回した。封印されていながらも感じ取れる芳醇な霊力は、それだけでバケナマズを興奮させるには十分な魅力があった。下品に舌なめずりをするバケナマズに対し、サンズは絶対零度の視線を向ける。
「そうか……お前は明菜を狙ってるんだな。なら…………」
バケナマズはサンズの逆鱗に触れてしまった。それを理解し、彼の後ろで晴司が符術で明菜の事を守りながらサンズの相手をする化神に心の中で十字を切った。知ってか知らずかは知らないが、どちらにしても迂闊すぎる。
「退魔道具……裁断の笏棍ッ!」
サンズが取り出したのは身の丈に迫る長さの金棒であった。所謂鬼の金棒の様に、先端に向かうにつれて太くなりそれに合わせる様に円錐の突起が付いている。取り出した金棒を、サンズは逆手に持ち先端を地面に突き立てた。刺さる様な形状の先端ではないにも拘らず、金棒の先端はアスファルトに蜘蛛の巣状の罅を入れ先端がめり込む。
それはまるでここから先へは一歩も進ませないという宣言を行っているようでもあった。放たれる威圧感とその仕草に、バケナマズの顔を粘液とは別の液体が一筋流れ落ちていく。
「テメェ、覚悟はできてるって事でいいよな。この俺に、徹底的に裁かれる覚悟がよ……!」
ここまで読んでいただきありがとうございました!
英樹と明菜は家族を入れ替えられております。これは作中でも述べている様に、記憶と共に膨大な霊力を封印した明菜に対する配慮ですね。記憶と一緒に霊力が戻ると物部党みたいな連中や化神に狙われやすくなるので、彼女の心身の安全を考慮した上での判断です。山田家は家族ぐるみで協力しているので、全員がある意味で嘘をつき続けている状態です。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。