二人、手を合わせ。畦道。 作:プルウィア応援委員会
藺草悠陽は比較的おとなしい人間である。
髪を染めた事も無ければ一人旅をしたこともない、特に目立った事をせずに生きてきた人間。
……なんて己を形容すると、同じ条件に当てはまる人に失礼なので口には出さないけれど。
とかく、私は大人しい人間、だと思う。
派手な色の服は着ないし。露出なんてほとんどないし。高級ブランドも身に着けないし。
すわファッションリーダーかと思うほど衣服にお金を使う瀬里奈に比べて、私は大人しい。誰に聞いてもやったことのない、経験したことの無いエピソードばかりが零れてくるし。一見して怖い、恐ろしい、危ない、と思うような体験をしたことがないし。
なんというか、普通。
両親がお金持ちだった、という事を除けば、だけど。
「結局それが特別である限り、普通なんて名乗れない。だから"大人しい"って、比較的大人しい、って、誰を刺激することもないコトバで自分を形容しているわけで」
「それは、羨ましがられないようにするため? それとも、努力を水に流されないようにするため?」
「どうなんだろう。……多分、どっちもなんだと思う。結論何をやってもお金持ちの道楽、で済まされちゃう現実を、ずっとずぅっと小さな頃に知っていたから……みたいな」
「悲しい幼少期ね。同情するわ」
クールな、言い方を変えればすごくキツい目つきのお友達。
本郷未来さん。さん付けなのは、お友達とはいえかなりの年上だから。かなりといっても十や二十離れているわけじゃないけれど。篠原さんに並んで、私の人生の相談相手。
篠原さんが優しく包容力があって、けれど時には鋭く窘めてくれる人、なら。
未来さんは、常にグサグサ刺してきて、いっつもツンケンしているクセに、根の優しさが隠しきれていない人、だろうか。
「不名誉な事を考えてるでしょ」
「あ、うん」
「そう。認めるのは良い事よ。じゃあ今日はこのあたりで」
「ま、待って。待って。ごめんなさい」
「謝れるのも美徳」
危ない、危ない。
今のやり取りの中に冗談など無い。未来さんは帰ると言ったら本気で帰っちゃう人なので、こっちも本気で引き止めないといけない。冗談の通じない性格、ではなく、誠意にしか誠意で返してくれないというだけだ。
「それで、大人しい自分を変えたい、と」
「あ、うん……最近、何にもなくて。というか、良い事がなくて。自己分析して、多分、自分が変わらなきゃいけないって思ったんだけど、変わらなきゃ、って思うだけで、結局何にもやらない自分がいて。だからせめて誰かの前で言葉にして、言った、って事実を設ければ、変われるんじゃないか、って。それが未来さんの前なら尚更……」
「うじうじしてる奴を見ると手が出る私なら背中ぶっ叩いてくれる、って?」
「……うん」
悩み事は昨日のこと。相談事は最近のこと。
自分の主体性の無さというものは、今まで生きてきた中で……築いてきた人間関係の中で生まれたものだから、それを治す、変えるとなれば、荒療治が必要だと感じた。
でも、やっぱり自分じゃどうにもできないから。
他人を変えてくれそうな人に打ち明けて、管理、あるいは監視してもらえば……どうにかなるんじゃないかな、と。
「毒とお砂糖、どっちがいい?」
「え……えと、何が?」
「変わりたいんでしょ? だから、アンタに会わせる相手を見繕って、今二人浮かんだワケ。一人は毒物みたいなやつ。もう一人は砂糖みたいなやつ。どっちが良いか選んで」
「あー……その、何かやって変わろうって思ってるだけで、それをしなそうだったら怒って欲しい、みたいなお願いで……」
「そう。じゃ、この話はおしまいね」
そう、なんだけど。
もう少し何かないかな、とか。我儘な言葉を吐きたくなる。お願いしている立場であまりにも、なのはわかっているけれど。
ヤだね、私。
「未来さんはさ、変わりたい、って。思ったこと無いの?」
「無い。私は生まれた時からレベル百だもの」
「そっ……か。でも、それって」
「ごめん、ちょっと連絡来たから」
言って、未来さんはカフェを出て行ってしまう。
木漏れ日の暖かいカフェテリア。ミルクコーヒーを飲みながら窓の外を見れば、ケータイを耳当ててしかめっ面をしている未来さんの姿。また無茶な仕事依頼が来たのかな。それとも話にしか聞いたことの無い"余計なことしか言わない友人"からの電話か。
……未来さんは凄いと思う。
正直に言って、すごく口の悪い人だ。いっつもツンケンしているし、歯に衣着せないし。なんでもかんでもズバズバ言うから気の休まる時がないし。
なのに、お友達も沢山いれば、単純な交友関係も広い。仕事も数多く貰っていて、業界ではちゃんと人気で引っ張りだこで……。
口の悪さや態度が交友関係に影響しない、ということは、それだけ彼女に人徳があるということなんだろう。あるいはそのスキルの高さか、それとも類が友を呼びまくっているだけか。
どれだけ想像したところで答えは出ない。
何故なら私には友達がそんなにいないから。彼女がどのようにして交友関係を広めているのかを知れたとしても、実践することはないだろう。どうせ、私は、凄いなぁ、と思うばかりで何もしないのだろう。
「瀬里奈は、今何レベルなんだろうなぁ」
生まれた時からレベル百、と言う言葉を受けて。
自分じゃなく、瀬里奈の事が浮かんだ。
そのあと、急な仕事が入ったとかで、この場はお開きとなった。
休日というのは案外やることが無い。
何か特別な事を趣味にしていたのならばソレに没頭することもあるだろうけれど、配信活動を仕事にしてしまった時点で私の中から趣味らしい趣味は消え去ってしまった。
他人の配信、というのはあまり見ていない。
どうにも。
どうにも、何かを突き付けられているような感覚がして。
それが自身に向けられたものでなくとも、自身と主義主張、意見の違う発信を見ると、攻撃されている、責められていると感じてしまうヒトが一定数いる。
多分に漏れず私もソレ。
明るい世界。成功した世界。眩く、沢山の人に見られているダレカさん達を見ると、お前は何も努力していないのだと、お前は成功していないのだと──勝手に思ってしまう。
その暗くて黒い気持ちはヤだから。
だから、自衛として。見ないようにしている。見なければこの過剰な自意識防衛も働かない。
同時にエゴサーチというものもしないようにしている。
評価はマネージャーさんや運営の人たちが見ればいい。それによってどう私達変えていくかに、私が口出す必要はない。
今のところ、この百合営業で……十二分な効果は得られているようだから。
それで、結論。
休日に何をするかという話。
「流石に休日に押し掛けるのはね……」
瀬里奈とはまだ和解を得られていないまま。
だけど、彼女には彼女のプライベートがある。そこに足を踏み入れてまで謝罪を入れるのは少し違う気がする。謝らなくてもいい、なんて思って無い。ただ、余計な迷惑までかけたくないだけ。喧嘩というのは長引けば長引くほど面倒になるものだと知っているけれど、今回の件はそう複雑なことではないと思う。
十割、私が悪い。悪い方がわかっている以上、複雑化する前に謝ってしまえば後腐れなく関係が修復できると信じている。
「とかいって」
つくづく自分は矛盾した人間だと思う。矛盾。否、ただ単に言葉と行動が一致していないだけ。
ため息を吐きながら、事務所に入る。
事務所。いつの間にか来ていた。相手が瀬里奈であれ事務所であれ、予定の無い訪問に良いことなんてないだろうに。
「こんにちは。本日はどのようなご用件で……って、トトリさん? どうしたんですか、今日休日ですよ?」
「暇だったので、ゲリラ配信でもやろうかな、と」
「はぁ……えと、今日は3D関係のスタッフがほぼいないので、あまり大きなことはできませんが構いませんか?」
「はい。私も別に、何もするつもりないので」
事務所に上がり、パーテーションに仕切られた通路を通る。
パソコンのキーを叩く音が響く中、幾人かは私に気付いたようだけど、私が小さく会釈をするとそれを返すに終わる。何かしらの解釈を自分の中でつけたのだろう。
割合ホワイトであるウチの会社は、だからこそ休日に誰かが呼び出される、ということが無い。ほぼない。たまにある。割合はあくまで割合。
初めから事務所に来る目的で家を出ていないので、着替えの類を持っていない。
だから更衣室に据え置きされている無地のTシャツと短パンを借りて、スタジオ入り。いくつかの音響機器と複数台のカメラ。地面には様々な色のテープが貼られた黒いマットがあり、その他椅子や台座などの小道具が置かれている。
グリーンバックなんかで色抜きをしているわけではないので、全体的に質素というか、目には優しい色合いの空間。傍らにあるPC類には私達でいう"いつもの空間"が映っていて、こんな質素で簡素な空間などどこにもない。
軽くストレッチを済ませたら、また更衣室へ。
服の上からモーションキャプチャースーツを纏ってもう一度スタジオに入れば、いつもの半分以下のスタッフさん達が準備を進めてくれていた。
「本当に座って雑談するだけだから良かったのに」
「それでも何かしらの事故があったら危ないので」
「はぁい」
ま、周辺機器……カメラ1つ取って云百万。それが十数台ある空間に、自社タレントとはいえ素人一人を野放しにする、なんてことはしたくないか。
配信関係を担ってくれるスタッフさん……森山さんに「大丈夫です」と合図を送れば、「こっちもオッケーでーす」と声が返ってくる。
さて、それじゃあ。
朝露トトリ、いっきまーす。
みたいな。
「はーいプルウィアの片方でーす」
寝っ転がった姿勢で幕が上がれば、すぐに「草」とか「ゲリラ配信えらい」とか「草」とか……まぁ、私らしいコメントが流れる。
朝露トトリの衣装は基本的にアシメで、動けば動くほどその角度の違いによるデザインの変化が面白い、というものではあるのだけど、当の本人たる私が基本寝っ転がっているのでそれが活きる事がほぼない。
それを知ってか知らずか、時折コメントに「トトリちゃん姿勢変えて」とか「寝返りして」とかが来るものだから、まぁそれくらいは従ってやるか、と目に留まりがち、拾いがち。ハコビといる時は彼女が無理矢理立たせてくるのでこんなにもダラけることはないんだけど、一人だとどうしてもやる気が生まれない。
そう、何もキャラでこうダラけているわけではなく、朝露トトリとしてある間は割と本気でやる気が出ないのだ。
……藺草悠陽である時にやる気が出ているかと問われたら、そんなことはないんだけど。
「え、何するのかって? ……特に決めてないかなー。あー、歌は……」
スタッフさんの方を見る。
歌関係は権利の問題があるから唐突には無理……だと思ったけど、出されるのは丸のサイン。いいんだ。
「いいみたいだけどー、まぁ歌うかどうかは気分で。ちょっと今はだらだらしたい気持ち」
途端に溢れる「いつもじゃん」とか「何を見せられているんだ」とか「だらだらしたくない時があるのか」とか非常に失礼なコメント達。その通りなんだけど。
君たちは知らないと思うけれど、歌うのってすごく疲れるのだ。
「ハコビ? あぁ今日はいないよー。今日はお休みの日。ホントは私もお休みなんだけど、勤労意欲バリバリのトトリちゃんはお仕事に来たのです」
思っても無い事を言えば、「心にもない事を」とか「トトリちゃんに勤労意欲なんかあるわけないだろ!」とか、望み通りのコメントが返ってくる。これはあくまで"本当に勤労意欲溢れた配信好きなトトリちゃん"が"キャラ付けのためにダラけてて"、"その上で心にもない事を言っている"風に捉えられているためであり、心底やる気が無い、なんて事に気付いている視聴者はいない、と思う。
あるいは純粋に、ピュアに信じ込んじゃって文句をつけてくる人はいるのだろうけど、配信の全てが万全体制に監視されている私達の配信を過度に荒らそうものなら一瞬で永BANが待っている。ま、余程の事が無い限りそんなことされないんだけどね。
「何食べてるのって、そんな、まるで私が何か食べながら、配信をしているみたいに」
言い終わる前に出るテロップ。たまごサンドを食べています。の文字列。言わなきゃ見えないものを。
「お昼食べてないから許してほしい」
嘘だけど。昼前にケーキ食べてきたけど。
お昼ご飯は食べてないので嘘じゃないかもしれない。
さてこのようにダラダラゴロゴロしながらくっちゃべっていますと、スタジオの入口の方が何やら騒がしくなってきます。
まだマイクはその音声を拾っていないものの、異常は異常。
森山さんが手を挙げたので、「ちょっちトイレ~」と包み隠さず言う。「ちょっとは隠せ」とか「一応アイドルなんだからぼかせ」なんて言葉に手を振って画面からハケて、ミュート。蓋絵にする。
「何してんの」
「あぁ、ハコビー。来たんだ?」
「……別に、今ミュート中でしょ」
「万一万一」
オフィスの方が騒がしくなったのは、どうやら瀬里奈が来ていたから、であったらしい。
勤労意欲に溢れているコンビだね。
「バイトはいいの?」
「……」
「また"もう来なくていい"って言われた?」
「……デリカシーとか、ないの?」
「あったらこんなにコンビ続けられてないよ」
食べかけのたまごサンドを差し出す。
ゴミを見る目で拒否された。美味しいのにね。
「やってく?」
「そのために来た」
「いきなり配信始まって驚いた?」
「ゲリラ配信はともかく、ニ十分間何にもしない配信に苛立った」
そういえば、瀬里奈に謝ろう、とか思っていた気がする。
けど、その必要はないらしい。あるいはあるのかもしれないけれど、結論、私が謝ったところで彼女の中の何かが解決する、ということはないのだろう。
瀬里奈は更衣室へ入り、物の数分でモーキャプスーツに着替えて出てくる。
「ストレッチいいの?」
「別に、動くわけじゃないでしょ」
「いいならいいけどね」
案外。
案外、それなりの重さ、厚みのあるコレを着て三十分とか一時間を過ごすのなら、絶対にストレッチ……特に足を伸ばすなんかの運動はした方が良い、とは思うけど。
さて、撮影エリアにまた入る。
私と、そして夜風ハコビが映っている事を確認した後、蓋絵を取ってミュート解除。
「はーいプルウィアの長い方でーす」
「何の話?」
流れるコメントは「うわ読まれてた」「草」「ごめんなさい」とか。
セクハラですよー。
「で、ハコビ。歌リクいっぱい来てるんだけど」
「歌え、って?」
「適当にハモるからさー」
「はぁ……」
スタッフさんが書き留めておいてくれたリクエスト一覧を見る。
知ってるもの知らないもの、歌った事あるものないもの。
「……ちょっとウォームアップに私がハモりに回るから、メイン歌って」
「えーっ! 私だって歌ってないからウォームアップ必要だよ!」
「アンタは要らないでしょ」
むすっとした顔で、むすっとした声で。
何に怒ってるんだか。
「はいはい、えーと、じゃあ」
適当に、あんまり声を張り上げない奴で、がなったり絞ったりしない奴を選ぶ。
流石に寝っ転がってだと色々言われるので、あぐらをかいて。
あぐらをかいても私達の3Dモデルが崩れることはない。あぐらをかいたってスカート部分はビクビクしないし貫通しないしめくれあがったりもしない。
衣装の演算はウチが誇る
で、まぁそんなスタッフの血と涙と汗と鼻息の結晶を使ってあぐらをかいて、マイクを手に取る。
座りながら歌う、お腹が曲がった状態で歌う、なんて。
ま、本気で歌うワケじゃないし。
「ファールバウティ」
特徴的なイントロと共に流れる音楽は、ロック且つ少しばかり風刺的な歌詞の曲。
すごく叫ぶし、凄くハイトーンだし、凄くロングトーンな曲。
馬鹿を見る目で見てくるハコビなんて知らない。私の喉も肺もお腹も、いきなり激しい曲を歌う程度で傷んだりしない。
比較的おとなしく生きてきた私は、アウトドアもスポーツもほとんどしてこなかったけど、健康なのである。
「ちゃんとハモってね」
「わかってる」
その配信は結局最後まで歌枠で終わった。
「お疲れ様です。すみません、休日なのに……」
「いえいえ、と言いたい所ですが、これからは事前に言っていただけると助かるのは事実ですね……」
「ですよね」
多分超絶迷惑だったと思う。
やろうと思っていた仕事も出来なかっただろうし、使う予定の無いものを何か使ったかもしれないし。
主体性も計画性も無い奴が惰性で行動すると迷惑にしかならない、というのが証明されたわけです。
「お疲れさまでした」
「お疲れー」
また、特に何も言わずに帰ってしまう瀬里奈。
その背を追おうかどうかを迷って──やめた。
やっぱり、何かを言って、何かが進むとは思えない。何かが解決するとは思えない。
彼女は一人でなんとかできる。一人で飲み込んで噛み砕いて、どうにかして前に進める人間だ。私みたいにうじうじしていないし、誰かと喋っていないとどうにかなりそうになってしまうような弱い人間じゃない。
瀬里奈は。
「……また明後日。明日はちゃんと休むこと」
「あ、うん。……わかった」
彼女は、夕焼けみたいな目をして──少しだけ寂しそうに帰って行った。