姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★   作:磨己途

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108 ローラン・オースグリッド

 

 ローラン・オースグリッドは、その日も闘技場の建設予定地である広い空地へとやって来ていた。

 

 一週間前には、本当に何もない閑散とした土地だったのだが、事が決まると闘技場の建設準備が急ピッチで進められ、今はそこで作業する人々が集まる賑やかな場所と化していた。

 今日は昨日よりもさらに人足の数が増し、資材もあちこちに積み上がり始めている。

 

「やはり、叔母上は加減というものを知らんらしい」

 

 供も付けず一人で視察にやって来ているローランは、忙しそうに動く人々の様子を眺めながらそう独り()ちた。

 

 闘技場の建設を決めたのはジョセフィーヌだが、その建設業務や、完成後の運営の取り仕切りを引き受けたのはローランの叔母であるオリアンヌだった。

 

 新しいもの好きのオリアンヌは、王女からの提案を聞くと二つ返事でそれを承諾した。

 最初は名義だけ貸してもらえれば良いという打診だったのだが、乗り気となったオリアンヌは実際の運営と、さらには箱となる闘技場そのものの建設も自分でやると言い出したのだ。

 甘くみられたものです、と憤慨じみた言葉を口にしながらも、いたく上機嫌だったオリアンヌの顔を思い出す。

 

 決めた以上は何事も徹底的にやるのがオリアンヌの性分だ。

 それにオリアンヌはジョセフィーヌに対し、明らかに対抗心を持っているようだった。

 最初は単純に仲が悪いのかと思ったが、二人の付き合い方を見ていると、どうにもそうとは思えない節がある。

 最近はむしろ、オリアンヌはジョセフィーヌのことが大好きなのではないかとすら思う。

 ただ、面倒なことに、あの年若い叔母は、年下の幼馴染である王女から常に強く大きな存在として見られたいという欲求があるようなのだ。

 先日の合宿の件も然り。

 今回の闘技場建設の件も然り。

 とかくジョセフィーヌからの頼み事があると、オリアンヌの機嫌がすこぶる良くなることにローランは気が付いていた。

 

 今回も張り切ったオリアンヌは、とびきり機敏なところを見せてジョセフィーヌを驚かせてやろうと躍起になっていた。

 その結果がこれだ。

 いくら王からの許諾があるからとは言え、用地の選定から確保、設計、人や資材の調達までをこれほどの短期間でやってしまうとは。

 

 アークレギスからの帰り道にはまだ、王侯貴族の子弟たちの、ただの暇潰しの遊戯に過ぎなかったアイデアが、それからひと月もしないうちに、すでに形となって動き始めているのだから恐ろしい。

 

 また、オリアンヌの実務力もさることながら、ジョセフィーヌの行動力や影響力にも舌を巻く。

 

 大体、女ながらに男顔負けの剣の腕前を持つというだけでも驚きなのに、自分自身で魔法技術の調査を行ったり、遠くアークレギスにまで視察に出向くといったフットワークの軽さ。それに最近は王宮や王都の防衛計画にも口を出していると聞く。

 

 まったく、この国の女性というのは、どうしてこうも慎ましさといったものから縁遠いのか。

 

「どうした? お貴族様は今日も平民どもの働きにご不満か?」

 

 ローランが大きな溜息を吐いたところへ、顎の下あたりから生意気そうな子供の声がした。

 

「ちっ。逆だよ。形になるのが早過ぎて呆れてんの」

 

 ローランがそうぶっきら棒に返事を返した相手は、先日貧民窟でパトリックから財布を盗んだビッケという名の子供だった。

 ビッケは挑むような目でローランのことを見上げている。

 自分より遥かに背の高いローラン相手だというのに、負けじと胸を張って話すものだから、太々しいことこの上ない。

 対するローランの方は、肩肘の張ったその様子を微笑ましく感じる余裕があった。

 ひと月ほど前、ビッケと初めて出会ったときより随分血色が良くなったように見える。

 

「昨日はあんなに大声で怒鳴り付けてたじゃねーか」

「あれは、俺がそういう役目だから怒った振りをしたんだよ」

 

 建設現場の視察はオリアンヌからローランに申し付けられた新たな仕事の一つだった。

 ジョセフィーヌの外出があるときは彼女の警護が優先されるが、それ以外のときは頻繁に現場に顔を出して作業員がさぼらないように監督し、また、作業を阻害する問題を見つけたらオリアンヌに報告するように言われていた。

 

「貴族の大人でも我慢して本音を言えないことがあるんだな」

「馬鹿。そんなもん大人の方がよっぽどだ。子供の間はそのための修行をするための期間なんだよ」

 

 ローランがビッケの頭に付いたゴミ屑を払ってやろうとして手を前に出すと、ビッケは身を引きながらその手を払う。

 

「ん」

 

 自分の頭を()でさせる代わりに、ビッケはズボンのポケットから何かを掴み、ローランに向かって差し出した。

 

「何だ?」

「売上だよ。少ないとか言うなよ? 言われたとおり、儲けの二割だ」

 

「馬鹿。ひと月に一度でいいって言ったろ? 他の奴に見られるから、しまっとけ」

「……逆だぜ。こういうのは周りの奴らに見せた方がいいんだよ。俺たちがローランのおっさんの舎弟なんだって分かるだろ?」

 

 小さな手に握られた硬貨を前に、しばらく迷ったローランだったが、やがて諦めてそれを受け取る。

 

 ローランは何もこの浮浪児から小遣い銭を巻き上げているわけではない。

 これは言ってみれば委託した業務の正当な売上金だった。

 

 闘技場が建つこの周辺で力仕事が増えることを見越して、労働者相手に安くて手軽につまめる食い物を売り歩く仕事を言い付けてやったのだ。

 仕入れ先はここから少し歩いた場所にあるほどほどの大きさの飲食店。

 ビッケたち浮浪児を売り子として使うこと、という条件を含むその店との交渉には貴族の顔と信用を利用した。

 それ以外には大した手間も金も掛かっていない。

 ビッケには、仕入れに使うまとまった金を出してやる代わりに売上の二割を寄こすように言ってある。

 貴族のローランからしてみれば、一割すらいらない小銭なのだが、ちゃんと儲けを出してやれているのか分かるようにそう言ったまでだった。

 

「それに、丸々ひと月分の儲けなんて、俺憶えてらんねーよ」

 

 メモしとけよ、と言おうとしたが、相手が字の読み書きなどできるはずもない浮浪児であることを思い出してやめた。

 

「そういや、あのお姫様、学校を作るとかいう話もしてたな……」

 

 何でも平民向けに無償で文字や算術を教えるのだと言って、その建屋を作る計画を話していたことを思い出す。

 あの時は何を馬鹿なことをと鼻で笑ったが、ジョセフィーヌなら本当に実現させてしまうかもしれない。

 

「お姫様?」

 

 おっと、これはまだ内緒なんだったと慌てて誤魔化すように、ビッケの頭を乱暴に手ですいてやる。

 

「何でもねー。……お前もうちょっと身綺麗にしろよ。売上に影響するだろ?」

 

 身をよじってローランの手から逃れるビッケ。

 そのビッケの後方から、ビッケの仲間の子供たちが荷車を引いてやって来た。

 

「ローラン。また、剣術教えてくれよー」

「俺も俺もー」

「俺、剣取ってくるー」

 

 子供たちは、ここまで荷車で運んで来た売り物をほっぽって、資材が積まれた一画に向かって一斉に走り出す。

 じきに戻って来た子供らの腕には、ミタマ草の茎の束が抱えられていた。

 

「しゃーねーなー。その代わり一度に二人ずつだぞ? 遊びじゃなくて真剣にやれ」

 

 ローランは腰に下げた剣を鞘から少し出し、その刃でミタマ草の茎の先に傷を付けて子供たちに渡してやった。

 

 わざわざアークレギスから運んで来たこの不思議な植物は、子供たちにとって格好の遊び道具となっていた。

 斬られた場所に赤い汁が付くので勝敗が分かり易い。

 茎の太さや長さは子供たちが振り回すのに丁度良く、チャンバラ遊びには持って来いだった。

 ただ、大人が扱うには少々軽いので、闘技場で使うためには少し工夫がいるだろう。

 

「ほら、間合い間合い。間合いを意識しないと実戦ならとっくに死んでるぞぉ!」

 

 

 ローランがそうやって子供たちのチャンバラ遊びを見守り始めてしばらくが経った。

 お前らそろそろ商売を始めろよ、と声を掛けようとしたとき、この場にそぐわない陰気な風体の男がビッケの傍に近付いて来るのに気付く。

 大きな外套がそれを見えづらくしているが、腰には剣を下げているようだ。

 

 荷台の商品を確認して、これから売り歩きを始めようとしていたビッケがその男の影に気が付き顔を上げると、その顔があからさまに怯えた顔つきに変わった。

 他の子供たちも男の存在に気付くと、はしゃぐのをピタリとやめてしまう。

 

「マーカス……」

 

 離れていたが、ローランの耳には確かにビッケがそう呟くのが聞こえた。

 その名には聞き覚えがある。

 セドリックが話していた王宮襲撃犯のリーダーの名がそんな名前だった。

 だが、男の風貌は聞いていたものとは大分異なる。

 確か左眼に眼帯を付けた隻眼の男と言われた気がするが、ビッケの前に立つその男の眼は両眼ともしっかり開かれていた。傷を負っているようにも見えない。

 

「よう、ビッケ。聞いたぜ? 最近羽振りがいいそうじゃねえか」

「もうお前にアガリは払わねえぞ?」

 

「そう警戒すんなよ。お前らのケチな小遣いをせびろうってんじゃないんだ」

 

 そう言いながら男はビッケの小さな肩に重そうな腕を載せ、荷台から売り物のパンを手に取ってかじりついた。

 

「おい、お前。先に金を払ってやれ。そいつは施しじゃねーぜ?」

 

 ローランが二人に向かって歩み寄る。

 

「やめろ。ローラン。こいつは……、(つえ)ぇんだ」

 

 ビッケが鋭く、唸るように声を絞り出す。

 

「聞き捨てならねえな、ビッケ。どうも今のは、俺様よりもこいつの方が強いって言ってるように聞こえたぜ?」

 

 ローランはすでに剣の柄に手を掛けていた。

 

「おいおい。血の気の多い奴だな。ただ挨拶してただけじゃねーか」

 

 マーカスと呼ばれた男の方は、おどけた調子で手を広げてみせる。

 だがローランは、マーカスが中腰から立ち上がるまでの短い動作の中で、剣の柄に絡まった外套の裾を払うのを見逃さなかった。

 

「お前が今のこいつらの飼い主か? 別にお前さんから取り上げようってんじゃねえよ。昔からの馴染みなんだ。ちょっとだけ、俺の頼みも聞いてもらおうってだけさ」

「一体こんなガキに何を頼もうって言うんだ?」

 

「なあに、しばらく王都を留守にしてたもんでな。道案内でも頼もうかと……」

「はあ、王都を留守にねぇ……」

 

 マーカスの目が獲物を狙うように細くなった。

 左眼だけがより細く、ほとんど閉じかけるようになっている。

 まるでそれが、染み付いた癖ででもあるかのように。

 

「駄目だって、ローラン。こいつは、マジもんなんだ。王宮襲撃犯の、お尋ね者のマーカスなんだよ!」

 

 ビッケが叫び終わるより早く、ローランは鞘から剣を抜き、その挙動のまま刀身を横に払っていた。

 マーカスはその流れるような素早い動きに対し、とっさに右腕を立ててそれを受けることになる。

 

 だが、鳴り響いたのは腕の骨が砕ける鈍い音ではなく、硬い金属同士がぶつかり合う耳障りな音だった。

 マーカスは剣を抜くのが間に合わなかったのではない。

 始めから服の下に隠した手甲で防ぐつもりだったのだ。

 

 ローランがそれを理解したとき、相手はすでに左手に剣を持ち、反撃の動作に入っていた。

 自分の腕が陰となり塞がれた視界の下方から現れたマーカスの剣を、ローランは身をよじり、ギリギリのところで避けた。

 三歩、いや、四歩。

 ローランは体勢を立て直しながらその場を跳び退る。

 それが、相対する相手からの追撃を逃れるために、ローランが必要だと直感した距離だった。

 

「やるじゃねえか。貴族のボンボンかと思って油断したぜ」

 

 マーカスが剣を受けた右腕をブラブラと振りながら間合いを詰める。

 その距離からのローランの打ち込みぐらいなら容易に捌けるぞ、という威圧の意味もあるのだろう。

 

「おい、ビッケ。お()ぇ、まだ処世ってもんがなってねぇな。お陰で俺ぁコイツを殺して帰らなくちゃならなくなっただろうが」

 

 そう話しながらも、マーカスはローランから一切目線を切ることがなかった。

 右腕の痺れが落ち着くのを待って、マーカスがゆっくりと両手で構え直す。

 

 ローランは相手と自分の力量差を理解するにつれ、手足が固く強張っていくのを感じた。

 相手が剣を抜く動作が全く見えなかった。

 抜くのが速いという次元ではない。

 恐らく鞘に仕掛けがあったのだろう。

 いつでも使えるように準備されていたのだ。

 力量差……、いや、これは場慣れしていると言った方がいいか。

 こいつはきっと、おそろしく人を()()()()()()()

 

 今、周囲には闘技場の建設に駆り出された腕っ節の強い者たちが数多くいる。

 自分が一声叫べばこの王宮襲撃犯を取り囲めるはずだと思うのだが、ローランの貴族としての、いや、一人の剣士としてのプライドがそれを許さなかった。

 それに……、あの夜アカデミアの芝生の上で戦ったあの火傷の男……、聞けばあいつはこの賊の首領マーカスにも易々と打ち勝ったというではないか。

 

 この男を越えなければ……。

 

 マーカスの周りを旋回するように左へ二回跳ね、直後に一足で前へ踏み込む。

 ローランの上段から振り下ろされる刀身に、相手が剣を合わせる兆しが見えた。

 それが、セドリックとの稽古や、あの火傷の男との勝負で目に焼き付いた残像と重なる。

 

 その瞬間、ローランには自分の周囲の時間が普段の何倍にも弛緩したように感じられていた。

 この太刀筋では分が悪いと感じたローランは、一瞬で剣を引き戻すと、前に大きく踏み出した足を踏ん張って、後ろ向きに跳んだ。

 広がった間合いを利用し、再び勢いを付けて打ち込む。

 

 最初の踏み込みに釣られて僅かに持ち上がった相手の剣先の下をかい(くぐ)る刺突のような打ち込み。

 

 今度こそ確実に、マーカスの顔面を捉えたと思われたその剣は、ローランの研ぎ澄まされた感覚をもってしても追い切れないほど瞬間の、さらにその隙間の瞬間に、強靭な力で打ち払われていた。

 ローランの手を離れた剣が、宙を高く舞った───。

 

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