姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★   作:磨己途

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110 プリシラ・ベスニヨール 2

 

 芝居小屋の建設候補地は、そこから歩いて程近い場所にあった。

 

「酷い場所です。昼間なのにお酒の臭いがこんなに」

 

 エミリーが口元にハンカチを当てながら不満を漏らす。

 候補地にはかなり年季の入った酒場が建っていた。

 

「この酒場を潰して芝居小屋にしようって言うんだから、別に悪くはないんじゃない?」

 

 そうは言ったものの、長年染み付いた安酒の臭いは地面にもこびり付いているのではないかと心配になるほど、離れて立っていてもその臭気が漂ってきていた。

 

「どこからどこまでの土地を買い上げる予定なのか、ちゃんと分かってんの?」

「えっとー」

 

 そう言ってエミリーは小さな鞄から地図を取り出して広げる。

 

「あ! ちょっと待ってください」

「何?」

 

「場所を間違えました」

「場所? 場所はここで合ってるわよ?」

 

「そうではなくて、約束の」

「約束?」

 

「ああっ、駄目です。駄目。プリシラさんはここに居てください。すぐ戻りますので、帰らずに、絶対ここに居てくださいねー」

「えっ、えーっ!? ちょっと、用事があるならアタシも一緒に……」

 

 そう声を掛けたときにはすでにエミリーは遥か彼方。

 プリシラを置いて一目散に走って行ってしまっていた。

 自由過ぎる。

 さすがに唖然とするプリシラ。

 

 ……だが仕方ない。

 あの子を置いて一人で帰るわけにもいかないし。

 

 なんとか気を取り直したプリシラは周囲を見渡し、道沿いに並んだ背の低い石段を見つけ、そこに腰を下ろした。

 そして、用意周到に持参した鞄の中から、先日の盗難を免れた書物のうちの一冊を取り出し、それを読みながらエミリーが戻るのを待つことにする。

 しばらくすると、ここが往来の多い屋外であることも忘れてすっかり読書に没頭し始めた。

 

 ベスニヨール家に代々伝わる貴重な書の数々が盗難の憂き目に遭うとは、とんだ災難だったが、不幸中の幸いというか、当然の帰結というべきか。プリシラが予め、これは、と目星を付けた書物の多くは、アークレギスへの旅行中に読むために持ち出していたので難を逃れていた。

 

 今読んでいる本は一度通読済みの書であったが、他の本に書いてあった内容を頭に入れた上でもう一度読み直すと新たな発見も多い。

 それに加え、実際に魔法がありふれていた時代に生きていたユリウスから聞いた体験談だ。

 彼が語るミスティという少女が用いた精霊魔法の話は、ベスニヨール家が研究していた魔法体系とは掛け離れた独自色の強い魔法が数多く登場していた。

 もちろん、彼とジョゼの身体を中心とした世界規模の魔力の衰滅と回復という現象───いわゆる揺り戻し───の観察結果が得られている点も大きい。

 それらの知識も合わせて一族の研究記録を読むと、もしや今の自分が目にしているのは、先人たちもたどり着いていなかった精霊魔法の真髄と言えるものではないか、という気がしてくる。

 

 今こうしているときもそうだった。

 目では本の字面を追いつつも、プリシラの頭の中では、そこから派生する推論の数々が紡ぎ出されていた。

 ほとんど妄想と呼ぶにも等しい自由な想像の原野を次々に飛翔していく。

 その恍惚とするような境地を……、しかし、不意に、冒涜的なほど唐突に、邪魔する者があった。

 

「勉強熱心なことだな。お嬢ちゃんは、いつも外出するのに本を持ち歩いているのかい?」

 

 見ると、プリシラが腰掛ける石段の隣に、同じように腰掛ける老人の姿があった。

 まあまあの身なりであるが、着ている衣服の上等さでは覆い隠せないほど陰気な空気を漂わせる老人だった。

 まったく無礼なことに、老人はプリシラの肩越しに、彼女が読んでいる本の中味を覗き込んでくる。

 プリシラは、良いところを邪魔されたという苛立ちを目一杯表情に浮かべて老人を睨み付けた。

 

「どんな本を読んでおるのか、ワシにも教えてくれんか? 最近めっきり目が悪くなってのう」

 

 確かに目は悪いようだ。自分がこれほど睨み付けてもそれに気付かないのだから。

 心の中でそう悪態をつきながら読んでいた本をバシンと閉じる。

 

「邪魔だからあっち行って」

「年甲斐もなく短い間に相当な乱読をしてのう。目がしょぼしょぼする。誰か読み聞かせをしてくれる者がいればと思っておったのじゃ。お嬢ちゃん、お小遣いをやるから頼まれてくれんか?」

 

 目だけでなく耳も遠いようだぞ。

 これに読み聞かせをするとしたら、喉が枯れてしまうに違いない。

 お駄賃は相当弾んでもらわなければ。もしも、こんな不躾な老人の依頼を受けるのであればの話であるが。

 

「悪いけど他当たって。アタシは忙しいの」

「なに大丈夫、あとほんの数冊読めばいいはずなんじゃ。どうやら悪ガキが、肝心要の数冊を抜いていったらしくてな。どうしてもワシの知りたい内容に手が届かずに弱っておった。だが心配はいらんぞ? その数冊ももうじきに手に入る」

 

 話が噛み合わない。薄気味の悪い感覚。

 単に面倒な老人というのではなく、自分は気の触れた危ない老人に絡まれてしまったのか、という恐怖混じりの眩暈を覚える。

 

「…………」

 

 プリシラは無言で立ち上がると、鞄を担いでその場を離れようとした。

 そのとき、耳の後ろで老人の低く呟く声を聞いた。

 

 一瞬また、わけの分からない独り言を言っているのかと思ったが、ポツポツと断片的に聞こえてくるフレーズに引っ掛かりを覚えて思わず聞き入ってしまう。

 

 あっ。

 

 気付いたときには手遅れだった。

 老人が口にしていたのは人に害を為す呪詛(じゅそ)だ。

 

 慌てて走り出そうとした足がもつれる。

 平衡感覚を失ったように視界が右へ左へと傾斜し、真っ直ぐに立っていられなくなる。

 

 倒れる。

 そう感じたとき、ようやく身に迫った危険を明確に意識した。

 不思議なことに、そのとき真っ先に意識したのは自分自身の安全のことではなく、自分が手にした本のことだった。

 自分がここで倒れ、意識を失うということは、この本が奪われるということだと気付き、……怒りが沸いた。

 

 肩に掛けていた鞄が下にずり落ちる。

 鞄が地面に落ちる寸前。

 プリシラは掌に伝わる感触を頼りにそれを握り締めた。

 その紐を持ったまま、崩れそうになる脚を必死で踏ん張り、身体を思い切り回転させる。

 鞄は大きな弧を描いて後方の老人の頭に叩き付けられた。

 よろめく老人。

 

 プリシラはその鞄から手を離し、先ほど読んでいた本だけを胸元に抱えて走り出す。

 いや、本人は走っているつもりでも、実際はヨタヨタとした千鳥足で辛うじて前に進んでいるに過ぎなかった。

 

 

 老人───呪術士ダノンはそんなプリシラの後ろ姿に目をやりながら、足元に放り出された鞄の中身を探る。

 その中に目当ての物がないことを確認すると、鞄をその場に捨て置きプリシラの後を追い始めた。

 その時点でダノンとプリシラの距離は、十数歩といったところだ。

 相手は呪術によって酩酊した小娘。

 十分追い付ける距離だという確信があるのでダノンに焦りはなかった。そこに予期せぬ邪魔が入るまでは。

 

 足早に、だが悠々と少女との距離を詰めるダノンの前に立ちはだかる二つの人影。

 彼らはジョセフィーヌがプリシラを警護するために、遠巻きに配していた王宮の兵士であった。

 ダノンが眉間にしわを寄せる。

 男の一人が老人の腕を取ろうと手を伸ばす。

 体格差は歴然。男たちは平民の装いであるが帯剣もしていた。

 対してダノンは丸腰の老人である。

 

 それはダノンにとって思わぬ妨害であったが彼には備えがあった。

 二、三歩後退り距離を取りつつ、懐からサッと小瓶を取り出す。

 ダノンは手元のそれに目をくれ、一瞬惜しむようなためらいを見せたが、すぐにそれを二人の足元に投げ付けて割った。

 そこから僅かに白い煙が立ち昇って消える。

 ダノンが袖口で口を覆いながら何事かを呟くと、彼を取り押さえようと迫っていた男たちの足が止まった。

 

 ほんの数瞬のことだ。

 男たちは二、三度頭を横に振った後、それぞれ前に突っ伏すようにゆっくりと崩れ落ちた。

 ダノンは足の先で男たちをつつき、目論見どおり相手を昏睡させたことを確認すると、それを(また)いで再びプリシラの後を追い始めた。

 

 視界の先には、人混みの中、すれ違う相手と何度もぶつかりながら、それを掻き分けるように進む野暮ったいローブ姿の小柄な娘が見える。

 傍目には重度の薬物中毒者のようにも映ることだろう。

 あれでも当人は全力で逃げているつもりなのだ。

 思わぬ邪魔が入り多少距離は開いたものの、その姿はしっかりと視界に捉えている。

 老人の足であっても、あれに追い付くのは容易い仕事に違いないと、ダノンは余裕たっぷりに口元を歪ませた。

 

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