姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★ 作:磨己途
廊下を少し進むと、十字になった通路の左右いずれもに二階へと伸びる階段が見えた。
さすが王都でも有数の大貴族の屋敷とあって無駄に広い。
全体像は見えないが、下手をすると王宮の本館と同じぐらいの大きさがあるのではないか。
俺は、さっきの男に二階のどの辺りか、というところまで聞いておくべきだったと後悔しつつ、十字路を左へと進んだ。
当てずっぽうだが、先ほど扉を破る大きな音を立てても誰も飛んで来ないため、最初にいた部屋からより遠ざかるようにしたのだ。
階段の下まで行くと、上の方から大勢の男たちの話し声が聞こえてきて、自分の選択が正しかったことを直感する。
『ッ……! ユリウス、急いで!』
「分かってる」
野太い男たちの声の中、微かに聞こえた細い女の悲鳴にザワリと毛が逆立った。
俺は足音を忍ばせることを諦め一気に階段を駆け上がる。
胸が締め付けられるように痛い。
平常を保たねばと思うのだが、心臓の鼓動は、その意思に反して沸き立つように脈打っていた。
男たちの粗野な喧騒が徐々に個々の声へと
「……早く剥いちまえよ!」
「ばぁか! 剥いたら意味ねーだろ? 折角、上等なドレス着てるんだから」
「なぁ、一階のあの女は駄目なのか?」
「駄目駄目ぇ。あっちはマジモンのお姫様だぞ? 俺たちなんかに回ってくるかよ」
階段を上り切った先。
扉が開け放たれた一室から、あふれ出るようにゴロツキたちがたむろしていた。
部屋に入りきれなかった者たちが、中で行われている卑劣な行為を品評しながら覗き込んでいる。
頭に血が上る。
走り込む勢いは緩めず、部屋の前の、最も外側に立っていた男とすれ違いざまに、剣を横に振り払って切り付けた。
手応えはあったが、その男がどうなったのか確かめるつもりも、その余裕もなかった。
切った後で、外野に構っている場合ではないと思い直す。
ゴロツキどもの背中を押し退けて部屋の中へと押し入った。
最初に斬った男の周りの者たちがようやく異変に気付いて騒ぎ出した頃には、俺は既に部屋の中に入り、ベッド上で組み敷かれているアンナの姿を視界に捉えていた。
今にもアンナに手を掛けようとしている一人の暴漢。
俺は一直線に駆け寄ると、その男の首筋に後ろから剣を突き立て、力任せに斬り払った。
鮮血が散り、ベッドのシーツを赤く濡らす。
俺の身体に巻かれた白い包帯の上にも、幾つもの斑点を作った。
アンナに背を向け、ゴロツキたちに対し剣を構える。
浮かれていた部屋の空気が凍り付いた。
この数は……不味いかもな。
流石に身震いを禁じ得ないが、激情に任せた自分の行動には少しの後悔もなかった。
ただ、間に合って良かったと思った。
そして、是が非でもここを切り抜け、アンナを無事に連れ帰るのだと、剣を握る拳に力を込める。
流れるように三度剣を振ると、近くにいた男たちが三人倒れた。
だが、不意打ちが効いたのはそこまでだった。
事態を把握した男たちが次々に剣を抜き、斬り掛かってくる。
俺はそれに必死で応戦する。
いや、守勢に回っては駄目だ。
時間を掛けていてはこちらに分がない。
しっかり受けて返せばいずれも勝てない相手ではないが、狙い澄ました一撃を窺っている内に、一人で全員を相手にしなければならないこちらの方が先に疲弊してしまうだろう。
常に動き回って、相手に先んじて剣を振った。
なるほど、こういうことかと父上の言っていたことがストンと腑に落ちる。
たとえ何十人相手でも息を切らせずに戦うだけの体力を養ってきたつもりだったが、実際にこれだけの人間の───、彼らが手にする剣の圧を前にすると嫌でも実感する。
普通に立ち回っていてはとても体力が持たないと。
だが、そんなことを考える余裕があったのも最初のうちだけだった。
八人ほど斬ったところで、さらに視野が変わった。
剣が、頭で考えた動きではなくなる。
目で見て動く。
それだけだ。
それは長年の鍛錬によって身体に染み付いた動きしか許されない極限の反応。
条件反射の繰り返しだった。
俺がこれまでに積み上げたものが、俺の命を繋いでいた。
最小の動きで避け、剣を振り、相手の身体の後ろに回り込む。
混戦の中、他人の身体は自分の身を守る盾となった。
俺が斬り付ける場所は自然と、相手が意識して守りを固める身体の急所ではなく、剣が届き易い手足を狙ったものが多くなっていく。
負傷し、ガードが下がった者から順に、喉を突き、頭を叩き割っていく。
そうして、五体満足でいる者が減り、床を這いずる者が増えていった。
息が上がる。
振り向くと、肩で息をする俺に向かって渾身の剣を振り下ろす者がいた。
すでに俺の疲労は限界に達し、剣を持つ腕はろくに持ち上げられなかった。
ローランと最初に立ち合ったときと似ているな。
高い位置から自分のことを見下ろしているかのような意識があった。
そんな、どこか超越したような境界に意識を奪われながらも身体は自然と動いていた。
タンッと床を強く蹴り相手に向かって跳躍する。
限界まで姿勢を低くし、相手の剣をかい潜る───。
一瞬気絶していたのかもしれない。
当然手にあったはずのその感触を何も覚えていなかった。
気が付くと俺の剣は、相手の身体に深々と突き刺さっていた。
真横に薙ぎ払った刀身が脇の下から相手の胴に食い込み、背骨の近くで止まっていた。
これは駄目だな……。
俺は男の身体から剣を引き抜くのも億劫になり、握り締めていた柄から手を離す。
男はそのまま前のめりに突っ伏し、俺の足元に倒れた。
どうやら、それがまともに動ける最後の男だったようだ。
見回すと、立っている者は誰もいなくなっていた。
部屋中が血に染まっていた。
真っ白だった俺の包帯も、相手の返り血で真っ赤に濡れ、そこから滴り落ちるほどだった。
いや、返り血ばかりではないか。
腕や足に新しい切り傷や痣が増えている。
そう言えば背中も痛い。
いつどうやって斬られたかも覚えていないが、流石にこれだけの人数を相手にするのに無傷ではいられなかったらしい。
俺は身体の緊張を解き、ベッドの上のアンナを振り返った。
血まみれの俺に目を向けられてアンナがたじろぐ。
「歩けるか? 急いでここを離れよう」
「あの……、貴方は……?」
アンナは一旦、自分を助け起こすために差し出された手を見たが、その血みどろの手を取ろうとはせず、ベッドの上で後退る。
それはそうか。
そう思いながら手に付いた血をズボンで拭う。
アンナにとって俺が見ず知らずの男だというのもあるが、これだけの暴力を目の前にして無警戒な女がいるとしたら、その方がどうかしている。
「ジョゼに……、ジョセフィーヌ様に代わって、君を助けにきた」
「……ジョセフィーヌ様……? お名前を、お聞かせください」
完全に気を許したというわけではなさそうだが、それでも他に道はないと観念したのか、アンナがおずおずと俺の手を取る。
名前……、名前か。
それで彼女が安心できるのなら───。
「……ユリウス。俺の名はユリウス・シザリオン。君を守る者の名だ」
俺がそう言った瞬間、アンナはハッと息を飲み、冷たく震えていた手が固く結ばれ、俺の手を握り返してきた。
その瞳に力が宿るのを見て取った俺はひとまず安堵する。
腕に力を込めてベッドの上にへたり込んでいたアンナを立ち上がらせる。
彼女が着衣の乱れを整えている間に、俺は床に落ちている物の中から手頃な剣を拾い、そして部屋の外へと向かった。
床に転がっている者の中には、まだ息のある者も多いが、いちいち止めを刺してもいられない。
『凄まじいわね……。これ、もしかして最初からユリウスを一人で送り込んどけば解決してたんじゃない?』
「そんなわけないだろ。簡単に言うな」
「え? 何ですか?」
ジョゼに返した言葉をアンナが聞き返してきた。
「あ、いえ、何でも……。こっちのことです」
「あの……、助けていただいた身で申し上げ辛いのですが、貴族のお屋敷でこれだけのことをして大丈夫でしょうか? 姫様のお立場が悪くなるようなことは……?」
「心配には及びませんよ。所詮こいつらはゴロツキです」
それに、これは全部百年前の亡霊がしでかしたことだ。
足など付きようがないだろう。