姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★   作:磨己途

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119 走るわよ、アンナ!

 

「フォーァッ!」

 

 これまで相対していた男が崩れ落ちたのを見た途端、マーカスは堪らずに奇声を発していた。

 

「あっぶっねー! なんだこの化け物はよぉ、なぁっ!? ……おい、おっせぇよ! 死ぬとこだったぜ、なぁ爺さん!」

 

 興奮と怒り。

 そうすることで自分を落ち着けようとするかのように、マーカスはその場をうろうろと忙しく歩き回りながら大声で怒鳴り散らす。

 

「自分で殺ると息巻いておった癖に。口ほどではないな」

「馬鹿、おめー。あの動き見ただろうが。あんなもん規格外だよ」

 

 マーカスは改めて多数の斬殺死体が転がる部屋の中に目を向けると、ようやく落ち着きを取り戻して溜息をついた。

 あれだけの人数と斬り合いをした直後にあそこまでの動きができるということが、マーカスの力量と経験をもってしても信じ難い話だった。

 もしも、万全の状態のこの男と相対していたらと考えると肝が冷える。

 

「おい。助かりそうな奴は手当てしてやれ」

 

 後ろで突っ立っている部下にそう指示を出し、自身は廊下の真ん中で倒れている血だらけの男に歩み寄る。

 目線の先には先ほどから立ち尽くしたままのアンナの姿もあったが、そちらには全く関心が払われていなかった。

 マーカスにしてみれば、そもそもジョセフィーヌを手中にした時点でアンナは用済みであった。

 だからこそ、不満を口にし始めた部下たちに払い下げてやったのだ。

 

「この男は一体何者なんじゃ?」

「知らねーよ。けど、折角だ。ふん縛って正体を吐かせるか……」

 

 そう言いながら膝を突き、正体不明の男の髪をつかんで上に持ち上げる。

 

 貴族の子弟だろうか?

 腑抜け揃いと聞いていた貴族の中に、とんだ腕の立つ者がいたものだ。

 

 そのとき、血まみれになった瞼で塞がれていた瞳がギロリと開き、マーカスを睨みつけた。

 虚を突かれ、一瞬怯んだマーカスの顔面に渾身の拳がめり込む。

 左眼にそれをまともに食らったマーカスの身体が後方に転がって倒れた。

 

「アンナ! 走るわよ!」

 

 追い越しざまに名前を呼ばれたアンナは、一瞬立すくんだものの、この場に置いて行かれては堪らないとばかりに、すぐに男の後を追い掛ける。

 

 マーカスが眼を押さえながら顔を上げたときには、二人はすでに遠くに走り去っていた。

 

「……おい! どういうことだ!? 全然効いてねーじゃねーか!」

「馬鹿な……!? そんなすぐに目を覚ますはずは……」

 

 ダノンはうろたえているだけだった。

 とっさに想定外のことが起こると、こいつはてんで役に立たない。

 立ち上がろうとしたマーカスの身体がグラリとよろめく。

 今の一撃が相当堪えたらしい。

 そのまま両腕を前に突き、両目をつぶってうなだれた。

 

「何してる……、お前ら。追え! 無理に戦わなくていいから大勢で囲め!」

 

 マーカスが叫ぶと、部屋の中で仲間を介抱していた手下たちが慌てて戻ってきた。

 いつの間にか姿の見えなくなった二人と、這いつくばったまま前方を指差すマーカスを見て事態を察し、ようやく二人を追って駆け出す。

 

 畜生、このジジイとつるむようになってから、どうにもケチの付き徹しだぜ。

 こりゃあ……、俺も潮時かもしれねぇな。

 

 廊下の先に遠のく足音を聞きながら、マーカスは、またしても遅れを取った自分の今後の身の振り方について考え始めていた。

 

  *

 

 一方のユリウス……、いや、ユリウスの身に宿ったジョセフィーヌには、してやったという実感はない。

 不意を突き、ユリウスの強靭な肉体を頼みに全力で放った拳は、彼女の想像を遥かに超える威力で相手を打ちのめしはしたが、自分にユリウスのような超人じみた技量がないことはよく心得ていた。

 相手が混乱をきたしている隙にどれだけ距離を稼げるかが勝負なのである。

 

 だが、右太腿にある、肉をえぐるような強烈な痛みによって、その気持ちが早くも萎えそうになる。

 実を言えば脚だけではない。

 ユリウスが気を失い、彼女が身体の主導権を握った瞬間から、全身に焼けるような痛みを感じていた。

 さっきの大立ち回りの際に斬られたであろう手足の傷だけでなく、背中全体に広がる火傷の痛みもそうだ。

 身体に刻まれた無数の傷が、尋常ならざる狂暴さでジョセフィーヌの心を食い破ろうとしていた。

 ユリウスはこんな痛みの中で戦っていたのかと、ジョセフィーヌは彼の不屈の精神を今さらながらに思い知るのだった。

 

 まったく、我慢強いにもほどってもんがあるでしょうに……!

 

 だがそれでも、そう思うジョセフィーヌにしたところで、今この場で痛みに屈し、足を止めるわけにはいかないのだった。

 彼女が単身でこの屋敷に乗り込んだのは、自分(ジョセフィーヌ)であれば、捕まったとしても命の危険はないという確信があってのことだった。

 しかし、自分の姿がユリウスになっている現状ではそんな保障は一つもない。

 あれだけの数の仲間を殺されているのだ。彼らはユリウスのことを決して許さないだろう。

 自分やユリウスが倒れれば、残されたアンナだってどうなることか……。

 

 だから、ここで足を止めるわけにはいかないと、ジョセフィーヌは歯を食いしばって耐える。

 耐えて走り続ける。

 

 ユリウスの言っていた大義というものが───彼の見ていた視野が、その世界が、本当の意味で分かった気がする。

 泣き言や、わがままなんて言ってられない。

 自分がなんとかしなければ。

 全部自分の立ち回りに懸かっている。

 ユリウスの命も、アンナの命も、今の私が背負っているんだ……!

 

 痛みを堪え、グリュンターク家の広い屋敷の中を逃げ回りながら、ジョセフィーヌは彼女の手にある“切り札”の出しどころを考えていた。

 本当に期待どおりに働くかどうかも怪しい切り札だが、ジョセフィーヌにはそれが最も効果的に働くタイミングが必ずあるはずだという運命めいた予感があった。

 

 そのためには時間を稼がなければ。

 できれば、それまでどこかに身を隠して……。

 

 そんなことを考えながら、ユリウスの姿のジョセフィーヌは、長いドアの突き当りのドアに体当たりをするようにして、その先の部屋へと飛び込んだのだった。

 

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