姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★   作:磨己途

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130 別れのとき

 

 その日、澄み渡った青空の下、俺たちはアカデミアの広大な庭に集まっていた。

 青い芝生の海の中に浮島のように造られた大理石のテラスの上には、綺麗に整えられたお茶会の席が用意がされている。

 ただし、今そこに座っているのはオリアンヌと、彼女の取り巻きの女性数人だけ。

 彼女らは足元を汚したくないとかで、そこで優雅に寛ぎながらこちらを眺めていた。

 あまり近くに大勢いられても困るので丁度良い。

 

 俺やエミリーは、そこから大分離れた芝生の中央付近に陣取り、先ほどからプリシラが行う精霊魔法の実演を間近で見物していた。

 セドリックたち男性陣はそこから若干距離を取り、俺たちを囲むようにして見守っている。

 

 的に向かって放たれるプリシラの火線の魔法は、明るい陽の光の下でもはっきり視認できるほどの威力で振るわれていたが、俺があの夜、アークレギスで見た魔法に比べればまだまだ細く弱い。

 射程や精度にしたところで、訓練した弓には遠く及ばないだろう。

 備えのない者を相手にする場合や、局所的な運用であればともかく、実戦であてにできる戦力として運用するのは難しそうだった。

 

「魔力量は足りそうですか?」

「やってみないと分かんないけど、安定してるし大丈夫でしょ」

 

 プリシラが書架の上に置いた本をめくりながら口元で呟くと、今度は何もない宙から手桶一杯分ぐらいの水が現れ、そのまま地に落ちた。

 するとその場所から、まるで植物が芽を出すように、うねうねと何かが這い出してきた。

 

 これはプリシラの魔法によるものではないな。

 精霊だ。

 

「うぉっと。またこいつ!?」

 

 全身緑色の細い蔦のようなもので覆われた赤子ほどの大きさのそれは、湧いて出た場所からコロコロと転がり、プリシラの足元にすり寄って来る。

 それを避けようとして後退るそばから追いかけてくるので、それを踏んづけまいとしてプリシラが倒れそうになる。

 

「素質があるのかもしれませんよ? ミスティもそんなふうに精霊たちから慕われてましたから」

「慕われてんの、これ? 邪魔してるんじゃなくて?」

 

 アカデミアを主催するオースグリッド邸は、俺でも微かに感じられるほどに、濃密な魔力で満ち始めていた。

 百年前のアークレギスにあった魔力量には及ばないが、精霊が現れる頻度に関しては、あのときにも引けを取らない。

 おそらく魔力が満ちている範囲が狭いために、人に目撃されることも多くなるのではないだろうか。

 

 結局、どこにどんな仕掛けがあるのかまでは調べられなかったが、この旧ベスニヨール邸の敷地には、確かに魔力を吸い寄せ蓄えておく仕掛けが施されているらしい。

 ジョセフィーヌの身体の内側から湧き出た魔力は、周囲に拡散しながらも、やがてすり鉢の底に溜まるようにして、この場所に集まってくるのだ。

 

「お姉さま。この子、意外と可愛いくないですか? あ、ほら、立ち上がった。まあ! 赤ちゃんみたい」

 

 エミリーは緑色の精霊に手を近付け、人間の赤子というよりもまるで犬猫を相手にするように、チッチッチと舌を鳴らして遊んでいる。

 

「プリシラさん。今さらですが、本当によろしいのですか?」

「何が?」

 

「魔力や魔法技術の復活は、ベスニヨール家の悲願だったはずです。反転の魔法を使って、事が想定どおりに運べば、今ここに満ちている魔力も失われてしまうかもしれないのでしょう?」

「いや、それは本当に今さらだよ。私がよろしくないって言ったらどうするの? 諦める?」

 

「……私は、お願いするしかありません」

「ほら、ずるい。そんな顔でお願いされたら断れるわけないって」

『プリシラのことは任せて。魔力が消えてなくなったとしても、王宮の魔法室は絶対に復活させるから。彼女の家の貴族の爵位も』

 

 そういう問題ではなく、プリシラにとっては今のように魔法の術を実践できる環境が失われることが、計り知れない損失であろうと思うのだが、俺がそれを言う資格はないだろうと思い口をつぐむ。

 例え何を犠牲にしても、百年前のアークレギスに戻らなければと考えているのは、他ならぬ俺なのだから。

 

「どうする? もう大分温まったし、いつでも行けるけど?」

 

 プリシラがブンブンと腕を振り回しながら言った。

 

「もうですか? そんな簡単に? いきなりやってできるものなのですか?」

 

 離れのあの部屋で、床いっぱいに紙を敷き詰め、大量の呪文のようなものを書き出していた様子から察するに、これから試すのは相当複雑な魔法式のはずだった。

 

「できるかどうかは、やってみないと分からないよ。でも試してみないと、永久に分からないままじゃん」

 

 それを聞いて気持ちが改まる。

 十分覚悟はしてきたはずだが、いざ、そのときが来たとなると心残りは多かった。

 

 最初に目が合ったのはセドリックだった。

 彼に向かって背筋を伸ばし僅かに会釈をする。

 セドリックとはもう一度、今度は万全の体調で、互いに得意な剣を手にして立ち会ってみたかった。

 だが、それは過ぎた望みだろう。

 セドリックと二人でこの芝生の上を駆けた、あの夜の出来事を思い出しながら背中を向ける。

 

 今度はカップを片手に優雅に寛ぐオリアンヌと目が合う。

 あの日彼女と交わしたユリウスに会わせるという約束も、結局果たせず仕舞いになった。

 そのことを詫びる意味も込めて遠くから頭を下げた。

 

 続いてローランとパトリックにも。

 ローランには、初めて会ったあの日、女性の身であることを利用して勝ち、恥をかかせてしまったことをもう一度心の中で詫びる。

 出会ったときの印象こそ最悪だったが、率先して貧民窟の子供たちの面倒を見る情の厚さなど、彼のそういった好ましい部分が伸びていけば良いなと思う。

 

 パトリックからは、グリュンターク家での騒動の後、彼の家に伝わる大義の教えについての(いわ)れを聞いた。

 先代のパトリック───俺の幼馴染であるパトリックが、故郷の親友から聞いたという教えは、パドメア家に代々引き継がれ、今のパトリックの世代にも息づいていた。

 俺が幼い日に母上から授かった遺志が、友の家系を通じ、百年後の今にも伝わっていることは俺を大いに勇気付けた。

 俺たちが生きた証はこれからもこのミザリストの地で続いていくはずだ。

 

「急ぐんでしょ?」

 

 名残惜しむ俺に向かってプリシラが再び声を掛けてきた。

 

 そうだ。急ぐ。

 俺は一刻も早くアークレギスに戻って、ミスティたちを救わなければならない。

 

 百年前と今とで、どれほど時間の進みが異なるか分からないが、ここで躊躇(ためら)っている時間が、もしかすると勝敗を分かつかもしれないと考えると、もはや僅かな会話の時間すら惜しいほどだった。

 

「お姉さま?」

 

 俺とプリシラの間にある張り詰めた空気を察したのか、エミリーが気遣わしげな表情で立ち上がった。

 俺はエミリーに向かって歩みより、そっとその手を握る。

 

「エミリー。貴女には本当に助けられました」

「どうされたのですか? 改まって。まるで、どこかに行ってしまわれるよう……」

 

 エミリーが眉尻をさらに下げる。

 

「大丈夫ですよ。貴女が大好きなジョセフィーヌはずっとここにおります。ただ、ちょっと記憶が混乱するかもしれないから、また、私のことを助けてね」

「…………?」

『大丈夫よ。しっかり違和感なく引き継ぐから心配しないで』

 

 まあ、不審がられるのは避けられないだろうなと思う。

 だが、ジョゼならおそらく大丈夫。

 持ち前の要領の良さで、なんだかんだ上手い具合に収めてしまうに違いない。

 

『それより、あれ出して。ちゃんと持って来てあったわよね?』

 

 ジョゼに言われて俺は、紐を通して首から下げていた木工細工のレリーフを掴んで視界に入れてみせた。

 掌に収まるサイズの丸く切り抜かれた厚い板には、流麗な彫刻が彫られている。

 レリーフの構図はミタマ草に囲まれた丘に立つ大きな樹木。

 金属類は転移させられないだろうという前提で、それならと考え、ジョゼが作図した下書きをもとに、王宮御用達の職人に大急ぎで彫らせたものだ。

 俺が向こうに戻り、無事に生き残ったことを知らせるための証とする約束だった。

 

 首から外したそのレリーフを一旦プリシラが使っていた書架台の上に置く。

 

『失敗したら許さないからね』

「ああ、任せろ」

 

 すでにジョゼとは長い夜を使って十分語り合ってきた。

 だから、この期に及んでそれ以上話すことはなかった。

 

 俺が合図するとプリシラが詠唱を始めた。

 プリシラを中心にして魔力が高まっていく。

 あのときと同じだ。

 ミスティが自分の身体に魔力を蓄え込んだ、あのときと同じ気配が感じられた。

 苦しそうな表情を見せるプリシラ。

 

「ヤバいわね。これ。魔力が濃い場所で使うと半端ない」

「プリシラさん!? 大丈夫ですか? 何だか苦しそうです」

 

 事情を聞かされていないエミリーが、プリシラと俺の方へ交互に目をやって慌て始める。

 

「即興で時空を超える魔法組み立ててみせるのも凄いけど、ミスティって子の何が凄いって、やっぱこれね。こんなふうにして魔力を凝縮する発想、頭の固い王都の学者たちじゃ絶対に思いつかなかったはずよ」

 

 プリシラに負担を掛けるわけにはいかない。

 俺は打ち合わせどおり、すぐに小声で合図を送った。

 

「ジョゼ。頼む」

 

 一拍置いて周囲が(まばゆ)い光で包まれる。

 俺とプリシラは予め目を閉じ備えていたが、それ以外の皆は驚いて顔を背けることになる。

 悲鳴を上げる者もいる。

 

「ミスティに伝えなさい。百年後の未来にも、あんたに負けないくらい凄い魔法使いがいるんだって」

「分かった。伝える」

 

 力強く応える俺───ユリウスの声。

 

 俺が書架台の上に置いたレリーフを掴むとプリシラが続きの詠唱を始めた。

 収まりかけていた光が再び輝きを強め、俺も目を開けていられなくなる。

 そして、プリシラの魔法が発動した───。

 

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