姫ティック・ドラマチカ ★辺境剣士による正体隠匿系謎解き王宮戯曲★ 作:磨己途
『綺麗ねー』
ジョゼがそう言うので、俺はもっとこの景観を見せてやろうとして周囲をゆっくり見回した。
「お気に召しましたか?」
「ええ。とても雄大な景観ですね。アークレギスの近くにこれほどの湖があるとは……、知りません、でした……」
ただの感想を述べたつもりだった。
自分の生まれ育った故郷のすぐ近くに、こんなに大きく美しい湖があったことに驚き、その発見にただ無邪気に喜んでいた。
だが、改めて喉を通し、声に出してみると、急にただならぬ不安に駆られた。
本当に、これだけの湖があることを近隣の村に住む俺が全く知らなかった、などということがあり得るだろうか……。
砦村自体、山のかなり高い位置にあり、見張り台の上まで上れば周囲の深い森の先まで見通すことができた。
多少離れていようと、これほど大きな湖であれば必ず目に付いたはず。
何らかの理由で村人全員からその存在を隠匿されていた?
ありえない。一体何のためにそんな必要があるというのか。
あるいは、これがまさに、今アークレギスに起きている未知の問題の元凶なのではないか?
まさか、隠されていたのはこの湖ではなく、砦村の方……?
この湖と同じく、俺の知らなかった高級娼館のことも頭をよぎった。
自分の中にある記憶の欠落。
王宮の一室でジョセフィーヌとして目覚める直前にあったはずの出来事。
その中に、この湖に関する事柄も含まれているのだろうか。
まるでジョゼが時折冗談めかして言う奔放な空想のような、ありえない推論の数々が頭に浮かんでは消えていく。
それぐらいの突飛な説明を必要としていた。
この巨大な湖の存在は、それくらい俺の知る常識を逸脱するものだった。
何かがおかしい。
何かが噛み合わない。
「アークレギスは……、ここからアークレギスはまだ遠いのでしょうか?」
得体の知れない不安を払拭すべく、俺は向かい合って座るパトリックに詰め寄った。
俺の目測違いで、砦村は本当はまだまだ遠く、ここが俺たちの生活圏外であったのならまだ理解できる。
なにしろ俺の耳目や関心は、およそ砦村の外を出ることがなかったのだから。
「遠いというか……、ここがもうアークレギスですよ」
困惑した表情で答えるパトリック。
「?……そうではなくてですね。あの、砦村……、アークレギスの砦村はどの方向に?」
「砦村?」
パトリックの口から出た
一瞬立ち
気分が悪い。
呪術による病苦とは全く異質の
絶望の苦い味が舌全体を覆っていた。
「きゅうか……、旧家の墓参りに、来られたのでは……?」
ボートの
昔から冗談を言うのが好きな男だったが、今のパトリックからはそんなおどけた雰囲気は微塵も感じられない。
深刻そうな、何かに怯え、焦っているような表情を浮かべていた。
その顔を見て俺もさらに不安を募らせる。
「大丈夫ですか? ジョセフィーヌ様。顔色が……。これはマズい! 急いで岸に戻りますのでお気を確かに」
『ユリウス!? 大丈夫? なんかフラフラしてるわよ?』
心配には及ばないと見せるために、俺はボートの縁に寄り掛かり、懸命に背筋を伸ばして見せた。
「教えてください。大事なことなのです。パトリック様は祖先の墓があるアークレギスに久しぶりに帰郷されたのですよね?」
「え、ええ。俺の家系はもともとこの土地の出自で……。ああ、そうです。砦があったんです。
パトリックが指差した方角に首を回す。
遥か遠い対岸。
湖のほとりにある、小高く盛り上がった曲線に目が留まった。
群生したミタマ草に周囲を覆われた丘の上には、一本の高く大きな樹木が根を張り、多くの枝葉を繁らせていた。
「詳細は伝えられておりませんが、
パトリックのその説明を聞きながら、俺は今度こそ意識を保つことができなくなった。
まるで舟底に穴が空き、深い湖の底へと果てしなく沈み込んでいくような……。
そんな感覚に飲まれていく自分を感じながら俺は意識を失った。