路上での勝負ではあたしが余裕で勝利した。キングヘイローに肉薄することさえ許さなかった。
彼女も急に加速して抜こうとしたりと工夫しているようであったが、何も問題にならなかった。
「はあっ! はっ、はあっ……くっ!」
「……ふぅ、あたしの勝ちだね」
キングヘイローは肩で息をしていた。
「あなたは……っ、いったい……」
最初からこうなることは予測していたので何とも思わなかった。この時期のクラシック級のウマ娘にあたしが負けるはずないのだから。
この勝負は単なる走るスピードだけの話だ。その他の要素は何もない。キングヘイローよりキタサンブラックが速かっただけの話。あたしより速いなら皐月賞なりダービーなり勝てているだろう。
……分かっていたこととはいえ、想像を超えてこないキングヘイローのスピードには少し残念に思った。
しかしながら、実はスピードよりも知りたいことがあった。それを今から試してみることにした。
「どうする? コースでまだやる? あたしはまだまだ大丈夫だよ」
あたしが知りたかったのは、彼女がこの程度で諦めないかどうか。その素養を備えているかどうか。
おそらく実力の差は今ので理解しているだろう。それを理解した上で、あたしに勝負を挑んでくるかどうかが知りたかった。諦めない意志、不屈、ハングリーさと呼ばれるものが彼女にあるのかどうか。彼女のメンタリティを見たかったのだ。
……でも、これが不屈やハングリーさに直結しているかどうかは正直分からない。あたしにバカにされ、無理な勝負を吹っ掛けられているだけなのだから、冷静なウマ娘ならこんな勝負に意味はないと突っぱねるのが普通なのかもしれない。
彼女は自身の高いプライドを刺激され、勝負を挑んでいるだけの可能性が高いのだと思う。それか本当にトレーナーさんのことについて知りたいか。
この勝負に乗らないからといって、諦めない心や不屈さが無いとは言えない。彼女は高飛車なお嬢様のようだから、気が乗らないならもうやめてしまうかも。
しかし、敗北の条件は自身が諦めること。
諦めない限り敗北はあり得ない状況で、彼女はどのような決断を下すのだろう。
「はっ、はっ……当たり前、でしょう……! キングは諦めないのよ!」
……内心驚いた。
その本意がどこにあるのかは分からないが、諦めないという一点においては認めてもいいかもしれない。
……単に向こう見ずなだけや、負けず嫌いなだけかもしれないけれど。それでも
「そうこなくっちゃ!」
彼女を引き連れてトレーニングコースへ足を運んだ。
雨は止み、幸い誰もコースにはいなかった。バ場は確かに緩くて悪いが、雨が降った時のアスコットやロンシャンのバ場と比べれば大したことはなかった。
まだ水滴がまとわりついていた合羽を脱いでコースへと出る。あたしと同じように合羽を脱いだ彼女もコースへと足を踏み入れてきた。
「さあ、やるわよ!」
「さっきと同じで、あたしが追い抜いたらスタートで」
「……ふっ!」
先に走り出したキングヘイローを追い抜いて前に出る。
さっきの路上での単純なスピード勝負とは違い、このコースでなら様々な面において彼女の実力を測ることができる。走りそのものにおいても、メンタル的な部分においても。
まず考えついたのは、あからさまなブラフに乗って来るかどうかってこと。冷静な判断ができるかどうか。また判断がつかないなら様子を見られるかどうか。
前を走るあたしはあからさまに走りを崩したフリをした。不良バ場で脚を取られているかのように。
「……え?」
疑問に思うキングヘイローの声が聞こえてきた。
自分自身でこうやってフォームを崩して走るのは初めてだった。中々やりにくい。上手くできているか正直不安だった。
さて、彼女はブラフだと気づくだろうか。こんな自信満々に相手を煽って勝負を仕掛けてくる格上のウマ娘が、こんな醜態を晒しているこの状況を怪しいと──
「──はああああっ!」
──思わなかったようだ。
彼女は猛追してあたしとの距離を縮めにかかってきた。わざと空けていた内を狙うかのように彼女はあたしに迫ってきた。
「っ!?」
わざとらしく振り向いて驚いたように演技をする。これでもしかしたら気づくかと思ったが、彼女はその勢いを緩めることなくスピードを上げてきた。
少し落胆しつつ、内を突かれたこの状況なら状況で試したいことがあった。
「……なんて、ね」
内から抜かそうとするキングヘイローへ、あたしはバ体を寄せた。
「なっ!? くっ……!」
真っ直ぐブレずに走れば当たらない程度に調整する。
試したいのはこの不良バ場でフォームを崩さず真っ直ぐに走れるか、それかバ体が当たろうが気にせず突き抜けられるか。フォームの正確さ、それか勝負根性や闘争心を持っているか。
どちらの選択肢を取られても抜かされないよう加速する心づもりだけはしておいた。
キングヘイローはあたしにほぼ並びかけるとこまで来ていた。肩の位置からして前後の差は30センチもないほど。
(……崩れてる。それにスピードも落ちた)
彼女の身体は左右に揺れ、先程までの勢いは無くなっていた。
不良バ場により崩れているのもあるだろうけど、こうやってあたしに寄られたことで精神的な負荷も掛かっているからだろう。
注意すべきはその状態でも無理やり進路をこじ開けにかかって来るかどうか。
それでも30センチの差を詰めてこられ、並びかけるところまで来られたが──
「うううっ! ……ああっ、しまっ!」
──芝に脚を取られた彼女は転倒してしまった。
「ぐっ!」
脚を止めて振り返ると、彼女は既に立ち上がろうとしていた。ジャージや顔に芝や泥がついて汚れてしまっていた。
すぐに立ち上がるのは良い。
「…………」
でも、バ場が悪くて進路が狭まった
まだ彼女はクラシック級のウマ娘だ。まだ今は成長途中だろうし、このように未熟なのは仕方がない。
しかし、どうしてもこう思ってしまうのだ。……足りないと。
──この程度でGⅠを……スペシャルウィークやセイウンスカイ、そしてウチにいるグラスワンダーやエルコンドルパサーに勝てるの?
「……続き、行くよ。このまま始めるよ」
「ええ……!」
あの頃のキタサンブラックみたいに、全く足りないと。
何も知らずに泣いて、自分のことしか考えていなかったあの頃のキタサンブラックがキングヘイローと再び重なって見えていた。
……その姿をすぐに霧消させた。
今度は演技などせず走り出す。何かを発散させるかのように、本来の自分の走りをした。
キングヘイローと距離がぐんぐんと開いていく。彼女はやはりこのバ場を不得手にしているようで、全く追いつけそうになかった。
……こんなことをしていても仕方がない。試すべきことは他にもある。
ペースを緩めて彼女が追いついてくるのを待つ。彼女は追い抜こうと加速はしていないようで、流石に警戒しているようだった。
次に見たいのは競り合いに強いかどうか。あと半年もすればシニア級が混ざるGⅠに挑戦することになるだろう。多少の接触に対応できるかどうか見たくて──
────本当は、そうじゃないでしょ……?
またあたしの声が脳内で響いてきた。
(…………昔の、あたしの声…………)
────キングヘイローの実力を試したいなんて……白々しい嘘ばかり。
────だって、あなたの後ろを走っているのはキングヘイローじゃないでしょ?
目線だけで振り返り、すぐ傍まで近づいてきたウマ娘の姿を捉えた。
さっき霧消させたはずのキタサンブラックがまたそこにいた。
────いつもあたしはそう。嘘をついて本心を誤魔化そうとして、ひとつもうまく行ってない。
「!? ぐあっ!」
「うっ、ううっ……」
先程はすぐに立ったのに、流石にダメージが大きかったようでまだ彼女は立てないでいた。
転倒させるほど強く当たったつもりは全く無かったのだが……バ場の影響もあるとはいえ、この程度で倒れてしまうのか。
足りない。足りなさすぎる。
体を起こした彼女があたしを見上げた。
「あなたっ……こんな……危険な……!」
「…………」
「……! あなた、は……」
目が合った。下から見上げられているから、あたしの顔が彼女に見えてしまった。
……もう、どうでもいい。
「キタサンブラック……?」
「あれぐらいで倒れるとは思わなかった。この程度で終わりだなんて言わないよね。キングヘイローさん」
「……っ!」
もう脳内で声は聞こえない。
キングヘイローの姿にキタサンブラックの姿が重なるなんてこともない。
それでも弱々しい彼女を……弱い彼女を見ていると、どうやっても昔の自分を思い出してしまう。
デビューから無傷の3連勝で重賞制覇。
皐月賞の惜敗。
ダービーの14着惨敗。うなだれていたトレーナーさん。
そして目の前にいる未熟なウマ娘。
どうやっても昔のあたしを思い出してしまう。重ねて見てしまう。
いくら心持ちを変えようとしても無駄なことに気づいた。
走りを見たいとか、メンタリティを確かめたいとか、全部嘘だ。単なる上辺の後付けの理由でしかない。
あたしは自身の感情を処理するために、キングヘイローを利用しているだけなのだ。
試すだなんて言って、その実ただ八つ当たりしているだけ。
トレーナーさんの一番近くにいたのに、彼のことを分かってあげられず、元気や笑顔をあげられなかった過去の自分が許せなくて、その怒りのやり場をあたしに似た道を辿ってきた彼女に向けているだけ。
……どこまで救いようのないウマ娘なんだろうか、あたしは。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
もう思考が停止していた。
どうやっても、気持ちを誤魔化せそうになかった。騙せなかった。どうしようもなかった。
この10年ずっと心のどこかに無意識的に蓋をして抑え込んでいた自分への怒りが、反動のように噴き出していた。
キングヘイローは頬についた泥をジャージの袖で拭いながら立ち上がった。
「…………」
背を向けて走り出すと、キングヘイローも再び走り始めた。
トレーナーさんがこの後現れることも知らずに、あたしは彼女と競り合いながら走り続けた。