メイン2部はキングの姿がたくさん見られて嬉しいです。
今年最初の中央芝GⅠとなる高松宮記念を週末に控えている水曜日の放課後、トレセン学園では高松宮記念に出走する陣営の共同記者会見が行われていた。
フラッシュが焚かれる中、チームシリウスの天崎ひよりとアグネスワールドが壇上に上がった。マイクは天崎に向けられていた。
「前走のスプリンターズステークスは惜しくも2着でした。改めてレース振り返っていただけますか?」
「僅差だっただけにものすごく悔しい結果でした。私もワールドちゃんも悔しい思いをしたので、この高松宮記念こそは勝ちたいです」
「予定していた阪急杯は外傷による右脚の腫れで回避されましたが、怪我の状態はいかがでしょう?」
「怪我自体はすぐに治って腫れもありません。痛みもなく、トレーニングもしっかりこなせています」
「スプリンターズステークスから前哨戦を挟まず直行になりますが、そのあたりは」
「何の不安もありません! 体重も維持していますし、体調もばっちりです! ね、ワールドちゃん?」
天崎はアグネスワールドへと目線をやってウィンクをした。
彼女はその後も質問に答えていく。彼女の柔らかい雰囲気に当てられて、インタビュアーの男性にも笑顔が見られた。
天崎はどんな質問を受けても不快感を表すことは絶対になく、メディアからの受けは前々から良かった。
「相手関係はいかかでしょうか?」
「横水トレーナーのブラックホークさんはもちろん、キングヘイローさんやマイネルラヴさん、前哨戦を勝ってきたブロードアピールさんなどスプリント路線の強いウマ娘たちが揃ったと思っています。でも、ワールドちゃんの力を発揮すれば絶対に勝てると信じています!」
「ありがとうございます。続いてアグネスワールドさんに──」
横にいるアグネスワールドにもインタビューが始まった。彼女が姉であるヒシアケボノが勝てなかった高松宮記念を勝ちたいと答えると、一層フラッシュが焚かれた。
アグネスワールドに意気込みを訊いた後、再びマイクが天崎に戻ってきた。
「高松宮記念の後のプランなどが決まっていれば教えてください」
「決定はしてませんが、夏はヨーロッパの方に遠征する予定です」
おおっ、と記者席から声が上がった。今夏の海外遠征を口にするのはこれが初めてだった。
アグネスワールドとはすでに話をしていた。決定はしてないと言うが、怪我でもない限りほぼ確定事項だった。
「今言える範囲で構いませんので、具体的なレースなどは……?」
「ロイヤルアスコットのスプリントGⅠどちらか、7月はジュライカップを検討しています」
「なんとイギリスですか!? しかもGⅠを連戦、ということになるのでしょうか?」
「はい! 今のところは、ですけどね。ワールドちゃんも挑戦する気満々なので、私も楽しみしています!」
去年フランスでGⅠを勝てたので、次の目標はイギリスだった。イギリスで名を売ることは世界のレース界に名を売ることと同じだ。
「……まだ気の早い話ですが、秋はいかかでしょう?」
「秋のことはまだ何も決まってませんね~。フランスのアベイドロンシャン賞で連覇を目指しても、イギリスの英チャンピオンズスプリントも面白いですね。アメリカも可能性としてはありますけど……。あはは、その前に、高松宮記念の勝利を目指して頑張りたいですね! 目の前のことに集中です! ファンの方も、応援よろしくお願いします!」
「ふふっ、ありがとうございました。他に質問のある方は──」
チームシリウスの天崎ひよりとアグネスワールドのインタビューは終始和やかな雰囲気で行われた。
(ちょっと言いすぎちゃったかな? ま、話題にしてくれるならいいや)
インタビュー後、天崎はそんなことを思っていた。
数チーム挟んだのちに、次はチームアルバリの番になった。
壇上には横水幸緒だけがいて、ブラックホークの姿は無かった。共同会見にウマ娘を出席させず横水だけがいるのは決して珍しいことではなかった。セイウンスカイなど一部のウマ娘は同席させることもあるが、基本的に横水というトレーナーは単独で会見に臨むのだった。
それでもインタビュアーは訊かないわけにはいかなかった。
「本日、ブラックホークさんは?」
「トレーニングに臨んでいます」
「分かりました。それでは始めさせていただきます。まずは前走の阪急杯1着おめでとうございます。レースを振り返っていただけますか?」
「特に問題もなく、実力通りの結果になったと思います」
「……ブラックホークさんはスプリンターズステークスで見事に差し切っての初GⅠ制覇。このレースについても振り返っていただけますか?」
「彼女なりの走りをした結果だと思います」
「…………調整過程などはいかがでしょう?」
「特に問題はありません」
横水は仏頂面で眉ひとつ動かすことなく塩対応を続ける。横水のこれは今に始まったことではなく平常運転のことなので、記者たちも特に驚きは無かった。
インタビュアーはなんとか言葉を引き出そうと奮闘する。
「相手関係はいかがでしょうか?」
「強いウマ娘たちが揃っています」
「警戒すべきウマ娘はいますか?」
「全員です」
「……例えば……アグネスワールドはいかがでしょうか」
「警戒すべきウマ娘の一人です」
「警戒するとしたら、どのような対策を? アグネスワールドは逃げウマ娘ですが……動くタイミングなど作戦は」
「特にありません」
「作戦はなく、ブラックホークさんに任せるということでよろしいですか?」
「ご想像にお任せします」
「……理想の展開などはありますか?」
「ありません」
「どのような展開でもブラックホークさんなら勝てると?」
「ご想像にお任せします」
「…………高松宮記念の後、目標にするレースなどはありますか?」
「決まっていません」
「……最後に意気込みを」
「ブラックホークのトレーナーとして尽力してまいります」
「……ありがとうございました。追加で質問などはございますか?」
誰も手を上げず、チームアルバリの横水幸緒のインタビューは早々に終了した。
(流石に回答が苦しい……それにしても今日のインタビュアー粘り過ぎじゃないか?)
インタビュー後、横水はそんなことを思っていた。
また数チーム挟み、壇上に上がったのは坂川健幸とキングヘイローだった。
「キングヘイローさんと坂川トレーナー、今日はよろしくお願いします」
2人は一礼してインタビューに臨んだ。
坂川は自分たちが現れてからインタビュアー含め記者陣の雰囲気が変わったと感じた。それは誤解ではないとの確信があった。なぜなら──
「まずは坂川トレーナー、前走のフェブラリーステークスについて伺ってもよろしいでしょうか?」
──メディアがフェブラリーステークスについて話を聞きたがっているからだ。
突然のダート転向、しかも惨敗。レース前の取材ではダートへの期待感を口にしていたこともあり、今日は追求する良い機会なのだ。坂川は諦めて答えられる範囲で答えることにした。キングヘイローと事前に打ち合わせし、追走については言及しないことにしていた。
「13着という結果は真摯に受けて止めています。ただ内枠に入って道中大量にキックバックを受けしまったのは痛かったですね」
「……なるほど。改めてになりますが、ダートであるフェブラリーステークスを選んだのはトレーナーの判断でしょうか?」
「ええ。私がキングヘイローに提案しました。フェブラリーステークスの時の共同会見でも言った通り、トレーニングでのダートの走りは悪くなかったので挑戦しました」
「キックバックがあったとはいえ13着、キングヘイローさんのダート適性はどのように考えられていますか?」
「今でも適性が無いとは思っていません」
「世間では適性が無いのに走らせた、GⅠを取りたいばかりに迷走しているという意見もありますが」
「……厳しいご意見を頂いていると承知しています。しかし、先程も申し上げたようにダート適性が無いとは私自身思っていませんし、勝算があると思ったのでキングヘイローを送り出しました」
「……今回は芝に戻してのレースとなります。ダート適性があると考えられるなら同週のマーチステークスという選択肢もありましたが?」
「昨年下半期の芝GⅠで2着3着と結果が出ていることを考慮して、今回は高松宮記念を選びました」
「フェブラリーステークスで勝っていたら高松宮記念には出走されていましたか?」
「さあ……実際にそうならないと何とも」
「……今後、ダートを走る可能性は?」
「あるかもしれませんね」
インタビュアーは自身の腕時計に一瞬目をやってから質問を続けた。
「高松宮記念についてですが、調整過程の方は?」
「順調に来ています」
「追い切りを見て『迫力なし切れもなし』と評価しているメディアもありますが?」
「色々確認をしながらの追い切りでしたから、そう捉えられる方もいるかもしれません。実際タイムは出てなかったですし、併走するカレンモエにクビ差遅れましたから」
インタビュアーが言及しているのは数日前の公開追い切りのことだ。坂川の指示により、キングヘイローはフォームを確かめながら走り、最後の直線は流していた。
「相手関係はいかがでしょうか?」
「トゥインクルシリーズのスプリント王を決めるに相応しいメンバーだと思います。厳しいレースになりますが、私たちも勝つチャンスはあると思っています」
「今回もスプリンターズステークスのように最後方からの追い込みを?」
「そこはレースになってみないと分かりません。ただ、あの末脚を発揮すれば勝利に近づくとは思っています」
「……ありがとうございました。続けてキングヘイローさん」
(今日のコイツしつけえな……)
坂川は内心でげんなりしていた。
インタビュアーがキングヘイローに視線を合わせた。
「フェブラリーステークスについて振り返っていただけますか?」
「キックバックで走りを崩してしまったのは事実ですが、それもウマ娘としての私の実力です。私は1着を狙って走り、そして13着でした」
「自身のダート適性については?」
「適性のことは私には分かりません。ただトレーニングでは手応えはありました。ダートが走りにくいこともありません」
「先程話に出た追い切りについては?」
「トレーナーの言う通り、細部を詰めて走っていました」
「調子は万全と見てよいでしょうか?」
「はい。レースに向けて良い調整ができています」
「なるほど。……この高松宮記念でキングヘイローさんはGⅠ挑戦12回目となります。その点についてはいかがですか?」
キングヘイローは一瞬回答に窮したが、胸を張って口を開いた。
「
「証……誇り、ですか?」
「はい。キングヘイローというウマ娘は多くのGⅠに出走してきました。長距離、中距離、マイル、ダート……そして今はスプリントを。全てのレースで勝つために挑み、そして敗れました」
「しかしそれは、他の誰でもない私が、私だけの道を探して挑んできた証だと思っています。敗北を重ねても勝利を目指して走ってきたキングヘイローという存在を証明するものだと」
「ここまで歩んできた道のりを、私は誇りに思っているのです」
……この場でキングヘイローの言葉の裏側にある苦悩や努力を理解している者は、隣のトレーナーを除いて他にはいない。
「……なるほど。それでは最後に意気込みの方をお願いいたします」
キングヘイローは手を口元にやり、笑みを作り、そして高らかにこう宣言した。
「おーっほっほっほ! 高松宮記念。私が……この一流のウマ娘、キングヘイローが勝つわっ!!! おーっほっほっほ!!!」
「……ありがとうございます」
インタビュアー含め記者陣は湧き立つことなんてなく、どこか白けた雰囲気が漂っていた。キングヘイローのビッグマウスは今に始まったことではないからだ。
そんな記者たちの様子をキングヘイローは分かっていた。分かっていてもなお、トゥインクルシリーズで走り始めてからここまで強がって笑い続けてきた。
「ほら、トレーナー!」
「は?」
そうしてキングヘイローは隣にいる坂川健幸に声を掛けるのだ。
「あなたも言うのよ!」
「はあ?」
走り始めてからずっと隣にいた
◇
いきなりキングヘイローが俺に話を振ってきた。
「ほらっ! トレーナー!」
「……坂川トレーナーも、意気込みがあれば」
インタビュアーがこちらにマイクを向けてきた。キングヘイローのインタビューで終わりそうな感じだったのだが……無茶振りと言うやつだ。
「……えー、そうですね……」
キングヘイローの不敵な笑みは『さあ決めなさいトレーナー!』と言っているようだった。
俺の答えは──
「えー……勝てるよう精一杯努めてまいります」
「……………………」
隣から無言の圧力がひしひしと伝わってくる。不機嫌そうな視線も突き刺さっているようだが知らんぷりをした。
「……ありがとうございます。質問のある方は──」
その後2人にダート適性と今回の追い切りについて質問された。
「以上でキングヘイローさんと坂川トレーナーの会見を終了とさせていただきます。お二方とも、本日はありがとうございました」
そうして俺たちは会見場を後にした。
会見を終えてトレーナー室へ戻る道中、キングヘイローはぷりぷり怒っていた。もちろんさっきのインタビューに関してである。
「あれだけお膳立てしてあげたのに……締まらないわね、もうっ! 一流のウマ娘のトレーナーならちゃんとキングと同じように言いなさいよっ!」
「勝利宣言とかバカみたいな真似できるわけねえだろうが! こちとら30超えたおっさんなんだ。お前みたいなガキじゃないんだよ」
「バカみたいな真似って何よっ! あなたねえ……前もそんなこと言ってたわね! 昔からあなたは変わらな──」
キングヘイローはそこで言葉を切り立ち止まった。俺も足を止めて振り返った。
「ん? どうした?」
「……そうね、あなたは最初から
歩を進め再び俺の隣にキングヘイローが来た。彼女と歩調を合わせて俺も歩き出した。
「はあ?」
「変わっている。でも変わっていない。それがトレーナーよね」
「なに意味の分からんこと言ってんだ?」
「……ふんっ。分からないならいいわよっ、おばか!」
意味深なことを言うキングヘイローと並んで歩いていく。
高松宮記念は4日後だ。
◇
共同記者会見は次なるトレーナーとウマ娘を迎えていた。そのチームは高松宮記念に2人出しで、先輩であるシニア級4年のウマ娘の会見が先に終わり、今は後輩のシニア級2年のウマ娘がトレーナーの隣に立っていた。
シニア級2年……言わずもがな、黄金世代と呼ばれる学年だ。高松宮記念の上位人気で言うなら、アグネスワールドやマイネルラヴ、そしてキングヘイローの同期である。
以下はチームの男性トレーナーの会見での発言である。
「阪急杯はスプリント王者ブラックホークさんの2着ですからね。初めての1200mでしたがよくやってくれました。立ち回りも良かったです」
「屈腱炎については現状問題ありません。ただ1年以上の休養が必要な故障でしたから、今も細心の注意を払っています」
「そうですね。去年の10月に1年3ヶ月ぶりに復帰して、オープンに上がったのが先月初めのことですから。順調すぎるぐらいです……って言ったら、この娘に怒られるかもしれませんが」
「この娘の実力を疑ったことなんてありませんよ。気負わないで走れば結果はついてくると思います」
「チャレンジャーとして頂点に挑みます。初の重賞制覇をGⅠで飾りたいですね」
続いて隣にいる鹿毛のウマ娘が会見に臨む。
彼女の瞳は穏やかながらも強い意志を湛えていた。
◇
その日の夜、私は夜のランニングに出ていた。
調整期間とはいえ、共同会見によりトレーニング時間が少なかったので、いつもより多めの時間と距離が坂川より許可されていた。
「はっ、はっ」
今日は新月で雲もなく、星が瞬く夜だった。夜のランニングを始めてから一番きれいな星空だった。
河川敷を抜けて、いつも右折する曲がり角を直進する。距離と時間に余裕があるので、いつもと走るコースを変えてみた。
ただ走る。無心で走る。冬と春が混じり合った空気を胸いっぱいに吸い、道を駆けていく。
「ふっ、はっ、はっ」
橋を渡る。橋の下を流れる川の水面は暗くて見えづらいが、ごうごうと水が流れる音が川の存在を示していた。
橋を渡り終え、普段は通らない道を行く。特に行きたい場所があったわけではないが、気づけば展望台のある高台の近くにいることに気づいた。
こんな夜空だから、何となく空に近いところを走ってみようかと思い立ち、私は高台へ向けて走り出した。
「はあっ……はっ……」
天に近い高台を目指し、足元に注意しながら坂を上っていく。
月のない世界は視界が利かないのに、全然暗く感じなかった。不思議な感覚だった。
間もなく高台に到着した。高台に設置されている外灯が頂上付近の広場を薄暗く照らしていた。
誰もいないようだったが、広場の反対側からこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。私と同じような考えの人なのかも……なんて思いつつ、足を止めることなく走っていく。
その外灯に照らされている場所に近づくにつれ、暗闇の先にいる足音の主のシルエットが朧気に見えるようになってきた。
目を凝らして見てみると、尻尾が翻っていたのが見えた。どうやらウマ娘らしかった。
正面からやってくるウマ娘の姿がちょうど外灯に照らされて露わになると──
「……え……?」
──そのウマ娘は見覚えのあるランニングパーカーを被っていた。フードの下から覗く髪や尻尾の色は黒かった。
思わず足を止めてしまう。勘違いか目の錯覚かもしれないと自分を疑うが、私の瞳が捉えるウマ娘は彼女以外に考えられなかった。
「キタサン……ブラック……?」
間違いない、キタサンブラックその人だった。
思わずその名を口にしていた。
私の声が聞こえたかどうか分からないが、彼女も足を止めた。
フートを深くかぶっているため、見えるのは結ばれて口元だけだった。
「…………」
彼女は俯き、その口元さえも見えなくなった。
あの時に感じたような強い敵意は全く感じられない。むしろ逆、私に怯えているかのようで、彼女は萎縮しているように見えた。
「……っ」
状況に理解が及ばず、私はただ立ち尽くしていると、彼女は再び走り始めこちらに近づいてきた。
何をするつもりか分からず体に力が入る。身構えるべきか逡巡していると、どんどんと彼女は私に近づいてくる。そして──
「あの時は、ごめんなさい──」
──すれ違う瞬間、キタサンブラックはそう言った。同時に、彼女の頬から光るものが流れ落ちていくのが外灯に照らされていた。
「待ちなさいっ!!!」
頭で考えるより先に口が動いていた。
「っ!?」
キタサンブラックは足を止めてこちらをゆっくりと振り返った。
彼女には言わなければならないことがあったのだ。実はずっとそれを胸の内に抱えていた。
──『勝負、しない?』──
──『私が諦めたら、私の負けってことね』──
──『そうなるね』──
「まだ勝負は終わってないわよっ!!!!!」
ズバッと効果音の出そうなほどの勢いで彼女を指で指し示した。
「……え……?」
彼女は虚を突かれているようだった。
それはそうだろう、彼女には何が何か分からないはずだ。
「あなたとした勝負のことよ。あの時はトレーナーが水を差して中断してしまったでしょう?」
「……水を差してって……え…………もしかして……?」
キタサンブラックはようやく私が言っていることを理解したようだ。
「でも、あれは──」
「キングがいつ諦めたのかしら? あの時トレーナーの邪魔が入らなければ、すぐに立ち上がってあなたを追い抜く予定だったのよ! ……勝負の決着はついてない、終わってないの!」
「…………」
追い抜く云々が実現したかどうかは置いておいて、私は諦めて負けを認めてはいない。これは紛れもない事実だ。
この騒動を知っている者たちはおそらくみんな私が負けたと思っている。……勝った負けたの話ではないのは分かっているけれど、それでも負けてないのに負けたことにされるのはキングのプライドが許さなかった。
キタサンブラックが口を開かないのをいいことに私は畳みかける。
「キタサンブラック、続きをやりましょう」
「続きって……」
「と言っても私は高松宮記念直前で長く走れない。しかも、キングが諦めないと勝敗がつかないという条件はあなたに不利すぎるわ。私は諦めないのだから負けようがないもの。だから勝負内容の変更を提案するわ。最初はあなたが内容を決めたのだから、次は私が決めても構わないでしょう?」
「…………」
「レースをしましょう」
「レース……?」
「ええ。レースで勝敗を決めるの。分かりやすくていいでしょう?
……言った後に思ったけれど、本当に大丈夫だろうか? 身体は問題ないと思うし、ロードワークの距離的にも余裕はあるが、GPSトラッカーでデータを取っている坂川に後から何か言われるかもしれない。
けれど、この機会は逃せない。
「……条件は?」
「コースに着いてからのお楽しみよ。それともうひとつ……この勝負は私が勝ったらあなたとトレーナーのことを教えてくれて、あなたが勝っても何もないというものだったけれど、これも変えましょう。単純に、勝った方の言うことを負けた方は何でも聞くことにしましょう。いいわね?」
「…………」
「さあ、トレセンへ戻るわよ」
私が先んじて走り出すと、遅れてキタサンブラックが私の後を付いてきた。
自分で言うのも何だか無視されてもおかしくないと思っていたので、彼女が素直に付いてきて少なからず驚いた。前と同じように私を痛めつけたいのかとも考えたけれど、やっぱりそんな雰囲気や敵意は感じられない。
勝つ方の言うことを何でも聞くというのに惹かれたととかかしら? 理由は考えても分からなかった。
道中は特に何もなくトレセン学園にたどり着いた。
トレーニングコースに出て、最低限の照明だけ灯してコースへと2人して降り立った。
「条件は芝コース、左回りの1200mで行うわ」
「1200!? スプリント……」
「ええ。……まさか天下のキタサンブラックが、適性外だからって逃げるなんてことないわよね?」
「…………」
──『ついて来れる?』──
あの時のお返しとばかりに安っぽい挑発をした。……意外と私は根に持つ方なのかも。
「いいよ。スプリントで勝負しようか」
「……レースは5分後で」
お互い距離を取って準備運動を行い、ほどなくして5分が過ぎた。
レースを始める前にコースの準備をした。トレーニングで1200mを設定して走っているので大体スタート位置とゴール位置は分かっていた。ゴール位置のコース脇にはキタサンブラックのスマホをライトをつけて置いてもらい、内ラチに私のタオルを引っ掛けておいた。
「スタートはスタンディングで。合図はスタート位置の横に置いたスマホでアラームを鳴らすわ。それでいいわね?」
「うん。……ふぅー……」
キタサンブラックが長く息を吐くのと同時に、彼女の纏う雰囲気が一気に変わった。
彼女の存在感が急激に増す。威圧感と言ってもいい。実際には見えないけれど、オーラが出ているかのように錯覚してしまう。周りの空気や芝までもがビリビリと震えているようだ。
これが未だにDTLで絶対王者として君臨するキタサンブラック。歴史に名を遺す、不世出のウマ娘。
──ああ、私はこれにはなれない。
しかしながら劣等感に苛まれるなんてことはなく、清々しい気持ちになった。
私はキタサンブラックではない。
私はキングヘイローなのだから。
「……10秒後にセットしたわ」
私はスマホをコース脇に放り、位置に着いた。
キタサンブラックは既に走る構えを取っていた。
そして──
「「…………っ!」」
──アラームと共に、私たちは駆けだした。
キタサンブラックが先行し、私はその3バ身後を追っていった。
「はっ! はっ!」
後ろから見る彼女の走りは、改めて凄まじいものだった。
全く乱れのない力強いリズムでペースを刻んでおり、体幹のブレなんて1ミリも無いように見える。照明があるとはいえ芝の状態までは見えない夜のコースで、バ場の凹凸なんて意に介さない走りをしていた。
(速い……!)
キタサンブラックの作り出すペースは速かった。スプリントの逃げ先行集団が作るペースと遜色なかった。
彼女はトゥインクルシリーズでもDTLでもスプリントの経験はないはずだ。なのに、こんな走りができることに驚愕していた。
私は彼女と3バ身差を保ちながら、バックストレッチからコーナーへと入っていった。
「……ふっ!」
キタサンブラックの呼吸音が聴こえ、第4コーナーから彼女は一気に加速した。
彼女との3バ身差が一瞬で5バ身差になる。驚異的な加速力で、初めて目にするスピードだった。
(すごい……これがキタサンブラック。……でもっ!)
キタサンブラックが一足先に直線を向いた。
私だって負けてられない。スプリントは私の距離だ。
脚の回転速度を上げていき、直線でバ場の中央に出せるよう遠心力を調節しながらコーナーリングしていく。そして、エンジンを吹かしながら直線を向いた。
この直線で、捉えてみせる──!
「っ! はあああっ!!!」
先んじて直線に入り最内を走っているキタサンブラックを追い、私はバ場の中央を駆けていく。
5バ身あった差が4バ身、3バ身と縮まっている。
ゴールまで残り300mほど。
「はああああっ!」
2バ身差。
残り250m
「っ!?」
キタサンブラックが首を振ってこちらを一瞬だけ振り返った。
「……っ!!!」
彼女のターフを踏みつける音が一層大きくなる。するとこれまで縮まる一方だった私と彼女との差がとたんに縮まらなくなった。
これが絶対王者キタサンブラックの粘り腰。テレビの画面の向こうで目にしていたものが、今目の前にあった。
2バ身差。
残り200m。
2バ身差。
残り150m。
(それでもっ!)
負けるわけにはいかない。
条件がどうとか、勝った方の言うことを聞くとか、そんなことはどうでもいい。
キングヘイローはキタサンブラックに勝ちたい。
私がキタサンブラックに勝ちたい。
それだけのこと。
「はあああああっ!!!」
末脚を爆発させると、速度の天秤は私に傾いた。再度距離を詰めていく。
1バ身差。
残り100m。
「あああああああっ!!!」
キタサンブラックは粘る。
半バ身差。
残り50m。
「「はあああああああっ!!!」」
キタサンブラックに迫る。
そして──
「「はあああああああああっ!!!!!!」」
──
「はあっ、はっ…………おーっほっほっほ! キングの勝ちよっ!」
「ぐっ、っ……」
お互い息も絶え絶えの中、膝に手を置くキタサンブラックに対して私は胸を張って勝利を宣言した。
僅差ではあったがゴールでは明らかに私が前に抜け出していた。彼女を差し切ったのだ。
「約束通り、あなたにはキングの言うことを聞いてもらうわっ!!!」
「…………」
何を言うかは最初から決めていた。
「キタサンブラック、あなたには────」
◇
「ここでいいか。ホテルに忘れもんはねえか? ……ならいい。俺は車を駐車場に置いてくるから、お前ら先に降りろ」
坂川の車から降りると、3月の下旬とは思えないほどの冷たい空気が身を刺す。最高気温10度、最低気温1度と天気予報で言っていた通りの寒さだった。
「…………」
眼前にそびえ立つ中京レース場を見上げる。
今日ここで行われるGⅠレースに私が出走する。
3月26日、中京レース場。
高松宮記念に、