底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第85話 高松宮記念/中

 地下バ道でキングヘイローと別れた俺は息を切らしながら観客席へと走った。人混みをかき分け、ゴール近くの柵沿いに陣取っているチームのウマ娘たちの元へたどり着いた。

 外気温は一桁台で寒いはずなのだが、必死に走ったせいか体が熱かった。

 

「はあ、はあ……間に合ったか」

 

 ターフに目を向けるとスターターがスターター台へと歩き出しているところだった。

 

「キングはどうでした?」

「落ち着いてたし、入れ込んではなさそうだ」

「なら良かったです。後はかましてもらうだけですね!」

 

 ペティにそう答えているうちにスターターがリフトアップして旗を振り、ファンファーレの演奏が始まった。

 

 

 ──『その答えを、私はすでに持っている。……そして、すでに私は一流のウマ娘に成っている』──

 

 

 ──『あなたのおかげよ、トレーナー。見つけられたのは、あなたのおかげ』──

 

 

 地下バ道でのキングヘイローの言葉を思い出す。

 

 キングヘイローの言う“一流のウマ娘”。彼女は自分が一流のウマ娘なんだと最初からずっとそう標榜していた。

 だが、その一流のウマ娘とは何か彼女自身が定義できていなかったようなのだ。

 菊花賞前……あの日、そのことを問い詰めると彼女は俺の前から逃げ出して夜まで帰ってこなかった。

 そして菊花賞のレース後、グッバイヘイローに電話して一流のウマ娘を走って探していくと話していた。

 

 彼女は一流のウマ娘とは何かを見つけ成ったと言った。彼女の答えがどのようなものか俺は分からない。

 そもそも俺のおかげとは一体……? 

 

 

 考え込んでいるうちにファンファーレが終わっていた。ターフビジョンには待機所の様子が映し出されており、枠入りへ向けて職員の声掛けが始まっているようだった。緑の勝負服に身を包んだキングヘイローが13番ゲートへと向かっている姿が見て取れた。枠入りを嫌がることなく、彼女はすんなりとゲートに収まった。

 

「…………」

 

 無意識に呼吸を忘れる。まさに固唾を飲んで見守るといったものなんだろうなと我ながらに思った。

 

 ゲート入りを渋るウマ娘もおらずスムーズに枠入りが完了した。

 

 

 ──頑張れ。

 

 

『さあ寒風を吹き飛ばせ! 春一番GⅠシリーズの────』

 

 

 トレーニングの成果は上々だ。調整も順調で完璧に仕上がっている。キングヘイロー自身の力を不足なく発揮できればGⅠを勝てるレベルまで来ているのだ。

 今日のレースにおいて道中ペースは考えず、中団での追走いう位置取りだけに注力するよう指示している。やるべきことが多いと走りを崩す傾向にあるキングヘイローにとって、課題は明確で単純にする方が絶対に良い方へ転ぶ。

 何より今回は7枠13番という彼女にとっては絶好の外枠だ。内枠に比べ周りに包まれるリスクは低く、自分のレースをやりやすい。偶然にも8枠にはちょうど標的にしやすいウマ娘が2人いる。……ここに来て運が向いている。

 

 俺もキングヘイローもやるべきことは全てやってきた。妥協は一切無いと言い切れるまでに。

 

 

『────スタートですッ!!!』

 

 

 

 曇り空の下、春のスプリント王を決める高松宮記念が始まった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『────スタートですッ!!!』

 

 

「っ!」

 

 鉄扉が開き、ゲートから飛び出す。6ハロン(1200m)のスプリントGⅠ──神速の領域へと足を踏み入れる。

 

『今スタートを切りました! 何が行くんでしょうか!』

 

 スタートは五分といったところ。左右を目線だけで瞬時に確かめたが、明らかに出遅れているウマ娘はおらず、逆にロケットスタートを決めたウマ娘もいなかった。

 

 私も置いて行かれないように加速していく。

 

 横並びのバ群から、行き脚のつかないウマ娘数人が後方へと下がっていく。

 

 スプリンターズステークスと同じく、周りのウマ娘は最終直線のゴール前にいるかのような気迫で走っていた。

 この激流に飲まれるわけにはいかない。ここも勝負所だと意識して、加速してポジションを取りに行く。

 

 踏み込む足に力を入れる。脚を回す。

 

「……はあっ!」

 

 スタートして5秒。遅れることなく横並びのバ群の一人として流れについていけていた。

 

 このまま良い位置を……と思考がよぎった時に、外から2人のウマ娘が揃って私の前に出てきた。

 

(ブラックホークとマイネルラヴ……!)

 

 8枠に入っていた2人が外から私を交わして内に入り、ちょうど私の前方にポジションを取ってきた。

 スタート直後から2人の姿は目に入っていた。2人ともスタートが速く、ゲートを出た瞬間に半バ身ほど差が付いていたからだ。

 

 スプリントGⅠ覇者の2人が私の前に出てきた。2人は内の方を見ながら位置取りを模索しているようだった。

 

(驚きも戸惑いもしないわよっ! 予想通りだものっ!)

 

 8枠のこの2人が好位につけるために外から出していく展開は坂川の事前のシミュレーションで予想できていた。

 ブラックホークもマイネルラヴも基本的には先行から中団でレースを運ぶウマ娘だ。この形になる可能性は高く、現にそうなっていた。

 ブラックホークはこのまま素直に先行していくだろう。一方のマイネルラヴは道中から捲りもある。

 

 全力半歩手前で走るスプリントの激流の中、状況を整理しながら走っていく。

 

 抜け出していく逃げ先行のウマ娘が4人いて、先頭から4人目まで3バ身ほど。

 その4人の先団に続いた外後方にブラックホーク、マイネルラヴ。

 更にその後ろにキングヘイロー()

 私の内には2人のウマ娘がいるが少し離れており、外には誰もいない。

 後ろに残りのウマ娘たちがいる。

 

(見えてる……いい感じ)

 

 他のウマ娘がよく見えている。冷静でいられている。

 

『内の方からメジロダーリングやはり行った! そして2番手に早くもアグネスワールドがつけました!』

 

 熾烈な先頭争いを制したのは1枠1番のメジロダーリング。その後ろにぴったりとアグネスワールドがつけているのが見えた。

 逃げ先行勢を見るような位置にブラックホークと、内から彼女に並びかけようとするマイネルラヴ。

 

 私のポジションは現在中団あたりの外側だ。前にいるマイネルラヴとの差は1バ身から1バ身半といったところ。

 今のポジションは良いと思う。この位置を保つべきだ。ちょうど前の2人は勝ちに近い有力ウマ娘。

 

 なら──

 

 

(──あなたたちを……追う!)

 

 

 前方にいるブラックホークとマイネルラヴを標的にして追走を開始した。

 

 フォームを崩さないように。力んでスタミナを必要以上消費しないように。余力を残すことを意識して追走する。

 

 この高松宮記念、中団での追走が第一の課題で生命線だ。ペースはどうか考えず、位置取りに神経を注ぐ。

 スプリントにおいて中団で追走……そのためにこれまでの血反吐を吐くようなトレーニングと、ダートを走ったフェブラリーステークスがあったのだ。

 

 2人を追っていく。離れず1バ身差をキープできている。

 

 内側に10のハロン棒が見えて、そして通り過ぎようとしていた。

 

『ブラックホークは5番手から6番手。そしてそれをマイネルラヴが内からぴったりマーク!』

 

 

 ──残り5ハロン(1000m)──

 

 

 ──その瞬間だった。

 

 

 2人との差が少し開く。

 

 

 開く。

 

 

 大きく開く。

 

 

 

「っ!? なっ……!?」

 

 私はぐんぐんと後退していた。

 あっという間に2人との差が3バ身以上となった。

 

 

 脚の回転は緩めていないつもりだ。だが実際は遅れて一瞬で離されていた。

 脚に痛みはない。故障ではない。

 

 

 内にいるウマ娘が一気に加速して後ろから私を追い抜いていく。

 

 

『内の方からタイキダイヤ上がっていく! 続いて後ろからディヴァインライトが行った!』

 

 

 位置が下がって後方にいるウマ娘と接近する。

 

 

 あまりのことに気が動転する。

 

 

(どうしてっ!? なんでっ!)

 

 

 ──遅れてる!? 

 

 

 

 ──追走、できてない……!? 

 

 

 

 明らかに置いていかれている。まるで私だけ取り残されたかのようだ。

 

 

 

 導き出される事実は、追走できていないということ。

 

 

 

 追走スピードが遅いということ。

 

 

 

 スプリントGⅠのスピードについていけていないということ

 

 

 

 そんな考えが瞬時に脳内を埋めつくす。

 

 

 

 

(ダメッ……このままじゃ……遅れるわけにはっ!)

 

 

 

 4バ身以上は離れないように踏ん張って走る。これ以上の後退は許されない。

 

 

 

 

 激しい焦燥感と不安に全身が満たされる。

 

 

 

 

 ──『外からブラックホークッ!!!!!』──

 

 

 

 

 スプリンターズステークスの記憶がフラッシュバックする。

 

 

 

 あの時の二の舞なんて絶対に……! 

 

 

 

(早く前の2人に追いつかないと──)

 

 

 

 そう考えている瞬間にも内の方にいるウマ娘たちが私を追い抜き、相対的に私はポジションを落としていく。

 

 

 

 頭の芯がカーッと熱くなる。

 

 

 

 (はや)る気持ちに押されて、駆ける脚に思いっきり力を入れ────

 

 

 

 

(──なに、やってるのよ……!)

 

 

 

 内のウマ娘を見るために左側を向いたとき、観客席が目に入った。

 その時、ゴール前にいる坂川たちの姿を見た気がした。この距離じゃ見えるはずもないのだけれど。

 

 

 その時になって初めて、全身に力が入りすぎていることに気がついた。

 リラックスなんて程遠い、思いっきり力んで全力での追走になっていた。

 

 

(なにやってるのよっ! キング()ッ!!!)

 

 

 心の奥で自分自身に喝を入れる。

 

 

 ──冷静になれ! 

 

 

 ──状況を見極めろ! 

 

 

 ──私が今すべきことは! 

 

 

 走るペースは維持しつつ、脚や上半身に入った余計な力を最大限抜く。

 

(……よし!)

 

 力を抜いてもスピードが維持できている。先程までどれだけ四肢が過緊張になっていたか理解するとともに、軽く走っても思ったよりスピードが出ていることに気づいた。

 スプリンターズステークスの時より楽に追走できていた。ダートを走った甲斐があったのだと、そう確信した。

 

 さっきの遅れはポジション取りのためにスタートから早めに出していったせいで、息が入らなかったせいかもしれない。

 

(大丈夫よ……頭を切り替えて……!)

 

 先団に取りついているブラックホークとマイネルラヴとの差は変わらず3バ身から3バ身半。

 

 

 バックストレッチも半分を過ぎ、残り900mから3コーナー付近の最高到達点までの上り坂が迫ってきた。

 ピッチを変え、登坂に合った走りへと移行し走っていく。おそらくさっきまでの走りならこの上り坂でスタミナを消耗し直線ではガス欠になっていただろう。間一髪その危機を逃れることができた。

 

 

 頭をフル回転させ、今置かれた状況とこの先の展開への見通しを立てる。

 

 

 差は離されたが、今は遅れることなく追走できている。

 前を追っていくのはこの先だ。仕掛け時を間違えるな。

 

 ぐるっと視線を巡らせて全体から自分の位置を確認する。

 ポジション的には下がって今は中団後ろの一番外にいる。あの2人まではスぺ―スになっており誰もいない。内のウマ娘とも距離は離れてスペースがあり、更には後ろのウマ娘とも2バ身ほど離れている。もちろん外にも誰もいない。

 

 

 私は今、偶然にも周りから距離を取った位置にいる──

 

 

(──良いじゃない……!)

 

 

 他のウマ娘に寄られてフォームを崩しやすい私にとって、誰にも邪魔されない今のこのポジションは絶好の位置だ! 

 

 

 ずっと自分の弱い部分と向き合ってきた私だから、そのことを理解できていた。

 

 

 ここからポジションを徐々に上げていけばいい。焦る必要なんてひとつも無い。ちゃんと私は中団にいて、追走できている。

 

 

 そして左前方に見えてくる8のハロン棒。

 

 

 メジロダーリングとアグネスワールドはほとんど並んで先頭を走っており、彼女たちが先行勢を抑えて3コーナーへ差し掛かっていた。

 先頭から3バ身ほど離れた外側6番手にブラックホークとマイネルラヴがいた。

 

 

 カレンモエとのトレーニングと坂川のアドバイスを思い出す。

 2完歩前に意識の準備。1完歩前にスパート。

 

 

 2完歩前……意識の準備。

 

 

 1完歩前……私の身体がハロン棒を通過する瞬間に合わせて、スパートを開始する。

 

 

 

 ──残り4ハロン(800m)──

 

 

 

 ──ここっ! 

 

 

「はああっ!!!」

 

 

 一切の躊躇なくアクセルを踏む。

 

 

『第3コーナーに入ってきました! 先頭はメジロダーリングとアグネスワールド!』

 

 

 速度を上げる。スパートをかける。

 前との距離を詰める。標的は奇しくもジュニア級の東スポ杯の時と同じマイネルラヴだ。

 

 マイネルラヴとの差が3バ身から2バ身半へと縮まったところで、ブラックホークを内でマークしていたマイネルラヴのペースが落ちた。私と彼女との差が一気に1バ身半まで詰まった。

 突然のことで一瞬混乱したが、彼女がブラックホークの後ろから外へ持ち出すのを見ると、彼女が一体何をしようとしているのか瞬時に理解へ至った。

 

 

 ──外から捲ろうとしてる……!? 

 

 

 思い出されるのは一昨年のスプリンターズステークス。マイネルラヴは道中捲ってタイキシャトルとシーキングザパールを墜として勝利した。対戦相手の研究のため何度も見たレースだ。

 この前のスプリンターズステークスでも、彼女は負けはしたものの同じように捲り気味に進出していったのを後方からこの目で実際に見ていた。

 それを今回もやろうとしているのだと直感で分かった。

 

 マイネルラヴはブラックホークを捲っていく。間違いない。

 

(…………覚悟を決めなさい! キング!)

 

 

 選択を迫られた。

 

 

 勝敗に直結する、重要な選択だ。

 

 

 

 だが、迷いは無かった。

 

 

 

 ──勝負よ! 

 

 

 

 私が選択したのは、3コーナー手前から大外を立ち回っての直線一気。 

 

 

 

 

 距離ロスなんてお構いなし。

 

 

 

 

 不器用なキングヘイロー()が出した答え。

 

 

 

 上り坂を上り終え、3コーナーに入りコーナリングしながら、外から捲ってこうとするマイネルラヴの更に外に進路を取る。脚のエンジンが段々とかかってきて、スピードにも乗れていた。

 一方のマイネルラヴは外に持ち出すために速度を下げたせいか、加速にもたついているように見えた。その証拠に彼女とブラックホークとの差が2バ身半と開いてしまっている。

 

 トップスピードに乗れていないマイネルラヴのすぐ外、彼女とバ体を合わせるようにして半バ身差まで迫った。

 

 マイネルラヴの目が今日のレースで初めてこちらを見た。その瞳には驚きがあった。

 

 

 私は中団7、8番手で3コーナー中間に建てられた6のハロン棒を通過する。

 

 

 第一の課題。中団での追走はクリアした。

 

 

 

 レースの半分が終わった。

 

 

 

 スタートから約33秒の攻防が終わった。

 

 

 

 

 そしてちょうど私と同じ位置の最内に、あるウマ娘がいるのが見えた。

 

 

 4枠7番に入った、中東風の勝負服に身を包んだウマ娘だった。

 

 

 

 

 ──残り3ハロン(600m)──

 

 

 

『各ウマ娘600の標識を通過! さあ、3、4コーナーの中間へ! 先頭は変わらずメジロダーリングとアグネスワールド! 王者ブラックホークは2バ身ほど後ろ5番手につけています!』

 

 

 私が立ち向かうのは第二の課題であるスパイラルカーブのコーナリング。

 緩やかな3コーナーが終わり、直線に向けて急な4コーナーが待ち受ける。合わせて直線半ばまで下り坂が続いていく。

 

 マイネルラヴとの半バ身差を維持したままその4コーナーへ入っていくと、3コーナーとは比べ物にならないぐらいの遠心力が一気に体へかかってきた。

 レースの疲労とスプリントGⅠのスピードが合わさった極限状態でのコーナリングだ。わずかでも気を抜けば外へと弾き飛ばされるだろう。

 

 

 そうなれば全てが終わりだ。

 

 

(ここも間違いなく勝負所よ! 一流の気概で踏ん張りなさい、キング()!)

 

 スプリンターズステークスが終わってからずっと、星の数ほどコーナリングの練習をしてきた。

 何度も何度も外に吹っ飛ばされて失敗した。でも徐々に成功も増えてきていた。

 このコーナリングも追走も……坂川とチームメイトに支えてもらってここまで来られた。

 

「ぐぐっ! はあ、はあああっ!」

 

 体幹の意識と足の踏ん張りに全神経を集中させる。

 

(吹っ飛ばされるのだけは……!)

 

 あえて多少膨らむことも頭に入れておけと坂川は言っていた。

 外には誰もいない。少し膨らんでしまっても妨害にはならないことを認識すると、精神的に余裕が持てた。

 

「はあああああああっ!」

 

 すぐ左にいるマイネルラヴのスピードは段々と上がっていて、ブラックホークのすぐ後ろまで距離を詰めて接近していた。ブラックホークの外を狙っているようだ。

 遅れるわけにはいかない。マイネルラヴに追い縋る。歯を食いしばって必死に喰らいつき、死物狂いで半バ身差を維持する。

 

 遠心力に抗う力と、自分の走る力と下り坂による前方への推進力を天秤にかけながら、4コーナーを曲がっていく。まるでギリギリの綱渡りのように思えた。

 

 

 

 そして通り過ぎる、4コーナー中間に設置された4のハロン棒。

 

 

 

 ──残り2ハロン(400m)──

 

 

 

 距離ロス上等で外を回す私を内のウマ娘が交わしていく。私がこんなに苦労しているのに、遠心力の影響なんてどこ吹く風で彼女たちはコーナリングしているように見える。

 ……流石はスプリントGⅠに出走しているウマ娘たちだ。

 

 でも私だって大外での大回りでコーナリングできている! 坂川からの指示通り、内で回るウマ娘に抜かされることは気にしない! 

 

 それよりも、私の意識はコーナリングだ! 

 

(行ける……行けるわっ!)

 

 視線の先に直線が見えた。

 一番キツい、4コーナーから直線へ向くカーブへと入っていく。

 

 これまでで最大の遠心力が身体にかかる。身を任せれば外ラチどころかターフの外まで飛んで行ってしまうような力だった。

 

「ぐっ、ぎぎっ……があああ!」

 

 

 見えざる強大な力で外に引っ張られる。

 

 

 だが抗う。

 

 

 耐える。

 

 

 

 そしてそれは実った。

 

 

 

 私は外へ膨れながらも、4コーナーを抜け直線へと向いた。

 

 

 

 ──っ! やってやったわっ!!!! 

 

 

 

 第二の課題であるコーナリングも乗り切った。

 

 

 ブラックホークの1バ身半後ろにマイネルラヴ。

 マイネルラヴに外からバ体を合わせ、半バ身差を維持した位置に私はいた。

 

 

 ──あとは……! 

 

 

 確かな手応えと共に、向かい風が吹き荒ぶ最後の直線へ──

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ターフビジョンに映るウマ娘たちは向こう正面からコーナーへと差し掛かっていた。

 

『第3コーナーに入ってきました! 先頭はメジロダーリングとアグネスワールド!』

 

 中団にいるキングヘイローがマイネルラヴとの差を詰めていた。

 

「よしよし! よく我慢した! それでいい!」

 

 スタートして1ハロンほど経過したぐらいで、行き脚がつかないのか後方に下がりそうになっていたキングヘイローだが、今は持ち直して遅れることなく追走できていた。遅れたことでムキになって無理に速度を上げて暴走することもなく、フォームが滅茶苦茶になってもいない。頭に血が上らないで落ち着けているようだった。

 中団での追走はまずまず上手くいったように見える。ここまでのレース運びは上々だ。

 

 キングヘイローはそこから一度離れたマイネルラヴとの差を詰めにかかっていた。スパートをかけ始めたようだ。

 仕掛け時は悪くない。問題なのはスパートをかけて速度を上げた状態でのコーナリングだ。外枠スタートで今も外に位置しているし、外側にウマ娘もいない。内で小さく回るよりは大回りでコーナリングする方がやり易いはずだ。

 

 

 緩い3コーナーは……大丈夫そうだ。大外ぶん回しでキングヘイローは3コーナーをカーブしていった。

 

 

 ……正念場は次の4コーナーだ。

 

 

 肝心のキングヘイローはマイネルラヴの外から被せるような位置まで上げて、彼女に対し半バ身差まで迫っていた。

 

『各ウマ娘600の標識を通過! さあ、3、4コーナーの中間へ! 先頭は変わらずメジロダーリングとアグネスワールド! 王者ブラックホークは2バ身ほど後ろ5番手につけています!』

 

 3ハロン目のタイムを確認すると10.7秒だった。2ハロン目が10.5秒で、例年通り10秒台が連続するラップとなっていた。1ハロン目11.9秒と合わせると前半3ハロンのタイムは33.1秒だった。

 バ場状態を考えるとタイム的には極端に早くも遅くもなく、ミドルペースといったところだろう。

 

 タイムを書いたメモから目を上げる過程で、いつの間にか俺の方を向いていたダイアナヘイローと視線が合った。

 

「トレーナー! ラップは何秒なの!?」

「今の1ハロンが10.7。3ハロンは33.1。ペースとしてはミドルだ」

 

 すでにダイアナヘイローの視線はターフビジョンへ戻っていた。

 

「ってことは、中団にいるキングにとっては悪くないのよね!?」

「ああ。あとはコーナーを上手く回れるかどうかだ」

 

 最後の直線に賭けるためにも、この4コーナーで失敗するわけにはいかない。それは今走っているキングヘイロー本人が一番よく分かっているだろう。

 彼女の外にウマ娘はいない。後方から迫って彼女の外に出そうとしているウマ娘もいない。多少は大きく膨らんでも問題ない位置取りだ。

 

 絶対にロスなくコーナリングするのではなくあえて膨らむ選択肢を頭に入れ、コース取りの差で内を回るウマ娘に抜かされることは気にしないよう事前の打ち合わせで言って聞かせてある。

 全てはコーナリングに集中させるためだ。こうして事前に頭に入れておくだけで実際にその事象に直面したとき、心理的に対処しやすい。

 冷静に状況を整理して、見極められていたら良いが……

 

「キング、頑張って……」

 

 ダイアナヘイローが両手を組んで呟いていた。

 

「キングー! 前のレース(スプリンターズS)みたいになったら承知しませんからね!!!」

「キングッ! あなたなら出来るわーっ!!!」

 

 最終直線でエールを送るかのように大声を出すペティに呼応するかのように、ダイナヘイローは声を張り上げていた。

 一緒にトレーニングをしてきたチームの全員が、キングヘイローにとってこのコーナリングが重要だと理解していた。

 

「死ぬ気でコーナリングしてくださいっ! 失敗したら三流のウマ娘って呼んでやりますからっ!!!」

「あなたは一流のウマ娘よっ! 自分を信じてっ!」

「……キング……」

「キングさん……」

 

 カレンモエとサイレンススズカは大声を上げないが、緊張した様子でレースを見守っていた。

 

 いきなりボルテージが上がった俺たちに対し近くにいた観客から驚いたような視線が寄せられた。

 普通は4コーナーを抜けてから思いっきり声を上げるから、まだコーナーを回ってる時点での大声の応援は周りから見たら奇妙に映るのだろう。

 

 キングヘイローは大回りになりながらも4コーナーをコーナリングしてきている。きっと全身全霊の力で必死に頑張っているはずだ。

 今までの彼女のコーナリングのトレーニングが報われるようにと、そんなことを考えていた俺も気づけば年甲斐もなく大きな声を出していた。

 

 

「そのままだ……行ける、行けるぞ!」

 

 

 そしてキングヘイローは我慢して、我慢して……4コーナーを乗り越え、そして最後の直線へとその姿を現した。

 

 

 課題だったスパイラルカーブのコーナリングをやってのけたのだ。

 

 

 キングヘイローは中団の後ろ目で直線を向いた。

 

 

 俺たちに遅れて観客のボルテージもマックスになった。温まっていた俺たちは声を張り続ける。

 

「よしよしっ! それでいいんだキング!!! あとは全員ブッ差すだけだぞ!!!!!」

 

 俺は大声と一緒に足をダンッ、ダンッと踏み鳴らしていた。

 

「さすが一流です! 得意の末脚ですよっ!!! キングなら差せますっ!」

「きゃー! キングーッ!!!」

 

 一層の声援を送るペティとダイアナヘイロー。

 祈るようにレースを見守るカレンモエとサイレンススズカ。

 

『第4コーナーから直線! キングヘイローが中団グループ! 先頭はメジロダーリング! メジロダーリング逃げている! それを捕まえようとアグネスワールド飛んでくる!』

 

 バ場の中央に出したキングヘイローは12、13番手で前を追う。

 

 

 レースは最後の直線を残すのみとなった。

 

 

 ◇

 

 

 直線を向いた私は大外に進路を取り、バ場の中央で最後の直線を迎える。

 

(風が……!)

 

 私の正面に誰もウマ娘がいないため、強い向かい風をまともに受けていた。

 

『第4コーナーから直線! キングヘイローが中団グループ! 先頭はメジロダーリング! メジロダーリング逃げている! それを捕まえようとアグネスワールド飛んでくる!』

 

「……くっ!」

 

 さっきまで視界に入っていなかったウマ娘たちが左前方に見える。つまり、何人ものウマ娘に内から抜かされてしまっていた。

 人数から察するに、私の位置はかろうじて中団といったところだ。おそらく後ろには3人か4人ぐらいしかいないのではないだろうか。

 

 

(けれど、そんなの関係ないわ……!)

 

 

 最後の直線だ。やるべきことは決まりきっている。

 

 

 

 誰にも邪魔されず、ここまでスパートをかけっぱなしで来た。

 

 

 

 脚のエンジンは完全に暖まっており、すでにレッドゾーンまで吹き上がっている。

 

 

 

 

 スプリンターズステークスの最後の直線……羽が生えたように脚は軽いのに、溢れんばかりに力が湧き上がってくるあの感覚の中に私はいる。

 

 

 

(あとは──)

 

 

 

 正面の直線上には誰もない。私を阻むのは向かい風だけ。

 

 

 

 

(私の末脚で──)

 

 

 

 

 

 

 ──『全員ブッ差すだけだぞ!!!!!』──

 

 

 

 

 

 スタンドからよく知った男性の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

(──差し切る!!!!!)

 

 

 

 

「はああああっ!!!」

 

 

 

 向かい風を切り裂き駆ける。

 

 

 ずっとマークしてきたマイネルラヴを並ぶ間もなく交わした。

 その内にいたウマ娘も一瞬で置き去りにする。

 

 私の前にいるのは──

 

 

 

 ──あと9人。

 

 

 

『先頭はアグネスワールド! アグネスワールド先頭! その外からブラックホーク! ブラックホークエンジンがかかったかどうか』

 

 失速するメジロダーリングを突き放してアグネスワールドが先頭に立つ。

 アグネスワールドの2バ身後方からブラックホークが前を追っている。

 

 キングヘイロー()はブラックホークの2バ身後ろまで迫ったところで、2のハロン棒を通過する。

 

 

 4コーナーから続いていた坂を下り終え、待ち受けるのはゴールまで坂と呼べないほどの緩い上り坂。

 

 

 

 ──残り1ハロン(200m)──

 

 

 

「はああああああああああっ!!!!!」

 

 

 走るほどにスピードが上がる。

 

 

 速度が減衰する気配がない。

 

 

 音を超え、光を超え、どこまでも加速していけるような感覚だった。

 

 

 

 

 先頭のアグネスワールドと左前方を走るブラックホークのスピードを、キングヘイロー()は完全に凌駕していた。

 

 

 

 ──アグネスワールドも、ブラックホークも交わせる……!!! 

 

 

 

 

 直感ではない。

 

 

 

 

 それは確信だった。

 

 

 

 ──今度こそ私が……GⅠを!!!

 

 

 

『外からブラックホーク! キングヘイローも追い込んできたっ! キングヘイロー追い込んでくる!!!』

 

 

 

「あああああああああああああっ!!!!!」

 

 

 

 

 最内にいたウマ娘たちをまとめて交わし、私と併せるように走っていたスギノハヤカゼをじりじりと離していく。

 

 

 

 ──あと3人。

 

 

 

 

 ──残り100m──

 

 

 

 

 

 キングヘイロー()とブラックホークの差は1バ身を切っている。

 

 

 

 

 

 

 私より前にいるのは3人。

 

 

 

 

 

 3人。

 

 

 

 

『さあ! 先頭は──』

 

 

 

(…………)

 

 

 

 ()()()()先頭だったアグネスワールド。

 

 

 

 アグネスワールドに半バ身差まで迫っているブラックホーク。

 

 

 

 そしてもう1人。

 

 

(…………まさか、あなただなんて……!)

 

 

 

『──ディヴァインライトだ! 内からディヴァインライト!!!』

 

 

 

 インを突いて強襲してきたのはディヴァインライト。 

 

 

 アグネスワールドの内からディヴァインライトが半バ身差抜け出して先頭に立っていた。

 

 

 意匠を凝らした中東風の黒と黄色の勝負服が一番前で翻っていた。

 

 

 

(……あなたと……私は…………)

 

 

 

 抜け出した彼女を見て、ある思いが胸を過ぎる。

 

 初めてそのことを意識したマイルチャンピオンシップ。続くスプリンターズステークスにも、フェブラリーステークスにおいても、該当するウマ娘は誰もいなかった。

 

 そしてこの高松宮記念において、一人だけ該当するウマ娘が現れた。

 

 

 

 それがディヴァインライトというウマ娘。

 

 

 

 この4レースに出走したウマ娘の中で()()()()()()()()()()()()()()()のはディヴァインライトだけだった。

 

 

 

 それこそ、私が彼女に目を引かれていた理由。

 

 

 

 

(……同じ……)

 

 

 

 

 セイウンスカイが勝った皐月賞。

 

 

 スペシャルウィークが勝った日本ダービー。

 

 

 

 黄金世代のクラシックをキングヘイロー()と共に駆けた唯一のウマ娘──

 

 

 

 

 

 ──それが、ディヴァインライトだった。

 

 

 

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