底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第88話 叶った願い

 WDTでキタサンブラックが勝利した日の深夜のトレーナー室。

 デスクに置いた俺のスマホから着信音が流れた。画面を確認すると、俺が“時間が空けば電話をください”とメールしていた相手だった。

 

 彼に直接訊きたいことがあった。

 

『すまん遅くなった』

 

 電話から聞こえてきたのは清島の声だった。

 

「すいません、先生。お忙しいときに」

『別にいい。何の用だ』

「その……今日のキタサンブラックのレースを見ていたんですが、レース後のウイニングランで歩様が崩れているのが気になりまして」

『…………』

 

 清島は沈黙の後、深い溜息をひとつついた。

 

『……流石にお前なら気づくか』

「ええ。明らかにおかしかったですから」

 

 レース後のキタサンブラックは左脚を庇うように歩いていた。トレーナーであっても集中して観察しないと分からない程度ではあったが、どうしても気になり清島に直接訊くことにしたのだ。

 

「思えば最近のレースを見ていても、直線に入ってから踏ん張り切れずに失速するような様子があったなと。その……キタサンは……どこか故障を……?」

『…………お前には隠せないか。今から話すことは他言無用……まあ、お前だからそんなことはしないだろうがな』

 

 そうして清島はキタサンブラックの状態について話し始めた。

 何年も前から関節や靭帯に多くの怪我を抱えていること。筋肉に治癒できないダメージが蓄積されていること。腰髄の神経損傷により運動障害と感覚障害が出ていること。

 今までは脆弱な箇所をトレーニングで鍛え、最先端の治療やケア方法を導入してきたが、それでもカバーできなくなってきたこと。痛みや痺れも相当強いものがあり、痛み止めや痺れ止めを常用していること。

 

 もう身体的には限界を超えていて、いつ大きな故障をしてもおかしくないこと。

 

 ……常識では考えられないぐらい長い期間走ってきたのだ、故障はいくつもあるのだろうとは思っていた。

 しかし、そこまで状態が重篤だとは思ってもみなかった。清島の話を聞くだけで胸が痛んだ。

 

『今日のレースでは途中から下肢の随意性が著しく低下、腰部から足部にかけての強烈な痛み、加えて両下肢の感覚がほとんど無くなったとキタサンは言っていた。特に左脚の方が悪い。メディア対応が終わったらすぐに精密検査を受けに行かせた。結果は数日後だが……』

 

 言葉を切った清島は逡巡しているようだったが、観念したように続きを口にした。

 

『おそらくもう無理だ』

 

 清島の言う“無理”がどのような意味なのか。彼に訊くまでもなく理解できていた。

 

 キタサンブラックはもう走れない、ということだ。

 

『それでもキタサンは走りたいと言うだろうから、俺も出来る範囲での提案はしてみるつもりだ。だが担当の医者は許さないだろう。俺としてもこれ以上は……』

 

 状態を聞いていると、普通に走っていることさえ奇跡的なことのように思えた。

 しかし奇跡はいつまでも続かない。キタサンブラックにとって、レースを走るウマ娘としての終わりが遂に訪れたのだ。

 

『……俺はキタサンブラックのトレーナーとして、アイツを走らせて勝たせるために常に最善の道を選んできた。だが俺は……』

「先生……?」

 

 清島は何か迷っているような気配だった。口にするべきなのか、口にする内容が彼を言い淀ませているのかは分からなかった。

 

 

『……キタサンを救えなかった…………』

 

 

 聞こえてきたのは、清島の弱々しい声だった。

 

 

 伝わってきたのは、彼の無念さだった。

 

 

 ──キタサンはずっと何かを胸に抱えて悩んでいた、と清島は続けた。

 

 

『キタサンを引き継いでから今まで身体的には最大限のフォローを続けてきた。だが、精神的には……アイツの心を救ってやることはできなかった。それどころか、触れることすらしなかった。置かれた状況と立場を言い訳にして、動かなかった。もみ消して見逃された上に成り立っているこの状況を保つことが俺の最優先事項だった。……が、俺は愚行を犯した』

「愚行……?」

『アイツがあれだけ悩んでいたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……ずっと抱えてきたからこそ、満身創痍になっても走り続けてきた。結局俺はアイツの身体が悲鳴を上げるまで状況を維持するしかなかった。全部が全部、中途半端だった』

 

 清島はリーディングチームアルファーグのチーフトレーナーなのだ。担当ウマ娘だけではなく、俺の想像もつかないぐらい多くのものを双肩に担っているのだろう。

 

『坂川…………すまなかった』

 

 深い底から絞り出されたような低い声だった。

 

「なっ!? なんで先生が謝っ──」

『お前から託されたキタサンを真の意味で導けなかった。すまなかった』

「そんなこと……」

 

 こんな状況になったのは俺がキタサンブラックにドーピングしたからだ。彼にこんなことを言わせている自分が情けなくなった。

 

「……先生」

 

 だが、この期に及んでの俺の謝罪なんて彼は望んでいないだろう。彼の言葉を否定することも、キタサンブラックの傍にいなかった俺にはできない。

 それよりも俺には言うべきことがあると思った。

 

 一時期だけでも、キタサンブラックのトレーナーだった人間として。

 

「キタサンのこと今まで見てくださって、ありがとうございました……本当に、ありがとうございました」

『……ああ』

 

 菊花賞から今に至るまでキタサンブラックのトレーナーとして奮闘してくれていた彼に対する感謝を述べた。

 

「先生、あの……キタサンの抱えているものって一体……?」

『それは……俺の口からは言えねえ。見当はついてるが、アイツに確かめたわけじゃねえから確証もないんだ。ただいつか、()()()()()()()()()いいな、とは思うんだ。アイツが引退して何か変わるかは分からないが……』

 

 この葛藤は彼にしか分からないことなんだろう。だが、キタサンブラックが胸に抱えて悩んでいることの解決に一縷の希望があることは察された。

 

 

「今日はありがとうございました、先生」

 

 

 そうして通話を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「はあっ、はっ…………おーっほっほっほ! キングの勝ちよっ!」

「ぐっ、っ……」

 

 キングヘイローとの勝負に乗ったのは、勝った方の言うことを聞くという勝利条件だったからだ。

 あたしが勝ったら、キングヘイローを通じてトレーナーさんに彼女を痛めつけたことへの謝罪の言葉を伝えようと思っていた。

 

 だが負けてしまった。1200mに対応しきれなかったのもあるが、キングヘイローの鋭い末脚の前に屈した。

 不幸中の幸いは、脚にダメージがあまりないこと。レース前後で痛みの度合いは変わっていない。

 

 彼女が何を言うのか……恐怖心を持ちながら彼女の言葉を待った。

 

 

「約束通り、あなたにはキングの言うことを聞いてもらうわっ!!! キタサンブラック、あなたにはトレーナーに会いに来る権利をあげるっ!!! ……いいえっ、会いに来なさいっ!!!」

「……っ!?」

 

 

 その内容は想像だにしないものだった。

 

 

 ちゃんと謝罪しろとか、痛めつけた理由を話せとか、そんなものではないかと思っていた。

 

 

 ──あたしが、トレーナーさんに会いに……? 

 

 

 なぜそんなことを言うのか。彼女の目的は何なのだろうか。

 

 

「あなたがなぜトレーナーと道を違えたのか、前にトレーナーから話を聞いたわ」

 

 

 やはり彼女はドーピングについて知っていたようだ。それもトレーナーさんから直接話を聞いて。

 

 

 ……ドーピングのことを話すぐらいキングヘイローとトレーナーさんは信頼し合っていることを思うと、言いようのないもやもやとした気持ちになった。

 

 

「2人の間にあった全てを知っているわけではないけれど……キタサンブラック、あなたはトレーナーのことをどう思っているの?」

「……」

 

 そんなこと、ここで説明できるわけがない。

 

「ならイエスかノーで答えられるようにするわ。あなたがトレーナーへ抱く感情は憎悪だけ?」

「……それは……」

 

 返答に窮し、黙ったままでいた。

 答えははっきりとノーだが、それをキングヘイローに示すことを躊躇ってしまった。

 

 あたしは顔を上げられないでいたが、首をゆっくりと左右に振った。

 

「……やっぱり、そうなのね。()()()()()()()()()だわ。なら尚のことトレーナーに会いに来るべきよ」

「……なぜ?」

「私が坂川健幸の担当ウマ娘だからよ。彼の傍にいたウマ娘の気持ち、私なら分かるもの。あなたはトレーナーと話したくはないの? 何か伝えたいことは?」

 

 

 ある。

 

 

 たくさんある。

 

 

 トレーナーさんに話したいことが、伝えたいことが星の数ほどある。

 

 

 でも、今の彼がどんな人か分からないから、それができずにいたのだ。

 

 

 キングヘイローを痛めつけたあたしに対して、彼はどう思っているのか分からないから。

 

 

 口を噤んでいる私を見て、キングヘイローは察したように頷いた。

 

 

「今週末、私が出る高松宮記念を見に中京まで来なさい。私が勝った後の地下バ道か控室に通じる通路なら、他の人やウマ娘もいないんじゃないかしら」

「勝つって……」

 

 何気に勝利宣言をしていた。記者会見と違わないビックマウスだった。

 

「勝たなかったら?」

「キングは勝つことしか考えてないわ。勝てなかったら……あなたが考えなさいな。言っておくけれどこれは勝者の命令よ。あなたに拒否する権利はないわ。あ、言い忘れていたけれど」

 

 キングヘイローは踵を返した。

 

「あの夏のことに関しては、寛大なキングは水に流してあげるわ。おーっほっほっほ!」

 

 彼女の背中越しに高笑いが聞こえてきた。

 

 

 彼女はスマホなどを回収したのちにコースから去っていった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 拭えない恐怖心と共に、深夜のコースにただ一人立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 高松宮記念後の地下バ道から控室へと続く通路にて、キタサンブラックを呼び止めた。

 

 

「トレーナー、先に控室へ戻るわね。ほらみんな、行きましょう」

「キング……」

 

 キングヘイローは状況を飲み込めていない他のウマ娘たちを連れて、この場を去っていった。去り際にこちらを振り向いたキングヘイローを目が合った。

 

 

 キングヘイローたちが去って、通路には俺と俯いて背中を見せているキタサンブラックだけがいた。

 ……彼女はこうして俺の言葉を待ってくれている。

 

 

「キタサン……」

 

 

 

 

 全部だ。

 

 

 

 全部、本当のことを話すんだ。 

 

 

 

 出会った時からのことも。ドーピングした時のことも。

 

 

 あの時に至った誤った答えではなく、俺自身の本当の気持ちを言うのだ。

 

 

 

 別れた後も彼女をずっと見てきた。夢を叶えた彼女に伝えたいことがあるのだ。

 

 

 

 ──意を決して、口を開いた。

 

 

 

「……キタサンが担当に決まったあの日、実は少し怖かったんだ。トレーナーになったばかりの新人なんてキタサンは嫌なんじゃないかなってな。だがお前は何の憂いもなく受け入れてくれた。……本当に、ありがたかった」

 

 

「お前が言った“勇気や元気を与えられるウマ娘になりたい”っていう夢、今でも覚えてる。それを叶えさせてやりたいって、俺は思ってた。そう思ってずっとお前のトレーナーをやっていた」

 

 

「秋頃にメイクデビューが年明けに遅れることを伝えた時、お前が怒るんじゃないかって内心はかなりビビってた。だからお前が謝ったとき正直驚いた。なんでお前が謝るんだよって……ああ、あの時の俺もそう言った気がするな」

 

 

「年が明けてメイクデビューも勝って、スプリングステークスまで無敗で勝ったよな。皐月賞の前、思ったより注目されてないことや観客が喜んでくれなかったことに悩んでたこともあったな……期待されてないんじゃないかって。でも俺はお前に注目して期待して、お前の走りに元気を貰ってた」

 

 

「お前が頑張って走ってたら、絶対に見てくれる人は増えてくるって確信もあった」

 

 

「……クラシックの皐月で担当ウマ娘の敗北を初めて経験した。泣いてるお前を見て、自分への怒り、不甲斐なさ、情けなさが混ざった最悪な気持ちになった。何より悲しくなった。次のダービーこそは絶対に勝たせるって意気込んでた」

 

 

「だがダービーも14着に負けちまって……俺はその原因が距離適性にあると思い込んでいた。今となってみりゃとんでもない勘違いだったわけだが、当時の俺は距離適性で負けたと疑わなかった。だからセントライトの後、俺は天皇賞秋を選んだ。笑っちまうほど未熟だったが、未熟なりに一生懸命考えて出した答えだった。お前にGⅠを勝たせて、トゥインクルシリーズの主役になって多くの人に勇気や元気をあげられるウマ娘にさせることが、あの頃の俺の全てだった。その為だけに、俺は全てを注ぎこんでいた」

 

 

 

「……キタサンが俺の全てだったんだ」

 

 

 

「高負荷のトレーニングでもお前は頑張ってくれて、セントライトも勝ってくれた。そして菊花賞じゃなくて天皇賞秋を一時的にでも選んでくれた。……お前の話を聞かず、俺は自分の意見だけを押し通した形になった」

 

 

「だが、天皇賞秋へ向けてのトレーニングの成果が予想通りに上がらなかった。そこで俺は焦った。キタサンは今がピークかもしれないと本気で考えてたんだ。天皇賞秋がお前にとってGⅠを勝つ最後のチャンスかもしれないとまで思っていた」

 

 

「……俺は弱かった。勝たせてやりたい気持ちを履き違え、何があっても受け止めてやる覚悟が無かった。敗北だけは許容できなかった。負けてGⅠを取れずキタサンが夢を叶えらない未来が怖くて堪らなかった。何としてもお前に天皇賞秋を勝たせてやりたかった。……余裕が無かった俺は……」

 

 

「あんなものに手を出してしまった……」

 

 

「……俺だけが知ってればいいと思ってた。だが、その日のトレーニングで計測したタイムが…………こんなもの使っては駄目だと思った。混乱して、頭がぐちゃぐちゃだった。何やってんだ俺って、その時になって初めて思ったんだ」

 

 

「気持ちに全然余裕が無くて、そんな精神状態で……トレーニング後、やっぱり天皇賞秋より菊花賞に行きたいとお前に言われたとき、俺はいっぱいいっぱいになった。今更何を言ってんだ、って……」

 

 

 

「お前のためだけに頑張ってたのに、友達との約束を優先して俺の頑張りは無駄にするのか」

 

 

「GⅠを勝つ最後のチャンスかもしれないのに、適性の無い長距離なんて走らせられない」

 

 

「お前にGⅠ取らせるために死に物狂いで考えて天皇賞秋にしたのに、なんでそんなことを言うんだ」

 

 

「……そう思ってた。後日、家の前で言ったように、友達との約束なんてくだらないとまで思ってた。……今思い返しても最悪だ。何にも言い訳できない」

 

 

 

「そして…………お前を傷つけて……」

 

 

 

「………………お前に再び会うまでに、ある人に『キタサンの身を案じられる人間ならあんなことはしないだろう』って言われて、俺は…………」

 

 

「…………自分の気持ちが分からなくなった。俺は本当にキタサンを大切に思っていたのか、本当の俺はどんな人間なのか。……分からなかった」

 

 

「キタサンが大切で、俺にとって掛け替えのない存在だと思っていた。だが、そう思っている人間があんなことはしないと考えるようになってしまった」

 

 

「……分からなくなった俺は、事実から本当の気持ちを導き出そうとした」

 

 

「過ちは事実として在った。なら許されないことをした俺は、キタサンのことなんて心の底では大切に思ってないんだろうって……そんな結論に至った。あの時の俺は自分の頑張りと努力を無下にされたと思い込んで逆恨みするような浅ましい人間で、キタサンのことなんか何も大切に思っていなかった。俺が分かってなかっただけで、それが本性で本音で、結果あんなことになったんだと」

 

 

「だからあの時、『お前なんて大切じゃない』と言った。あの場が俺とキタサンが言葉を交わす最後の機会だと思って、ありのままの真実を伝えた。……違うんだ。今の俺なら分かる。それは真実でなく、偽りだったんだ」

 

 

「……俺はずっと、お前のために努力して頑張っていることを分かってほしかったんだ。だから菊花賞を選ぶと聞いて裏切られたと感じ、頭に血が上ってあんなことになった」

 

 

「……キタサンを想う気持ち。俺の頑張りと努力を分かってほしい気持ち。当時の俺の中では2つは両立しなかったが、それは誤っている。その2つは反対の感情じゃなくて、全く別のものなんだ」

 

 

 

「キタサンを想う気持ちはずっとあったんだ。出会ってから別れることになったあの時に至るまで、キタサンは俺にとって掛け替えのない大切な存在だった。今もそれは変わらない」

 

 

 

「……あの時、お前が俺の目の前で泣いてるのを見て、何で俺がキタサンを泣かせてるんだと自分を非難していた」

 

 

「……あれから色々な経験をして、やっと分かったんだ。何よりも大切なキタサンを、他の誰でもない自分が傷つけて汚したことを、俺は認めたくなかったんだ……」

 

 

 

「……………………ほんとうに、すまなかった…………」

 

 

 

「あんなことをしたことも、お前に偽りの想いを伝えてしまったことも、本当にすまなかった……」

 

 

「担当してからも、担当でなくなっても、キタサンは俺にとってずっと大切な存在だった。……戒めの気持ちもずっとあった。どんな時でもお前が胸の奥にいたんだ」

 

 

「…………」

 

 

「……その後も、実はお前のことをずっと見ていた。レースもライブも、メディアの記事とか追い切りの映像だってチェックしていた」

 

 

「俺がお前のレースを見る権利があるのかなんて自問自答したこともあったが、気づけばお前が出走する日はモニターの前に座っていた。あの菊花賞も、門別のトレーナー寮の部屋で見てた」

 

 

「お前が1着でゴールして笑ってるのを見たら、モニターが見えないほど涙が出てきた。お前がどれだけ頑張っていたかは傍にいた俺が一番よく分かっていたから。直接お前におめでとうって、言ってやりたかった。観客のエールに応えているお前を見て、夢が叶って良かったなって、言ってやりたかった」

 

 

「……中央に戻って、担当が全然勝てなくて精神的に厳しい時期が続いた。その時でも、お前がトゥインクルシリーズのレースを走って、GⅠを勝って、ライブで歌って踊って……お前のキラキラしている姿が、心の大きな支えになってくれていた」

 

 

「多くのウマ娘を担当して、別れて……そしてキングヘイローを担当した。無敗の3連勝で重賞勝って、善戦した皐月に14着のダービーなんてお前とそっくりで、お前とキングを重ねてしまって失敗もした。……あの夏、キングと走っていたのは正直驚いた。お前が俺を憎んでいるからキングに……俺のせいだと思って、キングには申し訳なかった」

 

 

「それでもお前を悪く思うなんてできなかったし、俺はお前のレースやライブをずっと見続けてきた」

 

 

「…………」

 

 

 

「……キタサン」

 

 

 

「今更かもしれないけど、聞いてほしい」

 

 

 

「トゥインクルシリーズ、よく頑張って走ったな。GⅠ7勝も、2年連続の年度代表も本当に凄い。……キタサン、夢は叶ったんだな。本当におめでとう」

 

 

 

「DTLも……実は少し前に、先生からお前の身体のこと聞いた。……しんどかったよな。でも、お前の駆ける姿は皆に……俺にもちゃんと届いてたよ。凄い走りだった。お疲れさま」

 

 

 

 

「…………ありがとう。キタサン」

 

 

 

 

 不意にある映像が脳裏によぎった。

 

 

 

 

 キタサンブラックのトゥインクルシリーズ引退レースとなる有馬記念のライブだった。

 

 

 

 

「……ああ、そうだな……」

 

 

 

 

 ──『あたしの走りで、あなたに笑顔と元気を届けられましたか?』──

 

 

 

 

「お前の走りを見て、笑顔と元気をたくさん貰った」

 

 

 

 

 ──『あたしの歌で、あなたに感謝の気持ちを伝えられましたか?』──

 

 

 

 

「お前の歌で、周りの人や観客への感謝の気持ちも伝わってきた。お前なら、俺にも感謝を……なんて勝手が過ぎるか。でも、そう思ったら俺も救われたような気持ちになった。別れるまでの間だけでも、お前はそう思ってくれてたんじゃないかって」

 

 

 

 

 ──『あたしは、あなたの夢になれましたか?』──

 

 

 

 

「お前の夢は、俺の夢でもあったんだ。お前の夢を叶えさせてやりたいのが、俺の夢だったから。ありがとう、キタサン。俺に夢を見せて……叶えさせてくれてありがとう」

 

 

 

 

「そして今日、こうして伝えに来てくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

「キタサン、ありがとう────」

 

 

 

 

 

 

 

 ──俺に背中を向けていたキタサンブラックが振り向いた。彼女の目には涙が溢れて、流れていて。

 

 

 

「トレーナーさんっ……!」

 

 

 

 震える声と共にキタサンブラックが駆け寄ってきて、縋りつくように俺の胸に顔をうずめて声を上げて泣き始めた。

 

 

「キタサン……?」

 

 

 突然のことで頭が回らず、俺はキタサンを受け入れることしかできなかった。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさいっ…………っ、っく……あたしっ、トレーナーさんのこと何にも分かってなくてっ…………トレーナーさんの苦労や苦悩を……あたしへの想いをちゃんと分かってたら、あんなことにはならなかったんじゃないかって、ずっと……ずっとっ……」

 

 

「……うあっ……ううっ…………クラシック級の有馬の後に清島先生に…………トレーナーさんのノートを見せてもらって、初めてトレーナーさんが悩んでたことを知って……っ……」

「ノートって…………まさか! あれを読んだのか?」

 

 

 こくっとキタサンブラックは頷いた。

 確かに彼女について記録したノートを清島に渡していた。トレーニングの内容や評価以外にも、普段の何気ない考えや思いみたいなものも書いたものだったが、まさか彼が見せていたとは……

 

 

「トレーナーさんに……あのことがあって、『大切じゃない』って言われてっ…………っ、うあっ…………トレーナーさんが今はあたしのことどう思っているのか分からなくて、怖くて……もうあたしのことなんてどうでもいいんじゃないかって思って……」

 

 

「周りの人や応援してくれる人たちみんなに笑顔や元気をあげられたけど…………っ……トレーナーさんだけには、あたし何にもあげられてなくて……」

 

 

「……うくっ……少しでも、何かを返したかったんです。大切なものをたくさんくれたトレーナーさんに…………でもっ、レース場にもライブ会場にも、どこにもトレーナーさんの姿だけが無くて……もう見てくれていないなら、どうしたらいいのか分からなくて……っ……」

 

 

 

「あたしっ……走り続けるしかなくて。それ、それしかっ……思いつかなくて……もしかしたら見てくれるかもって思うしかなくてぇ……」

 

 

 

「……キングヘイローさんのことは、本当にすみませんでした…………あたしも、キングヘイローさんに自分を重ねて見てしまって、まるで昔の自分を見てるみたいでっ、昔の自分に腹が立って……っ…………何にも関係が無い彼女に許されないことをしました……ううっ……すみません、すみません……」

 

 

「…………っ……あ、あんなことをしたから、ウマ娘を大切に思うトレーナーさんはあたしに怒ってるだろうなって、憎んでるだろうなって……どうしようも、なくなって……うくっ……」

 

 

「……ダイヤちゃんからレースを見てくれていたって知りました。でも、やっぱりトレーナーさんはどこにもいなくて……うくっ……もう……もう願いは叶わないって分かってても、走る以外あたしには無くて…………それも、怪我で終わりだって…………」

 

 

「でも────」

 

 

 キタサンブラックが顔を上げる。

 

 

 くしゃくしゃの泣き顔が目の前にあった。

 

 

 

「──よかったです。あたしの想い、トレーナーさんに届いてたなら、よかったっ……」

 

 

 

 その泣き顔に鮮やかな笑顔が混じった。

 

 

 キタサンブラックが俺に笑いかけてくれた。

 

 

 失われていたものが今、すぐ近くにあった。

 

 

 

「……ずっと見てたぞ。ちゃんと届いてた。ありがとうな…………そして、すまなかった。たくさん迷惑かけちまったな」

「いいえっ、あたしの方こそ……っ……?」

 

 

 キタサンブラックの視線が俺の上着の胸ポケットに向けられていた。そこには──

 

 

「ああ、これか」

 

 

 胸ポケットに差さっていたのは、彼女から貰った万年筆だった。

 万年筆を手に取り、彼女の目の前に掲げた。

 

 

「そうだ。お前から貰ったやつだよ。細かい傷はついてるが、結構綺麗だろ?」

「あ……あ……」

「大切にしていた。今日みたいにレースの時は絶対に持ってきてた。……ずっと傍にいてくれたんだ」

 

 

 彼女の瞳からまた涙がポロポロと零れ落ちていった。

 

 

「なあキタサン」

「はい……?」

「俺のしたことは許されない。許してくれなんて言えない。それでもお前とこうやって会って、話をして…………おこがましいかもしれないが、やり直したいんだ」

「……! はいっ……あたしも……!」

「……また、俺と一緒に歩んでくれるか?」

「はいっ……! はいっ!」

 

 

 

 まだ目尻に光るものが残るなか、花が咲いたような満面の笑みがそこにあった。

 

 

 

「これからずっと、この先どこまでも! またよろしくお願いしますっ! トレーナーさんっ!」

 

 

 

 お互い歳を重ねて、彼女の顔立ちも完全に大人になっていたが、今だけはあの頃のキタサンブラックがここにいた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 通路の曲がり角にて。

 控え室に向かうと嘘をついたキングヘイローたち5人は坂川とキタサンブラックを曲がり角の物陰から顔を出して見守っていた。あと邪魔が入らないように見張りもしていた。

 離れているため会話は詳細に聞き取れていないが、2人の関係が修復できたことは分かった。

 

「……良かったわね。トレーナーもやる時はやるじゃない」

「ぐぇっ……おにいさん、おねえさん……」

「……ペティ、ハンカチ」

「モエさんありがとうございます……」

 

 声を殺して泣いているペティはカレンモエが差し出したハンカチで涙をぬぐっていた。ペティ自身の持っていたハンカチは既に涙に濡れ使い物にならなくなっていた。

 

「どういうこと? あれキタサンブラックよね?」

「ええ、そうだけれど……事情は分からないけれど、良かったのだと思うわ」

 

 坂川とキタサンブラックについて何も知らないダイアナヘイローとサイレンススズカではあるが、空気を読んで3人の後ろから見守っていた。

 

『11Rに勝利したウマ娘と担当トレーナーはインタビュースペースまでお越しください』

 

 そんなアナウンスが通路にも流れた。

 

「マズいわっ! とりあえず控え室に行きましょう! あなたたちにはキングの身嗜みを早急に整える権利をあげるわっ!」

 

 そうしてキングヘイローたちは2人に気づかれる前に物陰から去っていった。

 

 

 

 

 

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