底辺キング   作:シェーク両面粒高

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時系列的には第76話と第77話の間です


After story & Side story
A&S1話 閃き


 私が逃げた先は冷たい小雨が降る誰もいない中庭だった。三女神様の像の下で足を止めて思わず空を見上げた。

 曇天の空から降って来る雨が女神様の顔を濡らし頬を伝う。まるで女神様が泣いているように見えた。

 

 ……今の私の心を表してるみたい。

 

 女神様なら私の気持ち、分かってくれるかな……

 

「待ってくれ!」

 

 中庭の静寂を破る彼の声と足音。

 彼の声を聞くだけで、私の心臓は高く跳ねた。

 

「……君は誤解してる」

 

 彼の足音が私に近づいてくる。

 

「いやっ……来ないでください……」

 

 なんて白々しい。私はウマ娘なんだから、走って逃げればヒトの彼は追いつけないのに。でも私はそうしない。

 

 彼は私のすぐ真後ろまでやってきた。

 

「俺の本当の気持ち、聞いてくれないか」

 

 首を左右に振る。だって知ってる。この人の言うことは全部嘘だ。

 彼はライバルチームのエースである私を自分のチームに引き抜きたいだけ。

 

 こうやってウマ娘の恋心を利用する悪いトレーナーなんだ、彼は。

 

「……あなたは……私にトレーナーさんを裏切れって言うんでしょう……?」

「違うよ」

 

 ……振り向いちゃだめだ。振り向いたら私は──

 

「うそっ! 新人時代から同期の……私のトレーナーさんを目の敵にしてるの、知ってるんです! いつも私のトレーナーさんが成績良くて……今だって私のトレーナーさんの方がGⅠをいっぱい勝ってて、だから……っ!?」

 

 彼は私を後ろから抱きすくめた。手を回してあすなろ抱きをされたのだ。細身なのにたくましい腕が私に絡みついていた。

 漂ってくる彼の甘い香水の匂いで脳が痺れて何も考えられなくなる。背の高い彼の吐息が耳にかかり全身が沸騰したかのように熱くなる。彼に抱かれているという現実にどうしようもなく心と体が悦んでいる。

 

「俺は君が女の子として好きなんだ」

「っ……う、うそです……」

「本当だ。信じてほしい。君のことが好きなんだ」

 

 彼の声がどろどろの熱い塊となって、全身を満たしていく。嘘だと分かっていても、心と体はごまかせない。

 顔も熱い。たぶん今の私、真っ赤っかだ……

 

「君が好きだ。だから君と一緒に走りたいんだ」

「うそっ……」

 

 “好き”と言われるだけで私の全てが奪われてしまう。

 

 彼の手が私の肩に置かれ、振り向かされる。私は抵抗しなかった。抵抗する気も、もうなかった。

 

 あどけなさが僅かに残っているが、まるで彫刻のように恐ろしいほど整った甘い顔を見上げる。切れ長の二重の目に見つめられると、まるで石になったように体が動かなくなる。

 彼のセットされた髪の毛から雨が滴り、染みひとつない頬に伝っていく。

 

 心臓が怖いぐらい鳴っている。

 

「っぁ……」

「…………本気なんだ」

 

 嘘だ。今の私にしてるように、彼は他のウマ娘にもこうやって引き抜いているのを知っている。

 彼は私のことなんて好きじゃない。ただ競走能力が高いから利用しようとしているだけだって、私は分かってる。

 

 顎を指でつままれて上を向かされる。

 彼が屈んで、その顔が私へと落ちてくる。

 

 何をされるかなんて、考えなくても分かる。

 

「…………いやっ……」

 

 こんな悪い男、突き飛ばしてしまえばいい。指導者としての腕もあって、私のことを親身に支えてくれる()()トレーナーさんの方がいいに決まっている。

 

「…………」

 

 ──でも、できない。

 

 私の本能が理性を完全に抑え込んでいた。

 

 体に力は入らない。入れる気もない。

 

 だって私が望んでいるから。

 

 ……こんなの、惨めになるだけだって分かってるのに……

 

 目が合う。

 鼻が当たらないように彼が首を傾けて近づいてくる。

 お互いの息がかかる。

 唇と唇の距離が数センチとなる。

 

 彼の頭越しに三女神様と目線が合う。はしたない私を見下ろしている。

 

 そして──

 

「最低っ……」

 

 ──唇が重なるか重ならないかの瞬間に、画面が一気に暗転した。

 

 

 ◇

 

 

 キスする直前に暗転して真っ黒になったモニターには、トレーナー室のソファーに座っている3人のウマ娘の姿が映っていた。動画の再生は終了したが誰も何も言葉を発さなかったので、横目にそのドラマを見ていた俺はありのままの感想を口にした。

 

「なんちゅう話だ。最悪なトレーナーだな。こんな引き抜きバレたら普通に処分されるぞ」

「ちょっとトレーナーさん、せっかくの余韻をぶち壊さないでくださいよ! いや~今週の“揺れ恋”も面白かったですねえ」

 

 食い入るようにドラマに見入っていたペティがデスクにいる俺の方を向いて即座に反論してきた。

 

「……き、キスって……え、え~っ……。ちょっと過激すぎじゃない……?」

 

 両手を頬に当ててぽーっとしてるのはダイアナヘイロー。

 

「…………」

 

 スタッフロールを見終わってから手元のファッション雑誌を再び開いたカレンモエ。

 

 

 状況を整理しよう。

 

 今日はキングヘイローがスプリンターズステークスを3着に終えてから一週間後の日曜日。今週は平日にペティの卒検発表があったり、トレーナーの研究発表会の後アドマイヤベガのトレーナーと飲んだりとかなり慌ただしい週たった。

 

 トレセン学園も冬休みに入り、何を隠そう今日は有馬記念の開催日だった。歴史的激闘となった有馬も1時間ほど前に決着がつき、4センチ差でグラスワンダーがスペシャルウィークを抑えて勝利しグランプリ3連覇とした。映像で見る限りスペシャルウィークが差し切っているように見えたのだが、ゴールの瞬間だけグラスワンダーが前に出ていたらしい。勝利を確信し笑顔でウイニングランをしていたスペシャルウィークだったが、電光掲示板に結果が出た時に何とも言えない表情になっていた。そんな彼女を見ると居たたまれない気持ちになったが、そこまで悲壮感が無かっただけマシだったのかもしれない。

 この有馬でスペシャルウィークはトゥインクルシリーズ引退を発表しており、その勇姿を見届けるために同期のキングヘイローと元チームメイトのサイレンススズカは中山まで足を運んでいた。なので現在このトレーナー室に2人の姿は無かったのだ。

 

 そして有馬の後、ペティが私物のノートPCとモニターを繋いであるドラマを3人で見始めた。以下ドラマの情報についてはペティ達から聞いた話である。

 

 このドラマは“揺れる恋とウマ心”というタイトルで、トレセン学園を舞台にした話だ。ある動画配信サービスにおいて毎週日曜日に最新話がリリースされており、略称は“揺れ恋”や“揺れウマ”とのこと。

 実はこの作品、URAが全面的に協力していて実際のトレセン学園で撮影を行っているのだ。先程の中庭と三女神像もセットではなく実物である。レースシーンも東京など本物のレース場を借りて撮影しているのだから驚きだ。ドラマや映画などを見ない俺は知らないのだが、実力派の監督と脚本家のタッグで話題性は高く、役者も期待の若手を多く起用しており若い女性の間で人気らしい。

 このドラマは当のトレセン学園の生徒内でも流行っているらしく、ウチのチームの面々も例に漏れず話をしているのを度々耳にしていた。ペティやダイアナヘイローは熱中しており、海外ドラマをよく見ると話すキングヘイローもしっかりと見ているらしい。カレンモエとサイレンススズカは一応目を通してはいる程度のようだ。

 

 さっき述べたように日曜日が配信日、つまり今日が最新話のリリース日となっていて、このあと予定の無いペティがトレーナー室の大きなモニターで見たいと言ってきたので使わせてやったのだ。それで他の2人も一緒に見る運びになって今に至る。テーブルの上にはクッキーなどのお菓子も並んでおり、お茶をしながら彼女たちはドラマを見ていた。

 俺も適当に作業をしつつ、話題になるドラマがどんなものか興味があったので合間にチラチラと目をやって見ていたのだが…………あんなのが今の若い女には受けるのか。

 

 あまり過激な表現にならないよう最後のシーンも直接的なキスは映していないあたり、その辺はURAにも配慮してあるのだろうか。キスする直前に突き飛ばしたのかもしれないが。

 それにしてもURAのコラボした作品がドロドロの恋愛を描いた作品だとは……URAも焼きが回ったか。それともこんな作品になると思っていなかったか。話題になれば何でも良かったのか。

 なぜか糸目の男の顔が浮かんできた。

 

 顔を少し赤くしたダイアナヘイローはまだ余韻を味わっていた。

 

「複雑な恋……。彼の気持ちはこっちに向いてないけれど、主人公は彼のこと好きなんだもの。き……キスなんてされたら、拒めないわよね…………はあ~。彼もそれを分かってるから…………罪なトレーナーね……」

「そりゃあんなことしてたらURAどころか警察にしょっぴかれるからな。未成年の学生を食い物にするクソ野郎なだけだろ」

「そういう意味じゃないわよっ! トレーナーは黙っててちょうだいっ!」

 

 彼女の言う“罪”の意味を分かってはいたが、ついつい口を挟んでしまってダイアナヘイローに威嚇された。

 

「トレーナーさんってあれですね。女性とデートしたら面白くないって言われる男ですね。そこは女に合わせて『面白かったね~』とか『先が気になるね!』って言うのがモテる男ですよ。揺れ恋見てモテるトレーナー像を勉強したらいいんじゃないですか?」

「現代社会は立場が下でも女からでもセクシャルハラスメントは成立するんだぞ」

 

 そんな軽口を叩きつつ、ペティはまたドラマを巻き戻して最後のシーンを見始めた。

 

「この俳優ほんとカッコいいですね~。今まで三枚目の役が多かったのに、こんな二枚目の役できるならこれからもっと活躍するかもですね」

「はあ~……もう一回見てもドキドキするわ……きゃー!」

 

 ひとしきりペティとダイアナヘイローがきゃっきゃした後、ドラマ鑑賞会もお開きになった。

 

 

 

 

 

 

 

 ペティとダイアナヘイローが去ったトレーナー室に残るのは俺とカレンモエの2人になった。

 先程まで占有されていたモニターで俺は先週の中央のレースを見ていた。先週末にスプリンターズステークスがあったり、今週はペティの卒研発表の手伝いをしていたり、飲みにいったりで腰を据えてレースを見る時間が無かったのだ。

 

 先程ウマ娘たちがいたソファに腰を下ろし、手元に用意したタブレットに気になったことをメモしつつレースを見ていた。中央の全レースに目を通すのは昔から行っているルーティンである。

 

 一緒のソファーに1人分の間を空けて隣にいるカレンモエは時々スマホを弄りながらも相変わらず雑誌を読んでいた。

 

「……トレーナーさん」

「どうしたー」

 

 レースから目を離さないまま返事をした。

 

「未成年じゃなかったら食い物にしてくれるの?」

「はあ?」

「モエはもう未成年じゃないよ?」

「お前何を……っ?」

 

 モニターを遮ってカレンモエが俺の正面に現れたかと思うと、彼女は俺の膝に腰を下ろした。ソファの軋む音がして、彼女のスカート越しのトモの肉感が伝わってきた。

 両腕は俺の首に回され、俺を見つめる彼女の顔がすぐ目と鼻の先にあった。さっきのドラマの2人ほど近くではないが、お互いの息遣いが分かる距離だった。

 

「近えぞ……ちょっと離れ──」

「どうなの……?」

 

 カレンモエの青い瞳から視線を外すことを許されない俺は、彼女の言葉に意味について頭を回していた。

 

 ──『未成年の学生を食い物にするクソ野郎なだけだろ』──

 ──『未成年じゃなかったら食い物にしてくれるの?』──

 

 おそらくはさっきの俺の台詞を受けての話だ。

 

 ──『モエはもう未成年じゃないよ?』──

 

 カレンモエも自身の言う通り世間一般では大学1年の年代なので確かに年齢的に未成年ではない。

 

 つまり彼女の言いたいこととは何なのか。

 

(分かっちゃいるが……)

 

 ……恋愛的な経験が無いとはいえ、俺はそこまで鈍い人間ではないと思う。これでも一応はトレーナーとして多くの人間やウマ娘の感情の機微と向き合ってきた。彼女が何を言いたいのか、そもそも前々から彼女が俺に向けてくれてる感情だって大体は理解している。

 

 つまり今、彼女が言いたいのは──

 

「トレーナーさんはモエのこと食べたい?」

 

 カレンモエはあざとく首を傾げていた。

 

「食べていいよ……?」

 

(今日はえらく直球だな……)

 

 それにしても今回の物言いは度を過ぎているように思うので一度窘めないといけない。

 

 ……どちらかと言うと食われそうなのは俺の方なんだが。

 

「……食べたくない……?」

「はあ? ……なっ、お前っ!?」

 

 気づけばカレンモエの目がうるうるとしていた。

 あまり感情を顔に出さない彼女が泣きそうになっているなんて初めてのことだった。少なくとも俺はそんな彼女を見たことがなかった。驚愕と焦燥が同時に俺を襲った。

 

「お、おい。ちょっと、モエ……」

「……なんて」

 

 彼女が瞬きをした次の瞬間、潤んでいた瞳が跡形もなく消え去っていた。

 

「なっ!?」

「……ふふっ、ごめんね? でもカワイイトレーナーさん見せてもらったからお礼に……はい、どうぞ」

「んぐっ」

 

 開けていた俺の口に何かが差し込まれた。俺の唇に彼女の指が当たる感触と共に、口内には硬くてザラりとした感触とバターの香りが広がった。

 どうやらあらかじめ手に何か持っていたようだった。

 

「それ、モエが焼いたクッキーだよ」

 

 彼女が俺の口に入れたのはクッキーらしい。ドラマ鑑賞のときからテーブルの上に並んでいたものだが、彼女が焼いたものだとは知らなかった。

 咀嚼するとさくさくとした小気味よい音をしてクッキーが崩れた。同時により一層のバターの香りがして程よい甘みが口内を満たした。普通に美味しかった。

 

「今は()()()()()許してあげる。……実は今食べてもらったの、ハートの形をしたクッキーだったの。他は全部丸形だけど、ひとつだけハートの形で作ったんだ」

 

 俺が飲み込んだタイミングを見計らってから口を開いた。

 

「モエのハート、美味しかった?」

「美味しかった、美味しかったからこれ以上は勘弁してくれ……」

「ふふっ、うん。ありがとう」

 

 カレンモエはまた柔らかく笑うと、今度は1人分の距離を詰めてすぐ隣に座った。俺に軽くもたれかかってまた雑誌に目を落としていた。

 

 なぜひとつだけハート型で作ったのだとか、それを俺に食わせたなんてのは訊いた方の負けだ。もう既に色々負けている気がするが……

 

 

 

 

 

 

 気を取り直して再びレースを見てしばらくすると、モニターが中山ダート1800mで行われるクラシック級以上3勝クラスの北総ステークスを映した。俺はタブレットで出走表とあらかじめ結果を確認しながらスタートを待った。

 実況がレース名を告げるとカレンモエが雑誌から顔を上げて反応した。

 

「どうした?」

「これ、先週のレースだよね?」

「ああ」

「…………」

 

 カレンモエはフラットな表情でじーっと画面を見つめている。

 

「トレーナーさんは知らないと思うけど、このレースにモエの従妹が出てるよ」

「は? 本当か?」

「うん。ゼッケン4番の娘。1つ下なんだ」

 

 姉妹や従姉妹など血縁関係のあるウマ娘が同時期に中央に所属していることはそこまで珍しくないこととはいえ、カレンモエの従妹が中央にいるとは初耳だった。

 

『ゆっくりと今収まって、14人ゲート入りが終わります。……スタートしました』

 

 その4番の黒鹿毛のウマ娘に注目していると、彼女は中団後ろからレースを進めていた。そして向こう正面に入ったところから彼女は驚きのレースをし始める。

 

「おいおい……」

「寮が違うから普段は会わないけど、この前トレーニングコースで偶然会ったの。その時、このレースで出遅れたら新しい戦法を試してみるって言ってて……」

 

 カレンモエの歯切れの悪さから察するに結果は芳しく無かったのだろう。

 

 結局その4番のウマ娘は1着のホールシバンから8バ身ほど離された6着に敗れた。流石にあんなレース運びをしていたら沈むのは当たり前だろう。

 

「……一応メモっとくか」

 

 気にはなったので、タブレットにメモだけしておいた。

 

 

 “4番テリオスベル 向こう正面からの捲り”

 

 

「……」

 

 もし仮に、この戦法が実現できるならば──

 

 

 ──()()()()()に生かせるのではないか。

 

 

 考えもしなかった閃きが頭に過った瞬間だった。

 

 




またボチボチ投稿していきますのでよろしくお願いします
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