底辺キング   作:シェーク両面粒高

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A&S2話 訪問と旅の始まり

「ここか……」

 

 日曜日の昼下がり、俺は高級住宅街の奥まったところで目の前にそびえ立つ建物を見上げていた。外壁は暗い灰色で5階建てのそれは横幅が広く、事前情報がなければマンションだとは分からなかったに違いない。見た目はまるで映画で見る軍事要塞のようだ。

 大体、平民からしたら高級マンションと聞けばもっと高層でタワー的なものを想像するのではないか? 現に田舎の普通の日本家屋で生まれ育った俺はそうだった。

 

「……」

 

 尻ごみしている場合ではない。

 

 意を決してエントランスに入り、いくつものインターホンや高級ホテルかと見間違えるような豪華絢爛なエントランスラウンジを潜り抜け、エレベーターで最上階の5階の角部屋へとたどり着いてまたそこでインターホンを押した。

 暗い茶色をした重厚な扉が開かれて、中から姿を現したのは──

 

「トレーナーさんっ。どうぞ、上がってください!」

 

 ──この部屋に住むキタサンブラックだった。

 

 

 なぜ俺がキタサンブラック宅を訪れているのか。その理由は月曜日まで遡る。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 高松宮記念の翌日の月曜日、午前中の怒涛の取材対応を終えた俺は自身の城であるトレーナー室でカップラーメンを啜っていた。遅めの昼食だった。

 

「はあ~。慣れねえことすると疲れんな……」

 

 GⅡやGⅢを勝った時も翌日の取材はあったが、やはりGⅠとなるとその取材の量も質も段違いだった。メディアの数も多いし、質問もかなり深いところまで訊いてくる。加えてレース後あれだけ泣いたのをどこのメディアも把握しており「どんな気持ちだったんですか」「男泣きされてましたね!」「キングヘイローさんになんて声を掛けられたんですか」などと追及された。誤魔化そうとするも中々諦めてくれなくて参ったが、無難に答えてその場を終えた。

 午後はトレーニング中にキングヘイローと一緒に受ける取材があり、テレビ局もいくつか入るため取材陣の数が多いと聞いている。嬉しいことだし、喜ばしいことだと思う。でも昨日の今日で色んな意味で疲れているのは確かだった。慣れもあるのかもしれないが、担当がGⅠを勝つたびにいつもニコニコと笑顔で取材を受けている天崎の体力はどうなってるんだと疑問に思うのと同時に感心していた。

 

 

 

 昼食を終えて、放課後のトレーニングへ向けての準備をしていた。今日は取材対応のためトレーニングにつけない時間が長いので、あらかじめメニューを作っておく必要がある。

 作業を始めてから1時間ほど経過したころに扉をノックする音がした。ウマ娘たちは授業中だし、学園の職員か他のトレーナーだろうか。

 

「どうぞー」

 

 そう呼びかけるとゆっくりと扉が開かれ、おずおずと姿を現したのはキタサンブラックだった。

 

「……お、お邪魔します」

「キタサン!?」

 

 想定外すぎる来客に思わず立ち上がってしまった。

 

「えっと……入ってもいいですか?」

「あ、ああ」

 

 まだ気が動転しているなか、室内に入ってきたキタサンブラックをソファへと誘導した。

 取りあえずまだ温かい電気ケトルでお茶を淹れて彼女へと出した。テーブルを挟んで彼女の正面に俺も腰を下ろそうとし、これでは面接みたいだなと思い直し彼女から見て90度の位置にあるソファへと座った。

 

 昨日の高松宮記念の後にお互いに胸の内を吐露し、仲を修復できた……のだと思う。昨日の今日ではあるが、その時のやり取りははっきりと記憶に残っている。

 またこうして接する日なんて永遠に訪れないと思っていたから、この感情がどんなものか表現し難かった。嬉しさもあれば申し訳なさもあり、複雑な感情が()い交ぜになっていた。

 たがあの時に自然と「やり直したい」「一緒に歩みたい」と口から出たことから、自身の心の底からの正直な気持ちを知ることができた。

 

「「…………」」

 

 ……一体キタサンブラックは何をしに来たのだろうか。いつの間にか無言の時間が続き何とも言えない空気になった。キタサンブラックは俺の出した茶を一啜りしてカップをテーブルへと置いた。

 妙な表現になるが、改めて大人になったキタサンブラックがすぐ傍にいた。彼女の横顔を眺めていると、その中にも確かに昔の面影が残っていた。

 20歳ぐらいだった坂川健幸と10代だったキタサンブラックも、今ではアラサーと20代後半だ。時の流れを深く実感させられた。それでもこうしているとなぜかあの頃に戻った感じがする。

 

 あながちそれは間違ってはいないのかもしれない。俺たち2人の時間はあの時で止まってしまっているのだから。

 

 

 ……キタサンブラックは未だに黙っている。なんとも言えない空気が未だに俺たちの間に横たわっている。いつまでもこうしていては埒が明かない。

 

「あー、キタサン。何か用か?」

「はいっ! えっと、ええっと……」

 

 何かを言い出そうとしているが言い出せない……そんな風にもじもじしていた。堂々と受け答えしている姿をテレビや動画で見ていたから、こんな彼女は新鮮だった。一瞬、昔のキタサンブラックの姿が被った気がした。

 

「そのっ、トレーナーさんと、お話したいなあって……」

「そ、そうか……」

「はい……」

 

 お話したい。

 

「……」

 

 聞いた直後は言葉通りの意味しか分からず面食らっていたが、徐々に色んなことに考えが及び始めた。彼女は俺とまたお互いのことを知ってやり直すために、こうして直接会いに来て話そうということなのではないだろうか。

 やり直そうと言ったのは俺なのに、なんで来たんだとか思っていた先程までの自分が恥ずかしくて情けなくなった。大体そう言ったのは俺の方なのだから、俺から何かしなくてはいけないのだ。我ながら本当に甲斐性なしだと思う。

 

 

 ……考えすぎか? 本当にただ会話がしたいから来ただけなのか? 

 

 

 どちらにしろ、やり直すのならお互いの気持ちの行き違いや齟齬が無いように、今度こそ時間をかけて腹を割って話すことが重要だと思う。だがあと1時間もしないうちにトレーニングが始まる。最初から、それこそ出会った時から話していくとして、この時間じゃ全く足りない。あまり腰を据えた話は出来なさそうだ。

 しかし折角来てくれたのにどうでもいい話をするのも憚られる。やはりここは何か核心をつく話をするべきだ──

 

「キタサン。えー……最近はどうだ?」

 

 ──とか大層なことを考えながら、口から出てきたのは呆れるほどつまらない世間話だった。

 

「最近ですか? ……トレーナーさんには言っちゃいますけど、来月に引退を発表するんです」

「……そうか」

 

 もうキタサンブラックは走るのは厳しいと清島から聞いていたし、昨日彼女自身が『怪我でもう終わり』だと言っていた。そこまで話は進んでいるらしい。

 

「あ、そんな暗い顔しないでください! 確かに引退はしますけど、夏のSDTまでは走る予定です」

「怪我は大丈夫なのか?」

「担当のドクターが軽く流す程度ならレースに出ても大丈夫と。……でも」

「どうしたんだ?」

「ドクターからは本気で走るなって前に言われたんですけど、トレーニングしてたらこの前のWDTぐらいのレベルまで身体は戻ってきてて。痛み止めも今は飲んでません。だから最後まで本気で走ってSDTも勝ちたいなって思ってます」

 

 そう言い切った彼女の瞳には強い意志が宿っていた。あの頃には見られなかった表情だった。成長の一言では済ませられない彼女の内面の積み重ねを感じた。

 彼女の身を案じてはいるが、その決意に口は出せなかった。……もっとも、傍にいなかった俺が口を出す資格がないのも事実ではあるが。

 

「そうか。たぶん他の人達にも言われてると思うが、無理だけはしないでくれ。WDTのレース後、歩き方おかしいの分かったぞ」

「トレーナーさん気づいて……!」

「当たり前だろ。これでもトレーナーなんだ。普段の歩様も知ってるし、ペーペーだった昔とは違って俺もそれなりに……って、なんで笑ってんだ」

 

 気づけばキタサンブラックは照れたように笑っていた。

 

「えへへっ。あっ、ごめんなさい! ……本当にトレーナーさん、あたしのことずっと見てくれてたんだなあって」

「いやまあ、そりゃあな……」

 

 なんだか気恥ずかしくなってぼりぼりと頭を掻いた。

 どうにも彼女との距離感みたいなのが掴めない。こんなやりとりをしていると内面も関係性も本当にあの頃に戻ったように感じた。

 

「実はあたしもトレーナーさんのこと見てたんです」

「ああ、学園内で見かけたってことか?」

「それもありますけど……中央に戻られてからのトレーナーさんの担当ウマ娘のこと調べてました」

「な!?」

「……だからトレーナーさんが中央に戻られてからとても苦労されたの知ってます」

 

 地方から中央に戻ってから俺はスカウトを禁止され学内レースで最下位のウマ娘ばかりを担当していた。結局初勝利を得たのは戻って3年目に入ってきた青鹿毛のウマ娘で、それまでに15人のウマ娘を勝たせられなかった。あの頃は肉体的にも精神的にもかなり厳しい時期だった。

 そして今でも人数が足りないときに配属されるのはそんなウマ娘だ。もっともキングヘイローとペティの代以降はギリギリ5人揃っているので現状は1人もいない。

 

「あれってどういうことだったんですか? トレーナーさんのウマ娘、選抜レースとか模擬レースで……その、最下位のウマ娘ばかりでしたよね」

「! ……そこまで知ってんのか」

「自分で調べてました。なんでトレーナーさんが1人も勝たせられないかって、その時気になって。そうしたらウマ娘がそういう娘ばかりだって知りました。……嫌な言い方でごめんなさい」

「いや、いいんだ。キタサン、そんな昔から……」

 

 彼女が俺のことを気にかけてくれていたなんて夢にも思わなかった。俄かには信じがたいが、本人が言うのなら真実なのだろう。

 

「……確かにそういうウマ娘ばかりが配属されていた」

「どうしてですか?」

「俺も全部知ってるわけじゃない。理由も謎のままだ。なあ、キタサン」

「はい……?」

 

 ここまで少し話しただけで改めて理解できた。

 

 やはり俺たちはお互いのことを知らなさすぎる。

 

「やっぱり俺たち、腰を据えて色々話すべきだと思う。一緒にいたときのことも、一緒にいなかったときのことも」

「トレーナーさん……」

「だから予定が空いている日をまた教えてくれないか。忙しいのは分かってるが、何時間もかけてゆっくり話したい。トレーニングの入ってる時間帯は無理だが……」

「じゃあ平日は難しいですよね…………あ!」

 

 彼女は名案でも思いついたように表情が明るくなった。

 

「今週末の日曜の午後はどうですか?」

「日曜の午後か? 午前中でトレーニングは終わるしレースもないから予定は空いてるが」

「本当ですか!? なら日曜の午後から──」

 

 キタサンブラックの提案とは。

 

「──あたしの家へいらっしゃいませんか?」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──という経緯があって俺はその週末の日曜の午後、キタサンブラック宅であるマンションを訪れていたのだ。

 最初その話を聞いたときは父やその弟子たちがいるあの家かと思ったが、インタビューか何かで彼女が一人暮らしをしているのを瞬時に思い出した。

 

 キタサンブラックはブラウンのブラウスに白いロングスカートを穿いていた。髪は下ろしてあって、肩甲骨に届くか届かないぐらいの長さがあった。

 普段よりも女性らしい雰囲気に年甲斐もなくドキリとする。思春期のガキじゃあるまいし何考えてんだ俺は……

 

「お邪魔します。キタサンこれ、和三盆のお菓子」

「そんな、気を遣われなくても……ありがとうございます!」

「昔、金平糖とかの砂糖菓子好きだったの思い出してな。好みじゃなかったり身体作りで不要だったら誰かにあげてくれ」

「そんなことありません! 絶対に誰にもあげません! ……2人で一緒に食べましょう。ささ、中へ入ってください」

 

 キタサンブラックの後について大理石がふんだんに使われた玄関を上がりリビングへと向かう。その道中に部屋がいくつもありマンションとは思えないぐらい広そうだった。無意識的にきょろきょろとしてしまいそうになっていた。

 前を歩く彼女の背中を追って歩いてると、ふと気づいたことがあった。

 

「キタサン、髪の毛切ったのか?」

「へっ!? と、トレーナさんっ!?」

 

 彼女は毛先に手をやって振り向いた。なぜか顔を赤らめていた。

 

「いや、下ろしたから長いのは分かってるが、一昨日会った時と比べたら何か短い気がしただけだ」

 

 一昨日も彼女はトレーナー室に来ていた。彼女にも予定があったので30分ぐらいの短い時間だったが。

 

「た、確かに切りましたけど……うう~」

「やっぱそうか」

「~~っ! さ、さあ、ここがリビングです!」

 

 そんなこんなでリビングに着いた。大所帯の家族で住んでも余裕があるぐらい広く、窓も大きく開放感があり周辺を一望できた。隅々まで掃除も行き届いて清潔感が溢れていた。

 

「トレーナーさんはソファへどうぞ。あたしお茶入れますね」

 

 キタサンブラックに誘導され真っ白なソファへと腰を下ろす。ふかふか過ぎず硬過ぎず、おおよそ体験したことのないような座り心地だった。目の前には何インチか分からないほどの大きいテレビがあった。

 なんだか落ち着かないと思っていると彼女がお盆を持ってこちらへとやって来た。出されたのは緑茶と先程俺が買ってきた和三盆だった。

 

「偶然美味しい茶葉が手に入ったんです。どうぞ」

 

 彼女に促されて一口茶を啜る。

 

「……確かに美味しい。甘みもあってちょっと渋みもあって、なんか品のある味だな」

「ふふっ、お口に合ったなら良かったですっ! では、早速始めましょうか」

 

 キタサンブラックは俺の隣に座りテレビをつけた。そして手元にいつの間にか用意していたタブレットを操作し、テレビ……もとい今は役割的にモニターに接続しているようだった。

 

「もうちょっと……できた!」

 

 無事にタブレットとモニターが繋がったようだった。

 

 一体彼女が何をしているのかというと──

 

「まず、あたしのメイクデビューからですね」

 

 ──彼女のレースを最初から今まで2人で見返す。

 

 その中でお互いのことを話していこうと、2人で相談して決めたのだ。

 

「再生しますね」

 

 そうしてお互いの道のりを辿る追憶と追想の長い旅が始まった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 数日前。偶然トレーナー室にマコが来ていた。

 

「マコ、ちょっといいか」

「なんスか」

「男を自分の家に誘う女の気持ちってなんだ?」

「はあ? ……そんなの2つッスよ。誘ってるかあるいはそうなってもオッケーか、それか全く意識されてないか」

「……」

「ただし! それはヒトに限った話ッスね。ウマ娘なら単純に力が上ッスから色々変わるッスよ。ウマ娘側から迫れるし、逆に男が迫ってきたって抵抗すればいいんスから」

「そういうことを訊いたんじゃねえんだがな」

「つーかそんなこと訊いてくるなんてキモいんスけど。セクハラッスよねこれ。……あ、坂川さんもしかして美人局に騙されてないッスか?」

「は?」

「最近はロマンス詐欺も多いって聞くッス。独身男トレーナーなんて格好の餌食ッスよ。GⅠ勝ったから金目当ての女が寄ってきてんじゃないッスか〜?」

「バカなことばっか言ってんじゃねえ。……はあ、高そうな和菓子でも買っていくか……」

「何スか。謝罪にでも行くんスか」

「……謝罪も要素的には含んでるかもしれねえな」

「意味分かんないッスね……」

 

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