底辺キング   作:シェーク両面粒高

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A&S4話 旅路/中

『今年は戦国菊花賞です……スタートしましたっ!』

 

 キタサンブラックが初のGⅠを勝利した菊花賞が流れ始めた。

 

「トレーナーさんがいなくなってから清島先生の指導の元トレーニングをしていました」

 

 俺が彼女の元を離れてから今までトレーニングは清島が見ていた。それは父親の要望だったと糸目の男から聞いていた。

 

「菊花賞までのトレーニングで、当時のあたしにとっておかしなことが起こりました。超一流のトレーナーである先生があたしの走りを見て修正点は無いとおっしゃられるんです。当時は先生があたしに気を遣っているんだと思っていました。……事件の直後だったから。でもそれは違ったんです」

「違った?」

「詰めようと思えば詰められる細かい修正点はあったんでしょうけど、菊花賞では不必要だった。……このレース結果が示しています」

 

 画面に映る京都レース場には、出入りの激しくなる他のウマ娘を差し置いて道中インコースでじっとロスなく溜めているキタサンブラックがいた。

 

「アルファーグの他の先輩ウマ娘との併せでも、その人から凄く褒められたりもしました」

 

 彼女が何を伝えたいのかイマイチ掴みきれない。俺は黙って彼女の言葉を待った。

 

「あともう一つあって、菊花賞の数日前に今もお世話になっているスポーツドクターへ初めて検査を受けに行きました。そこでドクターがあたしの身体が凄いって手放しで褒めてくれたんです。左右差が無くて完璧な筋肉だって」

「そう言われると嬉しいもんだな。確かにめちゃくちゃ気を配って身体作りしてたから」

「…………ちょっと、トレーナーさん」

 

 声を掛けられてモニターからキタサンブラックへ視線を移すと、頬を少しだけ膨らませてむっとしていた。

 

「先に言わないでくださいっ」

「は? 何の話だ?」

「……こほん。そうなんです。知識や技術はもちろんですけど、あたしのことをずっと考えていないとこんな身体にならないってドクターはおっしゃられたんです。担当したトレーナーの熱意の塊みたいな身体だと。それを訊いたとき、あたしは混乱しました。この身体を作ったのはトレーナーさんだけど、あたしのことを大切じゃないって言ったのもトレーナーさんだから、そんなわけないって。……ドクターの言葉の意味が分からなくて混乱しました。でも後からノートを読んで、先生やドクターの言葉の意味に気づいたんです」

 

 むっとした表情は解けて、また柔らかく微笑みかけてくれた。

 

「菊花賞を勝ったあたしの走りも身体も、トレーナーさんの技術と情熱の賜物だってことに。なにより、あたしをあんなにも想って努力してくださったことに気づけました」

 

 

『内からキタサンブラックだ!! 祭りだ! 淀はキタサン祭りだ!』

 

『キタサンブラックだ!!! キタサンブラック1着!!! キタサンブラック、初のGⅠ制覇です!』

 

 

 若かりし頃のキタサンブラックはリアルスティールの猛追を抑え1着でゴールした。自身の勝利を認識した彼女は満開の花のような笑顔を見せていた。

 

 

「……改めて、あたしも言わせてください」

 

 先程とは逆に彼女が俺に頭を下げた。

 

 

「トレーナーさん、ありがとうございます! 菊花賞を勝てたのはトレーナーさんのおかげです。それと──」

 

 

 モニターに映る笑顔と同じ笑顔が俺の目の前で花咲いた。

 

 

 

「──あたし、やりました! GⅠ勝って……みんなに笑顔と元気を与えられて、主役になれて、ほんとうに嬉しいです!」

 

 

 

 

 おそらく彼女はやり直してくれている。

 

 もし俺が間違わずあの時あの場所に彼女の傍にいれば、かけてくれていたであろう言葉なのだと思う。

 

 ならば俺も改めて言わなければならない。門別にいたあの日、テレビの向こうの彼女にかけた言葉を。

 

 

「おめでとう。夢が叶ってよかったな、キタサン」

「はいっ! ……改めて言われると、嬉しいんですけど恥ずかしいですねっ」

 

 モニターでは菊花賞を勝ったキタサンブラックがウイニングランをしてからインタビューを受けていた。この後はライブを待たず一曲歌うはずだ。

 

 おもむろに彼女はソファから立ち上がった。……もしかしなくとも……

 

「別に今は歌わなくていいからな」

「えっ!?」

「……本当に歌おうと思ってたのか」

「だってせっかくですし……このマンション防音も凄いので大丈夫ですよ」

「お前のレースもライブもずっと見てたんだから、別にいい」

「でも、やっぱり生でトレーナーさんに……」

 

 流石に一対一で目の前で歌ってもらうのは恥ずかしいし申し訳ない。

 

「引退興行とかでライブとかやるんだろ? そのときに見に行くから」

 

 渋々といった様子で彼女は腰を下ろした。

 

「…………」

「どうした?」

「…………興行のライブよりウイニングライブを見てもらいたいです。うん、やっぱりウイニングライブですね。レースに勝たないと……!」

 

 彼女に残されているレースは引退レースとなるSDTだけだ。一週間前に話した時に勝ちを目指すと言っていたが……

 

「その気持ちは嬉しいが、無理はしないでくれよ。ライブを生で見られなくたって、俺もキタサンから色々なものを貰ってるんだ」

「ありがとうございます。嬉しいですっ。でも、それじゃあたしの気が済まないんです。……菊花賞、ライブも見ましょう」

 

 キタサンブラックはタブレットを操作して菊花賞後のウイングライブを映し出した。初めてのGⅠ勝ちのライブだけあって、全身全霊で歌い踊っていた。

 アンコールにも応えて、ライブを終えた彼女は大声援を送る観客に手を振っていた。

 

「実はこの瞬間、ものすごく違和感を感じていたんです。あるべきはずのものが無い気持ち悪さ……まるでジグソーパズルの真ん中の一欠片がないような感覚だったんです」

「どういうことだ?」

「これも気づくのはもっと後ですけど……トレーナーさんです」

「俺?」

「はい。ライブの会場にそれまではいたトレーナーさんの姿が無かったからです。……いないって分かってても、ずっとトレーナーさんの姿を探していました。今年のWDTのライブまで、ずっと」

「……そうか」

 

 俺はそう言うしかできなかった。彼女がどれだけ俺のことを想ってくれていたかのか改めて認識させられた。

 

「菊花賞の日、お前のレースを見るか迷った。あんなことをしておいて、俺に見る権利はあるのかって悩んだが、結局はテレビの前に座って見ていた。……菊花賞を勝ってくれて、本当に嬉しかったんだ。キタサンがどれだけ頑張ってたか、俺が一番知ってたから。……お前が勝った瞬間なんて涙が溢れてきちまって、テレビ見たいのに中々涙で見えなかった」

「……トレーナーさん」

「何回も言ってるかもしれないが、キタサンのことはずっとチェックしてた。レース、ライブ、普段の何気ないニュースまで。現地で見たい気持ちはあったが、それだけは出来なかった。許すとか許さないとか、お前の前に姿を現さないとかの話じゃなく、ケジメの話だ」

 

 あんなことをしたのだ。のうのうと彼女の前に姿を現すなんてできなかった。

 

 菊花賞のウイニングライブの再生も終わった。

 

「次は有馬か」

「……はい」

 

 彼女は菊花賞の後有馬記念に参戦し3着。歴戦のシニア級ウマ娘相手に実力を証明した。

 

「この有馬の後に先生にノートを渡されました。あたしが見るべきものだと。それで読んでトレーナーさんの気持ちを知ったんですけど、ドーピング以降のことは書いてなくて……今はどう思われてるのか分からなくて悩みました。でも、トレーナーさんの気持ちが移り変わっていたとしても、GⅠを勝って主役になったあたしがあるのはトレーナーさんのおかげだと思っていました。見てくれているか分からないけど、何か返せたらって思って……それで年明け、URAの偉い人に会いに行きました」

「偉い人って、まさか──」

 

 彼女に誰か尋ねると、帰ってきたのはあの糸目の男の名前だった。

 

「あの人に、トレーナーさんが地方から中央へ早く帰ってくれるようにお願いしました」

「はあ!? 本当かそれ!?」

「はい。最初はあしらわれたんですけど、途中で手のひらを返したように聞き入れてくれました。4月には帰ってこれるようにすると」

「……だからか。タイミングがおかしいと思ったんだ。確かにあの人、『色々ある』とか言ってたっけな……」

 

 まさかその色々がキタサンブラックだとは思いもしなかった。

 

「それだけで返せたとは思えませんでした。本当はレースやライブで直接伝えたかったんですけど、トレーナーさんは逆にあたしのこと見るなんて嫌かもしれないと思ったらどうしようもできなくて……結局、あたしはあたしのできることをやろうと思いました」

 

 

 その後、シニア級に入ったキタサンブラックのレースが次々と流れていった。合わせてその時々の出来事についても彼女は話してくれた。

 

 故障をしたドゥラメンテに中央で最強になることを約束しDTLで再戦を誓い、それを叶えたこと。

 

 2度目の有馬をきっかけにサトノダイヤモンドと関係が上手くいなかったが、天皇賞春で和解したこと。

 

 天皇賞秋で出遅れたが、俺のノートの記述やトレーニングを思い出して冷静になり末脚で圧倒しようと切り替えて勝利に繋がったこと。

 現役最強を証明し、また自分に負けたウマ娘たちを見て現役最強とは何たるかを理解できたこと。そしてトゥインクルシリーズ引退を決め、DTLでも最強として君臨すると決めたこと。

 

 引退レースの有馬を勝ち、悔いなくトゥインクルシリーズを引退したこと。

 そしてその中で、自分を応援してくれる人たちにはたくさんのものをあげられたけど、俺だけには何もあげられていなかった……返せたかわからなかったこと。

 

「DTLでも、もちろん自分や親友のために、そしてあたしの夢を続けるために走っていました」

 

「トレーナーさんへ向けても……見てくれているかな、見ていてほしいな。あたしの想い伝わってるかな、伝わってるといいな。……そんなことをずっと考えていました」

 

「トゥインクルシリーズのときから変わらない想いをずっと抱いて走り続けてきました。でもトレーナーさんはいないから、結局あたしはどうしようもなくて。走り続けるしかなくて……怪我にも頑張って耐えたんですけど、いよいよ現役も終わりってなったんです。もう、想いを伝えられないまま終わっちゃうんだって。……あ、このウイニングライブ……!」

 

 

 モニターはトゥインクルシリーズ引退レースの有馬のライブが映っていた。

 

 

『あたしの走りで、あなたに笑顔と元気を届けられましたか?』

 

 

『あたしの歌で、あなたに感謝の気持ちを伝えられましたか?』

 

 

『あたしは、あなたの夢になれましたか?』

 

 

「……実はこの時、カメラを見てたんです。観客の皆さんに言ってはいるんですけど、もしかしたらカメラの先でトレーナーさんが見てくれてんじゃないかって。……でもそんなの分からなくて、トレーナーさんはやっぱりどこにもいませんでした」

「ちゃんと見てたし、このライブの時は今でもよく覚えている。何回も何回も見返した。……実は俺もなんかキタサンに見つめられてるような気分になってた」

「そうなんですか? ふふっ、カメラ探した甲斐がありました」

「それで……その……」

「どうしましたか?」

 

 先程のキタサンのライブで映ったの問いかけだが、高松宮記念の後話したときにその問いかけを思い出して返答していたことを伝えた。

 

「……トレーナーさん」

 

 ことん、と肩に重みがかかった。キタサンブラックが俺の肩に頭を預けていた。

 

「もう一度、言って欲しいです」

 

 彼女が何を求めているかちゃんと俺は理解している。

 

 あの時に言ったことを思い出して、口にする。

 

 

「お前の走りを見て、笑顔と元気をたくさん貰った」

「……はい……っ……」

 

 

「お前の歌で、周りの人や観客への感謝の気持ちも伝わってきた。別れるまでの間だけでも、お前は俺にもそう思ってくれてたんじゃないかって思ったら、少し救われたし嬉しかった」

「……っ……はい……っぅ……」

 

 

 

「お前の夢は、俺の夢でもあった。お前の夢を叶えさせてやりたいのが俺の夢だったんだ。ありがとう、キタサン。俺に夢を見せて……叶えさせてくれてありがとう。……おめでとう、キタサン」

「……うくっ……っ……はいっ……」

 

 

 そして今一度、俺の気持ちをちゃんと伝えないといけない。

 

 

「今から振り返れば少しの間だけだったかもしれないが、お前の担当トレーナーになれて…………いっぱい傷つけて何様だって思うかもしれないが、俺も……その…………」

 

 

 

「キタサンの担当トレーナーになれてよかった。……俺も、こうして今キタサンと一緒にいられるのが本当に嬉しいんだ」

 

 

 

 キタサンブラックは俺を見上げた。その瞳には涙が浮かんで潤んではいたが、悲しそうには見えなかった。

 

 

 お互いが少しだけ、お互いの方を向く。

 

 

「……トレーナーさんは幸せですか?」

「…………ああ、幸せだと思う」

「あたしも、幸せです……」

 

 

 また近くにキタサンブラックがいる。

 

 

 近く、近くにいる。

 

 

 

「キタサン……」

「トレーナーさん……」

 

 

 

 俺か彼女か、どちらかが体重移動してソファが軋んだ瞬間──

 

 

 

 ──ドカッ、とけたたましく何かが床へ落ちる音がした。

 

 

「「!?」」

 

 

 その音の正体は、キタサンが膝の上に置いていたタブレットが落ちてしまった音だった。

 

 

「「………………」」

 

 

 目を見合わせた後、俺はなし崩し的に体を離し床に落ちたタブレットを拾った。

 

 

「……画面は割れてないみたいだな。ちょっと角の方は傷ついたみたいだ。中は壊れてねえか?」

 

 タブレットを彼女へと渡した。

 

「……はい。大丈夫です。普通に動きますね」

 

 キタサンはタブレットを確認すると、今度はテーブルの上に置いた。

 

「「………………」」

 

 

 2人して再生の終わったモニターを眺める。

 沈黙を破ったのはキタサンブラックだった。

 

「ちょ、ちょっと休憩しましょうか。結構長い時間見てましたし」

「え、あーそうだな。そうするか」

「お茶冷めましたし、暖かいの淹れてきますね」

「すまん。ありがとう」

 

 彼女は立ち上がって背を見せキッチンへ向かった。

 

 

 まだ少し、旅路は続きそうだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 坂川はキッチンで作業するキタサンブラックに時折視線をやりながら。

 キタサンブラックは作業する自分の手を見つめながら。

 

 

(さっき俺キタサンとなにしようとしてたんだ……!?)

(あたしさっきトレーナーさんとなにしようと……!?)

 

 

 お互い、そんなことを思っていた。

 

 

 

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