底辺キング   作:シェーク両面粒高

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期間空いて申し訳。

キングのフィギュア予約して買ったんですけどすごく良いですね。


A&S10話 ポルックスステークス/前

 正月が明けて1週間ほど経過したある日の午後。年末年始特有の浮ついた空気感が希薄し、普段の日常が戻ってきていた駅前の喧騒のもと、大学生ぐらいの2人の青年が歩いていた。

 

「お前、日曜バイトあんの?」

「今週は入れてねー。年始から労働ダルすぎるし。なに、飲み?」

「暇なら中山レース場行かね?」

「中山? 金杯見に行ったばっかじゃん。今週クラシック級の重賞だけだろ? 面子的に微妙じゃね。興味ねえな~」

 

 2人の会話の通り、年始の中山レース場で開催された中山金杯を観に行っていた。

 

「お前知らねえの? そのメインのひとつ前の第10レース」

「……何かあったっけ?」

「マジで知らんのか。第10レース、ダート1800mのオープンクラス、ポルックスステークスに──」

 

「──サイレンススズカが出るんだぜ! 2年ぶりのレース、復帰戦だ!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 サイレンススズカ復帰戦として定めたポルックスステークス当日の早朝。俺はトレーナー室でスーツに着替えながら準備をしていた。暖房がまだ効いておらず、室内には冷気が残っていた。

 ネクタイを締めてジャケットを羽織り、胸ポケットに万年筆を差す。手荷物は寮を出る時に準備済みで、あとはコートを着れば準備完了だ。早く出てきたためチームのウマ娘に伝えた集合時間までにはまだ余裕があった。

 

 インスタントコーヒーを服に零さないように慎重に啜りつつ、テーブルに置いてあった昨日の新聞を手に取る。中山メインのフェアリーステークスが一面のそれを捲り、目的のページを開くと“サイレンススズカ 遂に復帰”と見出しが大きく出ていた。

 

「……あっという間だったな」

 

 感慨に浸るのはまだ早い。本番は今日これからだ。だがサイレンススズカを再びレースの世界まで導けたかと思うと無意識的に口からそう漏れ出た。

 天崎に切られそうになっていた彼女と病院で会い、移籍させ、自分の担当としてここまで歩んできた。

 

 立ち座りや立位保持から始め、まずは歩くことを目指した。

 歩けるようになってからは軽く走るジョグを。

 ジョグからランニング、そして15-15から全力疾走へと。

 

 頻繁に腫れ熱を持つ患部に悩まされながらも、遂には競技レベルで走れるまでにサイレンススズカは回復した。それだけで奇跡的だ。来る日も来る日も過保護すぎるぐらいに状態を確認しつつ、綿密かつ柔軟にメニューを組んできた甲斐があった。

 

 

 ……だが、元の競走能力にはついぞ戻らなかった。現時点においても、おそらくこれから先の未来においても、だ。

 

 

 スピードの違いで全てを置き去りするあの走りは、サイレンススズカから消えてしまった。

 

 

 

 それがたどり着いた結果だった。もちろん、俺と彼女でその答えを共有した。

 

 

 全盛期の力が戻らなかったのは事実だし、彼女を受け持つと決まった時点で予想はしていた。天崎が海外の医者に診てもらって出た意見もあるし、何よりあの怪我をして十全に戻ると思うのは希望的観測過ぎるだろう。

 だがそこで諦めず、最大限を掴むために徹底的に細部を詰めてトレーニングを行ってきた。その結果、ここまでたどり着くことができたのだ。

 

 

 改めて振り返ると、受け持つウマ娘が少なかったからこそだ。10人も15人も担当していたらおろそかになっていた部分は出てきていただろう。

 

 

 ……そんな風に思いを馳せていると、他の担当ウマ娘たちのことも同時に自然と思い出された。

 

 先月末、キングヘイローをトゥインクルシリーズ()退()()()()として有馬記念に送り出した。

 去年の年明けに()()()()()()()()()()に抗うダイアナヘイローが、今月から3ヶ月連続で重賞レースを控えていた。

 そして、カレンモエは()()()()を下した。

 

 これまで担当してきたウマ娘たちと同じように、彼女たちを取り巻く状況は変わっていく。いつでもここにいるトレーナー()と違って、生徒である彼女たちは様々な選択をして自身の道を歩んでいく。

 

 

 ……そこまで思いかかって、また物思いにふけっている自分に気づく。

 

 

 温くなったインスタントコーヒーを一気に飲み下した。何とも言えないチープな苦みが頭を切り替えてくれた。

 

 

 今日のポルックスステークス。これは終わりではなくサイレンススズカの第二の始まりだ。

 ふとテーブルの新聞に載っていたある文章が目についた。それは俺が出したコメントだった。

 

 

『まずは無事にレースを終えられたらいいですね。それが第一です』

 

 

 

「……嘘は言ってねえからいいだろ」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっとこの日を迎えた。

 

 待ち焦がれ続けていた、今日は──

 

 

 ──サイレンススズカ()にとっての復帰レース当日。

 

 

 1月上旬。中山ダート1800m。ポルックスステークス(OP)。

 

 

 これが私の復帰戦となるレース。

 

 

 でも朝からずっと、自分でも不思議なぐらい落ち着いていた。

 

 坂川の自家用車でチームの皆と中山レース場へ行き、午前中はレースを見たり仲間と談笑したりしてリラックスして過ごしていた。応援に来てくれていたシリウスの皆とも会話をした。

 昼過ぎぐらいから徐々に本番のレースへと向けて逆算してアップを始めていく。この行程をこなすのもあの天皇賞秋以来だったけれど、戸惑うなんてことはなく円滑に遂行できた。

 

 パドック招集を待つ控室においては、坂川と頭にインプットした作戦のおさらいを軽くしていた。シリウスにいた時はここまで細かい作戦なんて無かったから、今日初めて新鮮な気持ちになった。

 

 

 パドックにはG1のように多くの観客が詰めかけていて、私が出ると他のウマ娘に申し訳なるぐらい大きな声援があがった。安堵や期待や不安、混じりあった様々な感情が五感を通して伝わってくる。故障前の期待一色の熱狂的な空気とは明らかに違っていた。

 

 復帰が決まってから取材の数がものすごく多くなって、今日まで多くの取材に対応した。自分と今日のレースが、どれだけ注目されているかは身を持って知っている。だからこのパドックの反応も予想していた通りだった。

 

 

 パドックを終え、他のウマ娘と紛れて本バ場へと向かう。

 バ場へ入ると歓声に加え実況の声も聞こえてくる。改めてこの舞台に戻って来たとの感慨が湧いてくる。実況が私のことを紹介してくれると、歓声が更に一段階上がった。

 

 

「……ふぅ……」

 

 昂りそうになる気持ちを抑えながら、他の15人と同じようにダートコースに入りゲート裏で待機する。ふと視線をやった先にはダートコース横の芝コースがあった。冬の中山の芝が、カラッとした空の下で気持ちよさそうに揺れていた。

 

「…………」

 

 今、私はターフの上には立っていない。それが現実だ。

 

 受け入れられない時期もあった。でも今は納得してここに立っている。何より、()()()()()()()()()()を信じているから。

 

 スターターがリフト台の上で旗を振り、ファンファーレが流れる。あっという間にレース本番が訪れる。

 

「入れー」

 

 ゲート裏の係員に促され、ゲートの前に立つ。私にあてがわれたゲートは1枠1番。何の因果か、あの天皇賞秋と全く同じ枠だった。

 気にはしてないけれど、運命的なものを感じなかったわけでもない。

 

 ──『最悪の枠だなこりゃ……』──

 

「……ふふっ」

 

 観客席の最前列に陣取る坂川たちに視線をやる。

 

 枠が発表されたときに坂川の渋い顔が頭に浮かんできて、思い出し笑いをしてしまう。

 ……いい感じに体の力が抜けていた。

 

 自ら進んで一番最初にゲートへ入り待機する。

 

『ゲート入り順調に進んで……全ウマ娘収まって──』

 

 他のウマ娘たちも続々とゲート入りしてきて、発走が近づいてくる。そして──

 

 

『──スタートしましたっ! おおっと! サイレンススズカなんと出遅れっ!!!』

 

 

 ──()()()()、私はわざと出遅れた。

 

 

 

 2年2ヶ月ぶりのレースが、今始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドゥラメンテと会話の場を持った次の日。私は坂川に時間を取ってもらい、昨日のドゥラメンテの時と同じように彼と一対一で対峙する。

 

「で、話ってなんだ」

「復帰戦のダートのレースを含めて、トレーナーさんのお考えをお聞きしたいんです」

 

 単刀直入に切り出した。

 

 彼のチームに移籍してから色々な課題を出され、自分で考えられるようになっていた。と言うより、考えるのが癖のようになっていた。だから復帰戦のダートに関しても自身で考え結論を出し、自分なりに納得しようとしていた。そのこと自体は間違ってはいないと思う。

 けれど、自分の中だけで完結させるのではなくて、彼自身の考えを理解することの重要性に昨日気づけた。

 

「……いえ、復帰戦だけではなくて、これからの見通しについても。今考えられてること、不確定なことも含めて全て教えてほしいんです」

「ドゥラメンテに言われたからか」

「それもあります。でも、私自身がその必要性を感じました。……やっぱり、どこかに納得できない自分がいるんです。その──」

「ダート、だろ。お前が引っかかってるのは」

「……はい」

「それと復帰戦の後は芝を走れるのかどうか」

「…………はい」

 

 難しい顔をしている坂川は簡潔に正鵠を得てきた。やはり、彼にはバレていたのだろうか。

 

「分かった。俺がどう考えてるのか正直に話そう。ただ……」

「……?」

「もしかしたらショックを受ける内容があるかもしれねえ。その辺は心して聞いてくれ」

「……はいっ」

 

 心の中で身構えて、彼の言葉を待った。

 

「脚の負担を考えてダートにするって以前大雑把に言ったが、まず復帰戦について詳しく話す。実は既に具体的なレースも当たりをつけてる」

 

 ノートを取り出してメモを取る準備をする。こうして事あるごとにメモを取る癖がついたのも、そう言えば彼のチームに移籍してからだ。

 

「復帰戦となるレース選定にあたっては、あの秋天の逆をやるってコンセプトで考えた」

「逆、ですか?」

「そうだ。あの日だけの負担や負荷で故障したかどうかは確かめようがないよな。だが、もう一度あの故障を引き起こさないためには、まず同じシチュエーションにさせないべきだと思ったんだ」

「だから、ダート……?」

「加えて以前説明した脚元への負担も考慮してな。脚への負担を最小限にするってのが復帰戦の最重要課題だ」

 

 故障したレースとは異なるシチュエーションにし、脚への負担を最小限にする。……成程、その要素を聞かされたら納得感は増す。

 

「ならトレーナーさんは具体的にはどのレースを?」

「……そうだな、そこは考えてもらうか。まずはあの秋天の条件、思いつく限り挙げてみろ。その逆をいけば、自ずと復帰戦に合うレースが絞られてくる」

 

 いつものように坂川から課題が出される。移籍直後は辟易していたこの唐突な()()にも焦ることは無くなった。

 

「えっと……東京レース場、左回り……秋なのと、コース形態の影響で時計が速い…………ぐらいでしょうか」

「いい線いってるな。よし、ひとつひとつ考えていくか。まず左回り。今更だが、お前が故障したのが左脚である以上、左回りを走らせるのはリスクが高い。つまり右回りだ」

 

 コーナーでは内側になる脚により負荷がかかる。身体を内に倒しながら走るためだ。つまり左回りなら左脚が軸足になる。

 

「次は時計の速さ。東京のコース形態、秋の芝、どちらも時計が出やすい条件だ。なら大箱の東京に比べて小回り……主要4場で言うなら阪神か中山。バ場なら時計が速い芝ではなく遅いダート。さらにはダートの中でも時計の遅い速いが条件の中であって──」

「良バ場か、重バ場かってことでしょうか?」

 

 ダートでは良バ場より重バ場の方が時計が速い。水分でダートの砂が硬くなり脚が沈み込まなくなるからだ。

 

「厳密に言えばそこじゃない。詳しく説明する前にタイム以外のダートの要素、お前にとってのメリットについて補足しておく。バ場の反発の話は前からしてるな。そして今まさにダート用のフォームに矯正中だが、芝用だった昔のフォームと何が違う? 難しく考えず、簡単でいい」

 

 フォーム矯正のトレーニングを思い出し、直感的に感じたことを口にする。

 

「ストライドが狭くなってピッチ走法になりました。ダートでは無闇にストライドを広げても速くならないんですよね」

 

 ダート用のフォームに作り直す上で一番意識させられたのはストライドに関してだった。ストライドが広いと、一歩の接地時間が長いため沈み込みやすく、反発力のないダートでは推進力を失いやすいと(ただし、ストライド走法で活躍するダートウマ娘もいると坂川は言っていた)。

 

「一般的にはな。加えてストライドが広いと上下動が大きくなったり脚へ負担が絶対的に増す。それに脚と地面の角度と地面反力の関係から、骨の短軸方向に力が掛かりやすい。骨の折れ方を見るに、ストライドを狭くして立ち気味にした方が骨折部への負担が少ない。その点において、ダートの走り方が負担軽減を図るお前に合っている」

 

 単なる反発力の話だけではなく、フォーム的な理由もあったのだと気づかれる。

 

「ダートのタイムの話に戻るぞ。ここまで来たらタイムについて俺がどう考えてるか分かるな?」

 

 今までの彼の話を総合して、導き出されたものを口にする。

 

「……時計がかかるレースってことですよね」

「その通りだ。ぶっちゃけるとスピードじゃなくてスタミナとパワーだけを問われる舞台にしたいんだ。……これを見てくれ」

 

 彼がタブレットを操作してテーブルに置いた。そこには折れ線グラフが表示されており、真ん中が凹んだ形をしていた。縦軸は時間、横軸は1月、2月と月となっていた。

 

「もう距離は明かすが、現状俺はダート1800mを考えてる。そのグラフは中央の主要3場のダート1800mのタイムだ。東京は1800mの設定が無いから省いてる。7月8月は開催が無いからこれも省いてる。コース形状とか開催されるレース場によって少しは変動はあるが大まかな傾向は変わらない」

 

 一番時計がかかってる、つまり遅いのが左端の1月となっていて、次に遅いのが12月。2月、3月と進んでいくごとにタイムは速くなっていた。一番速いのは5月だ。

 

「それを見たら分かる通り、冬のダートは時間がかかる。この時期は雨が降らず空気と砂が乾燥して、ダートの砂がバラバラになって踏みしめた時にズレやすくて滑りやすくなるんだ。良か重かの話にもある通り、砂がズレず固まった方が走り易くて時計が速いからな。夏場に速くなるのは湿気の影響や使い込まれて砂が固められるからだ。ちなみに開催の無い夏場にレース場のダートは砂の入れ替えをやってる」

 

 そこまで言って、彼は簡潔にまとめて結論を述べた。

 

「最も時計が掛かる1月のダート。右回りを考慮すると、第一候補としては1月の中山だ。これが最大限スピードを問われない舞台設定になる。そして距離は1800。主要3場の内中山の1800が一番時計が遅い。1月上旬の中山にポルックスステークスって中山ダート1800mのオープンクラスのレースがある。今の俺はそこを目標にしようと思っている」

 

 ポルックスステークス。それが彼の考えている私の復帰レース。

 

「……なぜ1800mなのでしょうか?」

 

 1800mは私にとって馴染みのある距離ではあるが、先程からずっと疑問だったので尋ねた。

 

「元々の適性も考慮してる。確かに芝2200の宝塚で勝ってはいるが、芝でお前のパフォーマンスが最大限発揮されたのは1800から2000。あの6連勝中4勝が1800だったから、1800を優先候補として挙げた。さすがに1200とか2400とかは適性外の可能性があるし、1200は短いのは良いがスピード偏重すぎるから、元のコンセプトからズレる」

「私の適性を……なるほど、分かりました」

「そんなもんだな。スピードを問われず、色んなことを考慮した上で最大限スタミナとパワーが問われる舞台設定だ」

「トレーナーさんはいつからそうお考えだったのですか?」

「実を言うとお前が移籍したぐらいからぼんやりとは考えていた。だからプールで追い込んでスタミナを、ウェイトルームでパワーの強化に取り組ませていた。今でもそうだけどな。復帰レースのことに加えて、どっちも怪我を防ぐために必要な要素だった」

 

 まともに走れない時期から走れるようになった今でも、プールとウェイトルームに入り浸っている日は多い。

 

「レース選択はそこまでとして、これからの見通しだな。お前も思ったかもしれないが、再びの故障をさせないために俺はかなり神経質になってる」

「神経質なんて、そんな……」

 

 私のことを考えてのことなんだから、そんな言い方しないでほしい。

 

「芝を走らせる気は全くないとは言えない。復帰戦含め、本番のレースを走ってどうなるか見てからだ。結果がどうなのか、脚の状態はレースを経てどうなるのか。こればっかりはやってみないと分からん。何度も言うが、一番避けなけりゃならねえは故障だ」

「……分かりました。そのうえで、芝を走る可能性は残ってるってことですよね」

「ああ」

 

 ここまで話を聞いて、胸のわだかまりが消えていた自分に気づいた。欲しい答えが得られた気がする。

 

「あの、トレーナーさん」

「なんだ?」

「色々教えていただき、ありがとうございました」

「…………」

「? どうされました?」

 

 彼は眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。

 

「……復帰戦についてだがな」

「はい?」

「何も脚のことだけ考えて選んだんじゃない」

「それはどういう……?」

「脚のことを考えた上で、勝てる舞台を用意したんだ」

「え?」

 

 今までの話を聞いていると、勝敗のついては度外視になってるように思えたのだけれど……

 

「お前の景色の話あるだろ」

「えっ……?」

 

 “景色”

 

 彼の口から放たれたその単語。

 

 私が今でも走る意味だ。

 

「以前してくれた景色の話を俺なりに解釈してみたんだが、レースにおいてお前が景色を見るには逃げて勝つことが必要だと思うんだ」

「…………そう、なのでしょうか……」

 

 あまりそのことについては意識したことが無かった。

 

 自分としては何とも言えない。怪我をする前にトレーニングにて景色に近いものを見た時もあるし、あと景色を見る時に印象に残っているのは五感で感じる周りの状況だからだ。

 

「実際にそれで見られるのかは分からん。だが逃げて勝つことは景色に近づくことだと思う。景色を見せるって移籍の時に約束したからな」

「……あ──」

 

 

 ──『──“景色”を……絶対に見せるって約束する』──

 

 

 移籍が決まったあの病室で、彼はそう言っていた。

 

 

「再び故障を防ぐのは絶対条件。だが勝利も目指してほしい。さっき長々とレース条件について語っていたが、脚の状態も走りも万全とならない限りポルックスステークスに出す気はない。そこは分かってくれ。あと雨が降ったりしたら回避な。しばらく雨が降らずカラカラに乾燥したダートにならないと走らせん。……そこでだが、実はレースの作戦も考えてるんだ」

「へ? 今ですか?」

 

 今日は6月。最低でもレースは半年先なのになぜ今、レースの作戦を……? 

 

「実は1800mなのはその作戦にも関わるっちゃ関わっててな。毎週トゥインクルシリーズの全レースの短評を書いてもらってただろ?」

「……はい?」

 

 確かに移籍してからずっとそうしてきた。今でも彼に課題としてずっと課されている。毎週土日にノートに書いて週明けに提出するのがルーティンだ。

 彼は自身のデスクにある書類から一枚のプリントを引き抜いて持ってきた。

 

「あるウマ娘のそのレースを参考にしたんだ。これはお前に書いてもらったそのレース短評のコピーな」

 

 プリントには見慣れた字が並んでいた。日付を確認すると、昨年12月の中山ダート1800mのレースのようだった。

 

「そのレースで6着に負けたゼッケン4番のウマ娘に注目してくれ。実はそのウマ娘、モエの従妹でな」

「そうなんですか?」

「こいつのやった作戦なら、お前にとって舞台設定に加えて更にスタミナとパワー偏重にすることができる」

「…………」

 

 自分の字を追うと、彼女は途中から──

 

「……これを私に?」

「ああ」

 

 坂川は大真面目な顔のまま。

 

 

「復帰戦、勝ちに行くぞ」

 

 

 そう言い切った。

 

 

 

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