『──スタートしましたっ! おおっと! サイレンススズカなんと出遅れっ!!!』
作戦通り、わざと少しだけ出遅れた。
ハナや先行の位置を取りたい他のウマ娘たちが一気に加速していく。予想通りの展開になっているバ群を後ろから見つつ、私の他にももう1人出遅れていた娘の前につけてホームストレートを進む。若干の縦長になった展開で、私は16人中15番手につけていた。
坂川に言われたことを頭の中で再生しながら追走していく。
──『スタートから2コーナーまでは上り坂。特にスタートして100mから400mの地点……大体1コーナー入口ぐらいまでの300mは急勾配の上り坂だが、ポジション取りのためにこの区間のラップは速い。中山ダート1800では最速の区間だ。そりゃコーナーまでにポジション取りたいから当たり前だな』──
その話を聞いて、芝だけど自身が走った中山記念と少し似ていると思った。
──『ここではポジション取りに付き合うな。理想は後ろに何人か置いた中団後ろだ』──
──逃げの自分には久しぶりの位置取りの指示。天崎の前の、最初のトレーナーみたいだった。
──そして昨日、枠順が1枠1番と出て最悪の枠だと言い切り渋い顔をしていた坂川から追加で指示があった。
──『わざと出遅れろ。この枠じゃ良いスタートしたら内に包まれて作戦が実行できない。外にウマ娘がいたら終わりだ。だから出遅れて、外に誰もいない状況を作れ』──
現在15番手の私は単独で走っている。1バ身前方には中団後ろのウマ娘たちが密集していて、左右には誰もいない。後ろの娘は行き脚が付かないのか私から3バ身以上は離れている。
こうして周囲に神経を張り巡らせて走るのも、最初のトレーナーの時以来だった。
『────。注目のサイレンススズカは最後尾から2人目となっています』
先頭争いをするウマ娘たちを捌いた実況が私に触れていた。
実況が言い終わる頃には逃げウマ娘が第1コーナーまで50mの地点まで来ていた。
──『直線は大人しくして、次の1・2コーナー。スタートからの直線とは逆にここが中山ダート1800で最も遅い区間になる。3・4コーナーは下り坂だしな。で、俺たちがやろうしてる作戦はここが最大の勝負所と言ってもいい』──
──坂川から見せられた折れ線グラフには。中山ダート1800mにおける1ハロンごとのタイムが出ていた。視覚的にもこのコーナーのタイムが遅いことは一目瞭然だった。
──『1・2コーナーが最も遅い区間だってことは、このレースでは最も遅いスピードで相対的にポジションを上げられる区間だってことだ。加えて、右コーナーだから左脚に負担がかかりにくい理想的な状態だ。ここで仕掛ける。つまり、
「っ!!!」
ここだ。
第1コーナーに逃げウマ娘が侵入した瞬間、私は大きく外へ持ち出して進出を開始する。
──『──捲り逃げだ』──
レースの途中で、後方から捲って逃げに持って行く。
カレンモエの従妹であるテリオスベルというウマ娘から彼が得た発想。
──『捲り逃げを選んだ理由は複数ある。一つ目、マークされる可能性を下げられること。ダートとはいえ最初からサイレンススズカが順調に逃げてみろ。相手はダートのオープンクラスの猛者だ、絶対にマークされて良い的になる。お前が逃げる可能性を考えてレースプランを立ててるだろうからな。だが捲り逃げなら意表を突けるし、高い可能性で様子見してくれて追うまでに躊躇する時間が生まれる。スタートから後ろにいて安全に回って来るだけと思ってたら1・2コーナーでごぼう抜きとか警戒されねえほうがおかしいだろ。かかったと誤解してくれりゃ儲けもんだ』
──プランを明かされてから準備する時間はたっぷりあった。併走でかからないようにトレーニングを来る日も来る日も繰り返した。走りが乱れたらGPSトラッカーで監視している坂川から即座に指示が飛んでくるから、一瞬たりとも気は抜けなかった。
──『二つ目、故障リスクを下げられること。さっきも言ったが右コーナーは左脚に負担がかかりにくく、右脚が軸足になって体重とかの負荷を受け止めつつ遠心力に逆らう役割だ。コーナリング速度を上げるのには左脚の蹴りだし含む筋力も重要だが、そこは筋肉をつけて補う。下り坂の3・4コーナーと違って1・2コーナーは上りだからスピードも出ない。踏ん張るならリスクの低いところで踏ん張ってもらおうってな。……最後の直線はどうやっても踏ん張ってもらうしかないが、最大限できることはやろう。筋トレでパワーをつけることと、ピッチ走法に変えることはダート全般への対応のためでもあるが、この上り坂で速く走るためにもなる』──
──四肢の筋トレに加え、体幹筋やインナーマッスルも徹底的に鍛えられた。今の私の身体は、体重はそれほど変わっていないのに怪我前より明らかに筋肉量が増えていた。
『おおっと!? サイレンススズカここで一気に進出!?』
コーナーに入り思い切り体を右に倒して加速し、前にいるウマ娘たちをごぼう抜きしていく。内にいるウマ娘たちに当たるか当たらないかギリギリのところを攻めていく。
捲って抜かれたウマ娘からの驚きの表情が多数向けられている。中には小さく声を出す娘もいた。
『かかってしまったのかサイレンススズカ!? それとも無理やり逃げる気でしょうか!?』
大量のキックバックを受け、巻き上がる砂塵の世界を突き進んでいく。
トレーニングでは毎日毎日、チームのウマ娘のキックバックを何度も何度も受け続けた。
──『三つ目、捲って逃げることで相手を乱すことができる。接触は厳禁だが、捲って逃げるときは内を走るウマ娘の肩を掠めるように走れ。特に逃げと番手にいるウマ娘に競りかけろ。お前も分かるだろうが、逃げウマ娘は競りかけられると走りやペースがバラバラになって乱れるタイプが多い。リズムを崩して消耗させて潰すんだ』──
──枠順発表の後、逃げ先行でレースを運び尚且つ競られると弱いウマ娘をリストアップしていた。そのウマ娘は予想通り逃げと2番手にいる。
「えっ!?」「……っ!?」
前2人を追い抜く。2人ともやや体幹がブレて、脚運びが雑になるのを横目で確認した?
抜いた私は2コーナーの中ほどで先頭に立った。そこからさらに加速してリードを取っていく。
──『四つ目、今言ったことと重複している部分もあるが、マックスのスピードが低い点だ。1・2コーナーで仕掛けて流れを乱して主導権を取れれば、お前は11秒台無しでレースを完結させられる。スローの上がり勝負とかにはさせたくない。……お前の状態を考えるなら、これがベストだ』──
──……私は1ハロンを11秒台で走れなくなった。芝でも、だ。だが肉体とフォームを改造したおかげでダートを12秒台で走れるまでには回復した。
──『1・2コーナーは年によっちゃ13秒中盤まで速度が落ちる。速くても12秒中盤から後半だ。この速度帯なら、今のお前でも追い抜かすことができる。……最初の直線でハナを取り切るには、スピードが不足するかもしれないからな』──
──薄々と分かってはいた。確かに捲り逃げがもたらすメリットはあったのだろうけど、今の私では普通に逃げられないのを可能性として彼は考えていたのだと。そしてそれは現実になっている。
──『最後五つ目、以上を踏まえた上で、怪我のリスク低下と絶対的なスピードを補う捲り逃げはお前自身にとってスタミナ勝負に持ち込めることだ。他のウマ娘が、って話じゃなくな。そのスタミナを鍛える時間が十分にあった。……そうだな?』──
──筋トレと同じくプールトレの負荷がとても重く、毎回限界まで追い込まれていた。まだ途上ではあるが、スタミナも確かに怪我前より格段に上がったと思う。
──『スタミナが切れたらフォームも崩れやすいから、そこだけは注意だ。お手本にしたテリオスベルってウマ娘、そいつのトレーナーから情報もらったんだがスタミナの数値が半端ねえ。海外のクロスカントリーって障害レースに7000mを超えるレースがあるんだが、それを走れるぐらいのスタミナを……なんて顔してんだ、そういう気持ちで行こうって話だ』──
──『スピードよりもスタミナとパワーが重要な中山ダート1800を作戦で更に偏重させる。以上が捲り逃げを選んだ理由だ。具体的な作戦の話をするが、2コーナーまではさっき説明した通りとして、向こう正面は後ろを気にしながら走れ。リードは最低5バ身。だがリードを取り過ぎてもダメだ。大逃げしすぎると“逃げのサイレンススズカ”が後続の頭にはチラついて追ってくるのが速くなる可能性がある。神経を張り巡らせろ、どのウマ娘がどう動くか考えるんだ』──
──出走するウマ娘全てのレースを1から見直し、ムキになりやすい娘や早仕掛けをする娘は誰かなどを頭に叩き込んだ。
2コーナーを抜けて向こう正面へ。2番手の娘はスピードを落としたようで、既に5バ身差はついていた。あと2バ身ほどは差をつけよう。
向こう正面の真ん中まで続く急な下り坂を利用して、リードを広げていく。
『サイレンススズカ先頭で逃げます。リードは6バ身、7バ身! 後続は──』
向こう正面も半分過ぎて、もう3コーナーのカーブの先が見えてきた。
……2番手の娘は動かない。早仕掛けする3番手の娘もまだ動いていない。良い展開……!
──『下り坂を利用した3・4コーナーからは後ろ気にせず、自分の走りのみに集中。直線に入ったらあとは踏ん張るだけだ。不安要素を挙げるなら、中山ダート1800は逃げ先行に有利だが、この時期は相対的に差し追い込みもやや決まりやすいってことだ。そこはもう、宝塚記念を逃げ切った根性を見せてくれ』──
「……はあっ!!!」
ほぼ平坦から緩やかな下り坂の第3コーナーへ、加速して入っていく。
コーナーに入った時に後ろをチラッと振り返ると、7バ身差あった差が今はまた5バ身まで縮まってきていた。
右脚に負担をかけて更に加速。リードを保つために今の私の最高速度で走る。一方で身体への負担が一気に増し、スタミナとパワーを根こそぎ奪っていく。
『後続も差を詰めてきた! サイレンススズカ逃げ切れるのか!?』
後ろとのリードが更に縮まり3バ身。第4コーナーを回り直線へ入る。
(……宝塚みたい)
引きつけて逃げて勝利した2年半前の宝塚が頭を過ぎった。
「はあっ、はあっ…………っ! はああああっ!」
後続がすぐ後ろまで詰めてきた。後ろを振り返る余裕は無いけれど、多分もう2バ身も無いぐらい。ダートを叩きつける足音が背中に浴びせられる。
最後の直線、残り200m。芝でもダートでも変わらず存在する、中山の急坂へと差し掛かる。
息が苦しい。肺が潰れそう。あれだけスタミナを鍛えたのに。
脚が重い。まるで鉛の脚。あれだけパワーを鍛えたのに。
脚に違和感や痛みはないけれど、もう限界は超えている。これ以上は──
(──あ)
ふと、チームのウマ娘と一緒に最前列に陣取っている坂川が目に入る。そうだ、必死であのことを忘れてた。彼は──
──『最後、ひとつだけ約束がある。違和感や痛みを微かに感じたらレースをやめろ。勝てそうでも、景色が見えそうでも、絶対にだ。これだけは約束してくれ』──
──『わからねえ時は俺を見ろ。走りが崩れてて危ないと思ったら両手を高く上げて振っといてやる』──
坂川は、
手を上げていない……!
──『未勝利戦に勝つのも難しいって医者から言われたらしいが』──
──『実は未勝利戦に勝てないウマ娘を勝たせるのにはちょっとだけ経験があるんだ。レースはオープンクラスだがまあ、俺に任せてくれ』──
彼を信じて、思い切り踏み込む。
「ふっ、ふっ、ふっ…………はああっ!!!」
急坂を上る、上る、上る。ゴールまであと100m。
「はああああああっ!!!!!」
顔と体は砂と汗でドロドロ。捲ったときにキックバックが右目に入っていたようで、痛くて開けられない──
(──え?)
不意に、世界が変わった
“景色”が変わった。
(これは──)
昔見たような、爽やかで透き通っている世界じゃない。
巻き上げられた砂塵にまみれ、霞んでいてて、全く似ても似つかない世界。
でも、共通点があった。
──気持ちいい。
この気持ちよさは、間違いなく“景色”だった。
──久しぶり。
姿かたちは異なるけれど、それは同一のものだと確信していた。
再び出会えた喜びが胸を満たす。
『後ろも追い込んでくる!!! その差半バ身まで詰め寄るが──』
残り50mを切った。
苦しい。しんどい。
楽しい。気持ちいい。
……嗚呼。また会えて、良かった……!
私は“景色”に浸りながら、ゴール板を先頭で駆け抜けた。
『サイレンススズカ、1着でゴールインッ! なんとレース途中から逃げたサイレンススズカが、見事復帰戦を勝利して見せましたっ!』
もっと浸っていたかった世界はゴール板を過ぎると消えてしまった。でも、心の中の清々しい気持ちは消えそうになかった。
肺が酸素を求めて息も整わない、脚も疲労で動きそうにない──
(──あ、私……)
──そこで初めて、故障せずレースを走りきれたことを認識した。
怪我をした部分に痛みはない。嬉しさが反動のようにこみ上げてくる。
(やった……やったっ!)
脚が折れたあの瞬間から、2年以上経った今までの日々が走馬灯のようによみがり、一瞬で今へとたどり着いた。
目の前では、宝塚で勝った時みたいな歓声が上げられていた。観客席に頭を下げて応え、そして坂川に視線を移した。
「……?」
飛び跳ねて喜んでいるチームのウマ娘とは対照的に、彼は握りこぶしを作りながらも複雑そうな表情をしていた。
彼が何を気にしているのか手に取るように分かった。
「…………ふふっ」
大丈夫だと示すために、また感謝の気持ちを込めて──
──私は大きく彼に手を振った。
これにてサイレンススズカの話は一段落となります。
次回はキタサンかモエ、または久しぶりにキングの話もやりたいなと。いずれにせよゆるい話になりそうです。ちょいシリアス入りそうなダイアナはまたもう少しあとで。
更新は不定期ですが、例の父キタサン母父キングのウマ娘が実装されるまでゆるゆるとやっていきますので、またよろしくお願いします。