また『第19話/追憶3 それぞれの……』の回想パートとちょっと関連があります。
キタサンブラック宅にて話をした日の夜。彼女の作った晩飯を食べてから帰宅し、トレーナー寮に戻りキタサンブラックにお礼のメッセージを送ろうとスマホを開いた瞬間その当人からLANEが来た。メッセージには“もしメッセージ見られたらお電話いただけませんか?”と書かれていた。
「なんだ?」
彼女にすぐ電話をかける。すると2コールしないうちに電話は繋がった。
『あっ、トレーナーさん』
「さっきはありがとうな、キタサン。晩飯までいただいて」
『いえいえ! お口に合ったのならよかったですっ』
「ほんと旨かったぞ」
『……っ』
「で、なんか用か? 忘れもんでもあったか?」
『いえ、そうじゃなくて。実はその……』
「……どうした?」
キタサンブラックは逡巡していた。そんなに言いにくいことなのだろうか。
『あ、あの!』
「は、はい」
いきなり声が大きくなるもんだから、俺も電話口で思わず背筋を正してしまった。
『トレーナーさん、明日お昼は決まっていますか?』
「お昼? ああ、昼飯のことか。決まってはないな。適当にトレーナー室で買い置きの物でも食べようかと」
『そうなんですね! ……もしご迷惑じゃなかったら、あたしがお弁当作っていくので、召し上がられませんか?』
「は? 弁当?」
突拍子もない話で理解が追いつかない。キタサンブラックお手製の弁当を、俺に?
『実はお弁当の分の食材を少し買いすぎちゃったんです。傷みやすいものもあって、作っちゃうと私が食べる量には少し多くて。トレーナーさん、お昼決まってなかったらどうかなって』
「あー、なるほどな……」
確かに今日中に伝えておく必要がある事柄だった。電話をしてきたのも頷ける。
「そういうことなら、せっかくだしいただこうかな」
『! なら明日作っていきますねっ!』
「だがもしあれだったら食材だけ貰うぞ。料理は手間かかるだろうし」
俺だって炒めたりする程度の簡単な料理ぐらいは出来る。食材が少し傷んでたってあんま気にしないし。
それを彼女に言うと、さっきの晩飯の時みたいに一人分作るのも二人分作るのも変わらないと返された。
『……では明日、トレーナー室にお邪魔しますね。トレーナーさん、おやすみなさい』
「ああ。キタサン、おやすみ」
『……ふふ、おやすみなさいっ』
通話が切れて暗くなったスマホの画面をまじまじと眺めた。
「おやすみなさい、か」
懐かしい響きだ。あの頃はずっと2人でいたから、夏合宿とかで夜まで一緒にトレーニングしたときとか、こうして夜に電話やメッセージのやり取りをしたときとかに“おやすみ”と言い合うことはよくあった。
まさか“おやすみ”を言い合える仲に再び戻れたなんて、やっぱり今でも信じられない。もう二度とこんな関係には戻れないとつい先日まで思っていたのだ。
「しかし弁当か……」
弁当。キタサンブラックの手作り弁当。
「………………」
食材の処理のためと分かってるとはいえ、なんか妙に待ち遠しいのは気のせいだろうか。
◇
一方その頃。
通話が切れたことを確認した
「……やったっ」
食材のことは半分嘘で半分本当だった。確かに傷みやすいものもあるけれど、傷んだ部分を除いたり調理を工夫すれば数日の保存には問題なかった。
こういう理由がないと、理屈っぽいトレーナーさんは食べてくれないと思った。……食材の処理のためにって思われるのはちょっと嫌だけど、とりあえずまたあたしの料理を食べてもらえそうだ。
「うん、がんばろ!」
明日のお弁当の仕込みを今から始めることにした。
◇
翌日の昼、キタサンブラックが風呂敷を携えてトレーナー室にやってきた。
「おまたせしました!」
彼女がテーブルの上で風呂敷を解くと、中からは3段のお重が姿を表した。彼女が蓋を取ってお重を並べると、そこには彩のある様々な料理が詰め込まれていた。弁当でよく見る玉子焼きや野菜類をはじめ、おひたしや煮物、肉を炒めたものなどが几帳面に整理されて並んでいる。見た目は弁当とは思えない、豪勢なおせち料理と言った方がしっくりするものだった。またおにぎりが別の容器で準備されていた。
余りにも予想以上の弁当で、なんと表現したらいいか分からず何も言葉を発せないでいると、彼女が不安な目でおずおずと尋ねてきた。
「あの……すいません、お好みじゃなかったですかね……」
「いや! そんなことないんだ。あまりにも凄すぎて言葉を失ってたんだ。どれも美味しそうだ」
「っ! そうなんですね、ありがとうございます」
「食材の処理とはいえ、作るの大変だっただろ」
「…………」
「キタサン?」
「いいえ、そんなことないですよ! でも、ちょっぴり頑張ったのは本当です。ささ、どうぞ召し上がってください」
「ああ、じゃあいただくとするかな」
彼女とテーブルを挟んで向かい合わせに座り、お弁当をつつき始めた。
煮物をつまんでからおにぎりを頬張る。……うん、やっぱり旨い。結構俺好みの味だった。料理を食べ進める手が止まらない。
「旨いな。本当に料理上手いんだなキタサン。昔からこんな料理得意だったのか?」
当時はキタサンブラックの手料理を食べるなんて機会は無かった。
「ありがとうございますっ。料理を本格的にするようになったのはトゥインクルシリーズを引退してからですね。一人暮らしを始めたので、夜なんかは自分で作ることが多かったです。自分で作れば栄養管理しやすいですし。トレーナーさんは料理とかされるんですか?」
「いいや、ほとんどしないな。たまにやる程度だ。料理自体も適当に炒めるか煮るぐらいしかできん」
「じゃあお昼とかはどうされてるんです?」
「大体
「……それじゃ栄養偏っちゃいません? カフェテリアとか食堂使われないんですか? ……あれ、でも昔はカフェテリアとか使われてましたよね。あたしとも、アルファーグの他のトレーナーとも食べられてましたし」
「………………」
「トレーナーさん?」
俺がカフェテリアや食堂を使わなくなった理由、実はちゃんとした理由がある。それを伝えるか伝えないべきか迷う。
だが今更隠すべきではないと思った。彼女には誠実でいたいし、素直に話すことにした。
「……カフェテリアに行ったら、キタサンと会うかもしれなかったからな」
「え……?」
「だからこっちに戻ってきてからはカフェテリアは使わないようにしていた。キタサンは俺のことなんて見たくないだろうし、もし俺を見て嫌な気持ちにさせるのは避けたかったんだ」
できるだけ彼女の視界に入らないようにと考えていた。トレーニングコースで一緒になるときは仕方ないとしても、普段の生活ではできるだけ彼女を避けるよう意識して行動していたのだ。
「そうだったんですか……」
「ああ……」
お互いの箸が止まる。間に微妙な空気が流れる。やっぱりこの話をしたのは間違いだった──
「……ふふっ」
「キタサン……?」
──かと思ったが、キタサンブラックは小さく笑っていた。しかも少し嬉しそうに。
今の話、そんな笑える場面はあっただろうか。
「トレーナーさんって、本当にずっとあたしのこと考えててくれたんですね」
「あ、ああ……いや、当然だろ……」
高松宮記念の次の日と同じことを言われた。やっぱり無性にむず痒くなる。いや、キタサンブラックのことをずっと考えていたことは確かだが。
「ねえトレーナーさん、もしよろしければこれからお昼のお弁当、あたしが作ってきましょうか?」
「は? いや流石にそれは」
「インスタントラーメンばかり食べてたら体に悪いですよ。トレーナーさんだって栄養学お詳しいんですから分かりますよね」
「そりゃ分かってはいるが……」
ここ数年の健康診断においてもまだ引っかかってはないが数値は悪化傾向にあるので、その言葉は耳に痛かった。元々不摂生気味だったし。担当ウマ娘たちには栄養のことについて指導しているのに、指導する側の俺がインスタントラーメンばかり食べてるのはどうなんだとその担当ウマ娘たちに言われたことが実は何度かある。最近ならダイアナヘイローに言われた。
「いや、こういう関係に戻れたことだし、忙しくないときはカフェテリアでメシを食うことにする。弁当を作ってもらうのはこっちの気が引ける。キタサンはまだ現役で走ってるんだからな」
「全然迷惑じゃないですよ。 ……あたしが作ってあげたいんです。トレーナーさんは嫌ですか……?」
「いや、そういうわけじゃなくてだな……」
その言い方はズルい。
「週に何度か、あたしが自分でお弁当をつくるときに一緒にトレーナーさんの分を作るっていうのはどうですか? 本当に全然負担じゃないんです」
「あー、そうだな……」
拒否するのは難しい……というか、そう考えるのは失礼だと思う。自分は食べたいか食べたくないかどっちかというと、前者なのだ。作ってくれるって気持ちも嬉しい。それらを踏まえるなら答えは出た。
「なら、週に何回かお願いしてもいいか。旨かったし、むしろ食べたい。トレーニングやメディアの仕事で忙しいときは全然いいからな」
「!!! はいっ! 喜んで! 美味しいの作りますね!」
キタサンブラックは満面の笑みで自身の胸をとんと叩いた。あの頃と全く変わらない仕草に微笑ましくなる。
「……ん?」
「え?」
彼女が胸を叩いたのと同時に、彼女の服から小さい何かがひらりとテーブルの上に落ちた。ピンク色のそれは桜の花びらだった。
「あ、服についてたんですね」
今は4月に入ったばかりで、桜が満開の時期だっだ。学園内の桜も最盛期を迎えており、それがここに来るまでについたのだろうか。
「桜か。そういや昔お前の家のお花見に招待してもらったな。そろそろ時期じゃなかったか?」
キタサンブラックと過ごした春はクラシック級の春だけだったが、その時に彼女の父が主催する大規模の花見会に参加したことがあった。父の関係者や弟子たちもいる大所帯での花見で、とんでもなく賑やかだったのを覚えている。
「そうですね。今週末にあります。トレーナーさんもいらっしゃいますか? あたしもトレーナーさんとお花見したいです」
「……いや、俺が行ったら流石にまずいだろ。ほら、キタサンのお父さん」
「あ……」
キタサン宅での別れの日の憤怒の父親は今でも忘れられない。
「確かにキタサンと花見もいいな。でも担当のトレーニングを見なきゃならないからパスだ。すまねえな」
「……そうですか。……う~ん…………あっ! トレーナーさん、明日お休みって取れますか? 午後は担当さんのトレーニングでしょうから午前だけでも」
「休み? 4月に入ったばっかだし有給はいくらでもあるっちゃあるが……」
有給なんて最低限取らなきゃいけない程度しか取らないから前年度からの繰り越しも残ってる。
「花見に行くってことか? 俺は大丈夫だが……キタサン有名人だし、観光地とか行ったら目立つんじゃないか」
「服装気を付けてマスクとかサングラスしたら大丈夫ですよ」
「でもなあ……」
「?」
そうは言うが、バレない可能性が無いわけでもない。こんなに有名な彼女が、そういう関係ではないとはいえ男と2人で歩いているところ見られたら誤解されかねない。今はSNS全盛だし一般人でもすぐに動画とか写真を撮られて拡散される時代なのだ。彼女に迷惑はかけたくない。
そのことを伝えると彼女は微妙そうな表情をしていた。なんかどこか納得いってないような、拗ねてるような感じだった。
そんな彼女を見ていると、ある案を閃いた。
「……そうだ。なあキタサン、
そうして俺はある場所を提案した。
ちなみに弁当は2人で完食した。平らげると彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
◇
翌日、俺の車の助手席にキタサンブラックを乗せてその場所まで向かった。彼女には念のため変装してもらっていた。
目的の場所に着き、砂利が敷かれた駐車場に車を停める。平日の午前中なのあるし、予想通り他に車は一台も停まっていなかった。
トレセン学園から車を走らせて30分。そこはウマ娘を祀っている小さな神社だった。過去に俺と彼女が訪れたことのある場所でもあり、最近俺のチームで正月ここに来るのが恒例行事ともなっている場所だ。彼女も小さい頃からここに通っており、今年の正月もお忍びで来ていたようだ。
ここの境内に、大きな桜の木が一本植わっているのだ。ここなら誰も来ないし、人目を気にする必要がないと思って選んだ。
境内の手入れは行き届いていた。無人の神社なので町内の住人が清掃しているのだろう。
2人で本殿までたどり着いた。桜の木は本殿の裏手にある。
誰もいないことを確認したキタサンブラックは変装用のマスクや帽子、サングラスを外した。
「せっかくだし参拝していくか」
「そうですね!」
賽銭を放って鈴をしゃりんと鳴らし、手を合わせる。何をお願いしようかと思ったところで、過去に彼女と来た時のことを思い出した。確かあの時の俺は──
──『……キタサンが怪我無く無事に走り続られるようにって、GⅠを取れるようにって……あと、お前がみんなを笑顔にできるようにってお願いしたよ』──
──そうお願いしていた。
ちらりと薄目を開けて隣を見る。キタサンブラックは目を閉じて、穏やかな表情で手を合わせていた。
(……今回ばかりはお礼参りだな)
俺の願いは叶った。それならお礼参りだろう。本殿の奥にいる神様に強くお礼の念を送った。
彼女とほぼ同時に参拝が終わり、2人で顔を見合わせて笑い合う。何を願ったとかは聞き合う必要を感じなかった。
そして目的の桜の木へとたどり着く。枝から桜が零れ落ちそうなぐらい満開で、まるでその空間だけ切り取られているかのように浮かび上がっていた。透き通る薄桃色の花びらは、陽光を吸い込み自ら発光していようにも見えた。
「綺麗ですね……!」
「凄いな……思った以上だ」
「この時期には来たことがないので、こんなに綺麗な桜だって知りませんでした……!」
桜の木の存在は知ってたが、咲いているのを見るのは初めてだった。
2人して並び、桜をただ見上げる。
「……トレーナーさん」
キタサンブラックは静かに語りだした。
「あたし、これからトレーナーさんと色んなものを見たいです」
「今日みたいな桜とか……あたしたちがもしずっと一緒に過ごしていたら、一緒に見るはずだったものを」
「これまでに見てきたものも、見たことのないものも、たくさんたくさん、またトレーナーさんと一緒に見たいです」
差し出された彼女の手のひらに一片の花びらが舞い降りる。柔らかな春の光をたっぷりと吸い込んだ花びらを、彼女は愛おしそうに見つめていた。
俺の視線を感じたのか、彼女がふわりとこちらを振り向いて目を細める。
「……えへへ」
ほころんだその唇から笑みがこぼれた。
温かな春が俺たちを包んでいる。
多くのことが変わったかもしれない。
でも変わらないものも今、ここにはあるのだ。