あと、東スポ杯は2022年現在のGⅡとしています。
『さあ、やってまいりました! 東京レース場芝1800mで行われます、GⅡ、東京スポーツ杯ジュニアステークス! 曇り空の下、今年も注目のウマ娘たちが揃いました。早くも枠入りが進んでいます』
発バ機を前に枠入りの順番を待っていると、聞き覚えのある女性実況の声が聞こえてきた。たしか赤坂という名前の眼鏡をかけた女性アナウンサーだったはずだ。
『奇数番のウマ娘たちが枠へ入っていきます。2番人気のマイネルラヴが今入りました』
警戒すべきウマ娘、赤い勝負服のマイネルラヴが鹿毛をなびかせながら枠に入っていく姿を後方で見つめる。坂川にレース中はこのウマ娘の動きを把握しておけと口酸っぱく言われていたことを思い出す。
程なくして偶数番のウマ娘の枠入りになった。
『1番人気、キングヘイローが8番ゲートに入りました。前走で見せた驚異の末脚、本日は見られるでしょうか!?』
(1番人気……いい気分ね! せいぜい期待していなさい!)
ゲート内で待機しながら心の中で実況にそう応える。
今日のレース、私は初めて1番人気に指示された。“1番”……その響きはやっぱり気分が良いものだ。
外野もキングヘイローというウマ娘を認めてきている証拠だ。この前のレース、雑誌にも結構大きく特集されていたし。キングヘイローの名は着実に広まってきている。
『大外のアイアムザプリンスがゲートに入ります……これもおさまって……』
(……集中、ね)
目を瞑って雑念を振り払う。
初の重賞だ。油断が許されないのは十二分に理解している。
(……)
足を一歩引いて、スタートに備えて構える。
──ガシャンと音がして目の前の視界が一気に開けた。
『スタートしましたっ! ほぼ揃いました12人、スーパーグランザムが行きました!』
私自身はほんの少し遅れたが二の足で前目につける。先頭にいる2人のウマ娘の後ろに4人並ぶ形の一番外側にポジションを取ることになった。
『マイネルラヴも3番手につけることができました。そしてその外にはキングヘイロー!』
私のすぐ隣……内側にいるマイネルラヴに並びかけ、並走するような形になった。
『見るときは目線か顔だけ向けろ! 絶対に体は動かすな!』……と言われ続けた今日までのトレーニングを思い出しながら、視線だけマイネルラヴの方を見ると──
「「……!」」
バ体が合いそうなほど近くで、お互いの視線がぶつかり合った。
(あなたも、私のことを意識してるってわけね! ここは譲れな……いえ)
瞬間、熱が入りそうになった頭が、今日までのトレーニングの記憶によって冷静にさせられた。
(ここは……)
◇
数日前へと時間が巻き戻る。
「今週末、いよいよ東京スポーツ杯ジュニアステークスだ。特訓は今日で終わり。明日からは調整に入るぞ」
「はあ……はあ……ふっ……」
トレーニングを終え、坂川の前で息をつく私。これまで毎日、併せて走るトレーニングをこなしてきた。その相手はカレンモエであったり、マコの伯父である郷田正男のチームのウマ娘であったり、その日によって変わっていた。
「これまでの特訓の成果だが……」
坂川が眉間に皺を寄せながらタブレットを見ている。そのタブレットにGPSトラッカーのデータが映っていることは確認しなくても分かる。
「全然駄目だな」
「く、くう~~~~!」
バッサリと切り捨てる坂川のそれを聞き、思わず悔しくて声が出る。
自分でも理解できている。近くにウマ娘がいるときのフォームの崩れを改善することはできなかったのだ。
「……ふんっ! 本番のレースではきっちりと修正して見せるわよ。キングは一流のウマ娘だもの、本番に強いところを見せてあげるわ!」
「練習でできてないのにレースでできる自信がどこから来るのか知りたいもんだな」
「その心意気を持つことが大事なの!」
まず決意して宣言すること……強がりと言うのかもしれないが、得てしてそれは重要なものだと思う。
このあともフォームが改善されなかったことについて嫌味を言われるかと心の中で身構えていた。しかしそうはならず、坂川の口からは意外な言葉が出てきた。
「だが収穫もあった。この収穫だけでも特訓した甲斐があったってもんだ」
「収穫?」
坂川の言っている収穫とは何なのか、自分では見当もつかない。フォームが改善されたとも思えない。これまでトレーニングの終わりのたびに部室でGPSトラッカーのグラフを見てチームのみんなと振り返りをしていたのだ。グラフの意味も少しは分かるようになってきたので、尚更フォームが良くなったとは思えない。
「キングヘイロー、何だと思う?」
「……もったいぶってないで教えなさい。正直言うと、フォームが良くなったという手ごたえはないわ。競られたらどうしても崩れてしまうの」
「なんだ、ちゃんと分かってるじゃねえか」
「え……?」
今のどこにその収穫があったのだろうか。
「自分自身でフォームが崩れるっていう自覚ができただろ? あの模擬レースまで、そんな自覚はあったか?」
「あ!」
確かに坂川の言う通りだ。これまで走っているときに自分のフォームが崩れているなんて意識はひとつも無かった。それが今回の特訓でのビデオやグラフのフィードバックによってそこに意識が向くようになった。
坂川の言う通り、自覚ができるようになったのかもしれない。
「特訓の期間もあんまりなかったからな、それが分かっただけでも上出来だ。よくやったな、キングヘイロー」
「……ふふんっ! トーゼンよ! キングにはそれぐらい、分かっていたわ!」
ここに来て急に褒められて、それで生じた照れを隠すためにそんな言葉が出た。
坂川は私に遠慮するということを知らない。駄目なところはストレートに駄目と厳しい言葉が飛んでくる。そんな、これまでずっと厳しくされてきた坂川に褒められることが嬉しいなんて……
(案外私も単純……って、いやいやいや!)
と、心の中で自分と戦っていた私なんて坂川は露も知らないだろう。
「お前と洗い場で出会った時、バ群の中でのフォームの崩れについて俺が言っていたことを覚えてるか? 『競られるトレーニングしてフォーム自体を修正するか、バ群から距離を取る戦法を試せ』って言ったんだが」
「覚えてるわよ」
あんな出会い、そうそう忘れないだろう。
「フォームの崩れが自覚できたってことは、バ群から距離を離してレースできるようになったってことだ。だから、週末のレースに向けての指示、まず1つ目だ」
坂川は人差し指を真っすぐに立てた。
「序盤に他のウマ娘が近づいてきてフォームが崩れてると感じたら、すぐに距離をとれ。ポジションを下げたって構わねえ。初の1800だ、終盤は仕方ないにしても、序盤の体力消耗は出来るだけ避けるんだ」
◇
再びレースへ時は戻る。
坂川に言われた指示を思い返して決断した。
(ここは……焦らない。譲るべき)
加速をつけて私より1バ身先へ抜け出すマイネルラヴを無理には追わないことにした。すぐ後ろにはそれを追ってくる中団勢の足音が聞こえる。
外を回ってしまうことになるが、ここは無理に内側に入らず、前方とも後方とも距離を保ったまま走ることを選択した。
マイネルラヴの2バ身後ろを追走するようにバックストレッチを駆けていく。
『向こう正面残り1200mを通過します。先頭に立ったのは盛岡トレセンのスーパーグランザム1馬身ほどのリード。2番手レオチャレンジャーその後ろにマイネルラヴがつけます』
後続集団がコーナーへ向けて差を詰めてきている。私と他のウマ娘との距離が急に縮まった。
(内側へ入るスペースはもうない! このまま外を……あっ、フォーム、が)
内へ入る選択肢はもう残されていない──そう考えるのと同時に、フォームが崩れることが分かった。
この感じは、多分上体が起きてしまっている。
『残り1000m通過。5番手ランドパワーの外にキングヘイローがいます! ウマ娘たちが一塊になって第3コーナーへと向かっていきます!』
バックストレッチが終わり、第3コーナーへ。わざと外に膨れながらコーナーに入っていく。
(フォームは、多分、大丈夫なはず!)
膨れたことで内のウマ娘から少し距離をとってフォームが修正できたことを感じると、前のマイネルラヴを視界に入れながらコーナーを回っていく。
(これが、本物の東京レース場……!)
これまで散々学園内レースで走ったコースと目の前の景色を重ね合わせながらコーナリングしていく。
内側にも、後ろにも、そして外からもウマ娘たちが迫ってきている。アイアムザプリンスが外から私に追いすがってくる。
(ここからは……トレーナーの言う通りに!)
そこで思い返したのは、レース前日の事だった。
◇
「で、2つ目の指示ってなんなの? 結局今まで教えてくれなかったけれど」
「そこはあれだ。各陣営の調子を見ないといけなかったからな」
数日前のトレーニング中に言われた1つ目の指示に加えて、もう1つの指示が坂川の口から語られようとしていた。
「まずは復習、あの8着に負けた模擬レースの敗因は?」
いきなり
「ペースを読めなかったことと、追い出しが早かったこと、かしら」
「その通り。俺があの時言ったこと覚えてたか」
忘れる訳がない。それにあれからマコに動画をもらって自分でもレースを見返したのだ。
自分が敗北したレースを見返して敗因を分析することは、これまでの学園内レースでも行ってきたことだ。
「ペースを読んだりペース感覚を養うトレーニングはしてないから、自分自身で仕掛け始めることは止めろ。超スローになって前残りになったら仕方ないって考えるぐらいで行け。ポジションは自分がスムーズに運べるところでいい。前か後ろかにこだわるな」
「それ、私に展開待ちでレースをしろって言ってるのかしら?」
「現実的な観点で話してるだけだ。大事なのはもう1つの敗因、追い出しが早かったことだ……今回、追い出しは最後の直線まで絶対に待て」
「……ええ、分かったわ」
模擬レースではそれで負けたのだから、坂川の言うことはもっともだ。それには素直に従うことにした。
「そんで最後の500mを過ぎたら抜け出しそうなウマ娘を1人、目をつけろ。そいつを目標にするんだ」
「目標……
「そうだ。最後の直線に入る直前、コーナーなら後ろのウマ娘も確認しやすい。脚色のいいウマ娘をそこで頭に入れろ。人気どころのマイネルラヴかアイアムザプリンスは最低限確認しておけ。特にマイネルラヴは仕上がりが良い。くどいかもしれんが、確認するときは目線か顔だけ動かせよ」
言われたことを手元にあるノートに書き終わった私を見てから、坂川は口を開いた。
「コーナーで後方から捲られても絶対に焦るなよ。なあに、前走の黄菊賞の脚があれば大丈夫だ」
私と目を合わせた坂川は口元に笑みを浮かべ、不敵に笑っていた。
「思いっきり、お前の脚を爆発させてやれ! ブチかましてこい!」
私は自分の自信を示すように胸を張った。
「言われなくてもそのつもりよ!」
◇
坂川に言われた通り、コーナー出口で有力ウマ娘の脚色を確認して頭に入れておいた。
『最後の直線に入った! 先頭はスーパーグランザムか!? レオチャレンジャーとマイネルラヴの2人が並んで先頭3人横一線!!』
そして直線に入り、残り500mを通過。
私の左前方で3人のウマ娘が先頭で並びかけ、後ろからはアイアムザプリンスが迫ってくる。
私は再度見える範囲でそれぞれの脚色を見──。
(やっぱり、このマイネルラヴって娘……!)
脚色を見るまでもなく、加速して先頭へ抜け出したマイネルラヴ。
後ろから来ていたアイアムプリンスはズルズルと下がっていくのが見えた。この娘はもういい。
──標的は
(ここでっ!)
マイネルラヴの外から、ここまで溜めていた脚を一気に開放する。
「はああああああっ!」
『400を通過! 先頭はマイネルラヴ! そしてキングヘイローが外からやってきたっ! キングヘイローかマイネルラヴか、2人のマッチレースになるのか!?』
先頭へ躍り出た私とマイネルラヴ。
曇天模様の空の下、観客席から沸き起こる歓声を耳に捉えながら、脚を
ターフから足底に跳ね返ってくる反力に心地よささえ感じながら、脚を前へ、前へ、前へと踏み出す!
あの時……模擬レースの時とは違う。
(キングは、キングヘイローは、私は……!)
『200を通過! マイネルラヴ! キングヘイロー! そしてここで、キングヘイローが先頭に変わったっ!!!』
マイネルラブとの距離を測りながら、バ体を合わせないように外へ向かって駆けていく。
高低差2mの坂なんて、なんてことはなかった。
『さあ先頭はっ、キングヘイロー2バ身のリード!』
(そうよ! 私はっ!)
そこで突如脳裏に浮かび上がったのは、どこかで見ているであろう、
彼女に見せてやろう、この脚を!
彼女に見せてやろう、この勝利を!
(一流のウマ娘、キングヘイロー、なんだから!)
「はあああああああああっっっ!!」
『キングヘイローが、今っ────』
後ろからは何も来ない。ここには輝く翠ただひとつ。
『先頭でゴールインッ!!!』
────私は、やれる!
ただ私だけのゴールラインを駆け抜けた。
『3戦3勝で重賞を制し、来年のクラシック戦線の主役へ堂々と名乗り上げました、キングヘイローです! しかもレコード! レコードです!』
私の勝利と電光掲示板に表示された“レコード”の文字。
それを目の当たりにして、曇り空を吹き飛ばすような歓声を上げる観客たちに私は手を振った。