「やったやったやりました! しかもレコード! キング凄いです! トレーナーさんもおめでと……あれ?」
キングヘイローの勝利に両手を上げてその興奮を表すペティの横で、黙っている俺はウイナーズサークルに向かうキングヘイローの後ろ姿を目で追っていた。キングヘイローはゴール後すぐに誘導員に連れられたため、俺たちのいる立見席のところには寄らなかった。
「トレーナーさんも重賞初勝利ですよね? なんでそんなに落ち着いてるんですか?」
「……あのなあ、俺はこれでもいい大人なんだ。お前みたいに飛び上がって喜ぶなんてしねえよ……ちゃんと嬉しいぞ」
俺はタイムを記録していた手帳と万年筆をジャケットの内ポケットへ入れた。
「ならいいんですけど」
「この後インタビューとか写真撮影あって長引くから、モエと先に帰ってていいぞ」
「いやいや! チームの一員としてキングを出迎えますよ! モエさんはどうしますか?」
「…………」
カレンモエはターフへ……いや、キングヘイローのいるウイナーズサークルの方をじっと見ていた。ウイナーズサークルではキングヘイローが撮影に応じている。優勝レイを肩に掛けて、これ以上ないほどのドヤ顔でポーズをとっていた。
「モエさん?」
「……モエも残るよ」
「そうですか? じゃあわたしたちも控室に行きましょうよ!」
「……ん」
カレンモエはコクッと小さく頷いた。
「分かった。それじゃあ行くか」
俺は2人に声をかけて、キングヘイローの控室へ向かうために歩き始めた。俺の後から2人がついて────来なかった。
後ろへ振り向くと、ペティはついてきているのだが、カレンモエはまたウイナーズサークルの方を見ているようだった。
「モエ? どうした」
「……ううん、ごめん。今行くよ」
カレンモエはそう言ってこちらを向くと、歩みを進めて俺の後を追ってきた。
◇
ウイナーズサークルから目を離し、もう1年以上一緒にいる
(……トレーナーさん……重賞…………モエが……っ)
歩きながら、ぎゅっ、とひとりでに握りしめられた手に、誰も……その本人でさえ、気付いていなかった。
◇
控室前で待っていると、これまでで一番の声量であの高笑いをしながらキングヘイローが現れた。
「おーっほっほっほ! レコードを記録した最高の走り、その目に焼き付けたかしら!?」
「ちょっと、凄すぎますよキング! 重賞制覇、おめでとうございます!」
「……おめでとう。レース、すごかった」
「よくやったな、キングヘイロー」
「ふふふっ、もっと、もっと褒めていいのよ! あなたたちにはキングを褒め殺す権利をあげるわ!」
その後も三者三様に褒めると、キングヘイローはこれ以上ないほど喜びはしゃいでいた。ここまで嬉しそうにしているのを見ると、微笑ましいと思うほどだった。
キングヘイローは一通り喜び終えると、一転挑発的にキザッたらしく俺を指さした。
「あなたもこれで重賞トレーナーよ。これでもう底辺とか弱小だとか、自分を卑しめるようなことを言うのはもうやめなさい。分かった?」
「……ああ、そうだな」
キングヘイローにそう言われて、改めて自分が重賞を勝利したトレーナーになったことを理解する。確かに、今現時点において俺は底辺でも弱小でもないのかもしれない。
「あなた、どうかしたの? なにか様子が……」
「キングもそう思いますよね? メイクデビューの時も黄菊賞の時もトレーナーさん声上げて笑って喜んでたのに、キングがゴールしてからずっと心ここにあらずって感じなんですよ」
ペティが言ったことを聞いてキングヘイローは考え込むような仕草をしてから口を開いた。
「そう、分かったわ。トレーナー、あなた感激しすぎて現実味がないのね! それともキングのレースが衝撃的すぎて我を忘れているのかしら!? おーっほっほっほ!」
自分の様子がおかしいのは俺自身も分かっている。流石にこの態度のままではいられなくなったので、なんとか取り繕うために誤魔化す言葉を探した。
「……これからのことを考えてたんだよ。12月のGⅠのことをな」
「!」
「朝日杯になるかホープフルになるかは分からねえが、狙いに行くぞ。この後のインタビューでもそう言う予定だ」
「言われなくても私もそのつもりよ。望むところ、と言ったところね。ふふっ、いよいよ私がGⅠに……」
なんとか、誤魔化せたのだろうか。
しばらくしてから、インタビューの準備が整ったと運営スタッフが連絡しにやって来た。
◇
さすがは重賞だけあって、インタビューや写真撮影も分かっていた通り長丁場になった。
普段の勝利ならトゥインクルシリーズの雑誌記者に応えるだけでよいのだが、重賞にもなると新聞記者やテレビ局のインタビュアーも相手にしなければならず、小規模な会見みたいになっていた。
それら全てから解放されると、すっかり外は暗くなっていた。
3人と一緒にトレセン学園に帰って寮へ送り届けてから、俺は再び街へと繰り出して、ドヤ街の居酒屋を一人でハシゴしていた。
そのままトレーナー寮に帰る気にはどうしてもなれなかった。
……いろんなことを思い出してしまっていた自分がいたのだ。
「……ふぅ」
軽い木製の引き戸を閉め、くたびれた暖簾をくぐって居酒屋から外に出ると、冷たい外気が体を迎えた。すえた匂いのするドヤ街から酔い覚ましをかねて当てもなく歩いていると、気づけば賑やかな表通りの繁華街までやってきていた。
もう時間も遅く、アルコールも大分回っているので次を最後の一軒にしようと考えながら人混みの中を避けて歩いていると、
「おい、坂川か?」
「え?」
聞き覚えのある渋い男性の声がすれ違いざまに俺を呼び止めた。褐色のスーツに身を包んだその男性は──
「
俺の恩師であり師匠、今年もリーディングトレーナーの座に君臨し、名実ともにトレセン学園の頂点に立つチームアルファーグのチーフトレーナー、清島
「お前も飲んで……るな、酒臭せえぞ。1人か?」
「……はい。先生も?」
「俺は偉いさんたちとの付き合いだ。今さっきそれが終わってな。このあと空いてんなら、久々に2人で飲みに行くか?」
清島はネクタイをわざとらしく緩めながらそう言った。トップチームのトレーナーである清島のことだ、URAなどのウマ娘界隈だけでなく様々な業界とのつながりを持っているから、その関係の付き合いだろうと推測した。僅かに白髪が混じり始めた髪を整髪剤できっちりセットしており、余所行きのかっちりした恰好をしていた。
「はい。俺ももう一軒行こうと思ってたので」
「よし決まりだ! 店は?」
「いえ、特に決めてないです」
「じゃあ適当に選ぶか。今日は堅苦しい店ばっかりで嫌になってなあ」
そうして2人で話しながら、大通りから一本入った道の隠れ家的な飲み屋に入ることにした。
◇
俺と清島はカウンターに並んで座り、乾杯してから話し始めた。俺はグラスで芋焼酎のお湯割り、清島はお猪口で熱燗を飲んでいた。
「久しぶりだな。こうして飲むのは何年ぶりだ?」
「この前は確か……2年前ぐらいじゃないですか?」
「もうそんなになるのか」
自分でそう言って改めて時が経ったことを実感する。この前飲んだ時も今日みたいに偶然繁華街で出会ったのだった。今日とは違いあの時はお互い時間も無かったので、大した話もせずに別れたのを覚えている。
「お前、今日重賞勝ったんだってな」
今日のレースにアルファーグのウマ娘は出てなかったはずだが、流石に知っているか。
「……ええ」
「その割には浮かねえ顔してんな。嬉しくなかったのか?」
「そんなはずないでしょう。嬉しかったですよ。本当に」
改めて今日キングヘイローが勝った瞬間を思い出す。俺の言葉に偽りはない。アルファーグのサブトレーナーを辞めてから8年、必死にもがき続けてやっと勝てた重賞だ……心の底から喜んでいた。
──しかし、胸の内にあった想いと感情はそれだけではなかった。
「……でも」
「でも、なんだ?」
これを聞いてくれることができるのは、唯一この世界で清島だけだろう。
「昔の……アルファーグにいた時のことを、少し……」
「……そうか」
清島はそこで日本酒の入ったお猪口に口をつけた。飲み干して空になった彼のお猪口にとっくりから酒を注いだ。
「
まさに清島の言う通りだった。流石、俺の師匠と言うほかない。
俺はグラスに入っている焼酎を飲み干した。のどを通るアルコールの感触と鼻から抜けていく芋の匂いを感じた。
「はい。3戦3勝で重賞制覇……アイツと全く同じでしたから」
アイツ……俺がアルファーグのサブトレーナーとして働いていたときに、実質的に俺の担当だったウマ娘。
不意に浮かんできた彼女の姿が、キングヘイローが勝った姿と無意識のうちに重なっていたのだ。
「アイツは──」
彼女の名前を口にしようとして、刹那それを躊躇ってしまった。今でもDTLで活躍する彼女の名前をテレビやメディアでよく耳にはするものの、口に出すのは随分と久しい。
1秒にも満たない
「キタサンブラックは、元気ですか?」
彼女がくれた万年筆の感触を、今も内ポケットに感じていた。
当作品はイクイノックス号を全力で応援しています。