冬場の地下バ道の空気が肌を刺すのを感じながら、コートの上からでも体温を奪うようなコンクリートの壁に背をつけて静かに待っていると、レースを終えたウマ娘たちの足音が次第に大きくなってきた。
こちらにやってくるのは、今のレース……ホープフルステークスで敗北した13人のウマ娘たちだ。その中に翠の勝負服に身を包んだウマ娘もいた。
「……~~っ!」
地下バ道の照明に当てられた彼女の顔は、いかにも悔しそうにしていた。
顔を上げた彼女が俺に気付いた。彼女が近くまで来るのを待ってから声をかけた。
「おう」
「トレーナー……わざわざここまで迎えに来たの? ヒマな人ね」
俺は壁から背を離し、悪態をつくキングヘイローの歩調に合わせてその隣を歩く。
「レースに勝つってのは簡単なことじゃねえ。GⅠなら尚更……なんてどうでもいい話は聞きたくなさそうだな」
「あなたの言いたいこと、言っていいわよ。今ならキングが特別にその権利をあげるわ」
初めての敗北でセンチメンタルにでもなっているのかと思ったが、まだ余裕はあるようだ。泣きでもしようものなら慰めてやろうと思ったがその必要はないらしい。
「お前も分かってるだろうが、敗因は最後の直線にある」
「ええ……そうね」
内の方で第4コーナーを回ってきたキングヘイローは最後の直線にて前のウマ娘を交わすために最内へ進路を取った。しかし、キングヘイローが最内へ潜り込む直前に、その前を走っていたウマ娘が内へ斜行し進路が防がれたのだ。キングヘイローはブレーキをかけ慌てて外から抜き返すもスピードに乗り切れず、更にその外からスムーズに追い込んできたロードアックスに最後は差されてしまった。
レース結果は1と1/4バ身差の2着。初のGⅠホープフルステークスはなんともほろ苦く、悔しい結末となった。
「勝負を急ぎ過ぎたな。前のモーリサバイバルが追い出す前に内へ仕掛けてしまったお前の判断ミスだ。外へ進路をとるか、後ろのロードアックスに合わせて追い出すべきだった。それに尽きる」
「……」
トレーナーらしいことを俺は言っているが、今のはトレーナーでなくたって誰がレースを見ても分かるようなことだ。実際に走っていたキングヘイローなら言わずとも理解していることだろう。
なぜそんな当たり前のことを言うのかというと、それ以外特に問題点は無かったからなのだ。客観的に見て、キングへイローのレース運び自体は悪くなかった。
「キングヘイロー」
「……なにかしら?」
「今日のレース、良かったぞ」
「? あなた、もしかして褒めてるの?」
「ああ。あのイン突きは限りなく正解に近かった」
問題の最後の直線だが、3番人気モーリサバイバルの実力を過小評価してなかったからこそ、キングヘイローは早めに追い出したのだ。前で止まらない可能性を考えると、その判断は間違っていなかった。ただ、結果的には間違っていたというだけ。
最内の選択についても、トレーニング後のレース勉強会でイン突きを取り上げたこともあったのでそれから発想を得たのだろう。
それと最後の直線まで周りにウマ娘がいる状況でフォームを大崩れさせることなく、我慢して走れていた。
それを言葉にして伝えてやる。
「モーリサバイバルがもし斜行してなかったら、あのまま最内で伸びてお前が1着だった可能性も十分にあった。それに道中は内の方でウマ娘に囲まれてたが、よく我慢して走れたな。フォームの崩れも小さかった」
レース中の判断と安定してきたフォーム……着実にトレーニングが身になっている。キングヘイローは確かに成長している。
「ふんっ! 慰めてくれているところ悪いのだけれど、負けた私には何も響かないわ」
「慰めてなんかねえよ。ただ事実を言ってるだけだ。今日はお前の日じゃなかった……そんだけだよ」
事実を踏まえたうえで褒めるべきところは褒める。反省すべきところは反省する。忖度したって仕方がないのだ。
キングヘイローは変わらず歯噛みして悔しそうにしている。この様子を見ていると、負けてしまったがその闘志に陰りはないようだ。
「まだ最初のGⅠが終わっただけよ! 次のGⅠこそは……皐月賞こそは……!」
「それでいい。帰ったら反省会だ。勝てたかもしれないポイントが他にもあるかもしれねえ。走りの細かいところもチェックするぞ」
「ええ! いくらでもやってやるわ!」
「言っといてなんだが、その前にウイニングライブ頑張ってこいよ」
「誰に向かって言っているのかしら? 完璧に仕上げてるからよく見ておきなさい!」
俺とキングヘイローは前だけを見据えて、地下バ道をあとにした。
ちなみに、キングヘイローのウイニングライブのダンスはキレッキレだった。
◇
年内最後のGⅠホープフルステークスを終えて大晦日をむかえたトレセン学園。
実質的な冬休みになったので、学園内の
同じチームのカレンモエも1月2週目のレースに出るにあたって学園に残っていた。もちろん坂川も学園に残っている。ペティはいないが、元日の午後……つまり明日には戻ってくるらしい。彼女曰く「正月はお客さんが多くて嫌になる」とのこと。彼女の家庭については全然知らないが、私と同じくそれぞれ事情があるのだろう。
私もスケジュール的には実家に帰ることもできたのだが、このトレセン学園に入ってからは実家に帰らないと決めていた。結果を残すその日まで母に会うことはできない。母に会ったってまた何かを言われるだけだ。ホープフルのあと母から電話がかかってきたが取らずに切っていた。
私はウェイトトレーニングを終え、トレーナー室に戻ってきていた。次の弥生賞まで時間があるので、今は基礎的な筋力やスタミナ強化を目的にトレーニングが組まれている。坂川に提示されたメニューを今日も完ぺきにこなしてきた。
「ウェイト終わったわよ」
「お疲れさん。あとはストレッチしたら上がっていいぞ。筋トレの後だからストレッチも軽くな」
「分かったわ」
「……あ、おいキングヘイロー」
そう言われてトレーナー室を出ていこうとしたら坂川に呼び止められた。
「なに? ……と言うか前々から思っていたのだけれど、キングヘイロー呼びよねあなた」
「あ? なんか問題あんのか?」
「キング、でいいわよ。煩わしいでしょ?」
「分かったよ。キングだな。それでだ、モエはまだウェイト室にいたか?」
訊いてきたのはカレンモエのことだった。私がウェイト室に着いたときには既にウェイトトレに取り組んでいたのに、出てくる時もまだトレーニングに励んでいた。
「ええ。私が出る時にもまだトレーニング中だったわ」
「……そうか。分かった」
坂川は椅子に座ったまま腕を組んで何か思案する様子だった。
「何か伝言でもあるなら伝えに行ってあげてもいいわよ?」
「いや、別にいい」
「そう? ならいいけ──」
~~♪♪ ~~♪♪ ~~♪♪ ……
私の声を遮るように鳴り始めた音は、自分のポケットから聞こえてきた。
……誰だろうか。多分母親ではないだろうかと考えながら恐る恐るスマホを取り出し画面を見ると、
[スタティスティクスペティ]
と表示されていた。どこか安堵するとともにペティから電話をかけてくるなんて珍しいと思いながら電話に出た。
「ペティさん?」
『キング~助けてくださいよ~』
「……いったいどうしたの」
助けを求めるペティの声に切羽詰まった声色など一切なく、めんどくさくて泣きつくような様子だった。例えるなら、クラスメイトに課題を写させて欲しいと頼み込むような雰囲気だった。
『父さんの知り合いのヒトやらウマ娘がいっぱい挨拶に来てて~。今日まだ大晦日なのにですよ。はあ、私も早く学園に戻りたいです。早く明日にならないですかね』
どうやらただ愚痴を聞かせるために電話をかけてきたらしい。仕方ない、話だけでも聞いてあげよう。
「そういう付き合いは大事よ。億劫でも人とのつながりは大切になさい」
『そんなこと言ったって~。こちとら課題もあるのに~……なんでわたしがお茶出す手伝いしなきゃならないんですかね……もう、父さんめ……』
「あなたのお父上、人脈が広い方なのね。なんのお仕事をされているの?」
『父さんですか? キングには別に言ってもいいですけど……今どこにいます? まさかトレーナー室じゃありませんよね?』
「俺に聞かれて困ることでもあんのかペティ?」
そこで坂川が口を挟んできた。スピーカーを通して話しているので、もちろん今の会話は全て坂川に筒抜けであった。
『その声はトレーナーさん!? ちょっとキング、早く言ってくださいよ!』
「早くも何も、一言も言うタイミング無かったでしょう」
「スタッフ研修のウマ娘の親と面談することはないが、そこまで言うならお前の父親の正体が気になるな。どっかの社長とか……もしかして、URAの偉いさんじゃねえだろうな?」
『……ふふっ、秘密ですっ☆』
「「…………」」
これまで聞いたことのないような甘い声でぶりっ子を演じるペティに私と坂川は言葉を失ってしまっていた。
『まあまあ、父さんのことはいいじゃないですか……それよりトレーナーさん』
「なんだ?」
『前に何回か言いましたけど、明日のWDT、トレーナー室のテレビで見てもいいですか? 寮の談話室はたぶん騒がしくなるから、トレーナー室でゆっくり見たいんですよ』
WDTとはウインタードリームトロフィーのことだ。明日の……毎年元日の午後に決勝レースが行われる。
そういえば確かに以前ペティが坂川にそのようなことを言っていた記憶がある。
ペティの言葉を聞いて、坂川は頭の後ろに手を組んで目を瞑って何かを考え込むようにしていた。数秒間の空白の後、その体勢のまま彼は口を開いた。
「……別に、いいが」
『やった! じゃあ明日行きますね! それじゃ! トレーナーさんもキングも良いお年を!』
その言葉を残して通話は切断された。騒がしかったスマホを一目見てからポケットにしまった。
それから訪れたトレーナー室の静寂を破ったのは坂川だった。
「ペティの家の話で思い出したんだが、親のアドレス結局教えてくれねえのか?」
親のアドレスを教えろ──どうやら坂川は月に一回、担当ウマ娘の様子や状況を親にメールで報告しているらしい。そのためにこれまで何度か坂川に同じことを催促されていた。
しかし、私にそれは必要ない。送るのなら母親のアドレスだが、レースに反対している母親にわざわざ報告する義務なんてないし、そもそもメールに目を通すかも分からないのだ。
「前にも言ったでしょ? その必要はないわ」
「つってもなあ、一応トレーナーとしての俺のポリシ―なんだが。お子さんを預かるトレーナーとして最低限の──」
「何度も言わせないで」
「……分かったよ」
有無を言わせない私に引き下がった坂川。……考えてみると、私が坂川に言うことを聞かせるなんて、これまで中々無かったことかもしれない。
おずおずと引き下がる彼を見るのは、なんだか少し気分がいい。
「じゃあストレッチに行って上がるわ。良いお年を、トレーナー」
「ああ」
そうして今度こそ私はトレーナー室を去った。
ジュニア級は今日で終わり、明日から私もいよいよクラシック級だ。本格的に始まるトゥインクルシリーズを前に、私は歩を進めた。
◇
「と言っても、これは俺のポリシーだからな。そう簡単には譲れねえんだ。悪いなキング」
誰もいなくなったトレーナー室で、PCに保存してある今月のキングヘイローに関する報告書のファイルを開きながら俺はそう独り言ちた。
確かにキングヘイローの母親のメールアドレスは知らない。だが、やりようはいくらでもあるのだ。
インターネットブラウザを起動し、そこのブックマークから目当てのサイトを開いた。
何を隠そう、グッバイヘイローが代表を務めている勝負服制作会社のサイトだ。
「えーっと、あったあった」
そこのお問い合わせフォームを開くと、テキストの記入欄が現れた。そこに報告書をコピペして送信した。
実はキングヘイローを担当してから毎月、ここに報告書を送っていたのだ。
「まあ、見てるかは分からんが、送らねえよりマシだろ」
これは会社が運営しているサイトなので問合せを確認する社員がスパムか悪戯メールだと弾く可能性が高い。しかし、グッバイヘイローが見る可能性だって無いわけではない。以前の模擬レースの情報まで手に入れていたあの女のことだ。娘の動向を気にしている可能性は十二分にある。苦肉の策であることに変わりはないので本当はアドレスが欲しいのだが娘があの様子では難しいだろう。
一応俺やキングの名前などは明記しないようにはしている。書いてあるのは本人の状態やおおまかなトレーニングメニューや方針なので悪用はされないだろうが、リスクのある行為には違いないので一応そうしておいた。
送信できたことを確認しブラウザを閉じると同時に、トレーナー室の引き戸が開く音がした。
姿を現したのは汗にまみれたカレンモエだった。
「……お疲れさん」
「うん」
「軽くストレッチして上がっていいぞ」
「分かった。じゃあね、トレーナーさん」
「ああ、良いお年を」
「……良いお年を」
そうして踵を返してカレンモエはあっという間にトレーナー室を出ていった。
「明らかにオーバーワークだな……こりゃ年明けすぐに調整だな」
ウェイト室にいる時間や今の疲労度からして、そのことは目に見えて明らかだった。カレンモエのレースは1月2週目の2勝クラス、乙訓特別へ向けてトレーニング量を調節しなければならない時期にきている。今日のウェイトだって、負荷を軽くして量自体も少なく指示していた。
担当する前は別として、担当してから今まで俺の言うことには従順だったのだが、ここにきて彼女に何か変化が生じている。
「明日から新年か……」
明日。
元旦。
キングヘイローがクラシック級へ。
カレンモエがシニア級へ。
そしてWDT──キタサンブラックが出てくる。
「…………」
さまざなことに思いを馳せながら、PCの電源を落とした。
ジュニア級完了です…(達成感)