夏休みも開けた9月。あの新潟のレースから1週間が経過していた。
あのレースから3日後に、栗毛のウマ娘へ学園から退学通知が届いた。それを受け面談の予定が決まり、今日は土曜日だが彼女本人と両親、トレーナーの俺、そして学園の担任教師と5人で話し合いをしていた。もちろん、退学後の進路について。
今は担任教師の中年女性が話している。学園の空き教室を使って、俺と教師は机を挟んで3人と向き合っていた。
「ご実家近くのいくつかの高校に転入を受け入れてくれるか聞いています。感触としてはおそらく大丈夫だと思いますよ。これまでにもトレセン学園のウマ娘を受け入れてくれた実績がありますし」
教師がいくつか学校を紹介している。どれもヒトも通う、レースとは関係ない学校だ。
「他にも就職を目指すならいくつも募集が来ていますよ。レスキューとか身体性を生かせる職業が多いですけどね」
「就職は考えてないです」
「あらそう? 分かりました。学園の担任としては以上よ。トレーナーさんはどうかしら?」
「はい。では次は私から」
退学通知を受けたウマ娘には大きく分けて3つの進路がある。
1つ目に別の学校へ転入すること。普通科の高校へ転入することもあれば、専門学校を目指すウマ娘もいる。レースを目指さなかったウマ娘もいるので、どの学校にも人数は少ないながらもウマ娘は在籍していることが多い。
2つ目に就職すること。レスキューや警察の特殊部隊から、映画のスタントマンや建設業など優れた身体性が必要な職業からは引っ張りだこである。もちろん事務的な仕事を選ぶウマ娘もいるが、そういうウマ娘は高校転入を選ぶことがほとんどだ。
3つ目に地方へ移籍すること。URAが運営する中央以外の地方トレセン学園に受け入れてもらい、再びレースに身を投じることになる。地方で結果を残して再び中央を目指すウマ娘もいれば、そのまま地方に活躍の場を見つけるウマ娘もいる。
進路の割合的には1つ目と3つ目がそれぞれ4割超え、残りは1割強が2つ目の就職を選ぶ。
学園の教師が1つ目と2つ目の紹介を、そして担当トレーナーである俺の仕事は3つ目の紹介だ。
「地方のトレセン学園やトレーナーから出ている募集を見たり、直接問い合わせをしてみました。受け入れてくれる地方トレセンはいくつかありました。ただ……」
用意してきた資料に目を落としてから言葉を続ける。
「トレセンに近い南関からは良い返事をもらえませんでした。受け入れてくれそうなのは高知か佐賀、あと金沢ももしかしたら」
南関とは関東にある4つの地方トレセン学園の総称で、大井・船橋・浦和・川崎のことを指す。地方の中では最もレベルが高いと言われている。
「どこもご実家からは遠いわねえ」
「ええ。しかし地方トレセンに移籍するなら南関であっても結局は寮生活ですから」
「確かにそうね」
俺と教師が話している前で、3人は小声で何かを話している。内容は聞き取れないが、聞かれたくない内容を話しているような雰囲気ではなく、お互いに何か確認するような様子に見えた。
「どうかしら? 今すぐ決める必要はないから、お父さんとお母さんと話し合ってからでいいのよ。進路が決まるまでトレセン学園にいていいのだから、よく考えて──」
「いえ! 私の答えは決まっています」
こちらを真っすぐに見つめる栗毛のウマ娘。横にいる母親譲りの栗色の大きな瞳に射抜かれる。
「地方でレースを続けます! 佐賀でも高知でも、どこでも大丈夫です!」
「!」
彼女の快活な声が耳に届いた。
1週間前、新潟の地下バ道で泣いていた彼女の面影はどこにも無く、これまでずっと見てきた姿があった。
「ご両親はそれでいいのですか?」
俺は彼女の両隣にいる両親に目を移す。母親が先に口を開いた。
「ええ。この子とも、主人とも沢山話しましたから」
「私と家内も、地方トレセンへの移籍に異存はありません。この子の意志を尊重します」
率直に言って意外だった。レース後の彼女の様子や母親の語った言葉から、てっきりレースを諦めるとばかり思っていた。それに、彼女はあれからトレーニングに一回も出てこなかったからだ。
もしかしたら──
『もうレースはいいかな……どうせ、地方に行っても同じだよ』
『走る気はないです。やっても無駄だと、この身をもって知りました』
──今年未勝利戦を勝てなかったウチのチームの2人が既に面談を終え高校への転入を選んでいたので、俺の勝手な先入観もあったのかもしれない。
「そうですか……」
両親の賛成の声を受け、栗毛のウマ娘がこちらに身を乗り出してくる。
「だからトレーナーさん。地方への移籍、お願いしますっ!」
「分かった。分かったからそんなに身を乗り出すな」
「えっ? あっ、ごめんなさい!」
「ふふっ、トレーナーさん、仲が良いのね」
「ちょっと先生、そういうのは……」
チームのウマ娘とはトレーニング時しか関わりがないので、彼女と特別仲が良いこともなく、他のウマ娘と距離感は変わらなかったと思う。仲が良さそうに見えるのは、彼女の元々の明るい性格のせいだろう。
しかし、アラサーとはいえ俺は20代の男性トレーナーなのだから、そういうのは勘弁してもらいたい。若い男性トレーナーとその担当ウマ娘が……というのは決して珍しいことではないのだ。
「「…………」」
気のせいか俺を見る両親の視線が痛い。
俺はわざとらしく咳払いをしてから口を開いた
「……分かりました。移籍の件、打診してみます」
「ありがとうございますっトレーナーさん! トレーニングも出ていいですよね?」
「あん時に自由参加だって言ってただろ? 誰もトレーニング出るなとは言ってねえぞ」
「そうでしたっけ? あの2人もトレーニング行ってないみたいだから参加したら駄目なのかと思ってました」
コイツ話聞いてねえな、と思ったが、レースに負けたあの時はそんな余裕が無かったということだろう。
いつの間にか母親がきょとんとした様子でこっちを見ていた。
「トレーナーさんって生徒に対してそんな感じで話されるのですね。これまでの面談やこの前会ったときも、メールでも凄く丁寧な感じでしたのに」
「え、いや、まあ」
「うふふっ、そっちの方が自然で似合ってますよ。トレーナーさん」
「そうだメール!」
メールという単語に反応した栗毛のウマ娘が再び身を乗り出してくる。
「トレーナーさん、月に1回父さんと母さんにメールで私のこと教えてたらしいじゃないですか! この前母さんから初めて聞きましたけど、何教えてたんですか!?」
「何って、体調とかトレーニングの内容とかレースに関することだけだ」
「本当ですか~?」
「最初にちゃんと伝えたと思うんだが……お前やっぱ話聞いてなかっただろ」
「トレーナーさんの言ってることは本当よ。見たかったら後から見せてあげる」
母親がスマホを掲げて娘に見せる。
彼女は後から見せてね、と母親に言うと乗り出した身を引いていった。
「それではトレーナーさんに地方トレセンへ移籍を打診してもらって、その結果が出たらまたこうやって話し合いをしましょう。それで良いですか?」
教師がそう言って場をまとめた。全員がそれに同意してその場は解散になった。
教室から出ていった3人を教師と見送った。
◇
「あの娘、元気そうでよかったわね? 坂川くん」
「ええ。未勝利戦のレース直後は泣いてとても落ち込んでいたので、もうレースは選ばないとばかり」
「そうだったのね。ご両親も賛同してくれて、こんな和やかに終わる面談も私は久しぶりだわ~。ただでさえ、この時期の面談はピリピリしてることが多いから」
今のように地方への移籍を親も認めて円満に終わるというのはそんなに多いケースではない。子どもが地方への移籍を希望しても、親がレースは諦めろと譲らないケースや、逆にレースを辞めたい子の親がレースに執着し無理矢理地方への移籍を希望するケースもある。親子喧嘩よろしく口論が始まったりすることも珍しくない。その矛先がトレーナーに向かうこともよくある。
『お前の指導やトレーニングが駄目だったんじゃないのか!?』
『あなたみたいな底辺トレーナーじゃなくて一流トレーナーなら私の娘はもっと……!』
「…………」
そう怒鳴られた数日前の面談を思い出してしまい、苦い思いが胸に広がった。
「彼女が活躍できるような……頑張りたいと思うような場所を見つけてあげたいです。レースを選んだ彼女が後悔せず、真っ直ぐでいられるように」
「そうね! 私も情報集めてみるわ」
「ありがとうございます。またよろしくお願いします」
「ええ、また進展あったら連絡お願いね」
教室に残る教師と別れて、俺は教室を出て行った。今日のトレーニングは午前中で既に終わっており、急な用事もなく時間をたっぷりと使える。
「色々、調べねえとな。土日は地方もレース開催してるから、電話するのはどうするか……でも月火と休んでるとこもあるしな……メールだけでもしとくか……」
トレーナー室に足を向けつつ、これからやるべきことを呟きながら頭の中で計画立てていった。
足取りが軽いと思うのは、多分気のせいではないだろう。
こんな気持ちになるのは久々だったのだ。
◇
教師は一足先に出ていった坂川の背中を見送った。
悪い目つき、スポーツ刈りから少し伸びた無造作な短髪、ウマ娘に対してのぶっきらぼうな言葉遣い……敬語をうまく使いこなしてはいるが、その見た目や口調から丁寧な言葉を話す姿が似合っているとは言い難い。栗毛のウマ娘の母親が言ったとおり素の言葉遣いの方が似合っている。
「見た目によらず、真面目ねえ」
多くのトレーナーを見てきた学園の教師にとって、坂川が真摯にウマ娘と向き合っていることはすぐに分かる。さっきの彼女とも良い信頼関係も築けているのだろう。
決してそれは当たり前のことではない。坂川のような重賞やGⅠ戦線とは縁のない、未勝利戦や〇勝などの条件クラスをウロウロするようなウマ娘ばかりを担当するトレーナーは、普段のトレーニングや、こういう退学後の進路を考えるときでも雑な仕事をすることが多い。
そういうトレーナーの熱意がない仕事ぶりを見ると非難したくなることもある。しかし、結果を残せていないトレーナーがそうなるのも仕方ないと同情するところもある。
ウマ娘に恵まれ実績を残せたトレーナーや、一流チームを引き継いでサブからチーフになったトレーナーには、次々と有力なウマ娘がチームに入ってくる正のスパイラルとなることが多い。
逆に実績のないトレーナーのスカウト活動は困難を極める。そんなトレーナーへは、選抜レースや模擬レースでも結果を残せていない、足の遅いウマ娘が結果的にあてがわれる。その中から活躍するウマ娘も出てくるが数はとても少ない。そんなチームは注目もされず、次のスカウトもうまくいかない。なので、次に入ってくるのもまた足の遅いウマ娘となり、負のスパイラルに陥ってしまう。
一流トレーナーはチームを紹介する冊子でも大きな扱いで数ページにわたることもあるが、坂川みたいな弱小トレーナーのチームの紹介なんて、1ページに4チームぐらいで纏められて実績を簡潔に載せてあるだけだ。最も、載せるような実績がないのも確かだが。
ウマ娘にとってもその親にとっても、厳しい試験を通って中央のトレセン学園に入学してきたのだから実績のあるトレーナーのチームに入りたいというのが普通の考えであろう。それに、勝てなかったら退学になってしまうのだから、良いトレーナーを求めることは当然のことと言えるだろう。メジロやサトノなんかは贔屓のトレーナーにウマ娘を斡旋したり、面談にてトレーナー選抜を行ったりしている。
あとは物好きなウマ娘や練習で主導権をとりたいウマ娘が新人トレーナーや弱小トレーナーを選ぶこともあるが、そんなことは
「坂川健幸くん、か……」
しかし、坂川も最初から注目されない弱小トレーナーだったという訳ではない。
今、大活躍している彼の同期2人と並んで、大いに期待されていた時期はあった。何しろ10年前、当時は年によって1人も合格者が出ないこともある中央のトレーナー試験において、高校3年生の3人が合格した年があった。坂川はその1人だったのだ。
それから今現在、2人のトレーナーは毎年GⅠウマ娘を輩出する一流トレーナーになる一方、坂川はこれまで1人も重賞ウィナーを出せずにいる。その2人と坂川の差は大きく広がっていた。
何故そんなことになったのか。
「原因は、まあ……」
その理由の一端は、間違いなく坂川と
当時在籍していた学園の教師やトレーナーなら、自分以外にも知っている者もいるはずだ。
学園側が隠蔽工作を図ったおかげでメディアには漏れず記事にはならなかったが……
「……
ウマ娘と真摯に向き合う今の坂川から、あのような事件を起こしたとは考えられない。が──
「それとも起こしたからこそ、なのかしら?」
──と邪推せずにはいられない教師であった。
主人公の名前は実馬キングヘイローに関わった人々から一文字ずついただきました。
2023年10月15日、モブキャラを名無しに変更しました。