第20話 乙訓特別
カレンモエの元日の自主トレの走行距離をデータで見返すと、思ったほどの距離を走っていなかった。その日は一応俺の言うことは聞き入れてくれたということだろう。
次の日からカレンモエは調整に入った。ここでもオーバーワークになっては元も子も無いので、トレーニング中俺は彼女に付きっきりでいた。俺が目を光らせていたのでさすがに彼女はおとなしくしていた。
そして今日はレース本番。
京都レース場にて迎えた乙訓特別、ゴールを目指してホームストレッチを15人のウマ娘が走っている。
その中でカレンモエが番手集団の中でスパートをかけていた。15人中唯一の芦毛の髪と尻尾がよく目立っており、団子になった集団の中にいてもどこにいるかが一目瞭然だった。
だから、カレンモエの伸びがないことも観客席からよく分かった。
『抜け出したのは3番ヒルノマゼラン、1着でゴール! 2着争いは5番キャスパリーグと8番ピエナミントですが、キャスパリーグが優勢か! 1番人気14番カレンモエは4着まで!』
接戦ではあったが、実況の言う通りカレンモエは4着になった。デビューから5戦目にして初めて3着を逃した彼女は俯いて肩を上下させて息を整えていた。観客席から遠いこともあるが、垂れ下がった髪によって彼女の表情はこちらからはうかがい知れない。
惜しいレースではあった。しかし、これで去年の10月に引き続き、またしても2勝クラスの壁に跳ね返される結果となった。
「モエさん…………」
「……残念ね……」
落胆した声を上げるペティとキングヘイロー。重苦しい空気が俺たち3人を包み込んでいた。
「地下バ道行ってくる。お前らはそこにいろ」
心配そうな顔をした2人にそう告げて、俺はカレンモエを地下バ道へ迎えに走った。
◇
「はっ、はあっ……」
急いで地下バ道に駆けつけ横道から出ていくと、乙訓特別で敗北したウマ娘たちとかち合うようになった。
黙って歩いているウマ娘もいれば、俺より速く駆けつけたトレーナーに慰められているウマ娘もいる。ちょうど目の前をベテランの女性トレーナーと涙目のウマ娘が通り過ぎると、その向こうにカレンモエの姿があった。
「モエ!」
「っ!? トレーナー、さん……」
こちらに気付いていないカレンモエを呼び止めると、彼女は立ち止まってこちらへ顔を向けた。
足が止まった彼女に早足で近づいていくと、
「──っ!」
カレンモエは顔を背け俺から逃げるように走り始めた。
「おいっ! モエ!」
呼び止めようと声をかけても彼女の足は止まることはなく、体操服姿の背中がどんどん小さくなっていく。追いかけようと駆けだしたが、ウマ娘の足に追いつけるはずもなく、10歩足らずで走ることをやめた。
これまでにカレンモエがレースで敗北したことは今日を除いて2回あるが、今日のような反応は初めてだった。
「……」
気を取り直して歩き始める。トレセン学園が近い東京レース場ならまだしもここは京都レース場だ。何度かレースで来ているとはいえ、あの格好のままどこかに行くことはないだろう。素直に控え室に戻るはずだ。
そう当たりをつけて控え室に戻ると、中から明かりが漏れていた。ひと先ず普通に戻ってくれたことに安堵した。
「おーい、モエ……あれ」
ノックしてから中に入ろうとノブを回したが鍵がかかっていた。
「これ開けてくれねえのか? それとも、着替えてんならそう言ってくれ」
中に聞こえるよう声のボリュームを上げてそう言いながらガチャガチャとノブを回したが、中からは何も反応は無かった。
(まさか、ここにいねえのか? でも電気ついてるしな……)
控え室の中にカレンモエがいるかどうかが知りたくて、とりあえず中から物音はしないかとしゃがんで扉に耳を当てようとすると──
「坂川さん、なにしてるッスか…………!?」
扉に耳を当てたタイミングで、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。マコのその声はまさにドン引きしているという声色以外何物でもなかった。マコがどんな顔をしてるか見なくても容易に想像がつく。
「しっ! 黙ってろマコ!」
「いやだって……みんな見てるッスよ……」
俺が今どんな動作をしているかは俺自身がよく分かっている。すれ違うレース関係者やウマ娘の辛辣な視線が痛すぎるが、それよりも控え室の中にカレンモエがいるかどうかが俺の最優先事項だった。
そうして耳を扉に当てていると、かすかに中から物音が聞こえてきた。
「良かった……」
「何が良かったんスか!? まさか、モエちゃんの着替えの布擦れの音が良いとかそういう──」
「言いがかりはやめろ」
「これのどこが言いがかりッスか!? 現行犯ッスよ現行犯!」
掛かり始めたマコに現在の状況を説明した。マコは渋々ながらも納得はしたようだった。
「坂川さんの言うことも分かんなくはないッスけどお……モエちゃんだって小さい子どもじゃないんスから、そんな脱走なんてするはずないッスよ」
俺とマコはカレンモエのいる控え室の扉から少し離れて、小声で話し始めた。
「最近モエちゃんの練習量多かったらしいじゃないッスか。それでなんかあったんッスか?」
「お前なんで知ってんだよ」
「なんでって……ことあるごとに坂川さんとこのトレーニング手伝っているのは誰だと思ってるッスか? 私、一応伯父さんとこのサブなんスけど」
「つってもデータは見せてねえだろ」
「ペティちゃんがボヤいてたッスよ」
「あいつ……」
「ボヤかせるほどの、ってことッスよ。オーバーワークとか、すぐに止める人だと思ってたッス」
「ジュニアの時と比べて身体もできてきてたし、ギリギリ許容範囲だっただけだ。もしそれを超えるならすぐに止めてた。……あと」
「?」
「俺の判断がすべて正しいってわけでもねえからな」
「……へえ、坂川さんでもそんなこと言うんスね」
なんだよそれ、とマコの言葉の真意を探った。
「坂川さんって『俺の理論と考えが絶対に正しいんだ!』って言うタイプの人だと思ってたッス」
「……んなわけねえだろ」
自分が全て正しいと思えたのなら、どれほど良かっただろうか。マコの言葉で間違い続けた昔のことを思い出してしまった。
「てか、お前テンション低いな」
マコがいつもの明るい調子ではないマコにそう訊ねた。まさか俺のあの格好を見てそうなったわけではないだろう。
「前のレースでウチのチームのウマ娘負けちゃいましたからね……って、あ! こんな道草食ってる場合じゃ無かったッス! 次のレースにもウチの子でるから行かないと! それじゃ坂川さん、失礼するッス!」
「おう」
いつものジャージ姿ではなく、フォーマルな恰好をしたマコが急ぎ足で去っていった。
「おっと、坂川さん!」
その背中を眺めていると、マコが通路の曲がり角でこちらに振り向いた。
「女の子はみんなデリケートッスからねー! ちゃんとアフターケアしてあげるッスよー! 女子からのアドバイスッス!!」
マコはそう言うと、俺が返事をする間もなく角を曲がっていった。
「デリケート、アフターケアねえ……」
マコの言ったそれの意味を考えながら、俺はカレンモエが出てくるのを待った。
◇
それからカレンモエが出てきたのは数十分後の事だった。
いつ出てくるか分からなかったので、キングヘイローとペティにはマコと別れてから早い段階で先に帰るようにスマホで連絡した。新幹線の乗車券は各自に持たせており、連絡を受けた2人は俺に何か訊いてくるわけでもなく、『分かったわ』『了解です』と素直に従ってくれた。
出てきたカレンモエは制服に着替え、荷物の入ったショルダーバックを肩にかけていた。表情は相変わらず平坦でいつもと変わりないのだが、やはり雰囲気はどこか違うように感じた。
「ずっと待ってたの?」
「おう。お疲れさん。帰るか?」
先程の地下バ道の事には触れなかった。
「うん……」
カレンモエは小さく頷いて返事をしてくれた。
「あっちのスペースで軽く身体の状態を確認するぞ。怪我とか、痛いところはないか?」
「大丈夫……疲れてるけど、変に痛いところはないよ」
「ならいいんだ。行くぞ」
そう言って歩き出した俺の一歩あとを、カレンモエはついてきた。
そうやって歩きながら、俺は先程マコに言われたワードを心の中で復唱していた。
(女の子……デリケート……アフターケア……)
ようするにカレンモエに対してなにかしら働きかけろと言うことなのだろうが……
(どうしたもんか……)
当の俺は何も思い浮かばずにいた。
◇
負けたウマ娘のフォローをすることはトレーナーとして必要不可欠なことだ。
マニュアルや論文、研修などでメンタルケアの知識をトレーナーはみんな身につけているものの、適切に対応できるかどうかはそのトレーナー自身にかかっている。いくら知識を身につけても相手は生身のウマ娘なのだから、どう言えば正解だなんて中々分かるものではない。
そういうのが苦手ならメンタルケア専門の人間を外部から招いているトレーナーもいる。それぐらい負けたウマ娘のフォローは重要であり、尚且つ難しいものだ。なんせ相手は精神的にも未熟な10代後半の女の子なのだから。
つまり何を言いたいかと言うと、俺はカレンモエにかける言葉を見つけられずにいたのだ。
「「……」」
新幹線にて俺とカレンモエは並んで座っている。窓側の席にて外を見ている彼女の隣で、俺は腕を組んであれこれ思案していた。
これまでそういう経験が無いわけではない。むしろ同じ年数トレーナーをやってきた中なら多い方だと思う。なんせ俺は未勝利戦で勝てないウマ娘を何人も見送ってきたのだ。担当のウマ娘が負けるたびに、声をかけてフォローしてきた。
優しく励ましてあげたり、逆に発破をかけるようなことを言ったり、そのウマ娘の気持ちが前を向くようなフォローを心がけてきた。うまくいくこともあれば、失敗したことも数知れず──笑顔になったり、さらに泣かれたり──未だにどんな言葉を選べばいいのか、俺には分からないままだ。
トレーナーとしての経験を積めば分かる日が来るのだろうか。
「……」
安易に『お前は頑張ってたよ』と言うのは愚の骨頂だろう。オーバーワーク気味だったカレンモエのことだ、あれだけ努力しても届かなかった……つまり、お前は努力しても無駄だったんだという意味で受け取られる可能性もある。そこで自分には才能がないと本人が思ってしまったらそれで終わりだ。勝手に自身の限界の線引きをしてしまうことに繋がりかねない……まあ、そう言われて逆に火のつくような奴もいるだろうが。
それにあのオーバーワークはトレーナーとして否定しなければならない。重要なのは正しい方向へ向かせることだ。
だからって『トレーナーの俺が全て悪い』と言うのなんて問題外だ。敗北した責任をトレーナーが全て負うのは美しいようにも聞こえるが、走っているのはウマ娘なのだ。レースに出たその本人を全く尊重していないそんな言葉を言うトレーナーは一体何様なのだと俺は思う。
敗北した責任は、どんなことであれ2人で負うべきものだ。それがトレーナーと担当ウマ娘という関係のあるべき姿ではないのだろうか。
でも、その言葉が効果的なウマ娘もいるかもしれない。俺の矜持なんてメンタルケアには何の関係もないのだから。
「…………」
色々小難しいことを考えていたものの、結局考えは纏まっていない。
変に後ろ向きにならず、正しく前へ向けるようなフォローを……言葉にするのは簡単だが、それを考えつくのはいつも難しい。
更に今回のカレンモエの場合、オーバーワークについても絡んでくるので余計に複雑な話になっている。それに関しても話をしないといけないのだ。
(…………ん)
考えを纏め結論を出すために、俺は目をつむりながら頭を整理していた。
──そうして微睡んでいることに、俺は気付かないでいた。
お察しの方もいるかもしれませんが、幕間と題して少しの間カレンモエの話が続きます。
(あまりキングの出番は)ないです。
(キング好きの皆さま)すいません許してください!なんでもしますから!