底辺キング   作:シェーク両面粒高

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例によって回想です。


白夢1 スプリント女王の娘

 あれは一昨年の8月のいつだったか、夏合宿の中休みにトレセン学園に戻ってきたときのことだった。

 

 その日は1日中研修の資料作成に勤しんでいた。日が暮れてきてもそれは終わらず、トレーナー室で晩飯であるカップラーメンを啜ったあと腹ごなしに敷地内を散歩してトレーニングコース横にさしかかると、誰かが走っている音が聞こえてきた。

 

「1人……か?」

 

 最初はどこかのトレセン学園に残ったチームがトレーニングしているのかと思ったが、暗くなりかけているトレーニングコースを目を凝らしてみてみると、そこにいたのは体操服姿をした芦毛のウマ娘1人だけだった。他のウマ娘も、トレーナーと思われる人物もどこにも見当たらなかった。

 

 そのウマ娘が気になった俺はトレーニングコース出入り口の階段の中段辺りに腰を下ろしてそのウマ娘が走る姿を見ることにした。まあ、トレーナー室に帰っての資料作成に嫌気がさしていたこともあったのだが。

 

 ザッ、ザッとウッドチップコースを駆ける足音が小さいながらも聞こえてくる。夏休み夕暮れのトレセン学園は人気(ひとけ)が少ないせいもあって、トレーニングコースも学園も閑散としていたので、セミやひぐらしの鳴き声以外余計な音がしない環境であった。

 

「ん~……」

 

 休みなく走り続けている彼女の走る姿を見て、思わず声が漏れてしまった。

 

「動きがかてえな~」

 

 俺は彼女の動きから全体的に硬さを感じていた。実際に近くで見たり触ったりしないと分からないことではあるが、身体がまだ仕上がっておらず、まだまだ身になっていないようにも思える。

 総じてしなやかさに欠け、どこか危うさや弱々しさを感じるような印象がした。

 

 

 気付けば日が落ちかけて更に暗くなってきたところで、彼女はトレーニングを終えてこちらの階段に向かってきた。タオルを首にかけて、飲料の入ったボトルとストップウオッチや記録用のメモなどを入れてるであろうポーチを手に持っていた。

 

「はっ……はあ……」

 

 ハードな走り込みを終えた彼女の落ち着きつつある息遣いが段々と大きく聞こえてくる。

 彼女が階段の最初の段差に足を乗せたところで、俺は声をかけた。

 

「よう」

「…………」

「おいおい、無視かよ」

 

 息を整えた彼女は俺の存在など気にもかけず、俺の横を通り過ぎていった。薄暗くなった中で見えたその横顔に、俺は既視感を感じた。以前どこかで会ったか学園内のレースで見たのだろうか?

 

「お前、トレーナーは? 毎日この時間走ってんのか? なあ、ちょっと暇なら話しねえか」

「…………」

 

 それが知りたかったのと苛つかせたら何か反応が返ってこないかと期待して、わざと気に障るような口調でそう訊ねたが、彼女は何も聞こえていないかのように去っていった。彼女の芦毛の髪が階段を上り切った先へと消えていった。

 

「取り付く島はなんとやらだな……」

 

 全く手ごたえのなかった彼女との邂逅を経て、その日は何もなく終わった。

 

 

 ◇

 

 

「まーた今日もやってんな」

 

 翌日、俺は昨日の時間より早くトレーニングコースに駆けつけていた。せめて明るいうちにその顔でも拝んでやろうと思い、双眼鏡を片手に俺は階段に腰を下ろした。

 まだ日も高いこともあって、芦毛の彼女以外にも学園に残っているウマ娘やトレーナーがちらほらいた。

 

「さて、アイツは……」

 

 双眼鏡を目に当てて彼女を見る。彼女はちょうど走り終えて顔を上げてドリンクに口をつけていたので、その顔がよく見えた。白い肌と整った目鼻立ちが双眼鏡の先に映っている。

 

「芦毛であの顔……どっかで…………あ!」

 

 それを見て数秒でピンとくるものがあった。昨日の既視感の原因が分かった気がした。

 あの顔と芦毛……俺の記憶が正しければおそらくアイツは──

 

 双眼鏡から目を離した俺はスマホを取り出して電話をかけた。

 

「もしもし、マコ? ちょっと教えて欲しいことがあるんだが──」

 

 

 

 

 

 彼女は今日も真っ暗になる手前まで走っていた。すでに他のウマ娘やトレーナーはトレーニングコースから引き揚げていた。

 昨日と同じように、彼女は階段を上がってくる。

 

「お前、カレンモエだろ?」

「…………」

 

 これを言っても同じように無視し、歩みを止めないカレンモエ。

 彼女がカレンモエであることはもう間違いない。近くで見れば見るほど、母親のカレンチャンによく似ている。

 今年の春にあのカレンチャンの娘が入学してきたと耳に挟んだことも思い出して、マコに確認の電話もしていた。

 

「まだトレーナーついてないんだってな。トレーナーついてないなら何で教官主導の夏合宿に行ってないんだ? トレーナーのいないジュニア級の同級生、みんなそっちに行ってるだろ?」

 

 トレーナーのいないウマ娘たちが合宿に行く大きな利点として、メニューの考案や自分の走りを教官に見てもらうことができることが挙げられる。確かにメニューは大人数でやるから必ずしも自分に合ったものとは言えないかもしれないが、教官も一応その道の指導者である。間違ったことは言わないだろうし、訊けば自身の走りも指導してもらえる。自分ひとりで取り組むよりそちらの良いのは明らかだ。

 

「…………」

 

 カレンモエは俺に対して一瞥もせず、横を通り過ぎていった。

 

 普通に考えて、夏合宿に行ってないことには理由があるはずだ。故障かと思ったが、このトレーニング強度からそれは考えにくい。

 彼女にトレーナーがいないことはさっきのマコとの通話で確認済みだった。ならば、俺がいくら口出ししたって問題はないはずだ。

 

(これでもまだ無視か……ならいっそ──)

 

 無視されて続けて埒が明かないことに業を煮やした俺は、振り返って彼女の背中に声をかけた。

 結局のところ、俺が言いたいことはこうだった。

 

「カレンモエ、俺のチームに入らないか?」

「…………」

 

 あと数段で階段を上りきるところで、カレンモエの足がそこで初めて立ち止まった。

 足が止まったということは、多少なりとも彼女の感情を揺らすことができたということだ。

 

 彼女は振り向き半身になって俺を見下ろした。

 

「……なんで、あなたはモエをスカウトするの」

 

 ボソッと、小さな声で囁くように言ったカレンモエ。

 

(コイツ、この歳で一人称モエかよ……そういえば、母親も自分のことカレンって言ってたっけか?)

 

 裏でそんなことを考えながら、会話を進める。

 

「俺がスカウトする理由か? そんなの──」

 

 

 ……そんなの? 

 

 

 

「……何でだろうな?」

「……………………」

 

 

 

 一体俺は何を言っているのだろうか? 

 俺はスカウトした理由を訊かれて、頭が真っ白になってしまっていた。

 

 あまりにも意味不明な返答に対し、カレンモエの伏し目から覗く鮮やかな鋭い瞳が俺を射抜いた。

 

「…………」

「あ、おい!」

 

 カレンモエは向こうへ向き直り、再び階段を上っていった。すぐに上までたどり着き、その姿が下から視覚的に阻まれて見えなくなってくる。

 

(マズい……!)

 

 さっきの誘い文句が失敗だったのは火を見るより明らかだった。ヤケクソになった俺はトレーニングについてだけでも言おうと声を張った。

 

「フォームがまだ全体的に硬い! もうちょっとストレッチに時間を使ってみろ! ハードルドリルもやってみたらいい! 言っとくが障害レースのハードルじゃなくてヒト用のハードルだ! ハードルはグランド横の倉庫に入ってるから誰でも自由に使っていい! あと、加速走! もうちょっと距離を延ばせ、多分トップスピードに乗ってねえからしっかりトップスピードに乗れるまでな!」

 

 そこでピタッと一瞬だけ歩みを止めたカレンモエであったが、何もなかったかのようにまた歩き出した。今度こそその姿は見えなくなった。

 

「やっちまったかなあ」

 

 俺は肩を落としながら立ち上がって尻の汚れを払った。

 

「これじゃあスカウト無理だわな……何やってんだ俺……」

 

 カレンモエとのやり取りを経て、自分のスカウト能力の無さを再認識した。会って2日目の子にがっつきすぎだろ、と心中で自分に突っ込むと、底辺なんだからしょうがねえだろ明日会えるかどうかも分かんねえんだから、と反論が返ってきた。

 まあ、経験が足りてないのは事実である。なにせ、トレーナー歴こそ9年目だが()()()()()()()()()()()()()()4()()()なのだ。スカウトできた人数どころか場数自体まだまだ少ない。

 

 

「はあ……」

 

 彼女についてマコと通話した時のことを思い出しながらトレーナー室への帰路に就いた。

 

 

 

『スカウトするんスか? カレンモエちゃんの走り、そんなに良かったッスか?』

『走り自体は大したことねえな。速いことは速いがちぐはぐだ』

『ならなんで気になるんスか?』

『それは、あれだ。企業秘密だ』

『はあ? なんッスか……ああっ! もしかして、カレンモエちゃんが可愛かったからじゃないッスか!? あの子、めちゃくちゃカワイイって学園内で評判なんッスよ! 天真爛漫な小悪魔系美少女カレンチャンと違ってクール美少女なカレンモエちゃん! やっぱり坂川さんも男だったんスねえ! 私も会いたいッス! 合宿から帰ってきたら会わせてくださいよう坂川さん!』

『もう切るぞ。お疲れ』

『え、なん────』

 

 

 

「気になった理由、か」

 

 電話でマコに言われたことが頭をよぎった。その時は深く考えず出まかせで企業秘密だとは言ったが、はっきりとした理由は見いだせていなかった。

 改めてなぜ俺がカレンモエをスカウトしようと思ったのかを考える。俺は母親のカレンチャンのファンでも何でもないので、娘だから気になるわけでもない。

 たまたま? トレーナーがついてないから? カワイイから? 

 

「違う……」

 

 そうじゃない。

 昨日と今日カレンモエの走っている姿を見て、何か俺は思ったはずだ。

 

 それは何だ?

 

「……そうだ」

 

 カレンモエのその表情と雰囲気を思い出す。

 

 そこでやっと気づいたことがあった。それは──

 

「なんで、あんな苦しそうに──」

 

 

 何かに追い詰められるように走るカレンモエが気になっただけだったのだ。

 

 それをなんとかできないかと思った。それだけだった。

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