かすかに、何かが聞こえてくる。
──…………さん──
開きかけた瞼の向こうに光を感じる。
──…………ナーさん──
頭の中はまだうっすらと靄がかっており、視界もぼんやりとしているが、徐々にどちらとも輪郭がはっきりしてきているような気がする。
──……レーナーさん、起き──
目の前に誰かがいるのが分かる。たぶん、この声の主だ。呼んでいるのは──
「トレーナーさんっ、起きて……!」
「……えあっ?」
視界いっぱいに芦毛のウマ娘の顔が映っていた。そのウマ娘は不安そうな澄んだ青色の瞳でこちらを見つめていた。
「……モエ?」
「もう、やっと起きた……着いたよ。降りないと」
「着いた……降りる?」
カレンモエが目の前から離れて、そこで意識が急に鮮明になった。辺りを見回して状況を確認し、その中で車内の電光掲示板に目を向けると、そこには目的の駅の名前が表示されていた。
「うおっ! やべえ」
急いで席を立ちあがり、荷物を持って半分走るように通路を進む。後ろについてくるカレンモエと一緒になんとか新幹線を降りることができた。
「はあっ……間一髪だったな」
「……良かった。間に合って」
「ああ、そうだな──あ?」
「? どうしたの? 忘れもの?」
妙にすっきりした頭でこれまでの経緯を思い出す。一体何が起こったのか。
(えーっと、確か)
乙訓特別でカレンモエが負けて……控室から中々出てこなくて……2人で新幹線に乗って……どんな話をするか考えて……考えを纏めるために目を瞑っ──!
(まさか、まさか……!)
たどり着いた事実に愕然としてしまった。
(ね、寝ちまったのか!?)
カレンモエに何を話すか考えを纏めるうちに寝てしまい、果てに目的の駅まで爆睡していたというなんとも間の抜けた事実を直視できないでいた。
(ありえねえだろ……暢気に寝てたってのか!? アホすぎるにもほどがある!)
そして気付いてしまった。自分が何もしていないことに。
負けたカレンモエのフォロー? 馬鹿を言え。
カレンモエの気持ちを前向きに? とんでもねえ。
(どうする……!? このままじゃ……)
頭の中で自分自身を非難してくる声から逃れるうちに、気付けば在来線の電車にカレンモエと乗り換えていた。
隣に並んで立つカレンモエを見る。ほどなくして彼女は俺の視線を感じ取ったかのようにこちらを向いた。
「なに?」
「い、いや、何でもねえ」
「そう……?」
カレンモエと一緒に歩んできた約1年半、彼女の表情や態度が変わらなくても何となく雰囲気で感情を読み取れるようになってきていたのだが、俺自身が焦っているせいが今は何も分からない。いつもと同じようにしか見えない。レース後は気が立っているようだったり、逆に落ち込んでもいたりしているようだったが……
◇
焦る気持ちとは裏腹にこんな人の多い電車の中で何か話をするなんてできるはずもなく、無情にもトレセン学園最の寄り駅に到着した。
そして何もできないままあれよあれよという間に栗東寮に着いてしまった。ウマ娘の寮にトレーナーが入ることは許されないので、入り口前で俺は足を止めた。
「……トレーナーさん、また明日」
「あ、ああ……じゃあな──」
カレンモエが前に出て、入り口へ足を向ける。
(ってこれで良いわけねえだろ! どうする……どうする……)
そう考えている間にも、彼女の背中が小さくなってくる。
(今から呼び止めて時間を作るか? トレーナー室に呼んで……いや、もう時間も遅いし現実的じゃねえ)
彼女は入り口の扉に手をかけた。
(今日は無理……ってことはだ……2人で話……これしかねえ!)
そこで浮かんできたのは、東スポ杯のあと清島と2人で飲みながら話をしたことだった。
──後から客観的に見ると、自分でもなんでここまで焦っていたのか分からない。
「──おいっ! モエ!」
「……?」
カレンモエは扉に手をかけたままこちらへ振り向いた。
「明日の夜、空いてるか?」
「……どうしたの?」
「外にメシでも食いにいかねえか?」
俺が苦し紛れに出した結論は、明日食事に誘ってその場で話をしようということだ。
なんとも捻りのない、ただただ普通で回りくどい誘いである。それに話をしたいのならトレーニング後のトレーナー室で良いではないかと、口を出した後に思ってしまった。
「…………」
カレンモエは向こう側へ向き直った。黙って下を向き、何かを考えているような様子だった。
「……2人?」
「は? なんだって?」
「ごはん、2人で行くってこと?」
当然俺はそのつもりだ。オーバーワークについての話と負けたレースのフォローをしようというのだ、キングもペティも連れて行く必要はない。
もしかしてカレンモエは打ち上げの食事会みたいなものだと考えていたのだろうか?
「そうだ。俺とお前の2人だ。駄目か?」
「…………………………」
「どうした?」
「…………………………」
「おい?」
「──よ」
「ん?」
「いいよ。予定空けとくね」
「おお、そうか! 時間と場所はまた……明日のトレーニングの時に」
「うん」
カレンモエはそう返事をすると、その姿を栗東寮の中へ消した。彼女の芦毛もその背中も見えなくなった。
「……」
なんとか話す場を設けることにこぎつけることができたようだ。取り合えず一安心なのだが……
「どう話したもんか……」
結局のところ、何も考えは纏まっていなかった。
◇
迎えた翌日の放課後。
キングヘイローのトレーニングから一時的に離れて、部室でカレンモエの身体の状態をチェックしていた。昨日控室から出てきた後に軽く確認はしていたが、翌日になって改めてレース後に過度な疲労や故障がないか見極める必要があったのだ。ここまで見る感じ、筋肉痛はあるものの下肢の筋腱に異常な所見は認めなかった。
今は床に敷いたマットへ寝転んでもらって彼女の上体を診ていた。
「次、体捻ってみろ。痛みは無いか?」
「……ここに、ちょっと」
「脇腹か……触るぞ」
ジャージとインナーを捲り、カレンモエが動作時痛を訴えた左の脇腹を触る。筋の走行を確かめながら触ると、確かに筋の張りが感じられた。しかし、熱は持っていないし著明な腫れもない。これほどなら大して問題はなく経過観察で十分だろう。痛みが治まらなかったり、増悪しないかだけ注意しておく必要がある。
合わせて周辺の筋も確認するために手を這わす。周囲の筋も硬さはあるものの、圧痛もなさそうだし、大丈──
「…………んっ……」
「おっと、スマン……」
無意識のうちにずっと触っていたせいか、カレンモエが小さく声を漏らしたので急いで手を離した。
「脇腹、熱も持ってねえし心配はいらん。痛みが軽くならなかったり、逆に強くなってきたらすぐに言え」
「分かった。他は大丈夫」
「じゃあ立って、部室の外で軽く走ってみろ」
ジャージとインナーを下ろしてカレンモエは上体を起こし立ち上がった。2人で部室の外に出て、彼女にジョギングのように走ってもらった。
「痛みは?」
「筋肉痛はあるけど……」
「関節は大丈夫なんだな?」
「うん」
「ならいいぞ。終わりだ」
走っているカレンモエを止めた。
フォームの崩れも無いし酷い痛みも無い。この様子なら問題ないだろう。乙訓特別にて最後伸びきれずに終わったのを見ていただけに一抹の不安もあったのだが、身体には故障もなさそうで安心した。
「よし、今日はプールで軽く水中ウォーキングして、ストレッチしたら上がれ」
「うん」
「それと、今日の夜のことだがな……」
「…………」
カレンモエがじぃーっと俺の方を見つめてきた。その視線にどこか言いにくさを感じながらも、今日の夜について彼女に伝えた。
集合場所は最寄り駅前、時刻は19時ごろで、夜間外出届けを出しておくように……ファイルに挟んでいたトレーナーの承認印が押された外出届けを彼女に渡した。
学園から一緒に行ってもいいのだが、昨今の男性トレーナーとウマ娘の関係を鑑みるに夜に2人で大っぴらに行動するのは避けた方が良いと判断した。今日の俺たちみたいにトレーナーが担当ウマ娘と2人で食事に行くなんてそんな珍しい事でもないのだが、だからと言って目の届きやすい学園前からあえて一緒に行動することはない。万が一、変な噂でも流れたらカレンモエに迷惑がかかるし、面倒ごとは避けたいのだ。
「なんか食いたいもんとかあるか?」
「トレーナーさんの好きなものでいいよ」
「つってもなあ……あんま期待すんなよ」
年頃の女が好きそうな店になんて入ったことのない俺がカレンモエの期待に応えられるなんて思っていないのだが、お任せとは……中々にハードルが高い。
「俺はキングのトレーニングを見に行ってくる。また後でな」
「うん……」
カレンモエに背を向けた俺はキングヘイローのトレーニングを見るべくトレーニングコースに足を運んだ。
◇
時刻は18時30分、駅前の広場に到着してカレンモエを待ってると、それから10分もしないうちに彼女は姿を現した。
「おう、来たか……って」
俺に駆け寄ってきたカレンモエを見て、一瞬言葉を失ってしまった。
「……? どうしたの? なにか変?」
カレンモエは身を小さく翻して自身の服装を見下ろしていた。
「いや、別に変じゃねえんだ。むしろ……」
「?」
「なんつーか、やっぱりお前、お洒落なんだな」
カレンモエの格好を見て口から出たのはそんな月並みな感想だった。
彼女は落ち着いたブラウンのコートと長いスカートに短いブーツを履き、黒いマフラーを首もとに巻いていた。手には小さな手提げバッグを持っている。そんな格好だからか、彼女の白い芦毛が対照的によく映えていた。ピンクのカチューシャ型メンコと黄色のリボンは外し、シックな模様の入った黒いメンコを耳につけていた。ほんのり化粧もしているようだ。
ファッションに疎い俺からしても、カレンモエの着こなしは大人びていてそのセンスの高さを感じるものだった。
対して俺はジーパンにカジュアルシャツ、その上にダウンを羽織っているだけでお洒落とはほど遠く、近くのスーパーに買い物でも行くような格好だった。
服やファッションには興味がないし、学園では普段から作業服でいる人間だ、普通の格好をしているだけでも存分に褒めてほしいところである。
──これは坂川のあずかり知らない余談になるが、カレンモエのコーデはAラインのロングコートとロングスカート、それに黒系で統一したマフラーとショートブーツとハンドバッグを合わせ、カジュアルながらもきちんと感を演出したものとなっていた。
「そう? 普通だけど」
「いつだったか、前に私服見たときもお洒落だなと思ってたんだよ。ジャージ以外持ってねえってウマ娘だっているからな。お前、服とか好きなのか?」
「うん。好きだよ。色んなコーデ考えるのも好き」
「そうか。お前の母親もなんかそういう服とかのコーデ? 詳しいんだろ? 話とかすんのか?」
「ママと? するよ。ママは今でも服飾のモデルもやってるから凄く詳しい」
自然と会話が繋がる。彼女はキングやペティなど複数人その場にいる時はあまり喋りたがらないようなのだ。他の人やウマ娘とどうかは知らないが、俺と1対1になると案外喋ってくれる。今日のカレンモエはいつになく饒舌だった。
「ねえ、トレーナーさん」
「なんだよ」
「モエ、カワイイ?」
「はあ? ……さあな、まあ今日のカッコはいいんじゃねえか」
「……ふふっ」
そんな他愛もない話をしながら、駅のホームへと2人で向かった。その中で1つ思うことがあった。
(なんかコイツ、昨日のこと引きずってるって感じじゃねえな……むしろ、どこか元気そうな……?)
◇
在来線に乗って、数駅先の駅で降りた俺たちは繁華街へ向かった。大通りに着いたそこは、平日の夜なので休日よりも人は少ないがそれなりに人であふれていた。
そうして大通りから一本横道に入った。俺が目指していた店──以前、清島と会った時に入った隠れ家的な居酒屋がそこにあった。清島と来た時に、奥の方に個室があったのを覚えていたのだ。
「……もしかして、ここ?」
心なしか、カレンモエが若干引いているように感じる。
まだ10代のガキを酒を出す店に連れて行くのもどうかと思ったが、メシも旨かったしなにより個室なら他の目を気にせずに済む。普通のファミレスとかの雑音が混じる店よりは話がしやすいとの判断だった。
なお、なら静かなフランス料理やらイタリア料理やらの個人店に連れて行けばよいではないかとの反論は受け付けない。俺はそんな洒落乙な店に行ったことなんてないのだ、無理を言わないで欲しい。ドヤ街の汚い飲み屋に連れていかないだけ良識があると言っていいだろう。
「ああ、個室を予約してある。前来たんだがメシが旨かったんだ。居酒屋だから抵抗あるかもしれねえが、まあ入ってみろ」
「……トレーナーさん」
「どうした?」
店の扉を開ける直前でカレンモエが立ち止まった。
「前って、誰かと来たの?」
振り向くと、カレンモエの瞳が俺の目の奥を覗き込むように見つめていた。それに少し居心地の悪さを感じながらもそれに答えた。
「前? あーこの店にか。アルファーグの清島先生とだよ。俺が昔世話になってたのは知ってるだろ? 飲みに歩いているときにばったり会ってな」
「……ふーん、そう……」
誰と来たかなんて気になるもんなのかと疑問に思いながら、俺は扉を開いて中に入っていった。バイトと思わしき女性の店員に名前を告げると、店の最奥にある隔たれた個室に案内された。ついてきた俺の連れが若いウマ娘だと分かると訝し気な目で見られたが気にしないことにした。
引き戸を開けて個室に入ると、中はテーブルを挟んで2人ずつ座れるようになっていた。上着を掛けて、カレンモエと向かい合うように座りながら、4人座れるならキングヘイローとペティも連れてきてもいいかもなと考えていた。ペティはともかく、お嬢のキングヘイローがこんな店に入るかどうか分からないのだが。
メニューを開いてカレンモエに差し出した。
「なんでも好きなの頼め。もちろん酒は絶対に飲むなよ」
「……トレーナーさんは、お酒飲む?」
「は? 飲むわけねえだろ」
この店には話をするために来ただけで、酒を飲みたいから来たわけではない。
「……決まったよ」
カレンモエがそう言ったので、呼び鈴を押した。俺は前来た時に頼んだものを適当に注文しようと思っていた。
すぐに扉が開かれ、先程の店員の女が注文をとりに来た。
「ご注文お伺いします」
カレンモエの注文を済ませた後に俺も注文をした。2人の注文を受け、お決まりのセリフを店員の女が言う。
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
「ええ、それで──」
「ちょっと、待って」
カレンモエは口を挟んで店員の女を呼び止めると、メニューを指さして追加で注文をしているようだった。
「……?」
時折2人がチラッとこちらを向いていることに、何かの違和感を感じていた。
それの意味が分かるのは、そのすぐ後のことだった。
「モエ、お前何を……」
店員が運んできたものを見て俺は絶句してしまった。
テーブルの上に並べられたのはつき出しの料理と黄金色の液体が入ったビールグラス、赤い液体が入ったワイングラス、とっくりとお猪口、透明な液体が入った何かのロックグラス、枡の中に乗せられたこれまた透明な液体がなみなみと入ったグラスなどなど、様々な飲料が入ったグラスやコップだった。
つまり、所狭しと俺の前に置かれたのは大量の酒だった。カレンモエの前にはにんじんジュースのグラスが1つだけ。
「お飲み物は以上でよろしかったでしょうか」
「はい」
「失礼いたします」
言葉を失っている俺を差し置いて返事をしたカレンモエはストローでジュースを軽く吸っていた。
「どういうつもりだモエ! いったい何を──」
「──飲んで」
「はあ?」
「飲んで、トレーナーさん」
有無を言わせないカレンモエの姿勢に押されそうになったが、これぐらいで誤魔化せられる俺ではない。
「ふざけるのもいい加減にしとけよ。なんでメシを食いに来たかぐらいお前も分かってるだろ」
「……うん」
「ならなんでこんな──」
「ごはん、食べた後にしない? 話があるのは、モエも分かってるから……」
先程までの態度とは打って変わって、カレンモエはしおらしい雰囲気を醸し出していた。
「……しょうがねえ。飯を食った後だぞ」
悪ふざけしたのか知らないが、反省してそうな様子であったし、俺はカレンモエの態度と言葉に折れる形となった。
……その判断を後悔するのに時間はかからなかった。
◇
「…………うぅ~~……」
俺は肘をついた手で額を抑え、脳に回ってくるアルコールと戦っていた。
「トレーナーさん、酔ったの?」
「ああ~? 酔ってるとは思うが、まだ大丈夫だ……」
「そう? まだ余ってるよ……最後、これ飲む?」
そうしていつの間にか向かい側ではなく俺の横に席を移していたカレンモエが新たなグラスを差し出してくる。その中には琥珀色の液体に大きい氷が浮かんでいた。口にすると、ウイスキーの木の香りが鼻腔から抜けていく。
なんでこんな状況になっているのか振り返るまでもない。食事の傍ら既に来ていた酒を飲んでいると、だんだんとアルコールが回ってきて現在に至ったのだ。
話をした後から飲めば良かったと今になって思うのだが、カレンモエが「熱いの冷めたらもったいないね」と言ったことから始まり、それに同意して熱燗やお湯割りだけでも飲んでしまったのが致命的であった。
やはり熱い酒は回るのが速いと思った時にはもう遅かった。アルコールにて抑制が効かない状態になってしまい、カレンモエが次々と渡してくる酒を彼女の挑戦と受け取って飲んでしまっている自分がいた。俺自身、ザルとは言わないまでも酒には強い方だったので、それでも話をする自信はあったのもいけなかった。
結果、このザマだった。
「お待たせしましたー、お冷になります…………」
俺が頼んだお冷をテーブルに置いた店員の女が、
目の前の客は、未成年のウマ娘を横に侍らせ酒を注がせるアラサーの男だ。どれだけヤバい絵ヅラか説明するまでもないだろう。
ウイスキーのロックを最後に一飲みしてグラスを空けた。これでカレンモエが追加注文したものを含めてテーブル上の酒は全て片付いた。
来たばかりのお冷やを口に含む。アルコールばかり飲んで乾いていた喉が潤うのを感じてから、横にいる彼女に本題を切り出すことにした。
正直俺は酩酊状態だが、酔っているか酔っていないかは関係なく、トレーナーとして今は言うべきことは言わないといけないのだ。
居住まいを正して、横にいるカレンモエの横顔に目を据えた。
「モエ、昨日までのことだがな」
「……」
「なんで、あんなオーバーワークしてたんだ? あの夏休みは別にして、これまでそんなことしてこなかっただろ」
「……」
「黙ってても分からねえぞ」
「……言いたくない……」
カレンモエは俺と向き合わず、ストローでグラスの中の氷をゆっくりとかき回しながらポツリとそう言った。
「俺には言えねえことなのか?」
「……」
「俺に不満があるなら何でも言って欲しいんだ。トレーニングの内容でも、俺自身のことでも……それとも、またカレンチャンがどうとか言われたのか?」
「トレーナーさんに、不満なんてないよ……ママのことも関係ない……全部、モエが……」
こちらに向いたカレンモエの澄んだ青色の瞳が目に入る。言いたくないと言葉では言いながらも、何かを訴えるようなその瞳を見て、思い出されることがあった。
◇
酔って赤くなっていながらも真面目な顔をする彼を見て、あの日を……彼が自分に踏み込んできた日のことを、思い出していた。