追憶4 同期
キタサンブラックを担当してから数日後の夜のこと。俺は新人トレーナー寮の談話室にいた。
新人トレーナー寮とは、2年目までの新人トレーナーが強制的に入れられる寮のことだ。1人部屋こそ与えられるものの、普通の独立したトレーナー寮と違い食事や風呂は共同、掃除なども持ち回りでするなど共同生活を強いられる。門限も決められており、夜遊びなんてもっての外だ。
新人トレーナー寮は2棟ありそれぞれ男子寮と女子寮に分かれている。2棟は渡り廊下で繋がっており、その渡り廊下から食堂や風呂、談話室に連絡している。
普通のトレーナー寮があるのだから、1年目からそっちに入れてもいいのではという声も毎年あがっているらしいのだが、昔からの風習やら習わしやらで
共同の寮と言っても、今在籍しているのは俺含めた同期の3人と一つ上の代を合わせて10人にも満たない。これでも多い方らしいが。
俺が談話室でいつものように過ごしていると、後ろから足音が近づいてきていた。椅子に座ってテレビを見ている俺のすぐ背後でスリッパが床に擦れる音が止まった。
「坂川、女子の入浴終わったぞ。男子の番だ、入ってくれ」
その性格を表しているかのような、凛とした落ち着いた声で横水幸緒は言った。チームアルバリのサブトレーナーを務めている俺の同期の女子だ。
俺はテレビの方を見たまま返事をした。
「分かった。ありがとう横水。天崎ももう上がったんだな?」
「ああ、もう出てくるよ……今日は一体何を見てるんだ?」
俺の余暇の過ごし方……談話室にある何インチだか知らないが大きなテレビをモニター代わりにノートPCから出力して、過去のレースを視聴することだ。ジャンルは専らアメリカのダートで、そのことを既に横水も天崎も知っている。
ノートPCの画面や1人部屋備え付けの小さなテレビより、大きな画面の方が迫力があって良い。
「これか? セイフリーケプトのBCスプリント」
「……画質が荒いな」
「そりゃ、ちょっと昔のレースだからな。このレース知らねえの横水? 名迷レースだぜ?」
「めいめい……? 前にも言ったが、私は昔のものはあまり見ないよ。海外のダートなら尚更な」
「坂川くん今日はなんのレース見てるのっ?」
横水のさらに後ろから、まだ少女のあどけなさが残りながらも芯の一本通った声が聞こえてきた。チームシリウスのサブトレーナー天崎ひより、俺の同期の女子である。
天崎にこのレースについて説明をしてやると、彼女は首をかしげて頭上にはてなマークを出していた。天崎も知らなかったようだ。
横水と天崎はそれぞれ俺の隣にある椅子に腰を下ろした。横水は飾り気のない無地のTシャツにジャージの長ズボン、天崎はふわふわでモコモコしたルームウェア(ジェラなんちゃらと天崎は言っていた)を着ていた。2人とも風呂から上がったばかりで顔もほんのり上気し、髪の毛もまだ完全に乾いていない。
入寮当初は
天崎のはてなマークを受けて、横水が口を開いた。
「ほら、ひよりだって知らないじゃないか」
「お前らトレーナーなんだから過去の名レースぐらい知っとけよ」
「坂川くんの昔のレースの知識すごいよね。私ももっと勉強したほうがいいかな?」
そう話しているうちにモニターに映っていたレースが終わった。セイフリーケプトがデイジュールを差し返してゴールした。
それを見て1人で唸っていると天崎が声をかけてきた。
「そういえばさ。坂川くんウマ娘担当することになったんだって?」
「え? なんで知ってんだ」
そのことはこの2人にはまだ話していなかった。別に隠すつもりは無かったが、改まって言う機会も無かったのだ。
「シリウスの人たちが話してるの聞いちゃったの。いいな~、3人の中で担当一番乗りか~」
「私も知ってるよ。父さ……チーフからその話を聞かされた」
「……アルファーグの誰かだな。言いふらしてんのは」
全くプライバシーの何もあったものではなかった。一体誰が広めているのだろうか。先輩サブトレーナーか、所属しているウマ娘か。
「チーフは清島トレーナーから聞いたと言ってたぞ」
「先生が!? なんでだ……」
予想だにしない名前が挙がった。横水が言うなら嘘ではないだろう。
「自慢げに話していたと聞いたぞ。それだけ、お前が期待されている証拠だろう」
「そうなのかねえ」
「お前は優秀だからな。トレーナー試験でも研修でも私たち3人の中で一番なんだから」
「偶々だろ。俺とお前の成績ほとんど変わらねえし」
確かに俺の成績はこの3人の中では最も優れていた。しかし横水とは僅差だし、天崎ともそんなに差があるわけではない。自分で言うのもなんだが、難関のトレーナー試験を潜り抜けてきた3人だ。そこに大きな差はない。
「しかし、シリウスにもアルバリにも広まってるとはなあ」
「やっぱりそれだけみんな坂川くんのこと注目してるんだよ。はあ~早くウマ娘担当したいな。ねっ、
「……それを聞いて私も担当したいとチーフに言ったんだが一蹴されたよ。『お前にはまだ早い』と」
「うひゃ~やっぱり幸ちゃんのお父さんは厳しいねえ。私ももっと頑張って2人に追いつかないとね!」
天崎が言う通り横水が所属しているチームアルバリのチーフは横水の父だ。横水家は代々トレーナー一家としてその名を馳せている。父のことを頑なにチーフと呼ぶのは私情を挟まない横水らしいが、少し前の会話のようにボロが出ることもある。
そこまで話したところで、話の本筋が逸れていることに横水が気付いた。
「っと。そうだ坂川、風呂だ。行ってくれ」
「あ~? あと1レース見たらな~」
「全く……」
俺はそう言ってお気に入りのレースを流し始めた。ゲートイン中の映像を見て天崎が興味津々と言う風に訊いてきた。
「これは何のレース?」
「バヤコアのBCディスタフ。1回目……ガルフストリームのやつ」
そうしてレースがスタートすると、3人とも黙ってモニターを見ていた。
レースは最後の直線へ。直線で先頭に立ったウマ娘の姿がアップになった。
黒めの長髪を靡かせているそのウマ娘は舌なめずりをしたかと思うと、一気にスパートをかけ後続の追撃を許さず1着でゴールした。その勝ったウマ娘こそバヤコアその人である。電光掲示板にはレコードの文字が表示されていた。
「横綱相撲だな、強い」
「舌ペロってしたの、可愛いんだけどなんか怖いね……」
と、横水と天崎は個々人の感想を述べた。
俺はその後もゴール後の映像を見ていた。
「……おい坂川。レース終わったぞ。今度こそ風呂に」
「もうちょっと待ってくれ。見どころは今から──来た来た!」
レース後の映像が栗毛のウマ娘の姿を捉えた。綺麗な栗色のサイドテールに一筋白い流星が流れている見目麗しいそのウマ娘は荒く息をつきながら立ち尽くし、勝利したバヤコアの方を呆然と見つめていた。
「このウマ娘がどうかしたのか?」
「知らねえのか!? 西海岸のスーパーアイドル、グッバイヘイローだ!」
俺は2人にグッバイヘイローについて簡潔に説明した。もちろんバヤコアに負け続けて悔しさから諦めに変わっていくその過程を俺が好いていることも話した。
それを聞いた2人は、
「……お前は趣味が悪いな」
「私には分かんないかなー?」
と俺を白い目で見ていた。この2人には理解してもらえなかったようだ。
「……風呂入ってくる。先輩にも言ってくるわ」
2人に理解してもらえず少しだけ気落ちした俺は立ち上がってPCとテレビを繋いでいるケーブルを外した。片づけが終わった俺は風呂に入るためにノートPCを抱えて談話室を出ようとしたが、天崎から声がかけられてたので、立ち止まって振り向いた。
「坂川くん! そう言えばその担当するウマ娘の子、名前何て言うの?」
それを聞いた俺は、彼女の顔を思い浮かべながらそれに答えた。
「キタサンブラック。いいやつだよ。またお前らにも紹介するわ」
そう言って、今度こそ俺は談話室から去った。
坂川健幸、横水幸緒、天崎ひより────同期3人による、新人トレーナー寮での1コマである。
今ではもう、戻ることのできない日々だ。
これからの展開のことを考え、念のためアンチ・ヘイトのタグを追加しました。