面談があった9月上旬から時は流れ、9月下旬になっていた。
栗毛のウマ娘の退学後の進路については早々に金沢のトレーナーと話がついた。10月より金沢トレセン学園へ移籍することになり、彼女と母親が最後の挨拶としてトレーナー室までやってきていた。
「トレーナーさんっ、今までありがとうございました!」
「おう。気をつけてな。頑張れよ」
「はいっ!」
顔を上げて満面の笑顔をこちらに向ける栗毛のウマ娘。こんなに清々しく、明るい別れなんて本当に久しぶりだ。
彼女とは逆に母親が次は頭を下げた。
「トレーナーさん。この子が今までありがとうございました。進路もよくしてもらって」
「いえいえ、私は何もしていません。お礼なら金沢のトレーナーに言ってください」
俺は金沢のトレーナーとやり取りしてOKをもらっただけだ。書類仕事や手続きは担任教師がやったことだし、謙遜でなく本当に大したことはしていない。
「それじゃあトレーナーさん、またっ! 母さん、行こう!」
「はい。ではトレーナーさん、これで失礼します」
「2人ともお気をつけて」
2人が背を向けてトレーナー室の出入り口に近づいていくにつれ、少しずつ背中が小さくなっていった。
「……なあ」
「? 何ですか?」
「あ、いや……」
こっちを振り向いてきょとんとした顔をする栗毛のウマ娘。無意識に彼女を呼び止めてしまった。特に言うことなんてないのに。
何か言わないといけないと頭の中で必死に探した。咄嗟に浮かんだ言葉は──
「金沢レース場のダートは内側が深いから、外を回した方がいいぞ」
「…………」
その場の空気が固まった。母親も娘と同じような表情をしている。こんな時に思うのもなんだが、栗色の髪と瞳が母娘でよく似ている。
「……ぷっ、あははっ! はいっ、分かりました! 今言うことじゃないなんて、思ってませんからね!」
「くっ……」
「もしかしてトレーナーさん、私と別れるの寂しかったりします?」
それはおそらく間違いではない、と思う。
「……済まなかったな。気の利いたことも言えなくてよ」
「いえいえ! はいっ、分かりましたよ、金沢のダートは内側がキケンってこと! ……って母さん?」
「…………っ……っ」
「……?」
母親が口に手を当ててそっぽを向いている。その体は小刻みに震えていた。綺麗な栗毛も揺れている。
「あーっ! 母さん笑ってる!」
「……っ、いえっ……もう、だいじょぉぶです。すみません」
こちらに向き直した母親の表情は元に戻っていたが、大丈夫と言った時の声は上ずっていた。
扉の前に立った2人が改めて俺の方に向き直す。
「引き留めて悪かったな。今度こそさよならだ。何かあったらいつでも連絡してくれ」
「はい! それでは!」
母娘が頭を下げてからトレーナー室を出ていった。
「スケジュールの確認でもするか……」
さっきまでにぎやかだったトレーナー室は静寂に包まれたが、不思議と寂しさは感じなかった。
◇
彼女らが去ってから、俺はこれからの予定をホワイトボードに書いて整理していた。今ウチのチームに所属しているウマ娘のトレーニング計画やレース予定の詳細も書き込み、年末までのスケジュールを調整していく。
そこであることに気が付いた。
「……そうだ。アイツら退学したから人数増やさねえとな」
元々ウチには今年度始まった時点で3年が2人、2年が4人の計6人のウマ娘が所属していたが、今年は2年が栗毛のウマ娘を含めて3人が退学になってしまったので残りは3人になっている。その上、3年の2人は今年度で卒業予定で、大学受験の勉強のためほぼ引退状態にある。トレーニングには自由参加だが、出てくることはほとんどない。したがって、ウチは実質的に2年の1人だけのチームになっている。
しかし、1人だとトレーニングに支障が出るかと言えばそうでもなく、俺たち弱小トレーナーたちはどこも似たような状況なので、日常的に合同トレーニングを実施している。併せやレース形式ならそれでいいし、筋トレや単走ならもちろん1人で問題ない。
問題はチーム運営に関わることだ。
「5人必要だから、最低あと2人か」
チーム運営には最低5人以上の所属ウマ娘が必要になってくるのだ。
「スカウトてぇと、今年の1年……」
2年になったウマ娘はほぼチームに所属しているので、集めるとなったら今年の1年──つまりジュニア級のウマ娘をスカウトすることになる。
しかし、これが中々上手くいかない。今の時代、トレーナーの実績なんてスマホですぐに調べることができるから、弱小トレーナーがいくらスカウトしたって靡いてくれるウマ娘なんていないに等しい。
それならば、他の魅力で……と言いたいところだが、俺は実績も無ければ、イケメンでもない、ましてや年頃の女の子の興味を惹くようなトーク力もない……現実は非情である。
では、ウマ娘を集められなかったトレーナーはどうしたらいいのか。
「……また年明けを待つしかねえのか」
救済措置と言っていいのか分からないが、それを解決する方法はある。年明けに、チームに所属していない1年のウマ娘は人数が足りないチームへと強制的に振り分けられるのだ。
年明けまで残っているウマ娘は、能力が低くスカウトされなかったか、目的や事情があってチームに所属していないかの2パターンで、前者の割合が圧倒的に多い。
何を隠そう今年いた6人のうち5人が年明けの自動振り分けでウチのチームに配属されたウマ娘なのだ。もちろん声をかけてスカウト活動もしていたが、ここ2年は不調で1人しかスカウトできなかった。
しかし、その1人が今年のクラシック級で勝ち上がってくれたのだ。やはりスカウト活動は重要だと言わざるをえない。
スカウトの良い機会となる、チームに所属していないウマ娘が参加できる選抜レースは4月・6月・9月・12月にあり、すでに今年3回目となる9月の選抜レースは終わっていた。俺は丁度その時金沢のトレセン学園まで赴いていたのでレースを見ることができなかった。
まあ、仮に見ていたとしてスカウトが成功したとは思わないが。それならまだ切羽詰まっているウマ娘が多い12月の選抜レースの方が成功しやすい。
「だからってこの時期何もしねえのもなあ」
自動振り分けでチーム人数は補充されるので、退学が絡んでチームが5人未満になった場合では学園側から警告や罰則はない。警告や罰則が出るのはチームから離脱者が多数出たり、自動振り分けでの配属を拒否したりして5人未満になる場合だ。
なので退学で人数が減ったチームの俺は特に焦る必要もないのだが、スカウトせずに自動振り分けを待つだけというのもチームを運営するトレーナーとしてどうなのだろうか、と思う次第である。
「──あ、そういや」
トレーナー用の椅子に深く腰掛けたところで、あることを思い出した。
整理整頓しているとは言い難いデスクから書類を探す。積み重ねられた書類を捲っていくと、目的の書類が見つかった。上の書類を崩さないように、慎重にそれを引き抜いた。
「そうだそうだ」
その書類の内容を要約すると以下のようになった。
「ウチのチームにスタッフ研修課程の1年生が1名配属となります……ねえ」
トレセン学園には少人数だがスタッフ研修生コースのウマ娘がいる。走ることを目的としておらず、入試はペーパー試験(そのペーパー試験は超難関らしい)のみで、研究を目的としたウマ娘たちだ。
スタッフ研修生のウマ娘は1年の2学期からそれぞれチームに配属される。卒業研究でのテーマをそこで見つけて、3年の発表に向けてデータ収集や実験に取り組んでいく。
そしてスタッフ研修生のウマ娘はチームの人数としてカウントすることになっている。なので、今思い出したという訳だ。
「しっかし、ウチのチームに来るなんて物好きなウマ娘もいたもんだ」
スタッフ研修生は本人が希望するチームに配属することになっている。なので、このウマ娘は進んで俺のような弱小トレーナーのチームに来たということだ。
変人が多いと言われているスタッフ研修生だが、どんなウマ娘なのだろうか。ウチのチームでスタッフ研修生を受け入れるのは初めてだったのだ。
「えーっと、名前は……」
書類に書いてあるそのウマ娘の名前に目を通そうとしたその時だった────
「ちょっとちょっと! 失礼しまーすっ!」
──バターンッッ!!! と大きな音を立ててトレーナー室の引き戸がもの凄い勢いで開かれてストッパーに叩きつけられた。
「はあ!?」
そこに姿を現したのは薄緑がかった芦毛のウマ娘だった。荒い息をついて急いだ様子の彼女は速い足取りで俺がいるトレーナー用のデスクまでやってきた。
「ここ、少しの間ここ貸してください!」
「なんだお前!?」
「匿ってください~。セイちゃん一生のお願いです~」
芦毛のウマ娘はそそくさとデスク下のスペースに潜り込んできた。
「なんなんだよ!」
「しぃ~。説明はあとで、ねっ?」
人差し指を口の前に立てて小悪魔的にウィンクした彼女に一瞬目を奪われていると、再びトレーナー室の戸が開かれた。
「失礼するわ!」
「今度は何なんだ一体……って、あ──」
そこには緑のリボンで鹿毛を結ったウマ娘の姿があった。俺はその姿を見て息を飲んだ。
入り口に立っているのは見覚えのあるウマ娘だった。GⅠを7勝した母を持つ超良血のウマ娘、キングヘイローだった。入学時から注目されていたウマ娘で、この学園にいる者なら誰だって知っているほど有名なウマ娘だった。その物腰からワガママ令嬢と陰で呼んでいるトレーナーもいるらしい。
「キングのことを知っているって顔ね。まあ当然だわ! おーっほっほっほ!」
お嬢様の高笑いがトレーナー室に響く。
目線だけでデスク下の芦毛の彼女を見ると、両手を合わせて頼み込むような仕草をしながら口の動きだけで『お・ね・が・い・☆』と俺に伝えていた。
……☆はどこから出てきたんだ。
「坂川トレーナーでいいのかしら? あなた、スカイさんを見なかった?」
俺の名前をなんで知っているのかと尋ねそうになったが、多分入り口のネームプレートを見ただけだろう。
「スカイ? 誰だそれは?」
「セイウンスカイ。芦毛でショートカットのウマ娘よ。見なかった? この辺りに逃げ込んだのだけれど」
この状況から察するに、セイウンスカイ、というのがデスクの下でうずくまっているウマ娘の名前なのだろう。
キングヘイローから見て完全に死角になっているデスク下をチラッと見やった。
「…………」
どうするか。匿うか、売るか。
天秤はすぐに傾いた。
──まあ、俺も鬼ではない。
俺は椅子を離れて、デスク下を指さした。
──鬼ではないが、わざわざコイツに気を遣ってやる義理もない。それにコイツ、引き戸を強く開けすぎなんだよ。あれで俺の機嫌を損ねたな。
「ここにいるぞ。ほら、このデスクの下」
「へ?」
セイウンスカイは驚愕の顔でこちらを見たかと思うと、のそっとデスク下から出てきて俺に抗議を始めた。
「ちょ、ちょっと、トレーナーさん!? 流石に酷いんじゃないですか~!? こういう時は空気を読んで──」
「空気を読めだあ? こんな見ず知らずのウマ娘にかけてやる情けなんぞないわ! ウマ娘のバカ力で思い切り戸を開けやがって……ウチみたいな弱小はただでさえ予算が少ねえのに壊れたらどうしてくれんだ!?」
「いやまあ、それは謝るけどさあ……」
「ス・カ・イ・さ・ん」
キングヘイローがセイウンスカイの背後に詰め寄っていた。
「やあキング。今日はいい天気だねえ~。こんな日は青空の下でのんびりゴロゴロ昼寝でも──」
「白々しいっ! もう模擬レースが始まるのよ! 早く来なさい! 今日という今日は逃がさないわ……あなたたちっ!」
キングヘイローがそう呼びかけると、いつの間にか現れたネコ目のウマ娘とボブヘアのウマ娘の2人がセイウンスカイの脇を抱えた。見たことがないウマ娘たちだが、キングヘイローの友達だろうか。
「連れて行って!」
「うにゃあぁぁああぁ。今日はセイちゃん走る気0%なのに~」
「今日だけじゃないでしょう全く……今日こそはあなたに……っと、坂川トレーナー、失礼したわ」
2人に引きずられるようにして、セイウンスカイとキングヘイローがトレーナー室から出ていった。
「…………嵐みたいなやつらだったな」
嵐の前の静けさではなく嵐の後の静けさの中、先程キングヘイローが言っていたことを思い出す。
「今日ジュニア級の模擬レースがあんのか。調べてなかったな」
今日はトレーニングコースが使えないと聞いていたのだが、ジュニア級の模擬レースがあること知らなかった。あの口ぶりならキングヘイローとセイウンスカイも出るのだろう。ただでさえ今年のジュニア世代は有望株揃いだと聞く。もしかしたらまだチームに所属していないウマ娘が走るかもしれないので、スカウトのいい機会になるかもしれない。
そして今、俺の頭の中を占めているのはキングヘイローのことだった。
「キングヘイロー、か……」
キングヘイローのレースはビデオでしか見たことがない。丁度今からはやるべきこともないし、レースを生で見るのは良い機会になるかもしれない。現場の雰囲気やウマ娘の息遣いなど、ビデオでは分からないことがたくさんある。
──なぜ俺がこんなにキングヘイローのことを気にしているのか。それには確固とした理由があるのだ。
その理由とは、キングヘイロー本人ではなく違うところにあった。
「あのグッバイヘイローの娘だもんなあ、アイツ」
何を隠そう、俺はグッバイヘイローの現役時代の大ファンだったのである。
多士済々の同期のライバル達としのぎを削ったジュニア級からクラシック級の華々しい活躍。
突如他国から移籍してきた年上のウマ娘に完膚なきまでに叩きのめされ、自身の衰えとも戦いながら懸命に立ち向かったシニア級。
そのどれもがストーリー性に満ちていて、多くの人の心を惹きつけたのだ。あれから20年近く経った今でも彼女のファンは多い。現在は勝負服のデザイナーとして活躍していることもあり、そのファン数は年々増加する一方だ。
どうせスカウトしても断られるだけなのだから、後からビデオでレースを見返すだけでいいと思っていたので、これまでレースを生で観戦しなかった。
しかし、今はとにかく見たくなってしまった。グッバイヘイローの娘の走りを、直に。
こう思ってしまうのはキングヘイローと初めて直接話した影響だろうか。……多分、そうだ。
「……見に行ってみるか」
俺は準備をしてから小走りでトレーニングコースへと向かった。
オリ設定という名の暴挙その2
・高等部1年1月(クラシック級に突入時)に、トレーナーがついていないウマ娘は人数が少ないチームへ強制的に配属される。