底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第24話 弥生賞

 3月8日、中山第10レースアクアマリンステークスに出ていたウマ娘たちが全て引き上げ、第11レース報知杯弥生賞に出走するウマ娘たちがパドックから地下バ道を進んでいた。

 

「そういえばさ、2人とも知ってる? 私たち3人のトレーナーさんたちって同期らしいよー」

 

 レース前の緊張でピリつく空気なんてどこ吹く風のセイウンスカイはのんびりと世間話をするようなトーンでそう言った。

 

「そうなの!?」

「私は知っているわよ。弥生賞のインタビュアーが言っていたわ」

 

 この前のインタビューで坂川にだけそんな質問をしているのを覚えていた。数奇な運命もあるものだと、それを聞いたときに思っていた。

 

「キングのトレーナーさんって、その話とかする?」

「聞いたことないわね。尋ねたこともないわ。何かあったの?」

「前にトレーナーさんにそのことを訊いたんだけど、そうしたらトレーナーさん私を無視したあげく露骨に機嫌が悪くなってさー。その日のトレーニングでセイちゃんは地獄を見ましたとさ。『今でも仲いいんですか?』って訊いただけなのに……とほほですよ」

 

 セイウンスカイはわざとらしくやれやれと両肩をすくめた。

 それを見ていると、あまりにも普段と変わらない彼女の様子に私も流されそうになってほどよい緊張感が崩れそうになったが、気を取り直すように背筋を伸ばして前を向いた。

 

「スカイさん、もういいかしら?」

 

 私は歩くペースを速めて2人より一歩前に出た。

 

「キングちゃん、一緒に行かないの?」

 

 引き留めたスペシャルウィークの方を振り向いた。

 

「スペシャルウィークさん、これは本番であって練習じゃないの。正真正銘の真剣勝負なのよ。ここまで来て慣れ合うつもりはないわ」

「……うん、そうだね。私、忘れてたよ。これは本番……レースだもんね!」

「ええ、そうよ。先に行くわ」

 

 力強い紫紺の瞳へと変わったスペシャルウィークを視線を交わした。私はまた前を向き、後方でまた何か会話している2人を尻目に光の差す出口へ向かって歩みを進めた。

 

 

 東京レース場と比べると短い中山レース場の地下バ道を抜け、右へカーブする道を進むと視界が開けた。右方にいる観覧スペースの観客たちが目に入り、私がグランプリロードに姿を現すと彼らのざわつきがにわかに大きくなった。

 グランプリロードに詰め掛けていた老若男女から頑張れよー、応援してるよー、と様々な声援が浴びせられた。これまでのどのレースより……レース場は違えど、それこそホープフルの時より観客が詰めかけているようだった。世間のクラシックへの注目度を身をもって知ることとなった。

 

 ターフへ足を踏み入れると同時に実況の男性の声が中山レース場に響き渡る。

 

『姿を現したのは3強の一角キングヘイローです。僅差ではありますが、堂々の1番人気に推されています!』

 

 1番人気に評価されたことに一種の達成感を得たが、それに浸っている余裕はなかった。これは皐月賞へ向けての最大の前哨戦と言っていい弥生賞だ。油断や慢心は何一つとして許されない。

 

『GⅠホープフルステークスは惜しくも2着でしたが、昨年11月の東京スポーツ杯ジュニアステークスのレコード勝ちは記憶に新しいところでしょう。ここを勝って、順調に皐月へ駒を進められるでしょうか』

 

 過ぎ去ったジュニア級の栄誉を背にして、気合をつけてゲートまで走っていった。横目でチラッとスタンドを見ると、ゴール前の最前列に見慣れた3人の顔があった。

 たどり着いたゲート前にて緊張を落ち着けながら他のウマ娘が揃うのを待つ。

 最後にスペシャルウィークがやってきて13人がゲート前に集まった。

 

 ~♪ ~♪ 

 

 スターターが旗を振って流れたファンファーレが鳴り終わったら目を開けた。真っ青な空から降り注ぐ太陽に照らされた眩しいターフに目を慣らしていると、奇数番のゲートへの枠入りが指示された。

 誘導員に連れられるまでもなく、早めにゲートに入りその時を待つ。

 

 大外のスペシャルウィークが枠入りしたのを横目で確認した。

 3番ゲートの中で息を大きく吸って吐いて、片足を引いて前傾姿勢になり構える。

 

 ──ガシャン! 

 

 5度目のゲートが今開き、前足に体重を乗せ思い切り踏みつけてスタートを切った。

 

『皐月への想いを胸に秘め、13人今スタートしました。先行争いはキーゴールドが行ったが──』

 

 1枠1番のキーゴールドが好スタートを決めてハナを切った。私自身スタート自体良くはなかったが内枠だったこともあり、逃げる彼女の後ろのポジションをとることができた。

 私は彼女に2バ身ほど遅れる形でその後を追走するが、その外から複数の足音と気配が忍び寄ってくる。一番外からやって来た白い勝負服の芦毛のウマ娘がキーゴールドに並びかけていった。

 

『──セイウンスカイがスーッとキーゴールドとバ体を合わせます』

 

 セイウンスカイはキーゴールドの方を一瞥することもなく、当然のようにハナを奪い返した。セイウンスカイに遅れて2人のウマ娘……フジラッキーボーイとマイホームタウンが外から私に競りかけてきた。

 

「……」

 

 落ち着いて対応を考える。東スポ杯と同じように、楽に走れるポジションを……と考えた私は主張することなく、内ラチ沿いに他のウマ娘と距離を取って走ることを選択する。

 するとフジラッキーボーイは私を交わしてそのまま順位を上げていった。マイホームタウンはその後をなぞるように続いて私を抜いていく。2人とも私と肩がぶつかりそうなギリギリのところを走っていった。

 

「……っ」

 

 これまで受けてきたものとは比較にならないこのプレッシャー……勝利に懸ける強い意志がこんなにも伝わってくる。顔程度しか知らないウマ娘たちだが、学園で見かけた姿からは想像できないような形相とその空気感。

 気を抜けば、一瞬でこっちがやられる。

 

(これが……上等よっ!)

 

 熱くなる心とは裏腹に周りを冷静に見ながら走っていく。

 

『ハナを主張したセイウンスカイ、先頭に立ちました。バ群は第1コーナーへ入っていきます』

 

 コーナーを回りながら前を見ると、セイウンスカイがスイスイといった様子で先頭を走っている。セイウンスカイと私とは4バ身か5バ身の差。

 私の目の前には追い抜いていったウマ娘が一塊になって走っている。セイウンスカイとは2バ身から3バ身の差。

 まだ序盤から中盤、焦ることはない──が。

 

『向こう正面に入っていきました。先頭はセイウンスカイ、芦毛の髪が靡いています。第3集団あたりにキングヘイローがいます』

 

 他のウマ娘と距離を取って走りやすい場所を確保するためにここまで順位を下げていたが、それでもやっぱり走りにくい。前のウマ娘との距離は近いし、後ろからも他のウマ娘がやってきている。

 直感的に綺麗なフォームでは走れていないって分かる。でもこれで行くしかない! 最初から最後までスムーズに走れるなんて、最初から思ってないのだから! 

 全方位から押しつけられる強烈なプレッシャーを感じる……これが1番人気で走るってこと! 

 

(早めに外に出さないと……!)

 

 前には番手集団。このまま内側に閉じ込められたら前壁になってしまう。それだけは避けなければ。

 それにこのペースはどうやら、そんなに速くない──! 

 

(やっぱりトレーナーの言っていた通りじゃない!)

 

 レースに向けてのミーティングで、弥生賞はスローペースになることが多いと聞いていた。もちろん、逃げウマ娘や先行争いなどでどうなるかは分からないが、傾向として頭に入れておけと言われていた。

 

 

 ここまでのトレーニングを経て、ペースが速いか遅いかぐらいは判断がつくようになっていた。

 

 色んなペース感覚を養うトレーニングを試した日々を思い出す。坂川にそれこそ色々言われたが、彼は私に合うトレーニング方法を試行錯誤したうえで考えてくれた。

 色々試したけれど、ストップウオッチを使って時間に足を合わせるトレーニングではペース感覚は掴めなかった。なので、ペース感覚のトレーニングの前に全力ダッシュをしてタイム計測をし、その日の調子を客観的に判断したうえでインターバル走をして感覚のすり合わせを徹底的に行った。

 この調子でこの感覚で走ったらこのタイムだと、それを体と頭に覚えこませる。絶不調の時にこのペースで走ってこの脚の疲労感ならこのタイム、絶好調の時もしかり。もちろん、前や後ろにカレンモエや郷田のチームのウマ娘を配置して、実践的なレースを想定したトレーニングも行った。

 坂川の総評のような言葉が今でも耳に残っていた。

 

『細かいとこまではまだ無理だが……1000m60秒より極端に速いか遅いかぐらいは分かるようにはなってきたな。悪くねえ』

 

 今日は昼に全力ダッシュをして今の調子を判断していた。

 絶好調とまでは行かないが、普段よりも調子は良い。

 

 

 そのタイムと今日の感覚をすり合わせてペースを判断した結果、60秒より遅いという判断につながった。

 なら、仕掛けは早く。遅れては絶対に駄目だ。

 

『さあ縦長の展開になりました。先頭で引っ張るのはセイウンスカイ! 無傷で皐月へ向かえるのか? バ群は凝縮して向こう正面から第3コーナーへと向かっていきます!』

 

 もうすぐバックストレッチが終わる。8のハロン棒が過ぎて、第3コーナーを入ったところに立ててある6のハロン棒が見えてきた。

 私のすぐ外に追い上げてきたローランタイムリーがそのまま加速してコーナーへと向かっていく。

 前は完全にバ群が固まっている。このペースのまま内にいることが敗北を意味することは明らかだった。ローランタイムリーが私を交わす瞬間を見計らい、その後ろからさらに大外に出そうと画策する。

 

(彼女の後に続いて外に出せば──今っ!)

 

 6ハロン棒を通過し、彼女が完全に私の前に出るか出ないかのタイミングで外へ進路を取ろうとした──

 

(え──)

 

 ──が、そのローランタイムリーのすぐ後ろから、得体の知れない暴風がやってきた。音を立てて空気を切り裂きながら、ローランタイムリーの加速なんて目じゃないスピードで突っ込んでくるモノの正体は──

 

(スペシャル、ウィークさんっ……!?)

 

 スペシャルウィークが暴力的な速度のコーナリングで外から私へと並びかける。外に出せるスペースは一瞬にして消え失せた。

 外に膨らまないよう慌ててブレーキをかけた。間一髪間に合ったが、バランスは崩れた。

 

「──くうっ!」

 

 そしてこのレースのどのウマ娘よりも近くまで、彼女は私にバ体を寄せてきた。

 コンマ1ミリも外に膨れることは許さないと、そのまま進路のない内で死んでいろと、そう言わんばかりのコース取り。

 

「「────」」

 

 すれ違いざま、彼女と目が合うのは必然。いつもの温和で天然な友人のスペシャルウィークはいなかった。勝利への渇望と無慈悲な冷酷さを併せ持った強敵がそこにいた。

 

 ──これは本番だよ、キングちゃん。

 

 声は出していないのに、彼女がそう言ったかのよう感じた。

 

 刹那のアイコンタクトを終え、スペシャルウィークは外を回してそのまま第4コーナーを捲っていく。その外にスノーボンバーが遅れてついてきている。

 その2人の外を回っていたのでは、直線の短い中山では絶対に間に合わない──! 

 

(私だって!)

 

 なら、私はスペシャルウィークを利用するまでだ。彼女のすぐ背後に張り付き、離されないように第4コーナーから直線へ入っていく。

 先頭の方へ目を移すと、セイウンスカイが内ラチ沿いにスパートをかけていた。だが、今はスペシャルウイークだけに集中する。

 

 スペシャルウィークを交わせなければ勝利はない────本能がそう告げていた。

 

(直線で抜き返すだけよっ!!)

 

 そして直線に向いた瞬間、逆にスペシャルウィークに2バ身差をつけられてしまった。コーナーリングを失敗しただろうか。

 考えている暇はない。私自身を信じて、あとは末脚を爆発させるだけ! 

 

 上限(レブ)まで脚を回して一気に加速する。体に当たる空気抵抗が一気に増す。これでスペシャルウィークを捉えて──! 

 

 

 

(──?)

 

 

 スペシャルウィークを捉えて──

 

 

(──え?)

 

 

 捉えて……

 

 

(なんで──!)

 

 

 捉えるどころか、その差は広がる一方。思い描いていた勝利への道筋が瞬時に瓦解する。

 

 スペシャルウィークとの差が2バ身、3バ身と開いていく。目の覚めるような切れ味の末脚で駆けていくスペシャルウィークの背中が一瞬にして小さくなった。

 

(まだ、まだよ! キングは末脚はこんなものじゃないわ!)

 

 まだ挽回できる。私の末脚は誰にだって負けないのだから。

 気持ちを強く持って、私の持てる力全てを脚へと注ぐ。

 

 それでも、スペシャルウィークとの差は詰まらない。

 むしろ広がるだけ。

 その差は4バ身。

 

 ──な、んで……なんで!! 

 

 そこでやっと気づいた。気づいてしまった。

 コーナーから直線、直線からここまで、私はスペシャルウィークに離されるだけ。それが意味するのは──

 

(そんな──)

 

 スペシャルウィークがキングヘイローより速いという事実。

 キングヘイローがスペシャルウィークより遅いという事実。

 

『逃げるセイウンスカイ! 追い込んでくるスペシャルウィーク! その差が3バ身、2バ身──』

 

 遠くに見える2人の背中。スペシャルウィークどころか、セイウンスカイの背中も遠いまま。

 

『1バ身、体半分、並んだ、変わった、スペシャルウィーク今ゴールインっ!』

 

 完全に2人の世界となった1着争いをはるか後方から見ることしかできない。

 

(これじゃ、あのときと──)

 

 その2人の姿と、あの模擬レースでのグラスワンダーとスペシャルウィークの姿が重なった。

 

(──何も変わらない、じゃない)

 

 足の力が抜け、ただ無心でその2人の背中に手を伸ばしそうになる。もう届くことのないその背中に向かって。

 

 こうすれば、届くのかしら──

 

 

 

 

「まだレースは終わってねえぞバカ!!!!! 気張れキング!!!!!!」

 

 

 

 

 ──と、大歓声の観客席の中から、聞きなれた声がひとつ、耳に届いた。

 全力で張り上げられたその声は、耳に届いた。

 

 坂川の、声だった。

 

「──っ!!!!!!」

 

 その声によって胡乱な意識が一気に鮮明になった。はるか前方に気を取られていたが、私のすぐ左にスノーボンバーがいた。死力を振り絞るといった様子の彼女は斜行しながらもゴールへ向かって走っている。

 この娘にまで負ける訳にはいかない! 

 

「あああああっ──!!!」

 

 どんな醜態だろうが気にしない。苦しくて顔が上を向こうが、悔しくて涙が出ようが、叫ぶように声を上げようが、頭の中もフォームもぐちゃぐちゃだろうが、1つでも順位を上げなければ! 

 

「「ああああああああああああっ────!!!!!!」」

 

 2人して叫びながら、ゴールラインを駆け抜けた。

 ゴールする瞬間、私より前に彼女はいなかった。なんとか凌げたようだった。

 

『最後はスペシャルウィークがセイウンスカイを捉えました! きさらぎ弥生で、皐月は見えたか!? その後離れまして3番手キングヘイロー!』

 

「はあ、はあ……ぐ……ッ」

 

 膝をついて見上げた先にいるのはスペシャルウィーク。

 片手を上げて喜んでいるその姿は、未だ遠いままだった。

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