ウイニングライブを終えて、控え室にてライブの衣装から制服へと着替え終わり、部屋の外へと声をかけると3人が中に入ってきた。
真っ先にペティが私に駆け寄ってきて、それにカレンモエが続いた。
「お疲れ様ですキング。ライブ、良かったですよ!」
「ええ、ありがとう」
「……体は、大丈夫?」
「大丈夫です。気を遣っていただいてありがとうございます、モエさん」
「この後も、注意してね。次の日に痛くなることだってあるから……」
こちらを気遣ってくれている2人に感謝を述べると、2人の頭越しに坂川が姿を現した。
「本当に身体はなんともないんだな?」
「さっきモエさんに言ったでしょう。あるのはレースとライブの疲れだけよ。ライブだって、一流……らしく踊れていたでしょう?」
──ずきっ、っと。
今、『一流』と言ったときに、胸に鈍い痛みが走った。
なんで? こんなこと、今まで無かったのに。
「まあライブは問題なかったが……ほら、さっさとそこに寝ろ」
言われる通りに床に敷いたマットの上に寝転んで、坂川による体のチェックを受ける。筋肉を触られたり、関節を動かされたり、逆に自分で動かしたり……それは10分足らずで終わった。
「言った通りでしょう?」
「今は問題ないな。でもあんなレースの後だからな……何か変に思ったらすぐ言えよ」
あんなレース……彼にその気がないのは分かっているのに、何気なく言われたその言葉に棘を感じてしまう。
レースが終わってから今まで、彼はレースの内容について一言も触れていなかった。明日には今日のレースの振り返りをするとは思う。でも今何も言ってこないのは、気を遣われているのか、言及する必要もないほど論外なレースだったのか、彼の思いは分からない。
──『まだレースは終わってねえぞ!!!!! 気張れキング!!!!!!』──
最後の直線、気を抜いて足を緩めてしまった私にかけた彼の言葉が今でも耳に残っている。あんなことをしてしまった自分を思い出すと、苦い気持ちでいっぱいになり無意識に下唇を噛んでしまった。
「よし、帰るぞ。忘れもんがないかだけ確認──」
~~♪♪
そして流れ出した、聴き馴染みのある軽快な電子音。
「……」
その発生源は、もちろんスカートのポケット。
スマホを取り出して発信者を確認すると、母の名前があった。
「……っ」
その名前を表示されたスマホを恨めしくじっと見つめてしまう。出ようか、出まいか悩んでいると、
「キング、先に行ってるぞ。
坂川がこちらに背を向けた。
中山レース場までは4人で坂川の自家用ミニバンに乗って来ていた。
「ええ。覚えてるわよ」
「なら先に行っとくぞ。モエ、ペティ、行くぞ」
「え? ああ、はい……」
「……うん」
坂川は後ろ髪を引かれている2人を連れて控室を出ていった。
控え室に残されたのは私と鳴りやまないスマホのみ。応答ボタンも拒否ボタンも押す勇気が出ないまま画面を見つめる。
「どう……しようかしら……」
どうせ出たって、また母に何か言われるだけだ。今日の弥生賞……スペシャルウィークとセイウンスカイに完敗した私を見て、さぞ言いたいことが沢山できたことだろう。
なら別に、出ないで逃げても──
「──逃げ……?」
私は今何を考えていた? 母の電話に出ないことを『逃げ』だと考えたのか?
「このキングが、逃げるだなんて……」
一流であると証明するために、どんな困難にも立ち向かうと心に決めていた。なのにレースで負けた上に母から逃げていて、決して首を下げないなんてよく言えたものだと自嘲気味に笑った。
「…………」
大きく息を吸ってゆっくりと吐いたのち、意を決して応答ボタンを押した。
「……もしもし」
『やっと出たわね、キング。また無視したのかと思ったわ』
ホープフルのときのことを言っているのだろう。あの時は電話を無視したのだ。なので母と話すのは坂川と契約した日以来となる。
『周りには誰もいないのかしら?』
「私1人よ。トレーナーもいないわ」
『トレーナー? ああ、そう言えばあの坂川という男と契約したのだったわね。私、忠告したはずだけれど? あの男はやめておきなさいって』
「私のことは私で決めるって言わなかったかしら? お母さまには関係ないでしょう?」
電話越しに行われるいつもの売り言葉に買い言葉の応酬。このあと、母がどんな話に持っていくのか容易に想像がつく。
『見ていたわよ、弥生賞』
「……そう」
『スペシャルウィークさんとは4バ身か5バ身といったところかしら。見どころもない、惨敗だったわね』
「…………」
想像はついていた。だからといって、それに言い返すことができるわけではなかった。
『スペシャルウィークさん、息を飲むような素晴らしい末脚だったわ。レース運びも完璧。あなたはコーナーで外から被せられた挙句、末脚でも完敗。あなたが彼女に勝っている点は何も無かったわね。今度こそ思い知ったでしょう……絶対的な才能の差を』
「……っ……」
母が言ったことを理解できてしまう自分が悔しい。キングヘイローとスペシャルウィークという2人のウマ娘の実力差を痛感した当事者の身としては、それを面と向かって否定することが難しかった。
『そのスペシャルウィークさんに加えて、僅差だったセイウンスカイさん。それにケガで休んでいるグラスワンダーさん……こんな強いウマ娘たちが同期にいて、不幸だったかもしれないわね。でも、これも運命』
どうせ、母が言うことは決まっている。
『まだ遅くはないわ。これ以上醜態を晒す前に帰ってきなさい、キング。何度も言っているけど、レース以外の道もあるのよ』
予想に違わない言葉がスマホから発せられた。
そちらが何度も言うのなら、こっちも何度だって言ってやる。
「……いわ」
『なにか言った?』
「帰らないわ。トゥインクルシリーズで私は、キングヘイローは一流のウマ娘であると証明するのよ!」
確かに今日のレースは惨敗してしまったかもしれない。弱気にもなっているかもしれない。だが、その程度でレースを辞めて帰るほど私は柔なウマ娘じゃない。
──また、ずきっと、この胸に鈍い痛みが訪れていた。
『……一流……あなた、その言葉をよく使うわね』
「……え?」
その言葉に虚を突かれた。母が一流について言及したことはこれまで一度も無かったからだ。
『キング、あなたにとって一流とはなに? GⅠを取ることかしら? それとも、インタビューで言ってたように三冠ウマ娘になること?』
「……ええ、そうよ! GⅠウマ娘に……三冠ウマ娘になることよ!」
あの弥生賞前のインタビューのことを知っていた母に内心驚きつつ、そう言い放った。
『三冠ウマ娘になれなかったら、あなたは一流のウマ娘にはなれないってことかしら?』
「そ、それは…………ふんっ、そんな仮定はいらないわ。私は三冠ウマ娘になるのよ。そのことしか考えてないわ」
『そんな子どもじみた妄言こそいらないわ。ならクラシックで1つでも負けたらトレセン学園を辞めるの? そうじゃないわよね。あなたはまた違うこと……いえ、同じことを言って辞めないでしょうね。一流のウマ娘になる、って』
冷徹に詰めてくる母の言葉に言い返すことができない。
「…………」
『だから、もう一度聞くわ。あなたの言う一流のウマ娘ってなにかしら?』
「私の……一流……」
『クラシック三冠? 天皇賞? ジャパンカップ? 有馬記念?
そこで言葉を切って、一瞬の空白の後、母はそれを言った。
『それとも、私のGⅠ7勝を超えれば、かしら?』
「──────」
私は言葉を失ってしまっていた。なにも頭に言葉が浮かんでこない。母の問いに対しての答えを持っていない。
『……また、
いつの間にか、ずきずきと胸は痛いまま張り詰めていた。
『一流になんて、なれやしないわ』
プツッ、とスマホの通話がそこで切られた。
掌にあるのは自分のスマホなのに、何か得体の知れないもののように見えた。
「……私の、一流…………」
頭の空白は埋まらないままだった。
◇
「ねえ、トレーナーさん」
「ん?」
「ちょっと……」
電話のかかってきたキングヘイローを置いて駐車場へ行く道すがら、カレンモエは俺に並びかけて耳をよこせと手招きをした。彼女の身長に合わせる様に横に傾き軽く屈むようにすると、俺の耳に彼女は口を近づけた。吐息と髪の毛が当たり、それにくすぐったさを感じながら彼女の言葉を待った。
「あの電話って、もしかしてキングのお母さん?」
「……!」
後ろでスマホを弄りながら歩いているペティに聞こえないようにか、耳元にて小声で囁かれたそれはキングヘイローのことだった。
先程の電話……スマホの画面を見たわけではないが、電話をかけてきたタイミングとキングヘイローのあの様子から十中八九グッバイヘイローだろう。ホープフルの時も今日と同じくウイニングライブ後の控室にいる時にかかってきていた。
次は俺がカレンモエの耳に口元を近づけた。ピンクのカチューシャ式メンコが被せられた耳がピンと立っていた。
「お前、キングと母親の関係のこと知ってんのか?」
「ううん。何も知らないよ。グッバイヘイローさんが凄いウマ娘だってことぐらいしか」
「ならなんで母親だって分かったんだ?」
「……なんとなく、だよ。苦しそうに見えたんだけど、それだけじゃない気がして。誰なのかなって考えたら……」
母親に思い至ったということか。もしかしたら、カレンモエも同じように母親から電話がかかってきたことがあるのかもしれない。まあ、グッバイヘイローみたいなことをカレンチャンは言わないだろうとは思う。何度か面談でカレンチャンと会っているので、娘に対する母のスタンスみたいなものはある程度分かっているつもりだ。
それに、カレンモエは自身とキングヘイローを重ね合わせたのかもしれない……偉大なウマ娘を母を持つという、同じ境遇のウマ娘として。
「で、それを知ってお前はどうしたいんだ」
「……どうするとか、そういうのじゃなくて……」
言い淀むカレンモエであったが、少し考え込むようにしてから口を開いた。
「モエも分かること、あるかもしれないから。何か助けてあげられないかなって」
それを聞いて何というか、素直にカレンモエの健気さに感心してしまった。
が、そんな善性だけで事態は何とかなるものではない。そこに釘を刺したうえで、彼女の言うことを尊重してやることにした。
「キングとお前とは違う……母親も、母親との関係もな。だから、全部理解できるとは思わない方がいいぞ」
「……そうかも、ね……」
「でも、もしキングが悩んでそうなら、手を貸してやってくれ。お前らみたいな……凄いウマ娘を母親に持つ奴にしか分からねえこともあるだろう。話を聞いてやるだけでもいいから、な」
「! ……うん、分かったよ」
「ああ、頼む」
こいつなりに後輩を気にかけて……意外と面倒見がいいのかもしれない。
「なんだよ。ちゃんとお前も先輩やってんじゃねえか」
「……なに、それ」
そういうことじゃない、とカレンモエにジト目で睨まれてしまった。
◇
乗り込んだミニバンの運転席にてキングヘイローを待っていると、俺のスマホに一通のメールが入った。何の気なしにそのメールを開いた。
「……!!」
差出人とその内容を見て、思わず舌打ちが出そうになった。そのメールに返信する。簡単に『了解 行く』とだけ。
「……はあ」
スマホをズボンのポケットにしまうと、後部座席にいたペティが身を乗り出してきた。
「キングですか?」
「ちげえよ。トレーナーの業務連絡」
「なーんだ。大変ですねえ」
興味を無くしたペティは後部座席に引っ込んでいった。
それからしばらくしてキングヘイローが姿を現し車に乗り込んだ。表情はレース後と同じように冴えないままであった。
そしてその帰り道にて、運転しながら先程送られてきたメールを思い返していた。そのメールの差出人は……天崎ひより。内容は以下のようなものだった。
『今日の23時ぐらいに2人でお酒でも飲みに行かない? スぺちゃんの祝勝会したあとになるから遅くてごめんね~。あ、もし断ったら坂川くんのチームの子に