『あなたの言う一流のウマ娘ってなにかしら?』
昨日の母の言葉が耳から離れない。何をしていても、ふとそのことについて考えてしまう。
一流のウマ娘であると証明する。そして母に私を認めさせる。それこそがトゥインクルシリーズで走る目的。
──なら、何を成し遂げたら一流のウマ娘となるのだろう?
『私のGⅠ7勝を超えれば、かしら?』
確かにそうかもしれない。数々の名声を得ている母のGⅠ7勝を超えれば間違いなく一流だろう。もしそうなったら、否が応でも母は私を認めざるを得ない。目的は達成される。
──もし、GⅠ7勝できなかったら?
GⅠ7勝に届くなくとも、一流だと思うウマ娘はたくさんいる……と思う。例えば元旦のWDTに出ていたナリタブライアンなんかはGⅠを5勝しているが、彼女を一流のウマ娘だと認めない者はいないだろう。彼女も間違いなく超一流のウマ娘だ。
──GⅠを勝てなかったら?
GⅠを勝てなくとも、GⅡやGⅢで勝って活躍したウマ娘もいる。間違いなくその時代を彩る一線級のウマ娘のはずだ。彼女たちは一流でない……二流だと誰が言える? 彼女たちも間違いなく一流だ。
──なら、重賞を勝っているキングヘイローは既に一流のウマ娘?
それだけは違うと言い切れる。自分が望んだ結果はまだ得られていない。キングヘイローは一流のウマ娘だが、昨日の弥生賞で惨敗したのに一流だなんて私が認めない。認めさせない。
──つまるところ、一流のウマ娘って?
…………一流の、ウマ娘。
堂々巡りで結局最初の疑問に戻ってきてしまった。
私はその明確な答えを持っているの? 一流がなにか分かっているの?
『あなたがそれを分かっていないようなら、一流になんてなれやしないわ』
…………今考えても、答えは見つからないままだった。
私の決意を込めたはずの「一流のウマ娘」……それがこんなにもあやふやなものなんて、思いもしなかった。
◇
「おい……おい! 聞いてんのかキング!」
「……えっ」
その声につられて急に意識が引き上げられた。お尻に感じるパイプ椅子の硬い感触が戻ってきた。
私がいる場所はトレーナー室。テーブルを挟んで向かいにいる坂川が腕組みをしてこちらを訝しむように見ていた。
「ごめんなさい。何の話だったかしら?」
「昨日の弥生賞の振り返りだ。何のためにここにいると思ってんだ?」
「……そうだったわね」
PCから出力されたモニターに目を移すと、昨日の弥生賞が流れていた。画面はスペシャルウィークが3コーナーで外から捲っていく様子が映し出されていた。その内には、窮屈そうに走る翠の勝負服に身を包んだウマ娘がいた。
「ペティさんとモエさんは?」
「はあ!? お前……モエはトレーニング中でそれにペティが付き合ってんだ。さっき言っただろうが」
確かにそんなことを言っていたような気がする。
「モエのトレーニングが終わったら2人ともトレーナー室に来るように言ってる。あいつらにも昨日のレースを見て思ったことを言ってもらう予定だ。今日のメニューは軽めだからもう少ししたら来るぞ」
「……ええ、分かったわ」
最後の直線を映したモニターを見ながら返事をする。スペシャルウィークとセイウンスカイがアップで映っており、2人のゴール後4バ身ほど遅れて3位争いをしている自分がゴールラインを過ぎていった。
それを見ていると、不意にその時のことを思い出してしまった。2人に圧倒されて、足が緩んでしまった私のことを。
「ねえ、トレーナー」
「あん? なんだ?」
「昨日の最後の直線……ごめんなさい」
「…………」
自分でもなぜあんなことをしてしまったのか分からない。1着になれないから勝負を投げてしまったと見られても仕方ないことだ。これに関しては私が全て悪い。
「なんで俺に謝ってんだ? 意味が分からん」
「……え?」
「俺に謝るぐらいなら自分に謝っとけアホ。……今まで努力したからこそあの場所に立てて3着になったんだ。その努力を放り投げようとしたアホな自分にな」
「……」
そう言われてあの愚行の意味について改めて考えさせられた。そして絶対にあってはならないことだと再認識した。
「そうね、そうするわ。もう二度と、あんなことはしない」
「当たり前だ……なあ、キング」
「なに?」
「ライブの後の電話、あれグッバイヘイローか?」
──やっぱり、分かるわよね。あのタイミングで電話をかけてくるのなんて、お母さましかいないもの。
「どうして?」
「負けた悔しさもあるんだろうが、今日の落ち込みようは普通じゃねえからな。ボーっとしてるし、またグッバイヘイローになにかキツいこと言われたんじゃねえかってな」
今の私の状態に母が影響しているのは間違いない。でも、彼が思っているような「キツいこと」を言われたのではない。
「確かに、あれはお母さまだったわよ。また小言を言われたわ。でも落ち込んでいるわけではないの」
「……はあ?」
「これは私の問題……だと思う」
「……」
暗に坂川には言う気はないと伝える。これは自分自身で解決しないといけない問題だからだ。
彼は黙り込んで何かを考え込むような仕草を見せた後に口を開いた。
「悩んでることがあるなら、誰かに言ってみるのも手だ。俺じゃなくても、ペティやモエ、学園の友達だっていいからな」
「……」
返事をするわけでもなく、頷く訳でもなく、曖昧な対応をした。どうしたらいいのか、正解が見えないままだったから。
でも、頭の片隅には残しておくことにした。
「……と、んな話してたら時間経っちまったな。さっさと始めるぞ」
坂川はそう言うとレース映像をスタート前まで巻き戻して再度流し始めた。
「まずスタート、出遅れとは言わねえが遅い」
左右のゲートにいた2人のウマ娘の間を割って前に出てくる私の姿があった。手元に用意しておいたノートに坂川に言われたことを書き込む。
「二の足でなんとか前の位置を取って内につけたのは悪くねえ。で、こっからだ」
バ群は第1第2コーナーを回る場面だった。画面の中の私はコーナーの途中でフォームが崩れ、上体が起き上がっていた。
「外から寄られたからな、仕方ない部分ではある。で、ここから向こう正面だが、お前ポジション下げたよな。それはなんでだ?」
「周りにウマ娘がいたから、走りやすいポジションを選んだの。東スポ杯のときと同じように」
「なるほどな……ペースは読めてたか?」
「1000m通過で60秒より遅いということは分かったわ」
「セイウンスカイの1000m通過は61.2秒だ。当たってるぞ。トレーニングの成果が出たな。やるじゃねえか」
「……当然でしょ。キングを誰だと思っているの?」
この坂川という男、前々からなのだが厳しい言葉が来たと思ったら突然褒めたり優しい言葉が飛んでくる。
……嬉しいなんて、思ってないんだから。
「上げて落とすようで悪いんだが、ペースが遅いって分かってんのになんでポジション下げたままにしてんだ? 結局3コーナーでスペシャルウィークに蓋されてるし、はっきり言って仕掛けが遅すぎる。暢気すぎんだよ」
褒められたと思ったら次は厳しい言葉が飛んできた。
まあ、坂川の物言いにはもう慣れた。ぶっきらぼうで口は悪いけど、内容自体は的確だ。
「何度も外に出して捲っていこうと思ったわよ。でも後ろや外から接近されるとフォームが崩れるって意識があったから……あなたの言う通り、仕掛けが遅れたのかもしれないわね。それでローランタイムリーさんの外に出そうとしたのだけれど……」
「すでにスペシャルウィークが来てたってわけか」
「ええ。外からこっちに物理的に押されてるって思うほどだったわ。あのスペシャルウィークさんのプレッシャー……」
「これ見るに、お前を抑え込むためにあえて併走するようにコーナー走ってるからな。あいつが一枚も二枚も上手だったってことだ」
坂川がスペシャルウィークを褒めたのを聞いて、思いのほかイラっとしてしまった。
……そんなあっさりと認めないでよ、このへっぽこ。
「で、3、4コーナーから最後の直線。はっきり言ってスペシャルウィークの末脚は次元が違った。お前より0.8秒速い上がり3F。そして逃げてお前と同じ上がり3Fを繰り出したセイウンスカイ」
最後の直線を改めて映像で見るとスペシャルウィークの末脚は強烈だった。1人だけ早送りに見えそうなその脚でセイウンスカイを捉えきった。
「ここまで見て……そうだな、まずはどうしたらスペシャルウィークに勝てたか考えろ。……言っとくが、スペシャルウィークより速い末脚でねじ伏せるとかはなしだ」
「……」
実は、それを考えないでもなかった。
……なんで、ちょっと頭をよぎったことが分かるのよこの男……
気を取り直して彼の話と私の考えを合わせると、答えは自然に導き出された。
「もっと仕掛けを早くするべきだった、かしら?」
「正解ではあるが、満点ではないな。それは手段であって目的じゃねえからな」
「……どういうこと?」
「仕掛けを早くすることで得られることはなんだ?」
彼の言っている意味を考える。
手段であって目的じゃない、仕掛けを早くして得られること…………仕掛けを早くするという手段によって得たい目的……いや、得たい結果か。
そういうことなら──
「スペシャルウィークさんに対するマージン?」
「ま、そんな感じだ。後方から捲ってくるスペシャルウィークに対してあらかじめ距離を稼いでおくことが必要だったわけだ。となると、マージンを稼ぐ手段は仕掛けを早くすることだけじゃないよな? ほら、そういう考えでレースをもう一回見てみろよ」
言われるとおりにモニターのレースを見る。スタートから──
「──あ」
「そういうことだ。レース後半からの仕掛けだけじゃない。このスタート1つでもマージンを稼ぐ手段になる。スタートが良かったら二の足にスタミナを使わなくて済むし、四方八方からプレッシャーをかけられることなくもっと前でスムーズにレースを運べてたかもな。それこそセイウンスカイの後ろ辺りでよ。そしたらフォームも崩れず消耗も抑えられて、お前の最後の末脚もキレてたかもしれねえ。お前の本来の末脚はあんなもんじゃねえからな」
バックストレッチに進んでいくモニターのレースを2人で見つめる。
「それにこの道中でポジションを落としたことが間違いだとは思わない。それで東スポ杯は勝ってるからな。ホープフルのイン突きみたいに結果的に間違ってたってだけだ。だが、自分のスムーズなレースをできれば勝てるほど中央の重賞は……GⅠは甘くねえぞ。時には他のウマ娘を邪魔したり潰したりする必要がある。それこそ、昨日のスペシャルウィークがお前にやったみたいにな」
「邪魔や潰すなんて、そんなことをしなくてもキングは勝ってみせるわよ!」
「……言い方が悪かったな。他のウマ娘に対応して走れって言ってんだ。相手の土俵に引きずり込まれるな」
「そう、ね……」
言い直してもあまり意味は変わってないような気はするが、なんとなく彼の言わんとすることは理解できたような気がする。
「だから向こう正面で動いても良かったんだが……周りとこの近さなら確かに難しいな。お前なら余計にな」
「……なによ。私だから出来ないって言いたいのかしら?」
精一杯恨めしい目で彼を見てやった。
「フォームが崩れやすいからってお前も分かってんだろうが……そんな顔すんなよ。でも勝つには一瞬の隙を狙うしかなかった。それこそ追い上げてくるスペシャルウィークの前に強引に割り込むとかな。それを逃したのはお前だ。……次はセイウンスカイ。コイツに勝つにはどうしたらいい? 逃げてお前と同じ上がりだ」
逃げたうえで私と同じ上がり……そんなのどうしたらよいのだろう。単純に考えるなら──
「──私が逃げる、とかかしら?」
「……」
坂川が黙ってしまった。一度も逃げたことがない私が逃げるなんて、流石に馬鹿馬鹿しすぎただろうか。
「それはありだ。キング」
「へ?」
予想と真逆のことを言う坂川。てっきりまた何か言われるかと思っていた。
「普通に考えるならポジション取りの問題だ。セイウンスカイより前にいればいい。でもお前が逃げて同じ上がりを使えるとも限らない。なら逃げ以外ならどうしたらいいのか……どうだ?」
「……思いつかないわ」
「さっき言っただろ? セイウンスカイは気持ちよくレースをしてたな」
「?」
そう言われても何も思いつかなかった。
答えが見つからない私を見て、坂川は口を開いた。
「気持ちよくレースをさせないんだよ。セイウンスカイに勝つだけなら、後ろからつついてプレッシャーかけてやればいいんだ。他のウマ娘がお前にやってきたみたいにな。かからせてオーバーペースにしたり、消耗させればこっちの勝ちだ。あとはさっき言ったみたいにこっちが逃げて主導権を奪うってことも選択肢に入る」
「……」
その坂川の物言いに抵抗感を感じる。他のウマ娘を邪魔して力を削げと言っているのだ。
本音を言えば真正面からお互い全力を出して戦いたい。でも、それだけでは勝てないことも知ってしまったから、彼の言葉を否定はできなかった。
「今までのお前は自分のことばかりに目を向けすぎだったんだ。それで勝てるならいいが、現実は甘くねえ。そろそろ他のウマ娘の走りに応じたレース運びしていかねえとな」
「ええ、分かったわ」
「とりあえず大部分はこんなとこだな。皐月賞まであと1ヶ月、やれることやるしかねえ」
「望むところよ!」
彼はレースの映像をいったん止めて、テーブルのマグカップに口をつけたあとに口を開いた。
「ま、ひとつひとつだ。まずはスタートだが──」
そこで、坂川の言葉を遮るように扉が開く音がした。トレーナー室の入り口に目を移すと、ペティとカレンモエが立っていた。
「モエさんのトレーニング終わりましたー」
ペティはそう言うとずんずんとトレーナー室に足を踏み入れ、タブレットをPCにつなぎデータを移し始めた。
一方、ペティに一歩遅れて入ってきたカレンモエは──
「──? どうしたの、トレーナーさん……?」
坂川に見つめられて困惑しているような様子だった。表情はほとんど変わらないが、そんな気がする。
「なあ、キング」
「なにかしら?」
坂川はこちらを向いて得意げな顔でカレンモエを親指で指さしてこういった。
「モエにスタートつきっきりで教えてもらえ。贔屓目無しにモエのスタートは今の中央でもトップクラスだ」
「……? モエが、キングに教えればいいの?」
「ああ。厳しくしてやってくれ、先輩」
かくして、皐月賞へ向けたトレーニングが始まる。
実馬カレンモエはスタートすごくはやいです(小並感)
カレンチャン電撃復帰となった2021年函館スプリントステークスとか見てて本当に気持ちいいです
見たことない方はぜひぜひ