底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第30話 皐月賞

 1か月前に走った弥生賞の中山レース場とは同じとは思えないほどスタンドのざわつきは大きいものだった。ゲート前で待機するなか、その11万人のざわつきがこれでもかと耳に届いていた。

 目を瞑ってファンファーレが鳴るのを待つ間、数日前に行われた皐月賞の記者会見でアナウンサーに訊かれたことを思い出していた。

 

 

『三冠ウマ娘になるという目標は、今でも変わりませんか?』

 

 

 意地の悪い質問だった。その質問には『弥生賞で完敗したのに、まだ三冠を口にするのか?』という含みを持たせているのだろう。なんせそのアナウンサーは弥生賞の時と同じ男の人だったからだ。

 ニコニコと目だけ笑っているそのアナウンサーに対して、私はこう言い切ってやった。

 

 

『もちろん! 三冠を目指すことに変わりありません。……皐月賞でのキングの走り、楽しみにしておくことね! おーっほっほっほ!』

 

 

 敬語を使わずに私が高らかに宣言したことを見て、彼の表情が一瞬固まったのを私は見逃さなかった。その瞬間はとても良い気分だった。

 

 ~♪ ~♪ 

 

『11万人の歓声が沸き起こります! 今年の皐月を取るのは3強か、はたまた新興勢力か!?』

 

 ファンファーレの生演奏と観客の拍手を聴き終え、目を開けて軽く体を動かす。手や背筋を伸ばしたり、ステップを踏むように足踏みしたり。

 そうしてターフを踏むと芝の根元の方はまだスッキリしていない感触があった。午前中まで稍重だったバ場は快晴により良に回復したと発表があったのだが、晴れ通しの良バ場とは違うものだった。

 

「奇数番ゲート入れー!」

 

 誘導員の言葉を受け続々とウマ娘たちが入っていく。これまでのレースで会ったウマ娘もいれば、私とは初対戦となるウマ娘だっていた。

 

「セイウンスカイ、どうした?」

「……え?」

 

 声がした方を向くと、自分の身を抱くよう手を回しているセイウンスカイがいた。その様子を複数の誘導員が心配そうに眺めていた。

 

「セイちゃん、ちょっと緊張しちゃいまして動悸が……にゃはは」

「どうする? 発走除外にするか?」

「いえ! 大丈夫です。枠入り、少し歩いて落ち着いてからでもいいですか?」

「いいぞ、分かった……おーい、偶数番のウマ娘ゲートに入ってくれー」

 

 辺りを確かめるように歩いているセイウンスカイを目線で捉えながら12番ゲートに入っていった。心配なので一言声をかけたかったのだが、誘導員がこちらにやって来て背中を押してきたので出来なかった。

 ゲート内で待機し他のウマ娘の枠入りを待つ。順調に枠入りは進み、そのなかでセイウンスカイもゲートに入ったようだった。

 

『最後にいまゆっくりと、チームシリウスのスぺシャルウィークが18番ゲートへ向かいました』

 

 カレンモエとのトレーニングで染みついたスタートの感覚を呼び起こしながら、足を引いて構える。意識は股関節から体の中心、腰は伸ばし前傾を崩さないように。

 

『クラシックの第1関門、皐月賞フルゲート18人2000m……』

 

 ──ガシャン! と音がしてゲートが開いた。

 

『スタートしましたっ!』

 

 四肢の肢位に注意しながら、あくまでリラックスした状態でスタートを切った。

 

「あぅ!」「いたっ!」

 

 右隣の11番のウマ娘が出遅れて右に寄れ、更に右の10番のウマ娘にぶつかったようだった。そのぶつかった反動でこちらにも寄ってきたのだが、もうその時に私はそこにはいなかった。

 つまり、スタートは上手くいったのだ。行き足よくまわりから抜け出すように駆けていき、外側からバ場の内側へ切れ込んでいく。

 

(上出来じゃない。さすが(キング)!)

 

 そう心で自画自賛しながらさらに内へ内へと向かう。ハナに立ったコウエイテンカイチを視界に入れてバ群から抜け出すと、ちょうど私の真横にあのウマ娘が──セイウンスカイが私と全く並走するように走っていた。

 

「「──!」」

 

 私に気づいたのかセイウンスカイは目線を一瞬だけこちらに寄こしたようだった。私は意識的に前を向いていたため目は合わなかった。そのまま第1コーナーの直前まで彼女と併走する。

 視界の端で捉えた彼女は引っかかり気味ではあるものの快調に走っていた。

 

(体調は問題ないようね。良かったわ……)

 

 そう内心で安心したのも束の間、セイウンスカイは先頭のコウエイテンカイチから2バ身後ろに位置取り第1コーナーへと入っていた。私はセイウンスカイの真後ろにぴったりポジションを取ってコーナリングしていく。

 

『逃げを宣言していましたコウエイテンカイチが、17人を引きつける形で1コーナーから2コーナーへと入っていきます!』

 

 ここまではおおむねプラン通りだった。予定通り、徹底的にセイウンスカイをマークしてレースを進めていけそうだ。

 

(まず1つクリアね!)

 

 今日のレースプランには大きく2つのポイントがある。セイウンスカイを徹底マークすることがまず1つ。そしてもう1つは内ラチ沿いの──

 

(──これが、グリーンベルト……!)

 

 内側に目をやると、真新しい綺麗な芝が顔を覗かせている。2週間前、BコースからAコースに変わったことで出現したこれがグリーンベルトだ。つまり、内側の芝の状態が極端に良いということ。私が走っているのはちょうどその境目から外といったところだ。

 このグリーンベルトを可能な限り利用する。それがもう1つのポイント。

 

 ──『今年の皐月は内のグリーンベルトを上手く使えたウマ娘が勝つ。スタート失敗して後方から大外ぶん回しになったら終わりだと思え』

 

 枠順が発表された時点でそう言い切っていたのは坂川。グリーンベルトの存在自体はそれより前から知ってはいたのだが、そこまで効果のあるものだとは思いもしなかった。

 

『バ群は向こう正面へ入りました! コウエイテンカイチが先頭、セイウンスカイがっちりと2番手、内に半バ身遅れてエモシオン、その後ろ外目にキングヘイローがいます!』

 

 4番手のまま第2コーナーを抜けてバックストレッチを駆けていく。位置取りは大きく変わらずバ群がそのまま進んでいく。バ場を考えると弥生賞よりはペースが速い気がする。だからだろうか、弥生賞のような激しいポジション争いは起きていなかった。

 私とセイウンスカイの間は変わらず2バ身差で、私は彼女の少し外側を追走。その中間地点の内側にエモシオンがいる。つまり私の右斜め前にエモシオン、そして私の半バ身から1バ身右斜め後ろに2人のウマ娘。

 セイウンスカイは内にエモシオンがいるものの、ぎりぎりグリーンベルトを通りながらレースを進めている。

 

 理想を言えば内ラチ沿いにグリーンベルトをロスなく回ることがベストだろう。でも、そうしないのには理由があった。それは──

 

 ──『大事なのはセイウンスカイのマークとグリーンベルトを利用することだが、最優先はセイウンスカイをマークして、いつでも捉えられる位置にいることだ。()()()()()()()はグリーンベルトに拘るなよ。無理して内に行かず、セイウンスカイの左斜め後ろの位置を狙え』

 

 ということだ。今重要なのはセイウンスカイをマークして、いつでも彼女に並びかけられるポジションを取り続けること! 

 

 バックストレッチから第3コーナーへ近づくに従い、後ろのウマ娘たちが揃ってポジションを上げてくる。前後の間隔が詰まってきた。後ろから感じるのは殺気の塊。ウマ娘たちの勝利への渇望そのもの。

 

(この位置は守るっ! フォームだって、絶対に崩してあげないんだからっ!)

 

 弥生賞と何ら変わりない全方位からのプレッシャーを跳ね返しながら第3コーナーへとバ群は突入していく。フォームは崩れていない。

 

『先頭は3コーナーへと入っていきます! セイウンスカイがコウエンテンカイチとの差を詰めていきます。コウエイテンカイチはいっぱいか?』

 

 第3コーナーに入り、セイウンスカイがコウエイテンカイチの外側から進出を始めている。目の前のはためく白い勝負服がふわっと翻りながら、その勢いを急激に増していく。彼女の完璧なコーナリングであっという間に半バ身まで距離が縮まっていた。

 

 ──今、だ。

 

(ここだわ! 今っ!)

 

 ──『重要なのは直線に入るまでにセイウンスカイを捉える……つまり、第4コーナーまでにセイウンスカイに並びかけることは勝利への絶対条件だ。弥生賞と同じ轍を踏むな! 思いっきりバ体を合わせてやれ! 絶対に、絶対に奴を逃すなよ!』

 

 脳裏に流れた坂川の声はもうどこかへ通り過ぎてしまった。理解し終えた言葉を残す必要はない。

 脳細胞の血流さえも、全て走ることへと集約させなければならないのだから! 

 

(──絶対に逃がさないっ!)

 

 左後方から来ていたウマ娘に並ばれる前に、瞬時に速度を上げてセイウンスカイとの距離を詰める。

 そのセイウンスカイは第4コーナーでコウエイテンカイチに並びかけ、今にも交わそうとしていた。その外へと私も追いすがっていく。1バ身、半バ身、彼女の横顔が見えるところまで。

 

『セイウンスカイはコウエンテンカイチにバ体を並べるっ! そしてその直後にキングヘイローだ! キングヘイローがセイウンスカイに取りついたっ!!』

 

 コウエイテンカイチを交わしたセイウンスカイ。

 その外から並びかけるキングヘイロー()。バ体は完全に横一線。

 

 お互い、意識するなと言う方が無理な話だった。

 

「──へえ!」「──っ!」

 

 私について来れたんだ? と言いたげにセイウンスカイがこちらに視線を寄こし、浮かべるのは好戦的な笑み。

 その視線を真正面から受け止め睨み返す。

 

 第4コーナーから直線にかけて、内側へ寄せてセイウンスカイにプレッシャーをかけ続ける。これまでのレースで私が他のウマ娘にやられてきたように。私を意識しろ、あなたにだけは負けない、絶対に勝ってやる、そんな思いを込めながら。

 

「──ふっ!」

 

 直線の入り口で発されたのはセイウンスカイの呼吸音。セイウンスカイは無理矢理ともいえるコーナーリングで更に内へ切れ込みラチいっぱいへバ体を寄せた。

 そのコーナリングがもたらしたのは最内のグリーンベルトの使用権と、私との2バ身の差。

 

(っ……やられた)

 

 彼女を先頭にして、スタンドの大歓声に包まれながら最後の直線へと入っていく。全てが決まる310mへ。

 

『ここで先頭はセイウンスカイだ! セイウンスカイ逃げるっ! その外にキングヘイローが追ってくる!』

 

 コーナリング性能の差で離されたが、こちらもグリーンベルトの上を走れている。

 準備は整った。あとは末脚を爆発させるだけ。セイウンスカイを捉えるだけ! 

 

『キングヘイローが追うっ! キングヘイローが追うっ! セイウンスカイリードは2バ身!』

 

 トップギアに入れてエンジン全開で脚を回す! 綺麗な芝を抉るように、全て力をここに注ぐ! 

 取り込む酸素が、体中の全てのエネルギーが、全て枯れ果てるまで捧げよう! 

 先頭にいるあの白を交わす、それだけのために────

 

 

 ────ずくん。

 

 

(──あ)

 

 背後から感じるなにかに、胸の鼓動がひとつ、大きく跳ねた。

 形容しがたい、謎の感覚が体全体に響いた。でも──

 

(──今の、は)

 

 私はそれを知っていた。()()()()()()()()()1ヶ月前の中山レース場(弥生賞)で。

 

 後ろから来た吹き荒れる暴風が、全てを蹴散らさんとばかりに迫ってきていた──

 

『外からスペシャルウィーク来たっ! スペシャルウィークが大外からやってくる! 早々とスペシャルウィーク3番手! あっという間にキングヘイローと半バ身差!』

 

(スペシャル、ウィークさん……!)

 

 スペシャルウィークが猛烈な勢いで外から突っ込んできた。今にも私を捉えそうなその見事な末脚で。

 さっきまではいなかった。姿さえ見えなかった。なのにその差は一瞬で半バ身まで詰め寄られていた。

 

(大外だった、はず……)

 

 彼女は大外枠だった。だから外からやって来た。グリーンベルトを使う余裕なんて無かったはずだ。今だって彼女が走っているのはグリーンベルトの外。

 ここから導き出されるのは1つの結論。

 

(グリーンベルトを一切使わず、大外を回してここまで来たっていうの!?)

 

 驚愕に値するその事実。スペシャルウィークはウマ娘としての性能だけでここまで追い上げてきたのだ。グリーンベルトやポジションの不利を跳ねのけ、大外のロスをものともせず。

 彼女は自身の性能ただそれだけで全てをねじ伏せようとしていた。

 

 ウマ娘として圧倒的な能力の差を痛感させられていた。

 

 ──だが、しかし。

 

(でも、譲れないのよ!)

 

 そんな弱音に頭を支配されている場合ではない。コンマ何秒かの世界で頭を切り替えた私は再び走りに集中する。

 どれだけ性能の差があろうが負けられないのだ。後ろから迫るスペシャルウィークにも、前で逃げるセイウンスカイにも。

 

 

 ──だって私は、一流のウマ娘なんだから! 

 

 

「はあああああ──っ!」

 

 グリーンベルトに蹄鉄を叩きつける。

 

『さあ先頭はセイウンスカイ! キングヘイローから2バ身のリードをキープ!」

 

(絶対に、負け……ない……っ)

 

 上限(レブ)を超えてなお脚を回す。

 セイウンスカイとの差は縮まる。スペシャルウィークとの差は縮まらない。

 

『懸命にキングヘイローが追ってくる! その差1バ身! スペシャルウィークは3番手!』

 

(GⅠを……取るんだから……っ、皐月で、勝つんだから……っ)

 

 最後の100mを、命を賭してと言っていいほど必死で追い上げる。弥生賞の時のように惨めに後ろで見ていた私じゃない。今、間違いなく3強として争うことができている。

 

(私は一流……一流なんだ……から……っ…………)

 

 皐月賞を、GⅠを、その手にできる位置に間違いなく私はいる。セイウンスカイの背中がすぐ手の届くところまで来ているのだ。

 あともう少し、本当にあともう少しなのに──

 

『セイウンスカイ逃げる! セイウンスカイ逃げる! キングヘイローは半バ身まで追いつくが──』

 

 ──無情にも、その瞬間は訪れてしまった。

 

 ゴール板がすぐ目の前に見えた。見えてしまった。

 まだ、私は、セイウンスカイに、追いついていない、のに。

 

(いち、りゅう……に……)

 

 セイウンスカイの横顔は見えそうで見えない。

 だって、私は交わせなかったのだから。

 先頭でゴールラインを捉えたのはセイウンスカイだったのだから。

 

 

『セイウンスカイ粘って粘ってゴールインッ!!! 勝ったのはセイウンスカイ! セイウンスカイ左手! キングヘイローとスペシャルウィークの追撃を振り切りましたっ!!!』

 

 

 1着でゴールし、脚を緩めながら左手を大きく上げるセイウンスカイ。

 それを見る事しかできないキングヘイロー()

 

 また手は届かなかった。三冠の夢は早くも砕け散った。

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