まだ収まらないスタンドの歓声は地下バ道にまで聞こえるほどだった。今は表彰式に向けての準備が整うまで優勝レイをかけて写真撮影をしているところだろう。
俺たち3人は地下バ道から控室への入り口近くでキングを待っていた。俺たちのようなトレーナーやチームのウマ娘が周りにはたくさんいた……もちろんチームシリウスの連中も。
すると次第に皐月賞で負けたウマ娘たちが続々と姿を現してきた。キックバックと汗で勝負服を汚し、俯いている彼女たちをそれぞれのチームが迎えに行く。それを受け入れるウマ娘もいれば、払いのけて足早に去っていくウマ娘もいた。敗北した時の態度や様子はそれこそウマ娘によって十人十色だ。
キングヘイローより先にスペシャルウィークが姿を現した。彼女にチームシリウスの面々が近寄っていく中で、真っ先に駆け寄ったのは緑のメンコを着けた栗毛のウマ娘……サイレンススズカだった。
「スぺちゃん……」
「スズカさん……負けちゃいました。応援してもらってたのに……ごめんなさい」
耳と尻尾を垂らして意気消沈しているスペシャルウィークを囲むようにして励ましているチームシリウス。その中で、天崎の声が俺の耳にまで届いていた。
「スぺちゃん、お疲れ様」
「トレーナーさん……」
「悔しいけど、今回は相手を褒めるしかないよ」
「はい……セイちゃんもキングちゃんも、弥生賞より強かったです」
「そうだね。スぺちゃんのライバルたちもみんな強くなってる。それは認めないといけないね。認めた上で、次の日本ダービーではその強いセイちゃんやキングちゃんに勝たないといけない。日本一のウマ娘になるために、ね」
「っ……はい、お母ちゃんと約束、しました、からっ……」
スペシャルウィークは声に詰まり、涙声になっていた。
「ねえ、スぺちゃん」
「はい……」
「でもね、いいレースだったよ。スぺちゃんはシリウスの誇りだよ」
「ト、トレーナーさ……」
ちょうど俺たちの横にて立ち止まったチームシリウスの輪の中心で、天崎はスペシャルウィークを抱きしめて頭を優しく撫でていた。
「今はいっぱい悔しがって、泣いていいから」
「っ……ううっ……ぐすっ」
「私も、シリウスのみんなもスぺちゃんを信じてるから。また、みんなで頑張ろうね」
天崎が抱きしめたスペシャルウィークを離すと、彼女は嗚咽を漏らし泣き始めていた。歩みを進めるチームシリウスの方を横目に見ていると、こちらに目線をやった1人のウマ娘……サイレンススズカとはたと目が合った。偶然顔を上げた先に俺がいたという感じだろう。
「……」
目が合ったのも束の間、サイレンススズカはスペシャルウィークの方へ顔を向け、その姿をシリウス一行とともに控室の方へ消していった。
他のウマ娘やトレーナーが次々と俺たちの横を過ぎ去っていくなか、皐月賞で負けたウマ娘の中で一番最後に姿を現したキングヘイローがこちらに歩いてきていた。
汗で濡れ乱れてしまった前髪が垂れているため、俯いている彼女の目元は見えなかった。泣いてはいないようだが、口元は何の感情も映しておらず、ただ一直線に引き結ばれているだけだった。だが……
(ああ──)
その表情を見て、
「キング……!」
「……」
ペティとカレンモエがキングに駆け寄っていく。
「ペティさん……モエさん」
「大丈夫ですか?」
キングヘイローはそこで顔を上げた。悔しそうに眉根を寄せているが、瞳が濡れていることはなかった。
「ええ。体は大丈夫よ」
「あ……なら良かったです」
キングヘイローは淡々とそう答えたが、ペティは大丈夫と訊いたことはおそらくそういう意味ではなかったのだろう。多分、ペティはレースに負けたことを言っている。
「レース惜しかったですけど、凄い走りでした! キングは悔しいと思いますけど、2着は十分誇れると思います!」
「ええ。届かなかったけれど、手ごたえは掴んだわ。ダービーこそは絶対に勝ってみせるわ! おーっほっほっほ!」
「そうですよ! キングならダービー勝てますっ!」
高笑いをして歩みを進めるキングヘイローにペティが付き従うように歩いていく。その2人の姿を後ろから見守りながらカレンモエとその後をついていった。
「ああ、そうだったわ。ペティさん?」
「どうしました?」
「控室のドリンクもう無くなっていたのよ。あなたに新しいものを買ってくる権利をあげるわ!」
「いいですよ! じゃあ行ってきますね!」
上から目線のキングヘイローに普段のペティなら悪態の1つでもついたのだろうが、今日は素直に言うことを聞いて早足で歩いていった。弥生賞のときもそうだったが、こんなときのペティは意外と相手に気を遣っている。
「ねえ、トレーナーさん……」
カレンモエは去ったペティの方を見やったあとに、何かを訴える様に俺の目を見てきた。それで、彼女が何を思い何をしようとしたのか直感的に理解した。
キングヘイローの様子を見て、おそらく俺と同じようにカレンモエも
「……ああ、分かった」
「うん」
カレンモエはペティの後を追っていきその姿を消した。残されたのは俺とキングヘイローの2人のみ。俺たちの間に会話はなく、彼女の歩調に合わせて2mほど後ろを歩いていくと、ほどなくして控室にたどり着いた。
中に入り後ろ手に扉を閉める。キングヘイローは部屋の中央まで足を進めたが、突然その場で足を止めた。俺からは彼女の背中しか見えない。汗に濡れた後ろ髪の間から、首元から肩甲骨にかけての素肌が見え隠れしていた。
「トレーナー、私の走りはどうだったかしら?」
キングヘイローは俺に背を向けたままそう問うてきた。
「悪くなかった」
「ミスや修正点はあったのかしら?」
「結果的に後から見れば何とでも言える。俺の目から見たら、お前は今の実力を出し切ってたよ。終始フォームも崩れず、リラックスして走れてた」
「…………」
「よく走ったな。立派だった」
「ふんっ……1着じゃないと、意味がないのよ…………」
「俺はそうは思わねえけどな」
「なによ…………今日のあなた、らしくないわ…………なんでそんな優し……」
黙り込んだキングヘイローは首を下げて下を向いた。
「……あともう少しだったわ。すぐそこに……本当にすぐ目の前に、皐月があったの」
「……そうか」
「でも、私の手をすり抜けていった。いくら走っても、差は縮まらなくて、届かなくて……っ」
「……」
彼女の放つ声が詰まり始めているのと同時に、両肩が小刻みに震えている。
「私はっ……キングヘイローは、っ……一流のウマ娘、なんだから……勝たなきゃ、いけなかったのよ……っ」
そこで、彼女は限界を迎えた。彼女の嗚咽だけが部屋を満たしていく。
「──くっ、ぐすっ……うううっ……あと、あとすこし……っ……ほんとうにすこし……っ、だったのにぃ……くうっ……」
「……」
泣き声を上げるわけでもない。キングヘイローは手袋をはめた両手を強く握り締めながら、ただ漏れ出てくる嗚咽に抗っていた。レースが終わってからここまで我慢してきた彼女のそれが一気に溢れ出していた。
地下バ道で彼女が姿を現したとき、そのときの表情を見て我慢していたのは分かっていた。俺だけでなくカレンモエも。なぜなら、同じ表情をしてきた担当ウマ娘を見てきていたからだ。カレンモエも同期のウマ娘が負けた時の姿を見て知っていたのだ。
「……よくここまで、我慢したな」
「こんな姿、見せられるわけっ……ううっ……一流の、キングがっ……ぐすっ……ペティさんにだって……っ」
キングヘイローの嗚咽は止まることがなかった。その様子をただ見つめることしかできないでいると、扉の外から話し声が段々近づいていた。
それが扉の前で止まったかと思うと、勢いよく扉が開かれた先にはペティとカレンモエがいた。
「買ってきましたよー!」
「ペティ、ちょっと……!」
入ってきたペティの後ろに、ペティの肩に手をかけてカレンモエが大きめの声を上げていた。カレンモエも頑張ったようだが、引き留められなかったようだった。
「キング! ドリンクを──って」
部屋に足を踏み入れ、嗚咽を漏らしているキングを見たペティはすぐさまその状況を理解したようだった。
「キング……」
「うっ……くうっ……うううっ、ぐすっ……」
結局、彼女が落ち着くまでしばらく時間を要した。
◇
「……」
テレビの中継が終わり、スマホに手を伸ばす。発信履歴から自分の娘の名前を探しそれをタップしたのだが、あとは通話ボタンを押すだけのところで手が止まってしまった。
惜しくも2着に敗れた彼女の気持ちを考えていると、自然と思い出されるのは昔の自分のこと。バヤコアというウマ娘に負け続けて終わった、あるウマ娘のこと。
だからだろうか、おそらく自分は今の彼女の気持ちが手に取るように分かる。
「……っ」
スマホは操作せず静かにテーブルの上に置いて、椅子にもたれて宙を眺めた。
当時の想いは未だに色褪せず胸の内に残っていた。
◇
泣き止んだキングヘイローのウイニングライブの準備をカレンモエとペティに任せて、俺は当てもなく関係者専用の通路を歩いていた。着替えもそうだが、泣きはらした顔を誤魔化すため2人が懸命にメイクを頑張っている。
レースに負けたウマ娘に躍らせるというのは酷なものだといつも思う。しかし、それもこなしてこそ中央のウマ娘だというのも理解している。
ドブの水を腹いっぱい飲みこんだような、相変わらず最悪の気持ちになった心を持て余しながら歩いていると、思い浮かんでくるのは泣いていたキングヘイローの姿だった。
「クソッ!!」
通路の壁に思い切り右手を叩きつける。ジンジンと痛む右手を感じると、いつかの新潟レース場のことが甦ってきた。
未勝利戦とGⅠ、舞台と状況は違うとはいえ、あんな思いを担当ウマ娘にさせないために俺はやってきていたはずだ。なのにまた担当ウマ娘を泣かせてしまった。最悪の気持ちが体全体を侵していた。
何度も何度も何度も何度も散々味わってきたものとはいえ、それに慣れることはなかった。これまでに経験してきたこれは嫌になるほど昔から全く変わらない。
そこでキングヘイローに加えてもうひとつ、別の光景が浮かんでくる。10年経った今も鮮明に覚えている、彼女とその光景。
「…………」
最初にこの気持ちを味わったそのとき……考えてみれば、それは全く同じ舞台だった。中山レース場の──
「キタサン……俺は……」
──キタサンブラックの皐月賞と。
胸ポケットから万年筆を出してそれを見つめた。
俺は、あの頃と何も変わってないのだろうか。
「死にゆく僕とアストンマーチャン」というタイトルで、末期がんであることを隠したトレーナーとアストンマーチャンのお話の電波を受信しました。
(書く難易度クソ高そうなので今のところ書く気は全く)ないです。