やったぜ。
冒頭は過去編です
『キタサンブラック凌ぎました! 重賞ウマ娘たちを見事撃破! 無傷の3連勝で皐月へ向かいます!』
スタンド最前列にいる俺の眼前で行われていたレースはGⅡスプリングステークス。皐月賞の優先出走権が与えられるトライアルレースだ。5番人気のキタサンブラックは共同通信杯を勝ったリアルスティールと朝日杯FSを勝ったGⅠウマ娘ダノンプラチナを倒し、晴れて重賞ウマ娘になると同時に皐月賞への切符を手にした。
「やりましたっ! トレーナーさん!!!」
「凄いぞキタサン! やったな!」
勝利してスタンドにいる俺の元へ駆け寄ってきた飛び跳ねんばかりのキタサンブラックとハイタッチをした。間近で見る彼女の満面の笑みが眩しかった。
「えへへ。すごく嬉しいです! これでスタンドのみんなも笑顔に──あれ?」
そう言いながら彼女は俺の背にあるスタンドの観客を見回した。するとその笑顔に陰りが生じた。
スタンドの観客は
大歓声を……みんなに笑顔を、と言っていた彼女の望む形ではなかったのだろう。
「なんか、思ってたのと……」
「……キタサン」
最初から注目されているウマ娘と、そうでないウマ娘はどうしてもいる。スプリングステークスでのキタサンブラックは5番人気と上位人気だったとはいえ、華のある重賞ウマ娘4人が集まったこのレースではどちらかというと伏兵扱いだっただろう。それにレース自体も番手から押し切ってクビ差粘った勝利で、所謂派手な勝ち方ではない。後方からキレる末脚で追い込んでくるウマ娘や、着差をつけて圧倒するウマ娘に比べるとどうしても地味に映ってしまう。
それにキタサンブラックは父親が著名な人物だが、レースの世界においてはまた別だ。このレースで言うなら、叔母が世界的なウマ娘で超良血のリアルスティールの方がレース界隈で注目を集める……華があるウマ娘であるのは言うまでもない。
一概には言えないが、観客が盛り上がるのは人気を集めているウマ娘がしっかりと勝つレースだろう。人気があると言うのはそれだけ勝つことを期待している人が多いからだ。悲しいかな、人気薄が勝って白けるという人はいるものだ。
「おい、早くウィナーズサークルに行け。職員たちが待ってるぞ」
「あっ、はい! 分かりました清島先生! トレーナーさんっ、行ってきます!」
「ああ……」
俺たちを見かねたのか、清島が顔を出してキタサンブラックをそう促した。清島は彼女を目で追いながら口を開いた。
「実力と華はイコールじゃねえからな」
「それは、分かっていますけど……」
「なあに、アイツもまだまだこれからだ。それより──」
清島はニカッと笑いながら俺の頭をガシガシとかき回し始めた。
「な、なにすんですか!?」
「重賞初制覇だ。お前もよくやったな! キタサン、お前に任せて正解だったわ」
「ありがとうございます……でも、これはっ!」
失礼だと思いながらも清島の手を払いのけて、距離を取って向かい合った。
もう俺も
「俺もうすぐ20ですよ!? もうガキじゃないんですから」
「何言ってんだ、社会じゃ20から30なんてまだまだガキだ。今10代のお前なんて赤ん坊と一緒だ。分かってねえなあ」
「そうだとしても……いや、そうじゃなくて、頭を撫でるのは止めてくださいよ! て言うか、先生だってまだギリギリ30代じゃないですか!」
乱れた髪を整えながらそう言った。
「お前、中々言うようになったじゃねえか。配属したての時のクソ丁寧な感じ気持ち悪くてなあ……あ、おい坂川、俺の代わりにトレーナーインタビュー受けといてくれ」
「え!? こういう時はチーフトレーナーが……先生が受けるものじゃないんですか!? キタサンのメイクデビューのときだって先生が」
「別に決まってねえよ。俺は付き合いがあるから、お前がキタサンと一緒にインタビュー受けてくれ。ほら、写真撮影終わったらすぐだぞ。場所は分かるな?」
「分かりますけど……」
「じゃあ行ってこい!」
インタビューを受けることは別に嫌ではなく、むしろ表舞台に出れて嬉しいまであるのだが、こんな1年目か2年目か分からない若造がチーフトレーナーを差し置いてインタビューを受けるのは出しゃばっているようで少し抵抗感があったのだ。
清島に物理的にも背中を押された俺はその足でインタビュースペースへ向かった。
キタサンブラックと肩を並べて行われた初めてのメディア向けのインタビューはなんとか無事に終えることができた。緊張して何を喋ったかあまり覚えてなかったが……
インタビュー後キタサンブラックに俺の受け答えは大丈夫だったか聞くと、「堂々とされてましたよっ!」とのことだったので無難に済ますことができたと思いたい。
◇
スプリングステークスから時が過ぎ、皐月賞を次週に控えたある日。キタサンブラックと俺はアルファーグのサブトレーナー室を使って皐月賞についての作戦会議をしていた。アルファーグほどのサブが何人もいる大所帯のチームになると何部屋もサブトレーナー室が与えられる。チーフトレーナー室より一回り小さいその部屋の中央にあるテーブルで、俺とキタサンブラックは向かい合っていた。他には誰もいない。
「皐月賞も番手、先行策でいくぞ。誰も行かなかったら逃げてもいい」
先程までは特別登録のあったウマ娘たちを分析し整理していた。それが終わって今は具体的な作戦や戦略の話になっていた。
「メイクデビュー以外の2戦はどれも2番手からのレースで勝ててる。難しいことは考えず、皐月賞も前目につけて戦い慣れた作戦で…………なあ、キタサン」
「……はい」
キタサンブラックの方を伺うと、彼女は押し黙って浮かない顔をしていた。最近、皐月賞に近づくにつれてこのような表情をすることが増えてきていた。先程のウマ娘の分析でも、どこか上の空で何かを考え込んでいるようだった。具体的なレースの展望の話になるので、この状態のままは看過できなかった。
「思ってること、なんでも言ってくれていいからな。なあ、なに悩んでるんだ?」
「……このままで、いいのかなって……」
「このまま?」
「クラシック三冠……みんなを楽しませることができるんでしょうか? 少し前……スプリングステークスを勝った時からそう思うようになったんですけど……」
俺が実質的なトレーナーに決まった日にも、彼女は「元気や勇気を与えられるウマ娘になりたい」と話していたことを思い出す。レースを見てくれた人たちを楽しませて笑顔にする……それが彼女がレースを走る意義であり目的なのだ。
だからスプリングステークスで勝ったときの観客の薄い反応がまだ記憶に残っているのだろう。観客がみんな笑顔になり大歓声で迎えてくれるという、描いていた理想と現実とのギャップに彼女は戸惑っているように見える。
「強い弱い以前に、そもそもあたしには足りないものがあるんじゃないかって。それは──みんなの目に留まるような『派手さ』……無敗で3連勝しても、あたしはあまり注目も期待もされてません……あたしは、クラシックの主役になんてなれるんでしょうか……?」
皐月賞の前評判においても4番人気か5番人気に納まるだろうというのが世間の大方の予想だった。無敗の3連勝で重賞制覇したウマ娘としては確かに評価は低いのかもしれない。しかし、なんせ彼女より上位人気のウマ娘たちは彼女が言ったように『派手』なのだ。
無敗で弥生賞を制し既に重賞2勝のサトノクラウン、前走でキタサンブラックの2着も評価は揺るがない超良血の共同通信杯覇者リアルスティール、セントポーリア賞で5バ身差の圧勝劇を演じたドゥラメンテが3強を形成していた。3人全員が全レースで上がり3F上位3位までに入っており、切れ味のある末脚を生かした『派手』なレースをしてきていた。特にドゥラメンテは2敗しているとはいえ全レースで上がり3F最速を記録していた。
レース実績だけ見るなら、4戦2勝で重賞未勝利のドゥラメンテより3戦3勝の重賞ウマ娘キタサンブラックの方が人気するのが普通だろう。しかし、ドゥラメンテのレース内容まで目を向けるとまた違った見方になってくる。セントポーリア賞の圧勝はもちろん、掛かり気味でほぼ暴走しながらもリアルスティールの2着に入った共同通信杯も負けて強しと言えるものだった。
一方のキタサンブラック、3戦中2戦は2番手からの押し切り勝ち。ドゥラメンテと比べると地味と言わざるを得ない。……しかし、もっと細かいところに目を向けると、メイクデビューは超スローを後方からの末脚勝負で勝利、2戦目の1勝クラスは逃げウマ娘の速いペースを追って押し切り3バ身差の勝利、スプリングステークスは超スローを番手から押し切りリアルスティールに勝利……と、その3戦とも違った勝ち方をしたことは、内容的に非常に価値のあるもので評価されるべきだと思う。力のないウマ娘では決してできない芸当だ。
「可能性はあると思うけどな。キタサンが頑張って走る限り」
「こんなあたしでも……ですか」
「ああ。キタサンが強くなって良い走りをしたら、絶対に見てくれる人は増えてくる。あと、キタサン」
「はい?」
勘違い……とは違うが、すでにキタサンブラックという1人のウマ娘から元気と勇気をもらって笑顔になっている奴がいるってことをちゃんと知っておいてもらわないと。
「さっきあまり注目も期待も──とか言ってたが、俺はめっちゃ注目してるし、期待してるぞ! 俺はお前が勝ったら嬉しいし、元気も貰ってる! だいたい、お前の走りが好きなんだよ俺は! 番手からの押し切りなんて王者のレース運びだぞカッコいいじゃねえか!」
「……えっ、えええ!? そんなっ、トレーナーさん……好きって……えへへ」
勢いで色々言ってしまった気がする。でも、嬉しそうにはにかんでくれてるキタサンブラックをみるとこっちも嬉しくなって……少し照れるというか、恥ずかしい。ごまかすように矢継ぎ早に言葉をつないだ。
「あ、俺が逃げや先行が好きだからそうしろって言ってるわけじゃねえからな! ……絶対に、皐月賞勝つぞ!」
「ふふっ、はいっ! あたし、頑張ります!」
キタサンブラックに明るい表情が戻った。やっぱり、この元気いっぱいな顔の方が彼女によく似合っている。
そして改めてレース運びについての話をした。暗い表情をしていたさっきまでと違い、表情をコロコロ変えて俺の言うことを相槌を打ちながら聞いてくれていた。
話がまとまり、彼女と作戦の共有が終わったのは話し始めてから1時間近く経ったあとのことだった。話を終えた俺はノートを取り出して今の話し合いのことを書き込み始めた。キタサンブラックを担当してからつけるようになったノートはもう10冊を優に超えている。清島や先輩に指導されたことや普段のトレーニング内容とその評価、彼女の些細な普段の様子、加えて俺が思ったこと……皐月賞が近づいてきた今では「彼女を勝たせてやりたい」とか「彼女の笑顔が見たい」とか、本当に書く必要があるのか判断に困る気恥ずかしいことも一応書いていた。こうして書くことで、俺自身への決意に繋がる気もしたからだ。それにどうせこのノートは自分しか見ないので、別に問題ないだろう。
「あっ! その万年筆使ってくれてるんですね!」
「ああ。これ凄く書きやすいんだよ。ありがとうなキタサン」
「えへへ……喜んでもらえたなら嬉しいです!」
スプリングステークスを勝ったあと、彼女から日頃の感謝の証として名前入りの万年筆をプレゼントされた。正直言ってものすごく嬉しかった。
万年筆を使うのは初めてだったのだが、使ってみると手に馴染みしっくりきたので普段から愛用していた。
「前から気になってたんですけど、トレーナーさんってノートに何書いてるんですか?」
「うん? これか? 普通に普段のトレーニングのこととか、今の話みたいに作戦のこととかいろいろ纏めたりしてるんだ」
「そうなんですか。纏めたやつ、あたしも見ていいですか?」
そう言って覗き込むように俺の背に回ってくるキタサンブラックに対し、俺は反射的にノートを閉じた。これを彼女に見られるのは駄目だ。見られたら多分俺は恥ずかしくて悶絶して死ぬ。
「あれ、見たら駄目なんですか?」
「……ああ、まあな。トレーナーだけの情報とかあるから」
トレーナーだけの情報ってなんだよ、と心の中で自分に突っ込んだ。
「そうなんですか。あたし、ノート書いてるトレーナーさん好きですよっ! なんか、知的な感じでカッコいいです!」
「……んだよそれ」
外見や見た目を褒められた経験があまりなかったので、それが妙にくすぐったかった。照れていない……と言ったら嘘になる。
そんなこんなで、本日の話し合いを終えた。あとは皐月賞へ向けて着実に準備をするだけだ。
──物事が順調なときは、なんでも良い方へ転がっていくものだ。彼女が悩みを抱えていたそれも解決し、この時の俺たちは何もかもがうまくいっていたと思う。
だが、これは最初の綻び。ちいさくちいさく、でも穿たれて開いてしまった小さな穴。それが広がっていくのは皐月賞が終わったあとからのこと。それがのちに、俺が彼女の全てを踏みにじることに繋がっていくのだ。
俺と彼女を別つ楔は、すでに打たれてしまっていた──
◇
迎えた皐月賞。
『外からドゥラメンテ!!! 外からなんと、ドゥラメンテ!!! これほどまでに強いのか!!!』
他のウマ娘が止まって見えるかのような別次元の末脚でドゥラメンテは14人をねじ伏せた。キタサンブラックの弛まぬ努力も、俺たちが立てた作戦も、全てドゥラメンテの前に屈した。さらに彼女に与えられたのは皐月賞史上最高のレーティング。
そして俺を待ち受けていたのは──
「トレーナーさんっ……ごめんなさい……っ、期待に……ぐすっ、うあ、うわあああああん!」
──大粒の涙を流して泣き声を上げる、3着に敗れたキタサンブラックだった。
初めて敗北し泣いている彼女を目の前にして、悲しみや自分への怒り、不甲斐なさ、情けなさが混ざり合った形容しがたい最悪な気持ちになった。
これから数え切れないほどこれを経験することになるのを、俺はまだ知らなかった。
◇
「──♪! ──♪ ──♪!」
キラキラ光る華々しいウイニングライブの舞台でキングヘイローは踊っていた。会場の最後方で俺は見ているが、踊り自体は完璧に見えた。普段の彼女の努力の賜物だろう。
……ただ、モニターでアップになったときに映る彼女の表情は別だった。笑顔を作れてはいるが、普段の彼女を知っている俺にとったらそれはぎこちないものでしかなかった。何かをこらえているような、硬くて強張った笑顔だ。そうしないと決壊してしまうからだろう。
「…………」
担当ウマ娘の……キングヘイローのそんな痛々しい姿は見ていられなかった。本音を言えば目を逸らしたいぐらいだ。
しかしトレーナーとしてそれは許されない。
「絶対だ……ダービーは、絶対に勝たせてやる……!」
組んでいる腕に力を入れて口にしたそれは彼女たちの歌声と観客の歓声に消えていく。
「
──無意識のうちに彼女とキングヘイローを重ね合わせていたから出た『また』という言葉。それに俺は気づいていない。
ライブを見る俺の手の中にはずっと万年筆が握られていた。
──果たして、俺は本当にキングヘイローを見ていたのだろうか。その答えが出るのは、ダービーが終わった後のことだった。